表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
170/171

サクラさんに伝えたいこと

 サカキには、目標にしている先輩がいる。


 日に透けた春のような、淡い桜色の髪。暖かな色の瞳。色白で、黒縁の眼鏡がよく目立つ。

 誰にでも優しくて、穏やかで。人の為に動ける力を持ち、サカキ自身が持つ迷いを「それも強さだよ」と肯定してくれた。

 ふわっとした笑顔がよく似合う、暖かな春のような人。


 小さくて泣き虫な自分が目標にするには、とてもとても遠いけど。

 その人はいつも、足の遅い自分の歩幅に合わせて歩いてくれる。

 ずっとずっと。隣に居て、自分の事を見てくれる。


 まだまだその背中を追いかけるばかりだけど。

 いつか追いついて、隣を歩きたい。歩けるようになりたい。

 サカキはそう思っている。


 □ ■ □


「そういえばさっちゃん」

 ある昼下がりのこと。売店でばったり出会ったハナと並んで歩いていると、彼女が何かを思いついたように話を切り出した。

 はい、と返事をすると、彼女は歩きながら首を傾げる。

「なんとなく気になってた事なんだが。さっちゃんはどうして男子の制服を着てるんだい?」

「え。この制服、ですか?」

 不思議そうに問い返したサカキに、ハナはうむと頷いて理科室の戸を開けた。

 誰も居ないけど窓が少し開いていて、暖かな陽気と涼しい風が満ちている。

「似合ってない訳じゃないし、それがさっちゃんだと馴染んでしまってるのも確かなのだが。なんか不思議でな」

 サカキは入口で一瞬足を止め、自分の服を見下ろした。

「なに、他愛ない疑問さ。無理に答えることはないよ」

 日当たりの良い席を見つけたハナが、軽い足取りで進んでいく。

 それに付いていこうと顔を上げると、窓に映った自分の姿が目に入った。


 淡い橙のマフラー。短く整えた髪。小柄な身体にはぶかぶかの制服。それはセーラーではなく、学ランと黒のズボン。袖口から覗くカフスは、ブラウスではなくカッターシャツだ。

 ハナの言うことはなんとなく分かる。


 自分はみんなに女子であると明かしたのに、どうして男子の制服を着たままなのか?


 ずっとズボンで生活してきたから、スカートが落ち着かない。というのもある。

 スカートが似合わないんじゃないかな、と思っているというのもある。

 でも、それ以上の理由――。


 サカキはハナの横に腰掛け、ジュースにストローを刺しているハナを見た。

「さっきの質問なのですが」

「うん」

 ハナはの返事はいつもと変わらない。それが、気負わなくて良いんだという安心感をくれる。

 でも、自分の事を話すのはなんだか恥ずかしくもある。マフラーをちょっと押さえて、答える。

「僕。目標にしてる人がいて」

「サクラ君かい?」

 ハナのストレートな指摘に、サカキは一瞬驚いたような顔をして、こくり、とマフラーに埋まった。

「はい。サクラさんみたいに、なりたいです」

「なるほど。良い目標だな」

 うんうんと頷いたハナがちらりと視線を向けると、その頬は嬉しそうな色をしていた。

「それは怪談話としての在り方とか、振る舞いとか……そういうのだろうか。しかし、彼の事だから、普通に色々教えてくれるとは思うが」

「そうかもしれません。でも、あの時の。ここに来たばっかりだった僕には、それしかないような気がしたんです」

「なるほど……?」

 ハナが頷きながらも首を傾げると、サカキはくすくすと笑って言葉を足す。

「決めた時、サクラさんに「どうして」って言われました」

「うん。そうだろうなあ。きっと彼も驚いたことだろう。目標に近付くためにまずは形から。という事なのだろうが……」

 それでもよく分からない、と言葉が濁される。

「そうですね。そんな感じです」

 サカキはずれてきたマフラーを整えて、視線を机に落とす。

 紙パックを両手でそっと持ち。一口飲んで。そっと置いて。

「――あの」

 少し低いトーンだけど、思い切ったような声で言葉を繋げた。

「うん?」

「昔の話を、少ししても良いですか?」

「? 別に構わないが」

 一体何だい? とハナが首を傾げると、サカキはハナに視線を向けて。

 内緒話のようにそっと過去を打ち明けた。

「僕、身代わりだったんです」

「身代わり……?」

 繰り返すように呟いたハナの首が傾く。その口元は何か言いたげに薄く開いたが、どう踏み込んで良いのか分からない。そんな風に見えた。

「ふふ……ハナさんがそんなに不思議そうな顔するの、珍しいですね」

「そりゃあ、不思議な単語だったからね」

 でもどう言うことだい、とハナは問う。

 そのままの意味ですよ、とサカキは答える。

「だから僕、自分がなんなのか分からないんです」

 そうしてぽつりぽつりと、生い立ちを語る。

 かつてのサカキ――「賢木みや」と名乗る前に生きていた少女の話。


 彼女には兄が居たらしいということ。

 その代わりに育てられたこと。

 自分がどっちであればいいか分からなかったこと。

 桜の木の下に居る時だけは、少しだけ「自分」で居られるような気がしたこと。

 

 簡単だけれども、と話し終えた時。ハナは口元に手を当てて考え込んでいるようだった。

「……つまり、桜の木の下に。サクラ君の側に居ると、本来の自分を見つけられるような気がする?」

 言葉を継いだハナに、サカキはそうかもしれませんが、と言いながらも首を横に振った。

「それは……見つからないと思います。僕は兄のようにはなれませんでした。きっとこれからもずっとそうです。昔の僕が求めていた物が何だったのかも、もう分かりません」

 情けないですけどね、とサカキはえへへと笑った。

「僕は僕になっていいのか。どうしたら良いのか分からない。そんな僕に、サクラさんは言ってくれたんです。僕らしく過ごして欲しい。悩んでいることも含めて僕だ、って」

「うん」

 サクラならきっとそう言うだろう。ハナは頷く。

「そんなサクラさんの考えが、すごく温かくて。憧れ、ってこんな気持ちなのかなって思ったら、僕もそんな風になりたくて」

「ふむ。それで、サクラ君の隣に居たいと」

 サカキは曖昧に笑って頷いた。

「目標にするなら。隣に立てるなら。サクラさんが見ていた姿で居たい。桜の木の下の少年でも構わない。あの時は、それしか思いつかなかったんです」

「ふむ。だから男子制服を……」


 彼女は自分を見失っている。性別すらも偽って、憧れに近付こうとあがいている。

 近付けるのは良いとしても。求められた物になれるなんて、心が許さない限りあり得ない。それは身に染みて分かってるはずなのに。

 男だったら(そんなIF)なんて存在しないのに。その壊れた可能性で在ろうとしている。

 これはこれで。少々危ういもののように見えた。

 いつか目標に追い付いて、隣に立てた時。「彼女」は一体どうなるのだろう?

 うまく行くかもしれない。破綻するかもしれない。もし後者だった場合――。


 でも、サカキはそんなハナの考えに気付く事なく、「それでも」と笑って言葉を繋ぐ。

「これでいいのかなって、何も分からなくなる時もあります。けど、サクラさんはそんな僕で良いと言ってくれました。悩んでた過去も、分からない今も。全部含めて僕だって。捨てなければいつか見つかるって」

「なるほど、全て認めて受け入れる、か。そこは確かにサクラ君の強みだ。そんな所に君は惹かれたんだな」

「――そうですね。僕も、そんな風になりたいです」


 そう言って笑うサカキは。

 どうして今まで気付かなかったのか分からない位に、女の子に見えた。


 □ ■ □


「ところで」

 話が一区切りして二人の飲み物もそろそろ空になる頃。

 ハナが思い出したように口を開いた。

「さっちゃんがサクラ君に憧れてるのはよく分かったけど。それ、サクラ君に言ったことあるかい?」

 サカキはその言葉に、ぱちりと瞬きをした。

「サクラさんのようになりたい、とは何度か言った事あるかもしれません」

「ふむ。憧れの人がサクラ君本人だ、というのは?」

 サカキは少し考えて、ふるふると首を横に振った。

「この話をするのも、多分初めてですし……サクラさんにも言った事はない、と思います」

 ハナは「なるほどなあ」と小さく唸って、それからにこりと笑った。

「さっちゃん。サクラ君の弱点を教えてあげよう」

「弱点、ですか」

 繰り返すサカキの声にハナは頷き、人差し指を小さく振った。

「そう。弱点だ。ヤミちゃんが言ってたんだがね。座敷童のサクラ君は、人の感情に敏感なんだ」

「そうですね」

 それはわかります、とサカキはこくりと頷いた。

「周りを見て、感情を拾い上げる力に長けている。その聡さ故に、と言うのかな。人の感情を自分のそれより優先するクセがある」

 そうだな、とハナの指先が軽く絡む。

「言い方を変えると、自分を後回しにする。それに、自分がどう見られてるのかに対して無頓着だ」

「無頓着……」

「そう。さっちゃんに対する態度を見てるとね、どうにもそれが顕著に見える」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。彼がさっちゃんの先輩であろうとしてるのはよく分かる。だが、その役割に固執しすぎて、さっちゃんの目標が自分であるとは気付いてない。そんな感じだ」

 だからさ、とハナはくすりと笑って人差し指をくるりと回した。

「君が誰に憧れて、目標にしてるのか。一度ちゃんと名指しで伝えてあげるべきだと思うよ」


 □ ■ □


 穏やかな風が吹く窓際で、サカキはサクラと並んでお茶を飲んでいた。

 他に誰もいない。冬の柔らかい日だまりが、二人の背を温める。


「そうだ。僕、サクラさんに言わなきゃと思ってたことがあるんです」

「うん? 何?」

 サクラはお茶を飲む手を止め、サカキへと視線を落とした。

 なんだろう、と言葉を待つ彼の目は、相変わらず暖かい色をしている。

「あのですね。僕の……その。憧れてる人の話、なんですけど」

「うん」


 こうして改めて言うのは、すごく緊張する。恥ずかしくて視線が落ちそうになる。

 なんでこんなにドキドキするのか分からない。心臓がうるさい。カップを持つ手に力が入る。

 でも、ずっとずっと思ってたことだから。

 僕の目標で。これからも隣に居たいと思う人だから。

 目をぎゅっと閉じて、開いて。向き合って。

 その言葉を。手紙を差し出すように、口にした。


「僕が憧れてる人って、サクラさんなんです」

「――」

 サクラの目が瞬いた。今の言葉の意味を問われた気がして、サカキはもう一度言葉を結んだ。

「僕、サクラさんみたいになりたいんです」

やっと3話に繋げることができました。

この後の彼の反応は「月巡りの桜と頭痛の種」でどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ