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ちょっと変わった、普通の日々へ。

「あ、ヤミちゃん」


 ハナは、廊下に黒い影のような少年を見つけて駆け寄った。

 気付いたヤミも、歩幅を緩めてハナが追いつくのを待つ。

 隣に並ぶと、歩調を戻して歩き出す。


「保健室の帰りか?」

「うむ」


 ハナは、ハロウィンの騒動で使った能力の反動がまだ残っていた。

 普段通りに見えるが、まだ疲労が抜け切らない。

 具体的な対処法がある訳ではないので、体調管理の一環として保健室に顔を出すのが

ここ数日の日課だった。


「ヤミちゃんがあまりに心配するからね」

「そりゃあな」


 ぶっきらぼうながらも素直な反応に、ハナはうふふとヤミの頬をつつく。やめろよ、と言いたげに顔をずらされ、視線だけがこちらを向いた。


「で、あれはどうなの」

「どう、というと?」


 ハナは首を傾げることもせず問い返すと、ヤミが少しだけ言いにくそうに口を尖らせた。


 ハッキリ聞かなければ答えない気だ。と、ヤミは内心でため息をついた。

 ヤミの心配は、ドッペルゲンガーを食べた影のことだ。

 あれは、ハナの持つ爆弾のようなもの。かつて彼女に取り憑き、弱ったところを影の底に押し込めていた。都合のいいエサを与えることで他に目を向けないようにしていたから、気休め程度の安心はできていた。

 なのに。ハナはそんなヤツを呼び出すだけでなく新たなエサを与えた。

 それがどんな影響を与えるか分からない。また彼女を乗っ取り、事件を起こすかもしれない。それが心配なのだ。――と、素直に口にできず遠回しな表現を使ったというのに。

 ヤミは観念することにした。


「……あの狐。ずっと底に居ただろ。それを無理矢理引っ張り出して、ドッペルゲンガーを食わせて。また、出てくるきっかけを与えたんじゃないか?」

「なに、心配いらないさ」

「言い切れるのか?」

「まあね」


 ヤミの心配をよそに、ハナは気楽に頷く。


 廊下をテクテク進んで「売店にでもいこうか」と誘う。ヤミも「いいけど」と頷いて、西日差し込む渡り廊下を行く。


「ボクの感覚だけどね。まだまだ大丈夫だと思うよ」


 一歩先を歩きながら、ハナはそう言った。


「そう」


 ヤミは頷きはしものの、微妙に納得していない。


「あの時狐に負わせた傷は結構深かったし、影の底でも消耗し続けてる。……まあ、うん。ヒマは解消されつつあるかもしれないけどさ」

「安心させたいのか不安にさせたいのかハッキリしろよ」

「あっはっは、相変わらず心配性さんめ」


 ハナはヤミの言葉を笑い飛ばし、売店ホールへと軽い足取りで入っていく。


 ホールに人は居なかった。売店も閉まっていて、自動販売機だけが動いている。

 放課後の喧騒はどこからともなく聞こえてくるのに静かで。なにかしら残った話をするにはいい空気だった。


「まあ、あれさ」


 自動販売機に並ぶ飲み物を吟味しながらハナが言う。


「ボクだって少しは成長してるんだ。安心したまえよ」


 その証拠があれさ、とポケットを探って十円玉をチラつかせた。


「こっくりさんをして、うまく呼び出して帰せた。そこを褒めてもいいんだぞ」


 ちゃりん、と硬貨を投入し、ボタンを押す。


 ジュースを取り出したハナに続いてポケットに手を突っ込んだヤミを制して、もう一枚硬貨を投入する。


「今日はボクが奢ろう」

「なんで」

「そんな気分だからさ」


 そう、と答えてヤミはお茶のボタンを押した。


「ありがとう」

 

 □ ■ □


「さっきの話の続きだが」


 ジュースにストローを刺し、ハナは話を再び切り出した。

 うん、とヤミも頷く。


「時々ね。練習してたんだ」


 ジュースを飲みながら取り出した十円玉を転がす。人差し指に側面の溝が擦れる。

 練習? と繰り返したヤミにハナはうむと頷いた。


「ああは言ったけどさ。このままではいけないとは思ってるんだ。いつ状況が変化するか分からない訳だしな」

「そうだな」

「あれはこっくりさんに由来するものだ。だから練習さ。こっくりさんをする人達に混じって、何が呼び出されるかを察知するとかな」

「ええ……」

「今どきこっくりさんなんてって人も居るけどさ。誘うと意外とやってくれたりしてな」

「居るのかよ」

「居てくれなきゃ困るだろう?」

「そうだけどさ……」


 噂話は語られ、実行されてこそ自分達は存在できる。

 だから、語り部や実行者の存在はありがたい。ありがたいが。

 それで自分が呼び出されるならまだいい。しかし、そこに混ざったハナが何かを呼び出したり。ましてや影の底にいる狐を引っ張り出したりした日には……。

 色々言いたくなったが、実際そうならずに今まできた。その結果だけ受け止めておくことにした。


「もちろん、余計な何かを呼び出さない練習も兼ねてたさ。だから、ボクが参加すると 基本的に何も起きない。ヤミちゃんが呼ばれることもなかっただろう?」

「まあ、うん」


 こっくりさんが行われる気配を感じても、何も起きなければヤミの出番はない。様子は見に行くけど、ハナが居た事はなかった。そこもうまく制御していたのかもしれない。

 だから、ハナが生徒に混じって練習をしていたなんて気付けなかったのだ。


「だが、ボクが混ざるとやっぱり影の底で狐が気付きそうな気配はあった。だから、何も呼ばないようにするっていうのは割と頑張ったよ」


 うん、と頷いてストローに口をつける。喉を通るお茶は冷たく、温かい方を買うべきだったかもと思いながら話を聞く。


「それで、気付いたんだ」

「うん」

「複数人でやってこの程度なら、ボクひとりでこっくりさんをすれば、何かを狙って呼びだせるんじゃないかって」

「馬鹿」


 思わずストローから口を離して言葉が出た。

 ハナは気を悪くした様子もなく、むしろ楽しげに笑っている。


「ふふ、端的だな」

「その方が伝わるだろ。っていうかお前はどうしてそう考えなしに――」

「はいはいそこまでだ」


 ヤミの言葉は途中で遮られた。


「それは先日イヤと言うほど聞いたからいいよ」


 保健室から解放されたと同時にされた説教と同じ話だろう、とハナは言った。

 ぐ、とヤミの言葉が詰まる。

「そうだけど……でも、相談くらい」

「相談も何も。元々やるつもりなかったんだよ。やらないに越したことはないだろう? だって、相手はヤミちゃんとウツロさんだぞ?」


 当たり前のようにそう言い放つ。自分の実力は信頼されているのだろう。それは嬉しいけど、複雑な心地になる。


「じゃあなんで」

「いやあ、あれが最善だなってふと思って」

「……」


 思わず額を抑えた。

 言いたいことは色々ある。

 それで逆に事件を引き起こしたらどうするとか。どうしてそう思ったのかとか。それは本当にハナの意思だったのかとか。いや、あれは多分本人の意思だ。間違いない。

 けど、それはさっき言われた通り、先日の説教の繰り返しになるだけだ。

 だからその色々をお茶の残りで飲み下して、息をついた。


「……次はやる前に相談しろ」

「ああ、万が一の時は約束しよう」

「万が一じゃ遅いんだよ」


 被せるように言い返すと、ハナは嬉しそうに笑って「分かったよ」と頷いた。


「ま、そんなことないよう頑張るよ」

「そうだな」


 □ ■ □

 

 お互いの飲み物が空になり、ホールにも電気が灯った。

 そろそろお開きにしようかね、と席を立ったハナが、ふと気付いたように立ち止まってヤミに手招きした。


「そうだ。これ、約束のものだよ」


 そう言って彼の手を取り、さっきから手の中で転がしていた硬化を落とす。

 黒ずんだ赤銅色。側面には小さな溝がたくさん刻まれている。ギザ十だ。


「……ああ」


 そういえばそんなことを言ったな。と、受け取ったそれ軽く眺め。ポケットにしまった。


「それ、レアものだからな。また何かあったらよろしく頼むよ」

「それはまた別請求だ」


 きっぱり言い返すと、ハナはそっかと笑った。


「それじゃあ、そろそろ夕食の準備だ」


 行こう、とハナは調理室へとヤミを誘う。


「いや、俺は当番じゃないんだけど」

「いいじゃないか。たまには飛び入り参加しなよ」

「ええ……、って。ちょっ」


 言うが早いが、ハナはヤミの袖を引いて歩いていく。

 仕方ない、とヤミは帽子の影でため息をつき、それに付いていく。


 ヤミの手を引きながら、ハナは皆の元へ向かう。

 もうしばらくすれば、カガミが来て、サカキが来て。サクラやウツロや……この学校に住む誰かが集まってくるだろう。


 それはきっと、賑やかで騒がしくて、楽しい日常。

 

 時々事件は起きるし、日常風景というには少し変わってはいるけど。

 これからもこんな日々を重ねていくのだろう。

 そう思うと、なんだか心が浮き立つようだった。

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