怪談話をしようか -学校の怪談も楽しくやってます-

1部 [ドッペルゲンガー騒動編]

祭りの裏の騒乱 4

「――何」

　思わず声の主を捜す。それはすぐに見つかった。

　少し離れた廊下の先。踊り場の影。

　そこに、頭に大きなネジを付けた少女が立っていた。

　クラスメイトか何かを相手にするかのような気軽さで、ぶかぶかの袖を振る。

「やあ。ボクとは初めまして。かな？　まあ、どっちでもいいんだけどさ」

「あ……」

　運が良い。そう思った。

　あの少女は夜の廊下で怯えていた、一度逃して諦めた獲物だ。そのことに彼女は気付いてないように見える。

　今なら。あの距離なら、捕らえられる。彼女の力は未知数だが、反撃の手段が手に入るかもしれない。口元が僅かに吊り上がる。

　足元にまとわりつく影を弾き飛ばし、彼女の元へ向かおうとして――足が動かなかった。

「おっと。こっくりさんの途中で十円玉から離れちゃいけないってのは常識だよ？」

　そうでなくても離さないけどさ。と、彼女は光が届かない場所に立ったまま、にこりと笑う。

「強気ね。あの時の反応は演技？」

「うん？」

　その言葉の意味を考えるように、一瞬だけハナの口元がぽかんと開き、「ああ」と納得したような形に変化した。

「あのラジオも君だったのかい？　いや、演技だなんてとんでもない」

　ハナは小さく肩をすくめる。

「あれは実に怖かったよ。内緒だがボクはかなりの怖がりでね。そんなボクをあそこまで怖がらせるなんて大したもんだよ。いやホント――」

「ハナ、お前何をしてる？」

　ぺらぺらと喋るハナの声をヤミが遮る。おっと、と彼女は苦笑いした。

「これ以上のお喋りはご覧の通りだ。怒った彼の怖さは身を以て知ってるだろう？　なので質問は最低限だ。ねえ、ドッペルさん。どうして君は女子ばかりを狙ったんだい？」

「おい！」

　ヤミの声は完全に無視され、ハナは笑顔で問う。

「さあ。答えておくれよ」

「そんなの……」

「隙だらけで、弱くて、利用しやすいとでも思ったかい？」

　ドッペルゲンガーは答えない。ただ、傷の回復を待ちながら隙を窺う。

「ま、答えなくても分かるよ。君はやりやすい子から順番に取り込んでいったんだろうな。ボクが君でもそうすると思う。正しい判断だ」

「……あら。同意してくれるの？」

　スイバ。彼女は理解しがたいが、それ故に相手の混乱を誘うには良かった。

　シャロン。新しい噂話だったが、情報というものを糧とする彼女は力が溢れていた。

　ミサギ。水、プールに関わる彼女は、水の扱いに長けていた。

　彼女達だけではない。ここに住む者は例外なく何かしらの能力を持っている。使い様はいくらでもあった。上手く使えば攻撃や防御に有効だ。ずっと見ていたから知っている。

　隙が多い者は狙いやすかった。特に女子だ。ひとつ姿を得たら接触は容易かった。同性が相手なら警戒心だって薄れる。

　そう。彼女達は。

　隙だらけで、利用しやすくて、扱いやすい。

　彼女の言うとおりだった。

　だが。ハナはふふっと笑って指を振った。

「同意するだけさ。ボクならやらない。どの力も手に余る。実際手にしたんなら分かったんじゃないかい？」

　にこり、とハナは楽しそうにその考えを否定する。

「彼女達はできるけどやらないんだよ。まねごとしかできない君は、表面的な使い方だけで喜んでるに過ぎないのさ」

　ぎり、とドッペルゲンガーの歯が鳴る。身体はまだ整わない。

「ボクもまた然りだよ」

　ドッペルゲンガーに向けて笑う彼女から底知れない悪寒が滲んだ。

「ハナ、お前何を」

「さて！　そろそろお仕舞いにしようか――。ボクはね」

　ハナはヤミの言葉を勢いよく遮った。

「手加減というのが上手くないんだ。武芸の嗜みもないから武器なんて持たせてもらえない。……まあ、持たせてもらったとしても扱いは褒められた物じゃないという自覚はある」

　だから。ボクが使えるのはこれだけだ。

　そう言う彼女の手には、一枚の赤銅色の銅貨――十円玉があった。

　それを見る目が笑ってない。前髪で隠れて見えないのに、そんな気がする。　

「いつもはヤミちゃんに頼りきりだが、ボクも「華狐」なんて狐に縁ある文字を持つ身。たまにはボクにも格好つけさせてもらうよ。さて――その由来、久しぶりに喚んでみよう」

　楽しげに語る彼女は、これから好きなおもちゃで遊ぶ子どものようだ。

「だからお前何するつもり、いや、それはやめろよ……！」

　ヤミが声を上げる。ハナが何をするのか察したのか、その声は必死だ。

「何をって。見ての通りだし、今言ったじゃないか」

「分かったからやめろって言ってんだよこの馬鹿が！」

「ふふ。――さあ、ここからがボクの見せ場さ」

　ヤミの声を完全に無視して、ハナはドッペルゲンガーに笑いかける。

「なあに、心配なんて要らないよ。きっとお腹が空いている頃に違いないからね。丁度良いだろう？」

「待て！　馬鹿！　やめ――」

　ぱちり。

　ヤミの言葉は、廊下の影に置かれた十円玉の音で止められた。

　しゃがみ込んで人差し指を添え、ハナは楽しそうに声を上げる。

「この声が聞こえるかい？　そして――今お暇ですか？」

　少しの静寂。

　かくん、と糸が切れた人形のようにハナが座り込むが、指だけは十円玉から離れない。

　ヤミの顔が青ざめ、駆け寄ろうとした――途端。

　廊下中の影が重量を増した。

　ハナの足元にあった影が一際色を濃くして、何かを形作る。

　鋭い牙、しなやかな体躯に大きな尾。まるで獣のようなそれは、音もなく周囲の影を引きずり、床に縫い付けられたまま廊下を駆け、あっという間に廊下に置かれた紙の下へと潜り込む。

　次の瞬間、ドッペルゲンガーの足元から文字が溢れ出す。生暖かく生臭い吐息が、纏り付くように背中まで這い上がる。

「――ぁ」

　彼女は紙に足を置いたまま。

　断末魔も、残す言葉もなく。

　ばくん！

　足元から現れた影は一口で、そこにあった全てを飲み込んだ。

　影はそのままくるりと丸まって圧縮され――十円硬貨の形になって廊下に落ち、消えた。

　廊下にもいつもの静けさが戻ってくる。

　ドッペルゲンガーが立っていたその場所にはもう、何も残っていなかった。

「ハナ！」

　影が消えると同時に、ヤミがハナの元へ駆け寄る。抱え上げて、口元に手を翳す。呼吸はある。ほっと表情を緩めたヤミはもう一度名前を呼ぶ。

「ハナ」

　ふ、と吐息が零れた。口元が僅かに上がり、笑った。

　彼女はのんびりとした寝起きのような動きで、拾い上げた十円玉を掲げて見せた。

「ふ。ふふ……どうだいヤミちゃん。ボクだってたまには役に立つだろう？」

　飄々とした口調で答えるハナに、ヤミは毒づきつつも安心したように溜息をついた。

「ちょっと賭けではあったけれども、うまくいったのだからいいじゃないか」

「……そうだな。褒められた方法じゃないが……助かった。あとで説教だ」

「頑張ったのに説教とは。まったくヤミちゃんは相変わらずお堅いなあ……」

「いや、当然だろ」

「ふふ。なら仕方ないな」

　彼はそう言うが、労いには変わりない。

　ハナは満足そうに頷いた。

　 □　■　□

　そろそろ理科室に戻って報告をしなければと話していると。

　階段に腰掛けていたハナの足元から、からんからん、と小さな音がした。

「ん？」

　影から吐き出されたように転がるそれは、栞のようなサイズの鏡だった。その内一つは他の物に比べて二回り程小さい。ハナは集めたそれをカードのように広げ、ヤミも隣から覗き込む。

「なんだそれ」

「さあ。しかし、こういうのはカガミなら分かるんじゃないかな。カガミー。カガミは居るかい？」

「はいはいなーに？」

「うんうん居るよ」

　少し上の踊り場からカボチャの帽子がひょこりと姿を現した。そのままぴょーんと階段を身軽に飛び降りてハナの元へとやってくる。

「これ、何か分かるかい？」

「んー？」

　二人で鏡をまじまじと覗き込み、こくん、と頷く。

「これはシャロンちゃんかな？」

「こっちがスイバちゃん？」

「この小さいのはサカキくんっぽい」

「……どういう仕組みだよ」

　壁に寄りかかっていたヤミが、ハナの後ろから覗き込む。

「うーん。よく分かんないけど」

「多分ね、この中は小さい部屋みたいになってるみたい」

「ぎゅってみんなが詰まってるみたい」

「ここから引っ張りだせたら、きっと大丈夫」

「多分だけど、帰ってこれる」

「なるほど……？」

　仕組みはやっぱりよく分からないらしく、ヤミの声は不思議そうだ。

「ヤミちゃん。この程度の不可解に首を傾げてたら苦労するぞ？」

「それよりもお前達の行動の方が普段から苦労かけてるの忘れるなよ？」

「あはははは、その通りだな！」

「少しは否定しろ。自覚があるなら改めろ」

　ヤミの言葉は、ハナのにっこりとした笑みひとつで無視された。

「カガミ、そこからみんなをこっち側に戻せるかい？」

「ちょっとかかるかもしれないけど」

「たぶんできると思う」

「それじゃあ、それは二人に頼もう」

「うん。やってみる」

「わかった。任せて」

　頷いた二人は渡された小さな鏡を丁寧に鞄にしまい、それじゃあやってくるねと去って行った。

「さて。ヤミちゃんもお疲れさまだったね」

「ウツロさんが居なかったらどうだったかな……」

　二人の視線が窓辺でタバコを吹かしているウツロへ向く。彼は紫煙を吐きながら、面倒くさそうに目を伏せた。

「俺はそんなに大した仕事はしてねえよ。こういうのは若いもんに任せるに限るからな」

「いやいや、ウツロさん大活躍だったよ。まだまだ現役でも十分行けるさ」

　しかし、とハナの言葉が続く。

「二人とも傷だらけじゃないか。ハナブサさんのところに戻るより先に保健室に行った方がいいんじゃないかい？　先に行ったサクラ君も待ってるだろうし」

　言われて二人はお互いの姿をまじまじと見る。

　傷が至る所にある。服には穴が空いていて、血やら何か黒い物やらが滲んでいる。

「この程度ツバつけときゃ治る……と言うにはちと深いな」

「うん。……ついでにヤツヅリからお菓子でももらうか。それとハナ」

「うん？」

　ヤミは首を傾げたハナを、抱え上げるように立たせる。

「お前も保健室組だ」

「うん？　ボクはケガなんてしてないが」

　ハナの言葉にヤミは「馬鹿言え」と指摘する。

「こういう時、真っ先に戻って文化祭だハロウィンだと騒ぐヤツなのに、さっきから座り込んだままなんだよ。影の底からアレを引っ張り出してくるとか……どんだけ消耗してるかバレてないとでも思ってるのか？」

「おっと。バレていたか」

　あははと笑ってヤミの手から離れ、ふらついたところを再度支えられる。

「はは、すまないね」

「ほら、肩くらいなら貸してやる」

「背負ってくれてもいいんだよ？」

「体格差、ってのを考えた事があるか？」

　ハナはからからと笑いながらも、おとなしくヤミの肩に寄りかかる。

「俺が抱えていってもいいんだが……まあ、ヤミに任せるか」

「うん。ボクもこれで問題なしさ」

　そうかと頷いて、ウツロは二人の後ろに続いて歩き出す。

「しかし、この怪我……なんて言い訳するかね」

「ちょっとはしゃいだらこうなった、とかでいいんじゃないかな……」

　そんな事を言いながら向かった保健室ではサクラが説明を済ませていて。ヤツヅリは手早くみんなを迎え入れてくれた。

　ただ、想定の倍くらい酷い有様だったらしく、染みる消毒薬を押しつけながら、「君達、次やったら全員ミイラにするからね」と釘を刺されたのは別の話。