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それは心の鍵に似て 3

 サクラは暗闇の中で、外の音だけを拾って聞いていた。

 暗い視界。目眩にも似た浮遊感。

 気分の悪さと苛立ちだけが、ただただ染み込んでくる。


 その苛立ちの正体が何かを考えもしないうちに、小さな舌打ちが聞こえた。

「めんどくせえ」

「?」

 言うが早いか視界が暗転する。ひどい目眩と頭痛がする。

 身体のバランスを崩すことだけは堪え、頭を抑えようとして――その袖が引かれていることに気が付いた。

 状況が把握できない。霞む目を凝らして、目の前の人物を見下ろすと。

 涙が見えた。

「サカキ、くん?」

 泣いている。

 サクラの袖を頼りなく引いて。声も上げず、ただ静かに涙を零していた。


 会話は聞いていたけど、まさか泣いているなんて思わなかった。

 どうしようという気持ちと、アイツは何故泣かせたのかという疑問が頭の中をいっぱいにする。

 いや、それよりもなんとかしないといけない。

 泣いてるサカキを見るのは初めてじゃない。けれどもそれは、彼女がこちら側に来る前の話だ。あの頃は寄り添うことしかできなかったけど、今は違う。

 なのに、どうすれば良いのか分からない。そもそも人を慰めるのはあまり得意じゃない。声をかけるべきなのか? それとも、肩を支える? 背中をなでる?

 どうしよう、と手のやり場に困っていると。

「サクラ、さん」

 小さく掠れた声がした。

 うん、と頷く。サカキの言葉をじっと待つ。

「僕。ときどき、わからなく。なるんです……」

 マフラーを雫がころりと転がり落ちていく。

 サカキくん、と呼ぶことすらできず。サクラはその涙を、声を。黙って受け止める。

「本当に、このままでいいのかな、って」

 声に涙が滲む。

「すごく、憧れてたものがあった、ある。気がするのに。……好きなものも、この格好も、なにも。なにも、わからなく、なっちゃうときがあって……」

 サカキは一度言葉を切り、小さく首を横に振った。

「いえ。あるんです。確かに。あるのは分かるんです。けど……今の僕には、要らなく思えて。でも、僕が今、僕として頑張ろうっていうのは。それは、本当で……でも、本当、なんですか……?」


 零れ落ちてきたのは、サカキの葛藤だった。

 女の子でありたかった自分と、それを否定し続けたかつての自分。

 そんな日々から解放されたはずなのに、「彼女」はまた、目標のために「彼」であろうとしている。

 「目標の人が居る」と、それを真直ぐに目指しているけど、その根元にある悩みはどうしようもなく深い。

 肯定も否定もできない自分に、サカキ自身が混乱している。

 それが分かっても、サクラにそれを解決する言葉はなかった。そもそも、サカキの在り方を決める権利なんてない。

「――いいんだよ、それで」

 できるのは、曖昧な肯定だけだった。

 小さな肩に手を置くと、サカキの視線が上がった。赤みを帯びた目尻と頬が、サクラの言葉を真っ直ぐに受け止める。

「君が信じるなら、それが本当だよ」

 自分の言葉が彼女の助けになるかも分からない。だけど、彼女が前を向けるように。安心できるように。言葉を探す。

「どんな姿でも、迷いや悩みがあってもいい。捨てさえしなければ、いつか答えが見つかるよ。その道程も大事なものだ」

「……」

「好きなものを信じて良いんだよ。ここでは、誰も君を否定しない」

「はい……。はい」

 サクラの言葉が彼女にどう届いたのかは分からないけれど。サカキはまた、新しい涙をこぼして頷いた。

「ありがとう、ございます」

 それは、さっきの涙とは違う、とても暖かな雫に見えた。

 

 しばらく空き地の隅に座っていると、サカキは落ち着いたようだった。

 涙も乾き、表情もいくらか穏やかに見えた。

「サカキくん」

「はい」

 名前を呼んでみたものの、言葉がうまく続かない。

 なんかまだ言い残したことがあるような気がして。

 胸の奥に何か引っかかってるような気がして。

 サクラは言葉の糸口を探す。

「別に、無理やり「僕」って言わなくても、俺をお手本にしなくてもさ。君は君のままで、いいと思うんだよ」

「はい……」

 励ましたつもりだったのに、サカキは少ししゅんとした様子で頷いた。

 思わぬ反応に、サクラはオロオロと言葉を続ける。

「あ。ええと……その、前にも言ったけどさ。俺がサカキくんの在り方にダメだって言う権利はないと思ってるんだよ? サカキくんが在りたいように、なりたいように。それがここでは大事なことだから、っていうね」

「はい」

 だからさ、とサクラは笑う。笑ってみる。

「俺はその手伝いだったらいくらでもする。お手本でも、先輩でも。なんでもね」


 そう言った途端。なにかが、ぐっと。サクラの胸を締め付けた。

 なんだか喉の奥がつっかえたような。目の奥が熱くなるような。嬉しいような悲しいような。なんとも言いようのない感覚……いや、感情だろうか?

 悪い感覚じゃない。けど、誰かにこの気持ちを話したら。口にしたら。

 しっかりとした形になってしまいそうで。ひとりで抱えてられなくなりそうで。

 なんか嫌で。

 

 だから。

 サクラは無意識にもう一歩、考えを進めた。

 

 そう。俺はサカキくんのお手本だ。

 俺を通して見ている誰かに近づけるために、こうして隣に居る。

 ならば。俺はそれにふわさしい姿でなくてはならない。


 だって俺は、サカキくんの先輩であるべき、なのだから。


 □ ■ □


「あの行動の何が必要だだったのさ」

「何でもいいだろ。――しかし、毎晩律儀に施錠する必要はなくねえか?」

 獏がくつくつと笑う。夜風が頬をなでる。

 今夜は部屋に花弁は舞い込んでこない。窓の外でひらひらと散っている。

「大体、内側から鍵をかけてんだから、俺でも解錠できるだろ」

 わかってるよ、と痛みが返ってくる。

「気休めでもいいの。オマエがそれで俺の意志を少しでも思い出せば万歳だ」

「そうかそうか。気が向いたら思い出してやる」

「そうだね。できればずっと出てこないで欲しいんだけど……」

 サクラのぼやきに獏はくつくつと笑った。

「そいつは難しい話だな」

「……はあ、そうだよね」

 知ってた。とサクラのため息が聞こえた。

「ところで。話ついでに聞きたいんだが」

 獏はふと。何か思い出したように言葉を繋いだ。

「うん?」

「おまえにとってサカキはどんな存在だ?」

「…………なにそれ」

「いいから」

 答えろよ。という声にサクラは口を曲げたのだろう。そんな間を置いて「そうだな」と呟いた。

「大事な大事な、後輩だよ」

「……」

「……それが何? 質問しておいて無言?」

 獏はサクラの声に「いや」と首を振るように答えた。

「お前にとっちゃウツロだって後輩のようなもんだろ。サカキも同列なのか?」

「難しい事言うね……」

 呆れたような溜息が聞こえた。

「そもそも、俺は誰の先輩とか後輩とか、考えたことあんまりないよ」

 ただ、とサクラは言う。

「サカキくんは俺を先輩だと言ってくれる。目標のために頑張ってる。だったら、少し位はそれに応えられるように在りたい。それだけだよ」

 あまりに迷いなく答えたその声に対する獏の返事は「そうか」というそっけない一言だった。


 □ ■ □


 獏はひとり、静かな和室で息をついた。

 サクラは眠ってしまった。身体も返して布団の中。

 だから今は獏ひとり。

 和室に一つだけある本棚に向き合って立っていた。


「大事な大事な後輩、なあ」

 少し前に聞いた言葉を繰り返し、口元だけでにやりと笑う。

 その手には一冊の本。

 いつだったかサクラが読んでいたものだ。理由は知らない。

 開かれたページには白く小さな花の写真が載っている。


 あの時の獏の目論見は上手くいった。

 サカキは、自分の悩みが溢れそうになると、そこへ足を運ぶようになった。

 サクラも時々訪れるから、サカキと出会えば、雑談も兼ねて話を聞いているらしい。

 受け止めすぎるのも問題だが、最近はそのバランスがいい感じになってきた。

 たまに他の感情あじが混ざる時もあるが――それはそれ、ちょっとしたフレーバーのようなものだ。


「しかし……強情だな」

 獏はぱたんと本を閉じて棚に押し込む。そのまま視線を下に落とす。

 その視線は棚の一番下の段。その奥。いつか見つけた箱に注がれていた。


 サクラは毎晩鍵をかける。

 それは、獏を外に出さないためと言うが。

 獏からすれば、自分の感情(なかみ)を押し込めるためにも見える。

 あの鍵はきっと。彼自身の戒めでもあるのだろう。

 そしてそれは、この箱の存在をも隠している。


「これを暴いてやってもいいが……あの味は惜しいからな。もう少し楽しませてもらおう」

 それまで腐ってくれるなよ。

 獏はそれだけ言い残して、部屋をあとにした。

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