祭りの裏の騒乱 2
二日目。
サカキは鞄にクッキーを詰めて校内を歩き回っていた。
いつものマフラーはないし、スカートは歩く度にふわりと揺れる。なんだか落ち着かない。躓かないように歩くのが楽しくて。出会った人達に感想をもらうのがこそばゆい。
でも、緊張と警戒を一緒に持ち歩きながら、クッキーを配り歩く。
「「サカキくんー」」
足を止めて振り返ったサカキの前に現れたのは、カガミだった。
メンバーに当日の朝渡された、小さなリボンが帽子に付いている。本物だ。
「トリートちょうだい!」
「クッキーちょうだいー!」
イタズラするという宣言ではなくクッキーという正直な要求に、サカキはくすくす笑いながらラッピングされた袋を手渡す。
「はい。どうぞ」
「やったあ、おいしそう!」
「わあい、いいにおい!」
「大丈夫そうですか?」
「うん。まだ会ってないけど、見つけたら教えるね」
「サカキくんも見つけたら教えてね」
それじゃあカガミは次に行くよ、と二人はクッキーをカバンに詰める。
「はい。気をつけてくださいね」
サカキが頷くと、二人は「はーい!」と元気な返事で去って行った。
それを見送り、サカキも歩き出す。
少しずつ喧噪を離れ、人気のない場所を回る。
校舎の端。屋上。使われていない特別教室。
表では使われている場所も、こちら側には喧噪しか届かない。
そして。
どこからともなく聞こえてくるざわめきがふと途切れた場所で。
サカキは「彼女」に出会った。
まず目に付いたのは、大きなつばのついたとんがり帽子。
それから、制服の上に羽織る黒のローブと、流れる金色の髪。
シャロンだ。カガミが真っ先に名前を挙げた偽物。
彼女は外に何かあるのか、ざわめきに耳を澄ませているのか。
足を止めて窓の外に視線を送る横顔は、楽しそうに微笑んでいる。
自分がここで引き留めないといけない。
サカキは緊張を飲み込んで声をかけた。
「シャロン、さん」
名前を呼ぶと、彼女は帽子の鍔を持ち上げながら振り向いた。
隠れていたグリーンの瞳が露わになる。
「あ。サカキ。なんだか久しぶりー」
ぱたぱたと彼女は近づき、少しの距離を残して立ち止まった。彼女の視線が一瞬サカキの向こうへ投げられ、戻される。
「その格好、シスター?」
「……はい。選んでもらったんです」
「そうなんだ。ちょっと意外だけど……似合ってるよ」
緊張を押し隠して「ありがとうございます」と俯く。
彼女はサカキの知る彼女と何も変わらない。偽物であることを疑いたくなる。
「お久しぶりですね。最近ご飯でも見かけませんでしたが」
「ああ、そうだね」
最近ちょっと忙しくって、と彼女は言う。
「本当は時間合わせて行きたいんだけどねー。最近はほら、文化祭の準備で裏サイトも賑やかでさ」
「そうなんですか」
「そうなんだよー。期間限定の専用チャットとか、監視とメンテをちょこちょこやってて」
やっと落ち着いてさ、と彼女はほっとしたように笑い、「だから」と言葉を繋いだ。
「今日は会えて良かった。じゃあ――」
うんうんと頷いたシャロンは帽子の位置を整え、サカキの前に手のひらを差し出す。
「お約束の言葉を言わせてもらおうかな」
「……? あ。はいっ」
警戒していたサカキは、そっと差し出された手の平が示す言葉を理解する。
彼女はきっと偽物だけど、今のところ隙がない。
ならば、こちらも疑われないようクッキーを渡さなきゃ。
そう思って、鞄に意識を向けた瞬間。シャロンの手はサカキの腕を掴み、腰を引き寄せるように抱き寄せた。
「!?」
サカキの茶色の瞳を、明るいグリーンが覗き込む。
手にしたクッキーが手から零れて廊下へ落ちる音に、彼女の声が重なった。
「お菓子はいらない。貴女をちょうだい?」
「――!」
サカキを抱き寄せる腕の力は強く、無機物のような冷たさを感じる。
このままでは自分も姿を奪われてしまうかもしれない。でも、少し時間を稼がないと。
「あ、あの」
「うん?」
「あなたは……ドッペルゲンガー、ですか?」
サカキの震える問いに彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐにやりと目を細めた。
「ああ、私を見た生徒もそんなこと言ってた。じゃあ、そうなんじゃない?」
よくわかんないけど、と頷く彼女に、サカキはそろそろと問いかける。
「どうして、こんなことを……?」
「そーだなあー。理由は色々あるの。難しいの」
でも、とシャロンはサカキの指をぎゅっと握る。視線が僅かにそらされ、瞬きで戻る。
「私が感じてる窮屈で不自由な感じ、ここで満足してる貴女には分からないかもねー」
「……外に、行きたいのですか?」
「そう」
「ここは、嫌なのですか?」
「そうね。狭いのは嫌」
頷いたシャロンはサカキを優しく抱きしめる。耳元に唇が寄せられる。
「正解した貴女に、いいこと教えてあげる」
吐息がサカキの耳元をくすぐる。
「あのね。私、貴女を知ってるの。あの事故も見てたから」
「え……」
あの事故の日。その単語でサカキの頭が一瞬真っ白になった。気を抜いたら、足の力も抜けてしまいそうな気がする。
その反応にシャロンの笑みが深くなる。
「あの時思い付いたの。ああ、抜け殻を手に入れたらいいのかも、って」
「そん、な」
「でもずっとうまくいかなくて。せっかく引きずり込めても、身体は動かなかったし、元の場所にも戻れないし……」
軽く唇を尖らせてぶつぶつとぼやく。サカキが彼女の身体を少し押すと、目だけが動いてサカキを見下ろした。綺麗なのに、感情も奥も見えないのが怖い。
「それに、分からないと言えば貴女もそう。どうしてあんな格好してたの?」
「あんな……?」
「ずっと男子みたいだった。だから、アプローチ方法がずっと分かんなかったのよね」
シャロンの指が、サカキの指を弄ぶ。
「傷のせい? 死んだ自分を捨てられなかった? まだ何かに縛られてる? それとも何か隠し――あ。もしかして彼と一緒に居たいから? ふふっ。サカキは片想いしてるの?」
「えっ。それ、は……違……」
ただ、憧れてる人に近付きたくて。近くで勉強させてほしいとお願いしているからだ。
それ以外の感情とか、縛る物とかないはずだ。でも、否定する言葉は何故か途切れた。
涙が零れそうだ。シャロンの言葉が苦しい。なんだか怖い。考えたくない。
そんなサカキを見て、シャロンは嬉しそうに笑った。これまでの微笑みとは違う、全てを溶かし飲み込むような、底のない笑み。
「――ふふ。そう、貴女はそこから崩せるんだ。よかった」
「……」
「うん。答えなくて良いよ。もう要らないから」
最後の声が、低く冷たくサカキに流れ込んで来た。
ぞわり、と全身に冷気が走る。同時に、身体にある傷がじわりと熱を持つ。
「――あ」
離れようとしても、それは叶わない。助けて、と叫ぼうとした声は冷たく喉に詰まり、傷の熱が痛みに変わり始める。
覗き込むグリーンの奥に、暗く煌めく何かがある。
自分がバラバラに崩れ落ちるイメージが鮮明に浮かぶ。
ああ、もうだめだ。時間切れだ。意識が眩む。身体の力が抜ける。
ぎゅっと目をつぶると、何かに引き寄せられた気がした。
身体がある。暖かい。秋の空気とも、さっきまで自分を包んでいた無機質な冷たさとも違う何かの中。すごく安心できる気がする。
なんだろう。目をそっと開いて目に入ったのは。
揺れる淡い桜色の髪と、どこか必死な目を遠くに向ける横顔だった。
□ ■ □
サカキがシャロンに抱き寄せられた時、ヤミは咄嗟に動こうとしたサクラを止めた。
「待て。アイツはまだ周囲を警戒してる」
「……でも」
「カガミにも連絡したから、ウツロさんも待たなきゃ」
ヤミは視線だけを動かしてサクラを見る。彼は真剣な顔で廊下の先を見ている。
珍しいな、とヤミは思った。
サクラは自分でできる範囲をきちんと理解している。
何か事件が起きたり現場に遭遇しても、落ち着いて状況を把握し、対処できるはずだけど。今はなんというか、焦っているように見えた。
現場に出る姿を見ることがないから、勝手なイメージを抱いてたのかなとヤミは結論づけて視線をサクラと同じ方向へ向ける。
二人が何を話しているのかは聞こえない。ぼそぼそと何か言っているのは聞こえるが、言葉は聞き取れない。彼女の視線は、時折周囲を探るように動く。サカキが囮だというのを気付いてるのかもしれない。
そうして様子を伺っているうち、彼女の視線がサカキだけを向いた。
シャロンの指がサカキの手に触れ、表情が嬉しそうに一変した瞬間。
「――っ!」
ヤミが止めるよりも早く、サクラが物陰から飛び出していった。
マントを翻し、数歩で駆け寄る。一呼吸でシャロンの襟首を掴み、力一杯サカキから引き離す。崩れ落ちそうなサカキを抱き寄せ、数歩たたらを踏んだシャロンの腹部に蹴りを入れると、彼女は予想外にかかった力の方向へあっけなく飛んで行った。
「――……か、はっ」
勢いよく壁へとぶつかる。帽子が床に落ち、喉から空気の零れる音がした。
「サカキくん!」
「サクラ、さん」
大丈夫? と抱き留めたまま問うサクラに、サカキは小さく頷く。
よかったと安堵して――手に触れる感覚がおかしいことに気が付いた。
サカキの左袖。まるで中身が空っぽのようにだらりと垂れ下がっていた。
いや。まるで、ではない。
空っぽだ。
彼女の左腕は、二の腕から先が無かった。
舌打ちが零れそうになるのを堪え、振り返る。
壁にもたれるように座り込んだシャロンの口がにやり、と吊り上がった。
衝撃で落ちた帽子を拾い、被り直す。サクラを見る緑の瞳が、にたりと歪む。
「ああ、急に誰かと思ったらサクラだね? 吸血鬼がシスターを庇うってなんかこう……ふふ。倒錯的ー」
吸血鬼って言うより騎士みたい。と彼女は壁際に座り込んだままくすくすと笑う。
「でも」
シャロンが持ち上げたその手には、小さな腕があった。
「これ。何か分かるよね」
「――!」
分からない訳がない。サカキの腕だ。
サクラの奥歯がぎり、と鳴る。
「待っ」
「待たないよ」
それにそっと口づけると、ぐずぐずとその腕が崩れていく。崩れた所から赤黒い液体が滴り、塵のように消えていく。
「――っ!」
シャロンから目を離さず、サカキをぎゅっと抱きしめる。しかし、シャロンの手にある腕はみるみるうちに崩れてなくなり。
次いで異変が起きたのは、サクラの腕の中。サカキ自身の身体だった。
サカキの服からサクラの服へ、じわりと何かが滲む。
黒い生地だから色は分かりにくいけど、その温かな液体が何なのかは容易に想像がつく。
サカキの身体が、あの腕と同じように崩れ去ろうとしている。
彼女の中に。取り込まれようとしている。
サクラは、彼女を止められる程の運動神経はないと自覚している。体育の成績で言えば中の上がとれたら上等だし、さっき彼女を引き離せたのだって、火事場の馬鹿力と言う他にない。なのに、この状況すらどうにもできない。己の無力さを痛感する。
「――っ」
意識はまだあるようだけど、声も呼吸も弱々しく、目は今にも閉じそうだ。
このまま彼女が崩壊し、消えてしまう未来がよぎる。それを振り切り、存在を繋ぎ止めたい一心で手を握っていると、服を濡らしていたものが冷えている事に気付いた。
「……?」
冷たい。崩壊が止まっている。サカキ自身が抗ってるのか他の要因か判別が付かなかったけど。その事実は、サクラが今できる事を考える余裕を与える。
そうだ。今自分ができるのは、彼女を守り、安心させる事。
「大丈夫だよ、サカキくん」
後ろにある気配を確認して、息を吐く。
自分じゃこうするしかできないのは少し悔しいけど。
サクラが持っている言葉は、これだけだった。
「あとは、ヤミくんと、ウツロさんに任せよう」
□ ■ □
「お前さんが飛び出すのはちと予想外だったが。サカキを取り戻せたのは上出来だ」
こつん、と廊下に響いた音に、シャロンは手に残った雫を舐めながら視線を向けた。
立っていたのは壮年の男性。ウツロだった。
枯れ草のような濃い黄色の帽子とマント。膝丈のブーツ。手には洋刀が一振。
「ったく、こんなかっちりした服ってのは……肩に力が入って仕方ねえ。が」
ウツロの目が光を弾く。
「久々の制服ってのもまあ。悪くはねえか」
言うが早いか、刀をすらりと抜く。同時にシャロンへ詰め寄り、その足元――服の一部を踏みつけると、光を弾いた刃が首元を掠めた。切っ先が僅かに壁を削る。
「お前さんは、何だ?」
「えー。やだな。忘れちゃったの? シャロンだよ?」
「違うだろ」
「そう? それじゃあ――」
さらり、と彼女の金髪が濃い青に染まる。白い肌が日に焼けた小麦色になる。
「ミサギかなあ」
「それも違う。……ふざけるのも大概にしろ」
「あはは」
彼女は笑って、シャロンの姿へ戻る。
「だって誰だって聞くんだもん。忘れられちゃってるんでしょー?」
「いいや。忘れる訳ないだろ?」
柄をを少し持ち上げて、刃で顎を上へと向かせる。
「その姿がお前さんの物じゃないのは分かってるんだ。その「誰か」の時に斬って良いもんか分からんから聞いてるだけだ」
「そう」
ウツロの射抜くような目にも彼女は動じない。それどころか、くすくすと笑ってみせる。
その余裕ある表情に、ウツロが目を僅かに細めた瞬間、周囲に気配が増えた。
ウツロは増えた影を一瞥する。見知ったシルエットに、舌打ちをする。
「さあ。私はどんな影絵でしょう」
「わたし、分かりますか?」
「ウツロさんなら、知ってますよね。助けて」
位置や姿を入れ替えるように、くるくると変化する。どれもウツロがよく知る声と口調で彼を嘲笑う。目の前で挑発的に笑うシャロンも曖昧に見えてくる。
「――ちっ」
ウツロが舌打ちをして。刀を引いた。その勢いで影の一体を斬る。割れるような音を立てて崩れた影が、かしゃかしゃと地面で跳ねる。そこに散らばるのは小さな鏡の破片だ。
「こんな小細工で誤魔化せると思うな」
「あははは、そんなつもりはないよ。ちょっとした――時間稼ぎ♪」
言うが早いか、彼女の姿がざらりと崩れる。目の前にあった姿がホログラムだったかのようにドットの断片となって崩れ、足元を這うように流れ出ていく。
「ほーら。貴方はいつだって甘い。だからあの時も斬り損ねちゃったんでしょ?」
数歩離れた所から声がした。振り向き様に剣を薙ぐが、届かない。切っ先に触れて弾き飛ばされたブロックが小さなドットになり、光を弾いて消える。
「――鏡」
ウツロはそこに煌めく鏡面を見て呟いた。
「やっぱりそうだったか。その確信ができたんなら、これ以上話す必要はない」
「そ。まあ、私もないかな。このお祭りが終わる頃には自由になれそうだから」
「……そうか」
ウツロは刀を軽く握り直し、肩の力を抜くように息を吐いた。
「じゃあもういいな。――ヤミ、やるぞ」
「うん」
呼ばれたヤミも一歩踏み出し、ウツロの隣に並んだ。
ウツロに寄り添う影が定位置であるかのように。大きな鎌を携えてヤミは立つ。
彼らを囲む影を従えて、シャロンは楽しげに口をつり上げる。
「あは。戦闘力高い二人が全力ねー」
「それでこそ方眼の烏が鳴くってもの」
そうこなくっちゃ、とスイバの声がする。
「この二人なら、ワタシも全力で、相手してあげなきゃあ」
ミサギが目を細めて頷く。
「あの時と同じだと思わないでね」
そう言ってシャロン――ドッペルゲンガーは悠然と微笑んだ。
「貴方たちを倒したら、私は晴れて自由。ふふ、楽しみ」





