オカルト研究部の幽霊部員
オカルト研究部は、少人数でありながら長い歴史を持つ部活動だ。
同好会にならない程度の人数が、毎年少しずつ入れ替わりながら細々と続いている。
私のような赴任数年目の教師がのんびり顧問をできているのだから、いい部活動だ。きっと。
□ ■ □
放課後。近くを通ったついでに覗いた部室は無人だった。
月に一度の定例以外は決まった活動をしてるわけでもない、少人数の部活だ。大体はこうだし、下手すると鍵がかかったままなこともある。誰かが来た形跡があるだけマシだろう。活動実績があまりになさすぎると部室存続の危機だし。
とりあえず窓を開けて換気をする。夏の始まりを感じる爽やかな空気が気持ちよく吹き込む。
篭った空気と少しずつ入れ替わる流れを感じながら、ふらりと本棚の前に立った。
オカルト系の雑誌や妖怪図鑑など、この部らしいラインナップのタイトルが並ぶ棚。
その一角に、同じ背表紙の冊子が数冊並んでいる。その中から一番新しいものを手に取る。
紐で綴るタイプの黒い冊子は、歴代の部員達が綴った活動日誌だ。
ぱらぱらとめくる。長年使われてきたフォーマットは、コピーを重ねた紙特有のノイズが混じっている。新しく作り直した方が良いかもしれない。今度作って部長に渡しておこう。
そんなことを考えながらページを捲る。
5月13日
美術室の倉庫に作者不明の絵があった。
校舎が描かれた普通の絵に見えたが、その日を境に夢を見るようになった。
倉庫で絵を見つける。その度に、絵の校舎が廃墟のように変化していく。
その絵には生徒も数名描かれていたが、いつしかその全員が窓辺に並んでこっちを見つめていた。
7月10日
校舎裏の桜の木は、校内の悪い物を食べてくれる。
悪意。恐怖。弱みに恨み。
悪口。悲鳴。怨嗟に絶句。
それらを作る全てのものを。
それらが生んだ全てのものを。
8月29日
旧校舎の奥から鈴の音がする。
探しても音の出所は見つからず、必ず踊り場の大きな鏡の前に辿り着くという。
出どころを見つけたらしい生徒も居るが、それ以上の話をしてくれない。
11月5日
雨の日に一カ所だけ結露している窓や、一部だけなんとなく湿ってるバス停のベンチがある。
それは、雨に濡れた生徒の影がいる証拠。暖かさを求めて、黒い影は寄ってくる。
日付は飛び飛びで、数日おきのこともあれば、月単位で開いてることもある。
この部の日誌は、校内で囁かれた噂話を書き留める事で活動記録とする。オカルト研究部らしい日誌と言えるだろう。
同じ話、似た話、全く聞いたことない話。色々書かれている。中にはこの場で作られたものもあるだろうが、真偽は問わない。だって噂話ってそんなものだ。
記録者には部員の名前が書いてある。その中に「霧島」と言う名前があるのを見つけた。
「こっちを見ている生徒とは目を合わせないように」
「鈴を転がすような笑い声なら要注意」
そんな感じのメモ書きにも同名の署名がある。
「……まだ居るんだ」
なんだか懐かしくなった。
オカルト研究部には幽霊部員がいる。
苗字は霧島。名前は不明。
部の日誌に時折その名前が現れるが、名前の部分はいつも空白だ。
活動記録の記入者が苗字だけなのは普通だから、普通は気にすることなんてないのだが。なぜかこの名前は、私が部員として在籍していた頃から存在している。
生徒達は、霧島のことも「よくある怪談話のひとつ」と認識している。
手の込んだイタズラだと思っている生徒が大半。時々「オカルト研究部なのだから、そういう物こそ追ってみたい」と言う生徒も居るが、霧島という生徒の謎を浮き彫りにして終わる。
今現在、部員名簿にそのような苗字の生徒は居ない。うん。実に幽霊部員。
なんだか懐かしくなって、過去の部誌を引っ張り出す。私が在籍していた頃の霧島を見つけて並べる。
何年も経ってるはずなのに、その筆跡は変わらないように見えた。
□ ■ □
ある日、部室を覗くと人影があった。
奥の机で何かを読んでいた男子生徒は、ドアの音に気付いたのか、顔を上げてこっちを見た。
「お。今日は――」
と、声をかけようとして、止めた。
見たことない生徒だった。さらっとした薄い茶髪に、黒曜――いや、射干玉のような黒い目をしている。何が違うかって言われると説明に困る。ただの印象だ。
爽やかで人当たりが良さそうに見えるのに、どこか薄暗い影が付き纏っているように感じる。不思議な印象の生徒だった。
「っと、入部希望かな?」
「やだなあ、部員ですよ。一日原先生」
あんまり来ないから会うのは初めてですけど。と彼は笑う。
「そうか。それは悪かった。ええと――」
「霧島です」
さらっと告げられた名前に、相槌を忘れかけた。
なるほど。その名前なら確かに「部員」ではある。
普通なら「いたずらか」と断じるところだが、私はそれをバッサリと否定することができない。
なぜなら、過去に「そういうもの」と出会ったことがあるからだ。この学校を卒業し、教師として戻ってきた今も、彼らが変わらずに存在することも知っている。なんなら普通の生徒の顔して私のところへやってくる。
残念ながら、私に人間と人外の見分けはつけられない。だから、彼がどっちであるか判断できない。
だから「そうか」と頷くに留めるしかなかった。
「何してたんだ?」
「久しぶりに来たので、日誌を読んでました」
そう言って彼は広げていた冊子を示す。私が先日読んでいたのと同じ物だ。
「なるほど。何か面白いものあったか?」
「ええ、まあ。最近は更新頻度も高いみたいですし、読み応えありますよ」
でも、と霧島はページをめくる。ぺら、とコピー用紙が音を立てた。
「最近は改変や派生が多いですね」
「そうなのか?」
ええ、と霧島は頷く。
「同じ話が短期間――と言っても数ヶ月はあったりしますけど。その間でも随分と変わってたりします」
「最近は情報の更新も早いからかもな」
「そうですね。多くの情報に触れると創作もしやすいでしょうし」
そう呟く彼の眉が、僅かに寄ったように見えた。
「ん? 霧島はそれが気に入らなかったりするの?」
「いえ、そんなことはないですよ」
彼はパッと笑って首を横に振った。
「新しい解釈や、思わぬ話が繋がっていたりして面白いですし。ただ、最近のこの速さだと色々大変で」
大変。と繰り返して、時折挟まれているメモを思い出した。
彼は全てに目を通しているのだろうか。なるほどそれなら確かに大変だ。
「律儀だな」
「そんなことないですよ」
彼はそう言ってページを捲る。
「これはこれで、色々役に立ってくれます」
「役に立つ?」
その一言に何かざわつくものを感じた。はっきりとした形ではないけど、なんか嫌な響きが含まれているような気がする。
「はい。実はちょっと探してる話があって。ここの日誌はその手がかりや考察の手助けをしてくれるんです。この部は色んな話が集まる。埋もれてしまう可能性も高いですが、いつか巡り会える可能性も捨てきれなくて」
「話を探してる……」
霧島がどうして幽霊部員をやっているのか。その理由は一切語られていない。考えたこともなかった。
そんな、誰も知らない話の一端に、興味が触れた。
「一体、どんな話を探してるんだ?」
霧島の視線が上がる。少し恥ずかしそうな顔をして、彼はその理由を教えてくれた。
「この学校の噂話を「作ってる誰か」の話です」
「噂話を作る誰か?」
「はい」
「それは……生徒達じゃないのか? 特定するとなると難しいが。なんなら霧島、君だって――」
ここの日誌は、学校内で噂されるものを集めている。時にはこの部が発信源になることだってある。ならば、噂話の作り手は生徒達だ。そう言う話ではないのかと思ったが。
「違うんですよ」
少し強い言葉に、息を呑もうとして。失敗した。
軽い気持ちで発した答えだった。いや、この流れなら誰だって言うに違いない。
なのに、ふと笑った彼の視線が。濡れた黒い瞳が。とぷん、と音を立てて私の言葉を飲み込んだような気がした。
ああ、彼は霧島だ。「本物」だ。
直感的にそう感じた。爽やかな目元の裏に、違う何かが潜んでいる。かつて私が遭遇した“同級生”を思い出す。
しかし、その目には、今でも交流のある怪談達のような親しみやすさを感じない。どちらかと言えば、触れすぎると取り込まれてしまいそうな、ひたひたと寄せる冷たさがある。
空気を飲もうと空回りした喉が、それを実感させる。
「違うんです。それは噂話を綴ってる誰か。そうではなくて、噂話を作ってる誰か。です」
静かに紡がれる声は薄暗く、首筋をひやりと撫でる。今が初夏であることを忘れそうだ。
「この学校には怪談話が多い。それは――僕たちのすぐ隣に居たりする」
先生の近くにも居るでしょう、と霧島は私に笑いかけた。
その表情は変わらず、爽やかで人当たりの良さそうな笑顔だったけど。私にはもう、そうは見えなくなっていた。
「考えたことないですか。噂話なんてどの学校にもあるのに。どうしてこの学校はそれが“存在するのか”って」
「……」
「ふふ。気になってきませんか? 僕は、そんな状況を、彼らを。作ってる誰かが居るんじゃないかと考えてるんです」
どうしてそのような誰かを探しているのか。見つけてどうするつもりなのか。
いや、それを聞いてどうするんだ。私だってそんな話知らないんだから。
けど。霧島の話に好奇心を掻き立てられるのも確かで――。
と。思考を遮るように、部活動の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「――ああ。もうこんな時間か」
我に返って話を打ち切る。こういうのは踏み込みすぎると帰れなくなる。これ以上深入りしてはいけない。
「残念だけど、今日の部活動はおしまいだ。私は職員室に戻るから、施錠したら鍵は片付けておいて」
霧島は素直に「分かりました」と肩を竦めるように頷いた。
「あ。先生」
「うん?」
「もし、僕が探してる話を聞いたら、日誌に書いといてくれますか?」
「私はもう部員じゃないから書いて良いか分からないけど、気にはかけとくよ」
ありがとうございます、という霧島の声に背を向けて、私は部室を後にした。
端から滲むように薄暗くなりつつある空を見ながら、職員室へ戻る。
ああ言って部室を出てきたけど、霧島の話は私の頭に引っかかり続けていた。
「噂話という存在を作る誰か、ねえ……」
私も噂話を集めて回った時期があるし、今でも聞いた話は記録している。けど、そんな話は聞いたことなかった。
しかし、霧島のあの目は、何か確信を持って探しているように思えた。
怪談達なら知っているのだろうか。機会があれば法口とかに……いや、だから今以上に深入りするのは良くない。
すっぱり諦めることも、深入りするという決意を抱く事もできず。
私は溜め息と共に職員室のドアに手をかけた。