こっくりさんこっくりさん 前編
ヤミの活動の大半は放課後だ。
夕暮れ時。
逢魔が時。
騒がしい外に反して誰も居ない静かな教室。
そこはちょっとした秘密の部屋だ。
内緒の話。
相談事。
大事な告白。
こっそりと何かをするにはもってこい。
良くも悪くも、そんな部屋。そんな時間だから。
□ ■ □
空き教室の窓辺で読書をしていたヤミは、ふと文庫本から目を離し、顔を上げた。
斜陽が顔に学生帽の影を落とす。
向けた視線の先には窓ガラス。そこには仲良さげに寄り添う瓜二つの少年少女が、彼を覗き込んでいた。
窓の外、ではない。そもそもここは二階だ。あり得ない。その姿はよくよく見れば透けていて、窓の中に閉じ込められているようにも、映り込んでいるようにも見えた。
紫の髪に同色の瞳。少年は中間服を、少女は長袖の夏服を身軽に着こなしている。
無邪気にヤミを覗き込む二人はカガミ。二人でひとり。ひとりが二人の合わせ鏡だ。
「ヤミくん。2―Aではじまったよ」
少女のカガミが言う。
「今日はあんまり良くない日だね」
少年のカガミが言う。
「「きっと今日は大活躍だよ」」
二人のカガミが言う。
「変な予告はやめろ」
呆れたように溜息をついたヤミの影は、境界が揺らめき始めている。
それは、誰かがどこかで、彼を呼び出すための手順を踏もうとしている証拠だ。
ハナコさんやこっくりさんに代表される、手続きを踏んで呼び出すタイプの噂話に属する者は、誰かがそれを行うと、影や毛先といった端々に影響が出る。
それは、彼らが住んでいる空間に、生徒達が干渉している証拠。
表裏一体の空間は、決して混ざらないようでいて、実にあっさりと境界が揺らぎ、影響される。
カガミは呼び出し係などではないのだが、校内で「そういう現場」を見かけると、面白そうに状況や場所を伝えに来る。趣味のような物なのだろう。
「にしても、最近流行ってるな……」
ヤミの呟きにカガミは「ホントにね」と声を揃える。
「ネットでも流行ってるみたいだからね」
「それでアレンジされちゃったりしてね」
「「どうせ失敗するのにね」」
交互に開く口から出る声も、外見と同じようにそっくりだ。男女らしい差が多少はあるものの、気を抜けばどっちが喋っているか分からなくなってしまう。だが、それはいつものこと。大事なのはその内容。
彼らの言葉に「全くだ」と頷くヤミの表情は渋い。同意はできるが歓迎はできないという顔だ。
とはいえ、流行っている物は仕方ない。噂話(自分達)は素直に従うしかないのだ。そうしないと己の存在意義が揺らいでしまう。
カガミは文庫本を手にしたままのヤミを急かすように言葉を重ねる。
「ほらほら早く」
「ほら早く」
「「急がないと大変かもよ!」」
口々に言うカガミををうるさいと視線だけで黙らせて、ヤミは溜息をついた。
「はいはい、行ってくるから」
そう言いながら本に栞を挟む。
ぱたん、と閉じた音が消えると。
その窓辺には斜陽に照らされるカーテンと、灰色の栞が挟まれた文庫本だけがあった。
□ ■ □
ヤミの役割はこっくりさんだ。
この学校では「ヤミコさん」と呼ばれている。
文字と数字。それから鳥居を書いた紙。
鳥居の上に十円玉をひとつ。
十円玉に指を置いたら、お決まりの台詞で呼び出して、質問すると答えてくれる。
失敗したら取り憑かれるとか、おかしくなってしまうとか。噂は色々あるけれど。
この学校なら大丈夫。
暗闇から狐さんが助けに来てくれる。
何でも質問に答えてくれるこっくりさん。
何かあったら暗闇から助けてくれる狐さん。
十円玉の裏と表。
そんな、お手軽で危なくて、それ故に心をくすぐる噂話。
ヤミはこっくりさんが行われると、儀式の成功・失敗に拘わらず、その場所へ向かう。
成功したら、それに応じた解答や手助けをして。
失敗したなら、それ相応の対処をする。
どちらかと言えば、失敗率の方が高い。
たとえ手順が正しくとも、色んな物が混ざったり足りなかったりするのが、主な原因だ。
□ ■ □
「――こっくりさんこっくりさん、おいでください」
夕暮れに照らされた教室に女生徒の声が響く。
しばらくの静寂の後、十円玉に乗せられた三本の指がわずかに動いた。
混ざった物や足りない物とは。
「明日の天気は何ですか?」
例えば、自ら答えを操作しようという気持ちとか。
「サトウ先輩の好きな人は誰ですか」
例えば、最初から面白半分で信じる気がないとか。
「その人に勝つ為に、できることはありますか?」
例えば、単純に力が足りないとか。そんなもの。
そういう場合はどうなるかというと。基本的には何も起きない。
だが、稀に。極めて稀な話だが。
――“違うもの”がやってくる。
この学校には、至る所に燻っている「何か」が居る。
それはヤミのような存在の「基」となるようなもの。
まだ何物でもないそれは、ただ隅の方で燻っている。それだけなら無害なものだ。
だがそれらは、自分に足りない物を補うため、人間の感情や言葉を喰らおうと近付いてくることがある。
「……なんにも起きないね」
そう呟いた女子生徒の視界の隅で、ずるり、と影が蠢いた。
「やっぱりおまじないだし」
「こういうのって大体誰かが動かしてたりするんでしょ?」
天井からとろりと滴り落ちた影が、足元に伸びる。
「さっき動いてたのって、どっちが動かしてたの?」
「えー、またまたー」
床に零れた液体のように、机の脚が影に浸る。
それは床から壁に。壁から天井に。窓に、足元に、机の脚に広がり、絡まり、少女達を静かに囲う。
陰った視界に、ひとりがようやく気付いて声を上げた。
「あれ……教室、こんなに暗かったっけ?」
「えー、まだ……あれ、真っ暗……」
見回す二人に、もうひとりが「ねえ」と震える声で言う。
「十円玉から、指。離れないんだけど……」
ようやく異変に気付いた少女達の顔が恐怖に引きつると、その勢いは一気に加速して。
机の。椅子の。
教卓に。窓枠に。
机上の文房具から。
彼女達の足元に至るまで。
全ての影が黒くとろりとした水のように、意志と気配を持った生き物のように、教室中を埋め尽くしていた。