悪夢の入口をなぞるような
最近噂話の改変が多い。
それ自体は別に珍しいことじゃない。何かしらのブームがあると起きることだ。
しかし。今回の場合は。
「んー。なんか違うんだよねー」
データの中身をスクロールで流しながら、シャロンはそうつぶやいた。
放課後のパソコン室。
最近の噂についての状況を尋ねたサクラは、返ってきた言葉をふむと受け止めた。
「どんな風に?」
隣の椅子に腰掛け、画面を覗きながら質問を重ねる。
画面に表示されてるのは、シャロンが独自に集めた噂話のリストだ。
校内の掲示板、交わされるメールやチャットといった情報に含まれる噂は、彼女の元に集まってくる。
「最近改変が多いのはご存知の通りだけど、これまでは何かしら全国的なブームがあったりしたと思うんだよ」
ととん、とシャロンの指がテーブルを叩くと、パッとグラフが表示された。
「たとえばここ。この時は怪談ブームだった」
私が生まれる前だけどそうだよね、と伺う視線に、横軸の年号を確認して頷く。
「でも、今は全国的に何かが流行ってるとか、そういうんじゃなさそうでー」
「なるほど。つまり、この学校の中っていう局所的な現象」
「うん、で、ちょっと分類分けして解析したのがこっちね」
すい、と空中に生み出したウインドウの角をつまみ、目の前に引っ張ってくる。
創作、改変、引用、というラベルでグラフが作られている。
「校内で新しく生み出された「創作」、外部の何かを取り入れたと思われる「引用」、既存だけどバリエーションが増えてる「改変」。大体その三つなんだけど」
ここ、と指が置かれたグラフは他の2項目に比べて格段に数値が大きい。
「改変が多い……」
「そう。普段は大体同じくらいか、改変がちょっと多いかなー。くらいなんだけど、今は改変が圧倒的なんだよね」
「うん。でも、これは他の……さっきの怪談ブームの時と比べると?」
「ブームの時は引用が増えるかな。それもだけど」
と、シャロンの指がウインドウを複製し、表示内容を切り替えてグラフに変換する。
「こっちがそのブームの時で、こっちが今の。なんて言うのかな、これまでに比べて、数値の変化が緩やかなんだ」
彼女の言う通り、ブームの時は改変の件数が急に上がり、緩やかに減っていく。
それに対し、今回は件数が増える期間に幅があるように見える。
「良い見方をすれば、この学校にブームがきて定着しつつある。けど、サクラが言いたいのはそうじゃないでしょ?」
「……うん」
このグラフを彼女のように好意的に解釈をすることも可能だけど、実際そうじゃない。
それは数字には現れない、話の内容の方向性だ。
裏サイト管理者は、未来を呪おうとしている。
髪切りさんは、髪と一緒に首を切る。
さっちゃんに身体の一部を奪われそうになった。
こっくりさんが求める対価は血液で。
月廻りの桜は、死を養分にしている――。
どれも、本来の話と異なるものになりかけている。
「なんていうかさ。雰囲気が嫌だよねー」
ぐっと伸びをしたシャロンへ、サクラより先に椅子が軋む音で応える。
「そうだね。なんというか」
一瞬止まった言葉を、シャロンがさらりと引き継いだ。
「誰かがそうしようとしてるみたい?」
「……そう」
頷く。
噂話を広め、定着させるのは確かに生徒だし、自然発生的かつ流動的なものだ。
だからこそ、色んな話が生まれては消えていく。
でもこれは。
「君の言う通り、人為的な方向付け……もっと言えば、発生源があるように思える」
「そうだね。でも、それを生徒の中から探すのは難易度高そう」
そうなんだよな、とサクラは考える。
これらを生徒が作り広めたものだとして、どうやって探すかが1番の課題だ。
この学校の生徒全員を監視する訳にもいかない。シャロンの元に集まる情報だって、偏りがある。
しかし、自分達の噂話が生徒に悪影響を与えかねないものになってる今、周りに協力をしてもらうのも難しい所がある。
適任は、噂に影響されず、自分達の込み入った話ができる人。
心当たりが、ひとり。
「これは、ヒトノ君にも聞いてみようかな」
「ああ。ヒトノ」
シャロンはいいねと頷いた。
「彼なら私と違う方向で見てくれるかもだしね」
「それに、ある意味では経験者だし」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
初めて彼と出会ったのは、彼がまだ学生の頃だった。
自分と同じ制服に身を包んだ彼がなんだか懐かしく、くすくすと笑った。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「うん。何か分かったら教えて-」
□ ■ □
職員室に向かう途中、サクラは目的の人物を見つけた。
邪魔にならない程度に整えた黒髪の、まだ青年の域を出ない立ち姿。
緩く絞められたネクタイと抱えられた教材が生徒じゃないと主張する。
その背中を追いかけ、渡り廊下で声をかける。
「一日原先生」
「お? 法口じゃないか。珍しい」
足を止めて振り返った男性教師は、サクラを見つけてそう声を上げた。
涼やかな目元が嬉しそうに細められる。
サクラはこんにちは、と挨拶をしながら隣に並ぶ。
「なんだ。授業で分からないところでもあったか?」
「あー。数学でもいいですか?」
「……はは、国語教師にそれは酷だなあ」
ひとしきり笑った彼は、それででどうした? と首を傾ける。
そこに、サクラはすぐさま本題を差し込んだ。
「ちょっと――ヒトノ君に聞きたいことがあって」
わずかに声を潜めた一言で、一日原の表情が変わった。
「なるほど。そっちの話か――分かった」
ちょっと空き教室に行こう、と彼は人気の少ない教室へと足を向けた。
一日原一之。
彼はこの学校の教師だが、かつてはここの在校生だった。
ある一件で関わりを持って以来、サクラ達と交流を持ち、「ヒトノ」と呼ばれている。
だが、彼は校内の「噂話」ではない。
普通に教師として在籍し、人間として暮らしている。唯一の例外だ。
放課後の喧噪が遠くに聞こえる静かな空き教室で、サクラが適当な席に座る。
ヒトノも近くの机に腰掛ける。赴任してきて何年か経っているはずなのに、その仕草はまだまだ学生のように見えた。
「それにしても、法口がそっちの話を持ってくるなんて珍しいな」
「うん、ちょっと他の人達には頼れなくて。最適な人が君だった」
「ええ……怖い話するなよ」
「ふふ、俺達は怪談話だって忘れてない?」
にこりと笑って軽口を叩く。
そんなサクラの目が、一瞬だけ温度を下げたのを、ヒトノは見逃さなかった。
「覚えてるよ、もちろん。――それで?」
「うん。単刀直入に言うけど、噂話を書き換えてる人を知らない?」
「噂話を書き換えてる人?」
思案するヒトノをサクラはじっと見る。
「そう。生徒でも誰でもいい。そう、――例えば君とか」
「あははは。最近はメモ程度だし、何もしてないよ?」
疑惑を晴らすように両手を挙げると、サクラも「分かってるよ」と苦笑いした。
「さすがに今もやってたら問題だよ。ウツロさんに説教してもらうことになる」
「今なら酒も酌み交わせそうだけど、残念ながら」
そう言いながら、胸ポケットの手帳を取り出す。
パラパラと捲って、ふむ、と呟いた。
「確かに話が色々変わってるのは聞いてる。でも、誰かまでは把握できてないな」
「そっか」
「しかしこれ、君達が原因を突き止めるほど危惧することなの?」
ヒトノが言いたいことは分かる。
生徒達に紛れて話を修正して回ることだってできるし、実際そうやって均衡を保ってることもあるはずだ。
ヒトノはそう言いたいのだろう。サクラは頷く。
実際、そのような手段をとることも珍しくない。
「ちょっと、範囲とか速度がいつもと違ってね。修正も追い付かない」
「なるほどそれはヤバいな」
「ヤバいでしょ」
ぱた、と手帳を閉じ。口元のホクロを隠すように当てる。
数秒考えて、何か思い出したように手帳をサクラへ向けた。
「あ、それなら霧島に聞いてみるといいんじゃないか?」
「霧島?」
聞いたことのない名前だ。
誰? と首を傾げると、ヒトノはその反応こそ意外そうな顔をした。
「知らないの?」
「うん。何年生?」
「分からない。幽霊部員なんだよ」
「幽霊部員……」
サクラが確認するように呟く。そう、と頷く。
「オカルト研究部の幽霊部員、ってやつ」
「……なにそれ」
知らない。
この学校の噂話はある程度知ってるはずなのに、聞いたことがなかった。
何故か分からないけど、背中をぞわりとなぞられたような感覚がした。
「それ、詳しく聞かせて」
いいよ、とヒトノは軽く頷いて話してくれた。
オカルト研究部の日誌は噂の記録であること。
創作や伝聞は不問で、取りあえずネタがあったら書くようなものだと言うこと。
ヒトノが在籍していた頃は既に定番化していたこと。
そこに時々、部員として存在しない名前があること。
知らない。なんだその話。
「それが、霧島君?」
色々飲み込んで尋ねると、ヒトノは頷いた。
緩く組んだ指が揺れる。
「そう。日誌だったり、メモ書きだったり付箋だったり……形式はいくつかあるけど、名前は必ず同じ。だから、幽霊部員なんだ」
この間日誌を見たけど、筆跡も変わらなかったよ。とヒトノは付け足す。
「なるほど……」
「しかし、法口が知らないのは珍しいな。部内で完結してる話だから?」
「その可能性はあるけど」
どうだろう、とサクラは曖昧に頷く。
無意識に、引き結んだ口に手が当てられた。
噂として広まらない話、というのはたまにある。
広まらないまま霧散したり、共有人数が少なすぎる場合などがそうだ。
けど、そんなに長く語り継がれていて。実体もあるのに知らないなんてこと、滅多にない。
アイツは知ってるんだろうか。少し意識を内に向けてみたけど、返事はなさそうだった。
「彼には、部室に行ったら会える?」
サクラの問いに、ヒトノはどうだろうと曖昧な返事をした。
「私もこの間初めて会ったんだよね。レアな可能性はある」
「そっか……」
「でも、日誌は確実にあるから、噂の更新頻度やざっくりとした内容くらいは分かるかも」
「分かった。ありがとう」
行ってみるよ、と頷く。
会えなかったとしても、日誌を見たり、部員に話を聞けばいいだろう。
得られた次の目標を確かめ、サクラは席を立つ。
外は随分と薄暗くなってしまったが、部活動の終了までもう少し時間はある。
「今から行ってみようかな」
「ああ、それなら施錠頼んで良い?」
いいよ、とヒトノの頼みに頷くと、鍵をサクラに渡した。
「あ、そういえば法口はさ」
受け取った鍵をポケットにしまうと、ヒトノは思い出したように声を上げた。
「ん?」
「学校の怪談を作る噂話って知ってるか?」
「――」
思わず出かけた言葉を飲み込んだ。そのまま詰まりそうだった息をそっと吐き出す。
幸いにも、ヒトノは気付いていないようだった。
「……いや、聞いたことないな。そんな話があるの?」
ヒトノの指が、手帳のフチに触れる。
「それが、霧島が探してるって言ってたんだ」
「霧島君が?」
うん、と彼は頷いた。
「そのために、幽霊部員やってるみたいなこと言ってた」
「……」
「でも、法口が聞いたことないなら、ないのかもしれないな」
「いや、どうだろう。俺、幽霊部員のこと知らなかったから……そんな話も実はあるのかも」
誤魔化すように口にすると、ヒトノも「それはそうだ」と納得したように頷いた。
「俺はその話は聞いたことないけど、気にかけとくよ」
「おう、よろしくな」
「鍵も、後で返しにくるね」
一旦ヒトノと別れて、部室へ向かう。
その足取りは普段通りだが、表情は険しかった。
「学校の怪談を作る……」
そんなの、他に該当者が居ない。
居るはずがない。
サクラの中に居座り、悪夢を喰らう何か。
人違いの可能性もある。ただの思いつきかもしれない。
でも、そう言いきれない何かがある。
長い間存在していたのに姿を現さなかった誰かが、そんなピンポイントで探しているなんて。
何か狙いがあって潜伏していた、という可能性も十分考えられる。
アイツの正体は知らない。知るつもりもない。
けど、すごく嫌な予感がする。
霧島については――警戒した方が良いかもしれない。