書架の国の図書委員
図書室には少し変わった図書委員が居る。
本を探してると出会えるらしい。長い金髪を後ろで束ねた、不思議な眼の色の女子生徒。
本と空想をこよなく愛し、蔵書の把握率は司書をも超える。まるでその本の声が聞こえるかのように、どんな本でも迷いなく見つけ出す。
彼女が居るかどうかの目印はカウンターの奥にある。肩で少し内に巻いた綺麗な黒髪に、淡いベージュのドレスを身に付けたビスクドール。彼女はその人形といつも一緒だから、それが置いてあることは彼女が居ることと同義なのだという。
他の図書委員も教師も。生徒達も。彼女と会話し、笑い、時には「図書室は静かにせんと」とか「本をそぎゃん扱ったらいかんとよ!」なんて方言強めの口調で怒られたりしているのに。
彼女が誰なのか、覚えていない。
あんなにも目立つ容姿に言葉遣いで。傍にあるビスクドールも印象的なのに。
クラスも、名前も。顔すらも。覚えてる人は居ない。
ただ、不思議な印象と本だけを残して。彼女はどこかへ帰っていく。
だから、誰が言い始めたのかは分からないが、みんなは彼女をこう呼ぶ。
「書架の国の図書委員」
□ ■ □
目が覚めた時、空中に放り出されたような感覚がしたとは覚えとる。
浮遊感とか落ちる感覚とか。思い出してる今だからなんとなく分かるとだけど、そん時は何が何だかさっぱりで。まるで「番長更屋敷」とか「不思議の国のアリス」を初めて読んだ時位怖かった。
落ちっとは、怖か。
あと、文字と紙が身体中に張り付いて、邪魔で邪魔で仕方なかった。
からだ。そう、身体があった。
文字が身体に絡まって固まって、その言葉の意味を主張してくる。タイトル。あらすじ。その内容。ぺたぺたぺたぺたと張り付いて、ウチの身体が隙間なく埋まっていく。
それから、ぎゅっと押し込まれるように落ちて。
落ちて……おちて……。
お
ち
て
…
……――
□ ■ □
「……はっ」
がくん、と体全体が揺れる感覚と共に目が覚めた。
えーっと。ウチ、何しとったっけ。と考えていると。
「ルイ。人の髪を梳いている最中に居眠りはやめてもらおう」
男の人の低い声が手元から響いた。慌てて視線を落とすと、膝の上に黒髪のビスクドール……レイシーが座っていた。櫛がレイシーのスカートの上、つまりウチのあしのうえにに落ちている。
「あっ、ごめん!」
そうだ。レイシーの髪を梳いとったとだった。櫛を拾って再び髪を梳き始める。
とはいっても、レイシーの髪は少し内に巻いてて、さらさらとしてて。正直櫛を通す必要はない。
淡いベージュの、フリルで飾られたドレスだってよく似合う。今、ここからじゃ見えんけど、目だってきりっとしていて力強い。
「あのねレイシー、今、夢ば見たとよ」
「ほほう。刹那の微睡みで夢に落ちたか」
うん、と頷く。
「して、その夢は如何なる物であったか?」
「興味あるの?」
「暇だから聞いてやるだけだ」
素っ気ない言葉で早く手を動かせ、と言う。
「ふふ、珍しかこともあるね。落ちる夢、かな」
「堕ちる、か。貴様も闇の深淵を覗かんとする日が来たか」
「いや、なんかそぎゃんとじゃなくて。目を覚ます直前の夢だった気がする」
思い出すと背中の辺りがそわっとする。あの浮遊感と文字の主張は、なんだか騒がしくて落ち着かない。
レイシーは「ほう」と興味深そうに呟いた。別に深淵とかじゃなくても良からしい。
「貴様は……我が目を離した瞬間に禁域に座していたが、己が作り出される感覚があったとは」
レイシーはくつくつと笑う。
「うん。っていうかカウンターは別に禁域じゃなかでしょ」
レイシーだってよく居るし。とツッコむ。返事はなかった。
「でもそっか。レイシーにはウチが突然カウンターの中に座っとるように見えとったとね」
「ああ。そうだな。これは良い憑代が出来たと思ったが、貴様はその武装が硬すぎて話にならぬ」
「……? ウチ、武装なんてしとらんよ?」
首を傾げると、レイシーは首を横に振った。からからと音がして、揺れた髪が櫛から逃げていく。
「貴様の存在はこの校内に存在する文字と知識と物語の集合体。我の空想など容易に弾くほど強靱で、隙間も容赦も無い。貴様に自覚は無くとも、その身体は数多の空想と概念と世界を纏っておるも同然」
「……なんか、それだけ聞くとめっちゃ頭良さそうに聞こゆっとだけど」
「そうでないのは使用方法が限定的だからだ」
「そうじゃなかて言った?」
「それが枷だからだ。貴様の能力は検索に特化している。逆に言えば、それ以外は人並みかそれ以下だ」
「しかも無視せんで!?」
必死の叫びだったけどレイシーは何も答えない。答えてくれる事なんて滅多にないのは分かっとるもん。と溜息が出る。レイシーの言葉は難しかけど、これはこれで真面目なのだ。ツッコんでも仕方がなかことくらい、分かってる。うん。
うーん、と天井を見上げて考える。
「検索……なあ。ウチがすぐ分かるとは、本の場所とかタイトルとか、あらすじとか……確かに本とか探すことに関するもんばっかりね」
うむ、とレイシーも頷く。
「それが貴様の枷よ」
「枷」
「我もそのひとつだがな」
「……?」
レイシーもウチの枷? と首を傾げると「手を止めるな」とぴしゃりと一言飛んできた。
「あ。ごめんごめん」
そうして髪を梳きながら、問う。
「それで。どうしてレイシーがウチの枷になると?」
問いに返ってきたのは舌打ちだった。
自分で考えろと言うことだろうか。その割に少し間を置いて教えてくれた。
「検索以外の能力は、我の動力として変換されている」
「レイシーの動力?」
頷いたレイシーの首から、からんと音がした。
「我は。長らくこの憑代に囚われ、新たな身体を得る日を待ち望んでいた。貴様が現れるまで、身動きすら叶わなかった」
「ふんふん」
「貴様がこの部屋に形作られた事で、我はあの檻から解放されたのだ。あいつは……」
「ハナブサさん、ね。もう、レイシーったらいつまで経ってもハナブサさん嫌がるね」
「奴らは我を破壊し、この人形と硝子の檻に封じた。あれは悪鬼の如き存在。貴様も不用意に近付くでない」
「えー。ウチ、ハナブサさんのお茶とかお菓子とか好いとっとに……。でも、毎日ご飯時は顔会わせるけん、近付くなも何も……」
口を尖らせながら文句を言い、脱線したことに気付く。
「あ。そんで? ウチが目を覚ました時に、ハナブサさんはレイシーに何したと?」
「我が再び動ける事に気付いた時、目の前で笑っておった」
「ハナブサさんいつもにこにこしとるよね」
「あれは上っ面だ。我には分かる。嗚呼、あの時の声すらもおぞましい」
「……」
ええと。レイシーの言う事がよく分からない。髪を梳きながら首を傾げ「それで?」と続きを促す。
「我を封じていた硝子の檻を開け、こう告げた」
「やっと君を解放できる日が来た。彼女は分からない事が多いだろうから、助けてあげて。傍に寄り添って、力に。標になってあげて」
「君の身体は彼女の力で動けるようになったらしいと聞いてる。彼女に危害を加えたり離れようとしたりしたら、途端にただの人形に戻ってしまうだろう。だから、彼女から離れようなんて――考えたらダメだよ?」
「嗚呼、この呪詛紛いの言葉」
「いや、ハナブサさんいつもそうだよね?」
「それが常であれば尚の事。我が貴様の枷であると同時に、貴様が我の枷であり動力源などという呪い……我がかつての力を取り戻せしあかつきには……」
ぶつぶつと呟くレイシーがなんかおかしくて、思わずくすくすと笑ってしまった。
「でも、そんなハナブサさんの言葉通り、ウチに名前をつけてくれたとよね?」
「さもなければ我を再度封印すると脅されたからな」
「いや……ハナブサさんの事だからもっとソフトな言い方する気もすっとだけど……」
まあいいや、と櫛を引き出しにしまい、レイシーをカウンターの上へ向かい合うように座らせる。
髪はつやつやさらさら。フリルもレースも綺麗。胸の青いリボンをちょっと整えてあげたら、うん、上出来。
「できた。うん、今日も綺麗かよレイシー」
ウチの心からの褒め言葉に返ってきたのは、ふん、と鼻を鳴らす不本意そうな声だった。
□ ■ □
レイシーをカウンターに座らせたまま、ルイは図書カードの整理や蔵書のリストを眺め、――ふと思いだしたように問いかけた。
「そういえば、さっきの夢でちょっと気になったことがあっとだけど」
「うん?」
「名前」
「名前?」
かく、とレイシーの首が傾いた。
「どうしてウチの名前、ルイって付けたと?」
レイシーはとても不機嫌そうな、怪訝そうな。そんな目でルイを見た。
由来にある程度の予想が付いているのだろう。彼女の口元はうずうずと笑いを堪え。瞳は期待に満ちている。
苗字の「サラシナ」は彼女自身が近くにあった本から選んだ。
でも。下の名前の「ルイ」はレイシーが付けたものだ。
こんなに愛想のないレイシーが与えた「ルイ」の由来とは。
その理由を聞きたくて仕方がない。そんな顔。
レイシーはその期待に満ちた視線から目を逸らした。
「貴様。その名の由来に心当たりがあるのだろう? 何故問うか」
「だってレイシーから直接聞いた事なかもん? 想像は想像のまま。真実にはならんとよ」
「…………なるほど」
レイシーは少々長い沈黙の末、こくりと頷いた。
そして溜息のように言葉を吐く。
「その名が枷として。いずれは我の憑代として相応しい名だからだ」
「ほっほーう?」
「何だ」
レイシーの眉が、不快そうに歪む。
「レイシーって名前も、一緒に付けたとよね」
「ああ、そうだ」
「それならさ。ウチの名前。ルイの方が、レイシーより強かて分かっとるよね?」
「……」
レイシーは答えない。
レイシーとは。糖蜜の井戸の底に住む者。昼下がりの少女の名。
ルイとは。少女に物語を捧げた語り部の名。
語り部は世界を作る権限の大半を持っているが、その世界は少女のためにある。
世界は少女のおねだりで簡単に変化するが、その変化を紡ぐのは語り部だ。
作って、聞いて、ねだって、紡いで……まるで堂々巡りの追いかけっこ。
この人形――実際には人形に閉じ込められた何か――は、不完全な形とはいえ、そんな名前を自分と少女に与えた。
これじゃあ、ずっと一緒に居るしかなかよね。と、ルイは誰かの図書カードを眺めながら、くすくすと笑う。
「レイシーは、甘かねえ」
「何がだ」
もし名前が逆だったならば、世界を作る側に立つことができただろう。自分をただの動力源として利用し、図書室……いや、この学校の文字や物語を統べる者となれた可能性もある。やろうと思えば噂話だって捩じ曲げられたに違いない。
自分達の存在を、己の存在を知らしめ「怪談話」として長く語り継ぎたいのなら。
レイシーとは、この人形にとってなんて不利な名前だろう。
「ううん、なんもなかよー?」
ルイは嬉しそうに、カウンターからレイシーを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめる。
「ウチはレイシーの事、好いとうよ?」
「それは貴様が我に寄り添うよう在ろうとするからだ」
レイシーはそう言ったが、嫌がる素振りは見せない。
ルイは目を閉じ、笑ってその言葉を否定する。
「ううん。そうじゃなくても、きっと好き」
たとえ、それが名前に縛られとったとしても。
この気持ちは嘘じゃないに違いない。
くすぐったくて、暖かくて。なんだか恥ずかしくて。
顔を見られないように、レイシーに頬を寄せる。
陶器は冷たいはずなのに、その肌はまるで人のような暖かさだった。





