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祭りの裏の騒乱 3

 その声で、先に動いたのはヤミだった。

 身の丈ほどもある大きな鎌を軽々と振り回し、周囲の影数体を一気に切り裂く。

 ぱりん、と薄いガラスが割れるような音が響いた。


「――ん」


 力加減を確かめる。飛んできた水の弾丸を飛んで躱し、長い三つ編みを掴んで肩に飛び乗る。片足で頭を勢いよく押さえつけると、三つ編みと首がぱきん、と音を立てて割れた。瞬間、その身体は鏡で作ったマネキンのように色をなくす。そのまま折れた首を蹴り落とし、飛び降り様に崩れ落ちる身体も柄で砕く。

 ウツロも一体を袈裟懸けに砕き、返す刀でもう一体の手を弾く。飛んでくる鋏を視線ひとつで避け、洋刀を真っ直ぐに突き出して影の額を貫いた。

 ガラスと金属がぶつかる硬い音が次々と響く。ヤミの鎌を。ウツロの剣を。避けきれなかった影はそのまま鋭利な断面を見せて崩れ落ち、攻撃を弾いた影はあっという間にヒビが入る。腕が割れ、足が砕け。がしゃりと崩れて廊下に散らばる。

 数分も経たずに、取り囲んでいた影は、光を弾く銀色の破片へと変わり果てた。

 

「――こんなもんか?」


 ヤミと背中を合わせて警戒しながら、ウツロが吐息で問う。


「ふふっ。小さな鏡だとそんなもんねー。脆いもの」


 笑うドッペルゲンガーが指を動かすより先に。ヤミが詰め寄る。破片を踏みしめる音を聞き、彼が握り直す鎌をコンマ数秒眺めて。ドッペルゲンガーは目を細めた。

 その軌道を瞬時に算出。微動だにしない。

 当たらないという確信を持って、彼女は悠然と微笑む。


「ふふ……そんな大きな獲物、廊下じゃ振り回しにくいよねー」

「そうだな」


 左から薙ぐように振られた刃は、廊下の壁に大きな音を立てて食い込む。

 身体と鎌の刃でドッペルゲンガーを閉じ込めたヤミは、静かな声で「でも」と繋ぐ。


「時間稼ぎくらいにはなるだろ。――なあ、サクラ」

 

 金色の瞳がちらりと向いた方向には、安全な場所まで距離をとったサクラが居た。

 彼の腕には、身体の半分近くを失ったサカキが居る。すでに気を失ってぐったりとしているが、身体の侵食は止まっている。


「うん。ここなら大丈夫みたいだ。サカキくんについては――任せて」


「これで少しはやりやすくなる」


 ヤミが沈むように膝をつく。跳ねる黒髪の向こうで滑る光が見えた。ウツロの刃だ。

 帽子と髪。その隙間から覗く紫の瞳は、手にある刃と同じ鋭さで彼女を射抜き。ひゅ、と空気を切る音は、鋭さとしなりを持って襲いかかる。


「おおっと、危ないなー」


 軌道と速度から威力を算出し、静かに左腕を差し出す。ウツロへ向けた手の先に浮かび上がったのはノートサイズの鏡。ウツロの刃がそれを貫き割ると、欠片は煌めきながら飛び散り――きらりと光る。

 同時に、足元に散らばった欠片が跳ねた。

 欠片のひとつひとつから小さな切っ先が次々と飛び出して二人に襲いかかる。

 小さなナイフのようなものから針ほどのものまで大小様々。数も多くて避けられない。ウツロが手にしている刀とほぼ同じ切れ味を持つ刃があちこちを斬り裂いては、床でかしゃかしゃと涼しげな音を立てて砕けていく。


「ちっ」


 ウツロの舌打ちが響く。着地と同時に頬や目元の傷から流れた血を、袖で乱暴に拭う。視線は決して外さない。


 ドッペルゲンガーもウツロの一撃を止められた訳ではない。鏡を割った刃は、受け止めようとした手をも切り裂いていた。

 が、彼女に慌てた様子はない。これも計算の内だ。

 切り落とされた腕が、ぱしゃんと水風船のような破裂音とともに廊下を濡らした。

 透明な水が広がる。それを踏むと、廊下と上履きの摩擦が限りなくゼロに近くなる。

 ウツロの一撃で受けた勢いを利用して濡れた水面を滑り、ヤミの鎌をくぐり抜けて距離をとる。


「みんな平和だよねえ。力があればこんな事だってできるのに、ちっとも使おうとしない」


 金髪が深い青に染まる。日に焼けた右手をかざすと、足元の水は意志を持ったように動き、しゅるりと左手を形作った。


「この学校は平和であるべき。それが俺達の約束事だからな」


 ヤミの答えに彼女は「そっかあ」とつまらなさそうに呟いた。


「箱庭遊びが面白いなら良かったねえ」


 透明な左腕を振る。緩やかな動きだったが、その指から放たれた水は弾丸のような速度でヤミとウツロの足元を射抜く。

 ヤミは素早く刃を壁から抜く。避ける事はしない。むしろ、水の弾丸をくぐるように駆け寄る。弾丸は頬をかすめ。髪を散らし、脇腹に埋まり、羽織ったケープに穴をあける。マスクの紐が切れ、そのまま床へと打ち抜かれていく。


「あれ。やみくんは勢いがいいねえ。そういう前のめりなスタイルは嫌いじゃないけどお」


 数歩離れた所に足場を定めて振るわれる鎌。ふらりと後ろに倒れるように避けると、浮いた三つ編みが切り裂かれて宙を舞う。

 とろんとした深緑の視線が、鋭い金色と絡まる。

 その口元がにこ、と笑った。瞳の色が焦げ茶に輝く。


「その勢い――どこまで保つかなあ!」


 その姿はシャロンでもミサギでもない。肩で緩くそろえられた茶色の髪が軽く揺れる。


「はあい、放送部が私で登場! ここまで近づいちゃったら、私の声もよーく届くよね!」


 声に小さなノイズが混じる。


「ほらほら。アルミを奥歯で噛んでみてよ。それとも黒板で聞いてみたい? まあまあ、どっちを選んでもいいけど。耳を塞いでも通り抜けるよ!」


 さっきの声とは正反対の勢いを持つ声に、きいいいいん! と甲高い金属音が混ざる。

 酷いハウリングとノイズを混ぜたような、不快な音。ヤミは反射的に耳を塞ごうとしたが間に合わない。音で頭が眩み、膝をつく。

 彼女は軽い足取りでヤミの傍に立つ。その手には卓上式のマイクスタンドがあった。重量のあるそれを、軽々と振り上げる。


「ほらほらダメだよヤミ君、ここで倒れたら裁判もおしまい、猫のない笑いだけが残るよ――って、今は聞こえないかな」

「――」

「うん?」


 ぱくぱくとヤミの口が動いたのが見えた。だが、苦しそうな吐息に混じった声はうまく聞き取れなくて、耳を澄ます。

 その瞬間。ヤミの前髪から金色の瞳が覗き。にやりと笑った。


「馬鹿め」

「!」


 ドッペルゲンガーが身を引くのと、ヤミが弾けるように飛び上がったのは同時だった。

 振り上げた腕を蹴り飛ばされる。掴んだままだったマイクスタンドに振り回されてよろめくと、背後に着地したヤミの手がマントを掴んで強く引く。同時に膝を押し出すように蹴られて膝をつく。身体を起こそうとした瞬間、大きな鎌の刃が振り下ろされた。がつん、と影に刺さった瞬間力が抜ける。背中からも体重をかけるように押しつけられて、身動きが取れない。


「慢心は良くないな」

「く……っ」

「俺がこういうことする、ってシャロンの情報になかったか? ないだろうな」


 頭上から小雨のように降る声が、影で小さなひらがなに変化して跳ねる。

 一気に不利な状況に立たされたドッペルゲンガーの歯がぎり、と軋む。


「ま。シャロンだって知らないことだから仕方ない。悔やむなよ。あいつだって知らないことはあるんだ。例えば、俺が普段どういう戦法とってるか、とか」


 で。とヤミの言葉は続く。


「特別に教えてやるよ。こういう時、俺はただの踏み台。とどめは――ほら」


 ヤミの口がにやりとつり上がる。

 楽しそうに笑いながら、ヤミは告げた。


「みんなの用務員さんが、片付けてくれる」

 

 その言葉と同時に視界が陰った。

 思わず見上げると、目の前に翻る影があった。

 ヤミの背中を踏み台にし、壁と天井で方向を調節したウツロだ。手の刀が煌めく。


「――あ」


 直感的に手遅れだと悟った。

 苦し紛れに小さな鏡を多重展開するが、鋭く突き出された刀はそれを難なく割り砕く。割れた鏡の破片を浴びてもなお、その勢いは削がれることなく。

 

 ウツロの刀はドッペルゲンガーを確実に捉え、貫いた。


「が……っ!」


 喉から漏れた声は、酷く耳障りだった。

 刺さった刃は致命傷こそ避けているが、深いところまで傷つけられているのが分かる。このままでは今度こそ消されてしまう。

 その為には逃げないと。力を身体の再生に回して弱体化を防ぐのが先決。

 姿をシャロンへ変化させ、ドットの塊としてざらりと崩す。

 刀と鎌から逃れ、距離を取って身体を再構築する。消耗が激しい。ただでさえ力を使い過ぎているのに、傷が深い。足元がふらつく。足元の安定を取り戻そうと、数歩後ろによろめいて――。


 かつ。と、何かを踏んだ音がした。


 硬い金属音のようだった。


「な……に……?」


 見下ろすと、紙が一枚落ちていた。かさ、と小さな音がする。

 規則正しく文字が並んだ白い紙。真ん中を踏んでいる足の影に、赤い鳥居の端が見えた。


「え――」


 それが「何に使われる物か」を把握した瞬間、自分の影から文字が伸びて足に絡みついてきた。ぺたぺたとまとわりつく小さな手のように、足を這い上がってくる。

 その隙にウツロの剣が。ヤミの鎌が、容赦なくドッペルゲンガーを切り裂く。

 貫かれた場所をドットに変換して再構築。切り裂かれた箇所を水に変えて回避。再構築と回避を繰り返しながら、倒れる事だけは堪える。

 身体を次々と削られる冷たさが身体の動きを鈍らせる。刃を水に変えた身体の中に絡め取る。ノイズを伝わせて直接ダメージをたたき込むと、二人に隙が生まれた。

 今だ。一番の障害を一気に排除できる。間合いも十分。ならば、ありったけの力で。

 ドッペルゲンガーが渾身の一撃を仕掛けようとした瞬間。


「こっくりさんこっくりさん。おいでください」


 場違いに明るい、そんな声がした。

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