おまつりのあとに 後編
全てが終わった夜。サクラは夢を見た。
小さな池を備えた和風の庭。それを望む六畳ほどの和室にサクラは座っていた。
髪はいつもよりいくらか長く、制服ではなく着物姿。ここでは大体この姿だから、特段驚くこともない。上着のようにもう一枚羽織って、小さな火鉢に炭を並べていた。
外から入り込む空気はひんやりとしている。秋も深まってきたこの時期、火鉢に並ぶ炭の火が暖かい。
「――お前がそうやって先に座ってるのは珍しいな」
声が発されたのは、火鉢を挟んで向かい側。
誰も居なかった座布団には、サクラによく似た少年があぐらを掻いて座っていた。
学ランの首元を緩め、膝で頬杖をついている。その目はサクラよりも鋭く、春に戻ってきた冬のような気配がある。
「そうだね。たまには俺の方から出向かないとと思って」
サクラは「そうか」と笑うもうひとりの自分――獏の姿を一瞥し、炭を並べ終えた火鉢に箸を刺す。
「今回の件、無事解決したよ」
「ああ。さっきお前が寝てる間に見させてもらった」
「やっぱりか」
庭に視線を移して溜息をつく。池には何もいない。ただ、小さな紙風船が隅の方で静かに浮いていた。
「通りで起きた時に頭が痛かった訳だ」
「分かってるなら良いじゃねえか――それで?」
「まずは、お礼言っとこうと思って」
「礼?」
獏の首が傾く。サクラは獏の方を見ない。真面目な顔で炭を見つめる。
「そ。サカキくんの身体が崩れるの、止めたのオマエだろう?」
「……」
獏は答えない。是でも否でも、自分が関わったと認めることになるからだ。
サクラもそれは分かっている。だから、そのまま言葉を続ける。
「そういうのができるのはオマエだけだから。……ありがとう」
獏は不快そうに視線を逸らして眉を寄せたが、すぐに目を伏せてうっすらと笑った。釣り上がった唇の影に、八重歯が覗く。
「つまり、お前の夢の種がひとつ潰れたって訳だ」
残念だ。と、彼は呟いた。サクラも軽く呆れたように溜息をつく。
「……オマエはそういう奴だよね。うん。この話は終わり。次の話に行こう。聞きたいことがある」
聞きたいこと、と獏は繰り返す。
「今回の一件で色々とアドバイスをくれたことは助かった。サカキくんが囮になるって言い出した時はどうしようかと思ったけど……」
「サカキにしちゃ思い切った決断だったじゃねえか」
「そうだけど……本当によかったのかな」
「本人がそう決めたんだ。おまえが心配する事じゃねえだろ」
獏の言葉にサクラは「そうだけどね」と頷く。
サカキの決断に一番驚いたのはサクラだった。
本人の頼みだったとはいえ、ずっと黙っていたことを明かすのだと気が付いた時、思わず止めようとした。それは自分の身勝手な反応だったけど。サカキが囮になろうとしていることもまた、正しく理解していた。
それがどれだけ危険なのかは、あの場にいた全員が分かっていた。ヤミやウツロが付いているとはいえ、安全に戻ってこれない可能性もあった。
でも。サカキはそれを承知した上であの発言をした。
やっぱり彼女は強い子だ、とサクラは心の底で思いながら、獏に問いかけた。
「どうして、オマエはサカキくんに気をつけろ、って言ったの?」
その目は、獏への疑惑を含んでいた。
あの時。彼は「サカキのことを気を付けておけ」と忠告した。
それはつまり。次に狙われることを知っていたからではないか。
そうでなくても、狙われる理由を知っていたからではないか。
もしくは。あり得ない話だとは思うけど。コイツはサカキくんを疑っていたのでは。
様々な「もしも」がぐるぐると頭を回って言葉が出なくなりそうだった。だから、視線で問いかける。
本当のところはどうなのかと。
「それは話しただろ?」
獏はどこからともなく饅頭をふたつ取り出した。火鉢の上に金網を乗せ、並べて置く。
「俺だったら真っ先に狙うような、力の弱い奴ら――その中で俺が次に狙うなら、と考えたらサカキだった。それだけだ」
彼の答えは澱みがなかった。きっとこれが正直な答えなのだろう。
だが、サクラの中から疑念は消えない。
この獏という何かは、サクラの中にずっと住み着いて悪夢を食べ続けている。
だが、彼ができる事はそれだけではない。
この学校に住む噂話のきっかけを作り出せるのだと、出会った頃に言っていた。
それを受け入れたことが未だにサクラに後悔として根付いているし、そもそも初対面から良い印象を抱いていない。だから、どうしても疑ってしまう。考えてしまう。
コイツが。そうあるように、そう動くように仕組んだのではないか。と。
獏はその思考をすっかり読み取っているらしい。くつくつと笑いながら「相変わらずだな」とその考えを否定した。
「いつも言ってるだろ。俺は噂話にきっかけを与える。だが、与えるだけだ。俺の意思が介在する隙間はねえ。それがどんな姿であろうが、行動しようが。――事件を起こそうが。それはそいつの問題だ」
だが、と獏は饅頭をひっくり返す。軽い焦げ目が付いている。
「もしそういう隙があるんだったら、お前はとっくに悪意をばらまく存在になってるぞ」
「う……そうかもしれない、けど。オマエ気まぐれだし」
「そうだな。だが、これでも自分の領分は分かってるつもりだ」
長く生きてるんでね、と獏は饅頭の様子を見ながら笑った。
「ほら、あったまってきたから食えよ」
「……さっきから気になってたけど、なんで饅頭なのさ」
サクラの問いに獏は「うん?」と首を傾げた。
「こう言う日は甘いもんを配るんじゃなかったか。そうしないと悪戯される、ってな」
「オマエもハロウィンとかやるんだ。……ってことは。俺に何かされるって思ってるの?」
「さあな」
獏は何とも言えない笑みで答える。いいから食えよと言わんばかりに、片方をサクラの方に置き直し、自分の分を取り上げる。
「サクラ。お前は相変わらず後ろ向きだな」
獏は温まった饅頭にぱくりと噛みつく。
「それが良い所っていうか、俺にとって美味い所だからな。そのままでいてくれよ?」
「断る。って言いたい所だけど……どうにも変わらないよね。性分なんだろうなあ……」
溜息のように呟いて、饅頭に手を伸ばす。
冷えたサクラの指には、火で乾燥した饅頭の皮は少し熱い。堪えて割ると、張りのある皮から湯気が溢れた。中はふかふかと柔らかく、詰まっている餡には重みがある。
「そうだな。お前は昔からそうだ。厭世家っつーか後ろ向きだ。だいぶ和らいだ方だと思うが――癖なんだろうよ」
「……癖」
ぽつりと零した一言に、獏は頷く。
「癖ってのはそう簡単に気付けるもんじゃねえし、変えられるもんでもねえからな。人は変われる、なんてよく言うけどな。サクラ。お前のその思考の癖は俺と出会った頃から変わらねえ」
「うるさいな……」
「ま、それがおまえの長所であり短所だ。良い所は存分に伸ばせよ」
「……そう言われると本当に長所なのか疑問だ」
サクラの心の底から疑問そうな声を、獏は笑い飛ばす。
「だからこそ、お前は先輩で在れるんだ。後輩の悩みを、決断を真っ先に気付いて気にかけてやれるのはその性分あってこそだろ」
「……」
そうかもしれないけどとぼやく。素直に肯定できないサクラの姿を眺めて、獏は饅頭の残りひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと咀嚼して笑った。
「そこが変わらねえなら安心だ」
「不安しかないよ……」
溜息を埋めるように口にした饅頭は、思ったよりも甘くなかった。





