怪談話をしようか -学校の怪談も楽しくやってます-

1部 [ドッペルゲンガー騒動編]

おまつりのまえに 前編

　死者の帰る夜が近い。

　そういうとなんだか恐ろしい気もするが、要はハロウィンだ。

　今、この学校では二つの祭りの準備が平行して行われている。

　ひとつは文化祭。

　もうひとつはハロウィン。

　生徒達は前者の準備に走り回り、噂話達は後者の準備に力を入れている

　といっても、文化祭のような展示や出し物がある訳ではない。飾り付けやお菓子作り、ちょっとしたいたずらの用意など、その日一日を存分に楽しむためのもの。

　普段以上に楽しく賑やかに過ごせる一日。その準備にみんな忙しい。

　サカキもそんな忙しいひとりだった。

　□　■　□

「うん。これで数は十分かな」

　甘い香りが漂う調理実習室。

　トレードマークのマフラーではなく、代わりにエプロンとキッチンミトンを身に付けたサカキは、カボチャやお化けをかたどったクッキーが並ぶ天板を見て満足げに頷いた。

　サカキは文化祭に。表に行くつもりはない。

　行ってみたいなとは思うけど、長時間滞在すると身体が崩れてしまう。楽しさに時間を忘れて、せっかくのお祭りに騒ぎを起こしてはいけない。だから、土産話を楽しみにしながら、こっち側でのお祭りに力を注ぐつもりでいる。

　とは言っても、いたずらもあまり得意じゃない。だから、飾り付けたお菓子をたくさん用意して配り歩くのを、毎年の楽しみにしている。

　ひとつの袋にいくつ入れるかを計算し、余った分からひとつつまむ。

　さくりと口の中で砕けたそれは、まだ温かくてほんのり甘い。上手にできている。なんだか嬉しくなって頬が緩んだ。

「おや。なんかいい匂いがすると思ったらサカキ君だったか」

「あ。ハナさん」

　ひょこりと入口を覗き込んだハナは、髪を踊らせてまっすぐこちらにやってきた。まだ温かい天板をのぞき込み、にこりと笑う。

「これはまたきれいに焼けてるね。また腕を上げたんじゃないかい？」

「そうですか？」

　そうだとも、と頷くとサカキは嬉しそうにはにかんだ。

「ひとつ食べますか？」

「サカキ。こいつを甘やかすなっていつも言ってるだろ」

　後ろからやってきたヤミの言葉に、ハナは頬を膨らまして抗議する。

「ヤミちゃんは本当、ボクに甘くしてくれないよね」

「お前だけは絶対に甘やかさないって方針だからな」

「ほほう。しかしヤミちゃん知ってるかい？　世ではそれをツンデレと」

「言わねえよ？」

　二人のやりとりにサカキはくすくすと笑い、再度「食べますか？」と勧める。

　いつもなら喜んで飛びつきそうなハナだが、彼女首を横に振った。

「いいや。できたてというのは実にそそられるが……この味は当日の楽しみにとっておくべきもの。対等な取引を経てこそ、真価を味わえるってもんさ」

　だからその日までおあずけだ。と彼女は残念そうに肩をすくめる。しかし、声に残念そうな色もないし、口元は笑ったままだ。

「はい、では当日に」

「ああ、当日に。ボクも文化祭でたくさんお土産を手に入れてくるから、楽しみにしてておくれよ――って、おや？」

　ハナが何かに気付いたように窓辺へと視線を向けた。そして首を傾げて問う。

「そこに居るのは……カガミかい？」

　その先。机の影から紫色の頭が二つ並んでいた。

　二人は机からのぞき込むようにこっちを見ている。

「どうしたんだい？　かくれんぼじゃあるまいし」

「うん……」

「そうなんだけど……」

　二人は視線をちら、と交わしてハナをじっと見つめる。

「ねえ。ハナちゃんはハナちゃん？」

「うん？　そうだね。ボクはボクだが」

　それがどうかしたのかい？　と首を傾げるハナをじーっと見て、二人は頷き合う。

「大丈夫」

「ハナちゃんだ」

　カガミの態度にハナの首が更に傾いた。

「？　状況が読めないのだが。さっちゃん、これは一体どういう事だい？」

「それがですね……」

　サカキはこの状況を簡単に説明する。

　カガミはサカキがこの部屋に来た時から、ずっとあそこに居ること。

　何かあったのかと聞いても、なかなか答えてくれないこと。

　そうして今でも机の影に座って、誰かが来るとああして覗き込んでくること。

「ふむ……？」

　ハナは口元と腰に手を当て、何かを思案すること数秒。

　ぱっとその思案を解いたかと思えば、つかつかと二人のいる机へ迷い無く歩み寄った。

　数歩の距離で立ち止まったハナは、肩を寄せる二人に向き合う。

　手を胸に当て、宣言するように言った。

「二人とも。ボクは正真正銘ボクだ。ボクだと証明できるものは持ってないが、ボク自身が保障しよう。だから安心したまえ」

「おい。説得力が何ひとつないぞ」

　ヤミの言葉をさらりと無視して胸を張るハナの言葉に、カガミは気圧されたように頷く。

「それで。君達は一体何を怖がっているんだい？」

「えっと……」

「その……」

　それは、普段の姿からは考えられない程の歯切れの悪さ。

　その気配にむっと口の端を曲げて、ハナは声を上げた。

「カガミ」

　珍しい調子の声に、二人の視線があがる。

「もうすぐ文化祭だ」

「えっ……」

「ハロウィンだ」

「うん……」

「つまり！　お祭りだ！」

「「う、うん」」

「だというのに心配事を残しているとは何事かね。それでは楽しめるものも楽しめないだろう？」

　二人は気圧されてるのか、黙ってハナを見上げている。

「不安の芽は今のうちにきっちり摘み取っておくべきだ。そのために尽くせる力は尽くすべきだ。ボクは君達の力になる。だから言ってみたまえよ。なあに、ボクができなければヤミちゃんがなんとかしてくれる！」

「おいハナ。適当なこと言うな」

　挟まれたヤミの文句を、「適当なもんか」と振り向きもせず打ち返す。

「ボクはヤミちゃんの実績をようく知っている」

「……」

　ヤミが黙ると、ハナはカガミに向かって「だからさ」と笑った。

「さくっと話してしまいたまえよ」

　ハナの言葉に、カガミはぱちくりと瞬きをした。

　それから考え事をするように「でも」と、視線を落とした。

「よく、わからないの」

「なんか、こわいの」

「ほうほう。ボクは得体の知れない恐怖の対象か。怪談としては願ったりだが――」

　それは困るな、とハナが言いかけたその時。

「いや、何が怖いかはある程度予想ついてるだろ？」

　ヤミがあっさりとそう言った。

「うん？　どうしてそう思うんだい？」

　ヤミは集まった視線から目を逸らし、適当な椅子に腰掛けて頬杖をついた。

「カガミが気にしている対象だよ」

「ほう？」

　ハナの首がこてん、と傾く。

「どういうことだい？」

「どういうこともなにも。単純な話」

　ヤミはカガミに視線をちらっと向けて、伏せた。

「カガミは俺を疑わなかった。それだけ」

「というと？」

「カガミはハナだけに「本人かどうか」を確認した。一緒に来た俺も警戒の対象になるはずなのに、それはなかった。つまり、俺は本人だと分かる何かがあったんだ」

「なるほど。ボクにあってヤミちゃんにないものか……」

　なんだろうな、とハナがヤミと自分を見比べようと天井を見上げ。

「――ああ、その可能性なら、予想ついてるよ」

　突然割って入った声に、全員の視線が部屋の入口へ向いた。

　そこに立っていたのは、桜色の髪をした眼鏡の少年。サクラだった。

　サカキがその名前を呼ぶと、彼はお邪魔するねと頷く。

　ハナはそんなサクラを見て、楽しげに笑った。

「おやおやサクラ君。まるでおいしい所をかっさらっていく探偵のような登場だね！」

「えっ。ご、ごめんね……？」

　探偵をするつもりはないんだけど、と彼は戸惑ったように頬を掻く。

「サクラ。ハナの戯言は放っておけ」

「戯言とは失礼だな。それで、サクラ君の思う可能性とはなんだい？」

　サクラはヤミの隣に腰掛けて、軽く手を組んだ。

「そうだな。まだ予想だから確認させてほしいんけど。ねえ、カガミくん。カガミちゃん」

「「なに？」」

　サクラの目が柔らかく細められる。温かな色をした瞳の奥に、鋭さが一瞬光る。

「俺のこと、怖くない？」

　優しいけど、真剣な声色の問いかけ。調理室の空気が僅かに緊張感を持つ。

　カガミはその質問の意図を理解したらしい。顔を見合わせ、こくりと頷いた。

「うん」

「大丈夫」

「そうか。うん。これで確信できた」

　サクラは静かに頷く。軽く伏せた視線がカガミを捉える。

　そしてサクラは本題を突きつけた。

「君達は――〝女子”が怖いみたいだね？」

　その一言で、二人の動きがぴたりと止まった。

「女子？　――ふむ。なるほど」

　ハナはくるりと辺りを見渡して、納得したように頷く。

「それだと確かにボクだけが疑惑の目を向けられるが」

　どうなんだい？　とハナもカガミの答えを待つ。

　しばしの沈黙。

　全員がその答えを待つ中でカガミは視線だけを交わし、こくりと頷いた。

「うん。そうなの」

「そう。そうだよ」

「うん。ありがとう」

　サクラの雰囲気がふわっと和らいだ。

　それにほっと肩の力が抜けたヤミは、自分が思わず息を詰めていたことに気付いた。

「しかしサクラ君、よく分かったな」

「うん？　実はこの件について話をしにきたんだ」

「この件」

　ハナの首がこてんと傾いた。

「そう、最近の噂話についてね。二人が関係あるんじゃないかと思って」

「噂、ですか？」

　サカキも首を傾げる一方で、ヤミが「ああ」と頷いた。

「この間も話してたな。ドッペルゲンガーだっけ」

「うん」

　ハナブサさんとも話をしてきてね、とサクラは一言置く。

「それで、詳しい話を聞かせてもらいたくて」

「ほう。ほうほう。ドッペルゲンガーか」

「ハナ、何か知ってるのか？」

「いいや？　確かに表で聞いた覚えはあるが、その程度さ」

「お前……」

　いいじゃないか、とハナはからっと笑いながら、そこにあった椅子に腰掛ける。サカキもエプロンを外して座らせ、残ったカガミを促すようにパタパタとテーブルを叩いた。

「その経緯、詳しく聞かせてもらおう。ほら。席に着きたまえよ」

　□　■　□

　二人はお互い考え込みながらぽつりぽつりと話をする。

　いつだったか、誰だったか。

　すれ違った瞬間に何かとても怖くて悲しいものを思い出しそうになったこと。

　その影はいつの間にか他の人になっていたり、居なくなってたりして、誰がどれだか分からないこと。

　ただ、女子だというのは共通してること。

「なんか分からないけど、胸がぎゅってなるの」

「よく分からないけど、泣きそうになるの」

「だから、女の子避けてたの」

「それで、女の子警戒してたの」

「「なんか……もやもやするの」」

　普段のカガミからは考えられないほど、不安そうな声で語られる現状。

　一通り聞いて「なるほどな」と一番に頷いたのはハナだった。

「それはよく頑張ったな。……ところで、ボクは今でも怖いかい？」

　大丈夫、とカガミは首を横に振る。

「しばらく見てると違うって分かるから」

「そうしたら大丈夫かな、って」

「ふむふむ。ではボクの容疑は晴れたと思っていいんだね？」

　ハナの言葉にカガミはこくこくと頷く。それがハナのスイッチを切り替えたらしい。

「よし、ならば考えよう。できればそれを排除しようじゃないか！」

　明るい声と共に人差し指を立てた。

「また唐突に物騒な事言いだしたな」

「いやいやヤミちゃん。これはとても大事なことだよ？」

　ハナはヤミの方を振り向き、人差し指をくるくると回す。

「こういうものはきっちり解決しておかないと、楽しめる物も楽しめやしないだろう？」

「そうだけど……カガミの意見も聞けよ？」

「もちろんだとも」

　頷いたハナは机に向かい、てきぱきと情報を整理し始める。

「まず。カガミは何者かを怖がっている。便宜的に影と呼ぼう。その影は女子の誰かの姿をしている……んっと」

　ハナは天井を見上げて考え込み。何かに気付いた様子でサクラをびしっと指差した。

「ああ。それがサクラ君が言ってたドッペルゲンガーかい？」

「あ、うん。そうじゃないかと思ってる」

　サクラは苦笑いで答える。

「ならば影ではなくドッペルゲンガー……長いな。ドッペルさんに変更だ」

「「ドッペルさん」」

　カガミが繰り返し、ハナが頷く。

「そのドッペルさんは今まで誰の姿をしてたか覚えてるかい？」

「順番は忘れちゃったけど。シャロンちゃんと」

「スイバちゃんと」

「ミサギちゃんと」

「――」

　カガミは数名の名前をぽつぽつと挙げていく。

　それを聞いて難しい顔をしたのはヤミだった。

「思ったより多いな……。シグレさんは？」

　ヤミの問いに、カガミはふるふると首を横に振る。

「ルイちゃんはどうだい？」

　同様に首を横に振る。

「サラシナちゃんは違った」

「今日、お昼に会ったけど、何もなかった」

「……共通点が分からないな」

　天井を見上げて腕を組む。袖から僅かに覗く指が、とんとんと叩くように動く。

「そもそもどうして見分けがつくのかすら、ボクにはさっぱりだが……」

　むむむ、と考え込むハナを見て、「ねえ」とサクラがそっと言葉を挟んだ。

「……話はちょっと変わるんだけど」

「うん？」

「みんなは、カガミくん達が来た日のことを覚えてる？」

　覚えてるけど、とヤミは頷く。

　それがどうかしたのかい？　とハナは問う

　サカキはこくりと頷き、カガミはじっと黙ってその会話を見ている。

「あのね。噂話と記憶から出した推論だから、参考程度に聞いて欲しいんだけど」

「うん」

「俺はね。そのドッペルさんは先代の鏡じゃないかと思ってるんだ」

「先代？」

　ハナが不思議そうに繰り返す。

「だが、あれはウツロさんが処分しに行ったのではなかったかい？」

「うん。でも、まだ完全に決着はしてないんだ」

「なるほど」

　ヤミが頷く。

「それが長期間潜伏して。力を付けて。ドッペルゲンガーとして再び現れた、って訳か」

「うん。俺はそう予想してる。カガミくん達は覚えてないだろうけど」

　ふと考え込むように口元を押さえたサクラの目が、カガミへと向く。

　目の色が一瞬だけ、冷たく光を弾く。

「――もしかしてさ。自分が死んだ時の恐怖ってのは、分かるんじゃない？」

「――！」