怪談話をしようか -学校の怪談も楽しくやってます-

1部 [ドッペルゲンガー騒動編]

サクラ対話 前編

　夜。

　サクラは突然の頭痛で目を覚ました。

「痛……ぅ」

　初めてではない。時々ある事だ。もちろん理由も分かっている。

　サクラは仰向けになると腕で目を覆い、ゆっくりと息を吐いた。

「こんな夜中に叩き起こしてくれるなんて……久し振りだね」

　暗い部屋に居るのはサクラひとりで、他の影も気配もない。

　けれどもこの部屋には、もうひとり居る。

　ほとんどの人が知らない、サクラという少年の中に住む何か。サクラが見聞きした会話や噂話を種にして見る悪夢を、おいしそうに平らげていく者。

　名前は特にないと言う。

　ただ「獏」と呼ばれていた、とだけ答えてくれた。

　だけど、サクラはその名を呼ばない。

　好きに呼べと言ってたし、気の進まない声だった。それなら、無理に呼ぶ必要もない。

　あるいは。サクラが彼に抱くどうでも良い意地のようなものかもしれない。

　何かな、と吐く息で問いかける。

「今日の雑談は。終わったと、思ったんだけど……？」

「そうだな。終わってなかった事に気付いたからこうして起こしたんだよ」

「明日じゃ……駄目な話、か」

　夢の中で済ませる気もないのだろう。ならばきっと――大事な話だ。

　コイツはそういう線引きだけは思いの外しっかりしている。

「ん。できるだけ早い方が良い話だ」

　サクラは「そう」とつぶやいて、ゆっくり身体を起こした。ずきずきと痛む頭を呼吸でなだめる。

「お前の記憶に気になったものがあってな」

「オマエ、また勝手に俺の記お、く――っ……」

　声を荒げようとして走った痛みに、頭を抑えてうずくまる。

「まあまあそう怒るな。頭に血が上るとよくないぞ？　大体、食事風景くらい良いだろ。なんなら俺の記憶も見たって構やしないぜ？」

「必要が、あったらね……」

　そんなものあって欲しくないという溜息と、痛みを逃すための吐息。二つが混じるそれは湿っぽい。

「で、だ。早速だが本題といこう。カガミのことだ」

「カガミくん達？」

「そうだ。あいつら、最近静かなの気付いてたか？」

「静かというか。何かを気にしてるような感じは、あったけど」

「ん。それだ」

　獏はさっくりと肯定する。

　食事時に見たカガミは、何かを気にしているようだった。最初に気付いた日から気にかけていたけど、ずっとそうだった。

　いつからそうだったかは分からないし、聞いても「気のせいだと思う」と曖昧に首を横に振るから、それ以上聞けてない。

「まあ、あいつら自身もよく分かってないんだろな」

「そうかもね。……で。何か掴んだから、俺を起こしたんだよね？」

「まあな。お前の記憶漁ってたら検討はついた。あいつらは特定条件の相手を避けてる」

　やっぱり、とサクラは嘆息する。最近、雑談や寝起きの頭痛が多いと思ってはいたけど、勝手に記憶を漁っていたらしい。文句は何度も言ってるが、コイツは勝手にやる。

　言っても無駄だから横に置いて、本題に意識を戻す。

　人懐こいカガミの二人が誰かを避けるなんて事があるのか。真実ならその条件とは。

「特定条件……例えば？」

「目立つのはトクサとあの金髪の……エバ？」

「エヴァンズ。シャロンちゃんかな。ミサギちゃんも？」

「ああ。だが、そいつらだけじゃねえぞ。他にも居た」

　例えば、と他に数人つらつらと列挙される。それらは全て。

「女子……？」

「そう」

　挙がった名前は確かにそうだけど、本当に？　と首を傾げる。

「鈍感な奴め。少なくとも俺はそう結論づけた」

　それで、と獏は言葉を続ける。

「お前の記憶の限り、最初じゃないかってヤツまでなんとか辿り着いた。ミキだ」

「スイバちゃん？」

「そう。そういやミキとエヴァンズは最近姿を見ねえな」

「文化祭が近いからじゃないかな」

　ああそうか、と相槌が返ってくる。

「この時期なら生徒に混ざって準備してる人も……いや、シャロンちゃんは……」

　サクラの言葉が止まった。

　確かに最近、シャロンやスイバの姿を見てない。

　てっきり文化祭の準備で忙しくしているからだと思っていた。スイバは毎年そうだけど、シャロンは違う。いやでも、シャロンは活動時間が違うし、いつも食堂で食べるとは限らない。食事の時間がずれる人も多い。

　そんな中で、カガミが敢えて避ける理由とは？

　考えてみるけど心当たりはなかった。そもそも頭痛で思考がまとまらない。

「カガミか、彼女達か。どっちかに何か変化が起きてる……？」

「そうだな。答えはこれだ。聞いてみろ」

「？」

　少し間を置いて、サクラの脳内に声が再生された。

「お夜食もありがとう。それじゃあおやすみー」

「それじ ゃあお先に。おやすみー」

　頭痛をこらえて聴くが、その差はよく分からなかった。

「こいつはエヴァンズの声だな」

「うん、そうだね」

「些細な違いだが、これは分かりやすい方だ」

「この間に、シャロンちゃんに何か変化……いや、違う」

「そうだな。変化が起きた訳じゃねえ」

　む。とサクラの眉が寄る。

「何者かがエヴァンズに変化した。これは複製だ」

「複製？」

「そう、別人が成り代わった複製。コピーだ。お前の頭痛の為に他の奴の発言は省略してやるとして。同じような違和感を他にも拾った。ひとつ気付くと結構転がってる。はっ、意外とお粗末だな」

「……自分ならもっと上手くできるみたいな言い方」

「お前の真似ならな。誰よりも完璧にこなしてやるぜ？」

「やめろよ」

　嫌悪感を隠さない一言に気を悪くした様子もなく、獏はサクラの拒否を笑い飛ばした。

　では問おう、と頭に声が響く。

「複製。コピーという単語から連想されるのは？　何がこいつらを真似ている？」

　言われるままに考える。

　複製。コピー。複写――データ。いや。シャロンではない。映す。水面。これも違う。そっくり。瓜ふたつ。鏡写し――。

「カガミくん達……でも、ないんだよね」

「もちろん。不安を感じてる原因が自分自身でした、なんて事は言わねえよ」

「じゃあ、何なんだよ」

　ようやく慣れてきた頭痛に、肩の力を抜きながら問い返す。返ってきたのはくつくつと笑う声だった。

「忘れたか？　いいや、お前は覚えてるよな？　カガミがここに来た時の事」

　想定外のヒントに思わず思考が止まる。

「え。……なんで今更そんな話を蒸し返すのさ」

「そうすべき時なんだよ。ほら。思い出せ」

　言われるままに思い出す。

　それは、もう随分と昔の事だ。

　□　■　□

　その時、何かが割れるような音と、張り巡らされた細い糸が一本ぷつんと切れたような空気があたりに走った。

　理科室に居た数名がその感覚に気付く中、最初に動いたのはウツロだった。

　様子を見に行ってくると理科室を出て行き、数分で戻ってきた。なんだか渋い顔をして、普段はあまり持ち歩かない愛刀を手にしていたのを覚えている。

「鏡が生徒を喰った」

　ウツロはハナブサへ端的に状況を伝え、「多分だが」と少し声を大きくして続けた。

「あいつらは新しい鏡だ。誰か迎えに行ってやってくれ」

　その一言で跳ねるように席を立ったのはハナだった。

「ほう、新しい子が！　よしきた、ボクが迎えに行こう。状況は？」

「大体は見れば分かるが。ありゃあ、無理に引きずり込まれたかもしれん。俺が見た時は心ここに在らずというか、返事もろくにできなかった」

「ふむふむなるほど。と言うことは、あのおまじないかもな」

「？　まあ、少し時間はかかるかもしれんが、説明は頼む」

「了解した。ボクに任せたまえ。よし、ヤミちゃんも一緒に行こうじゃないか！」

「えっ」

「ほらほら、遠慮は無用さ」

「遠慮とかじゃなくて――は？　ちょっ……」

　手を引かれて席を立つヤミに、ハナブサはニコニコと声をかけた。

「二人とも気をつけるんだよ」

「ああもちろん。心得ているとも。さあ行くぞ！」

「おい馬鹿、それ絶対ロクな事考えて――ちょ、ハナ！」

　そんなハナの勢いに押されたヤミ、は半ば引きずられるように理科室を後にした。

　理科室に残ったのは、ハナブサ、ウツロ、サクラ、サカキ。他数名。

「新しい鏡って、一体何があったのでしょう」

　隣に座るサカキが、少し不安そうにカップを置いた。

「そこはハナちゃん達を待とう。ウツロさんが任せるくらいだから、きっとここに来るよ」

　そうだね、とハナブサも頷く。

「連れてきてもらったら、自己紹介の場を設けよう――じゃあ、ウツロ」

　その声は少し重たい。普段はあまり見せない、怪談達を束ねる管理者の顔だ。

「ああ。分かってる」

　ハナとヤミが騒いでる間に軽く打ち合わせを済ませていた二人は、短い言葉で頷き合う。

「俺も何か手伝える？」

　サクラが声をかけると、ウツロは一瞬だけ鋭い目線を返した。

　思わず言葉を飲み込んだサクラに対して「ああ、すまん」と目を伏せる。

「いや。手伝いは不要だ。ちと手荒な事になるかもしれんしな。俺ひとりでなんとかする」

「ウツロさんがそう言うなら……うん」

「ああでも、サクラ。お前さんに聞いときたいことがある」

「何？」

「役割を誰かに押しつけた場合、どうなる？」

「えっ。どう、って……」

　自分が答えて良いのか一瞬悩んだけど、考える。

　自分達は校内にわだかまる闇から掬い上げられ、形や役割を与えられたものだ。それを誰かに押しつける。つまり。

「役割を脱ぎ捨てて、元の闇に紛れ込んだらどうなるか、ってこと？」

「そう」

「んー……多分だけど、紛れ込めるだけだと思う。移動に使うのと一緒。自分の意思だけで完全には戻ることはできないんじゃないかな」

「なら、なんとかなるかもな」

　わかった、とウツロは頷いた。

「でも、なんで？」

「うん？　あの生徒は鏡の役割も受け継いでる感じがしてな」

「それは、大丈夫なのですか？」

　心配そうなサカキに、ウツロは紫煙のようにふうと息を吐いた。

「ある意味無事だが、お前さんの言う大丈夫とは違うだろうな」

「そう、ですよね……」

　サカキの表情が曇る。サクラの方に軽く傾いた背中を、なだめるように軽く叩く。

　生徒達の過ごす学び舎と、自分達が暮らす校舎は表裏一体。怪談達は気軽に往き来しているが、生徒達がこちら側に来ることは不可能だ。

　それができるのは、物言わぬ何かだったり、校内で死を迎えたり、噂話から生まれたり。一度「生身の身体を持たない何か」を経た者ばかりだ。そこに例外はない。

「大方、鏡は生徒の身体を得ようとしたんだろうが、あれは失敗したんだろうな」

「失敗……つまり、鏡は？」

　サクラの問いに、ウツロは「さてな」と首を横に振った。

「あの場に気配はなかった。声もない。だから、鏡はその生徒に役割と能力を押し付ける結果になったと予想した」

　鏡にその意思があったかは分からんがな、とぼやくように呟く。

「なるほど」

「どうして身体が欲しかったのでしょう……」

　サカキがぽつりと呟く。俯くその口元は、マフラーにすっかり埋もれてしまっている。

「動ける身体がないってのが一番の理由だな」

　ウツロの答えは簡潔だった。

「本体が鏡だから身動きひとつとれやしない。だから口を開けば言ってたよ」

　外に出たい。身体が欲しい。

「――ってな。日々様々な生徒の姿を映すから、その誰かに成り代われたらいいだろうか、と零した事もあった」

　真似ても鏡の中でしか動けなかったが、とウツロは目を伏せた。

「私も何度か話し合ったんだけどね……」

「起きたことは仕方ないさ。ところで、話はちと変わるが。――流行ってるまじないってどんなのだ？」

「うん？　鏡に向かって質問するやつかな。一週間続けると違う自分になれる、って」

　サクラが軽く説明をすると、ウツロは眉間にしわを寄せて「ああ」とぼやいた。

「そいつは鏡を呼び出す手順になりそうだな」

「ハナさんが、それは自分という境界が曖昧になるんじゃないかって言ってましねた」

「なるほど。鏡もそれを利用したんだろうな。実行したのは自業自得だが――」

　ウツロは言葉を探すように言葉を切って、頭を掻く。

「危害を与えていい理由にはならない。特にあいつらは「人」としては死んだ事になる。つまり、俺達の方針……。あー、なんだ」

「ポリシー、かな？」

「ああ。それだ。それに反する。放っておく訳にはいかない」

「生徒に危害を与えてはいけない。っていうのは大事な事だからね。――仕方ないけれど、よろしく」

「ああ」

　行ってくると頷いて、ウツロも理科室を出て行った。

　□　■　□

　それが、あの日にサクラが見た出来事だった。