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揺らぐ噂

 冬が近い。朝夕の息が白くなり、吹く風に鋭さを感じ始める季節。

 3時も過ぎれば夕暮れも早い。薄暗くなる前にと、サキは道具の手入れをして過ごしていた。


 そんな部屋のドアをこんこんとノックする小さな音。

 どうぞ、と声をかけると、開いたドアの向こうにはサカキが立っていた。

 ぶかぶかの学ランに山吹色のマフラー。ぱらっとした黒髪の先が、廊下に差し込む日に透けている。

「あの、サキさん」

「ん、サカキ? どうしたの?」

「髪を。少し切ってもらいたいなと思ったんですが。今、お暇ですか?」

 そう尋ねる彼女の髪は、確かに少し伸びている。傾く毛先がマフラーに押されてわずかにたわむ。

「ん、いいよ」

 おいでと手招きすると、彼女はホッとした顔でやってきて、マフラーを外してみせた。

「んー。この程度ならまだ大丈夫だと思うけど」

 確かに普段より長いとはいえ、肩にはまだまだ届かない。このまま伸ばしても綺麗に伸びる髪だろう。けど、サカキはそっと首を横に振った。

「いえ、なんか落ち着かないので」

「そっか。じゃあ少し揃えよう。座って」

「お願いします」


 準備を整えて、髪に鋏を入れる。

 ぱらぱらとした真っ直ぐな髪は少々固く、しゃき、といい音がする。

 切る量は少なく、あっという間に終わってしまった。マフラーがあるならもう少し軽くしてもいいだろう。毛先を梳いていいいかと尋ねる。お願いしますと返ってきた。

 ハサミに伝わるシャキシャキとした手応えを楽しんでいると、窓の外からざわめきが聞こえてきた。

 教室から解放された生徒達の声がする。表はホームルームが終わったらしい。

「もう放課後かあ」

「そうみたいですね」

「よし、できた」

「ありがとうございます」

 マフラーを巻き直すサカキの毛先をチェックする。うん、良さそうだ。

「あの、サキさん」

「うん?」

 なんだろうと瞬きをすると、彼女はそわそわとした様子で口を開いた。

「あの、これから少し、売店に行きませんか?」

「ん。いいよ。私も買うものあるし。行こう」

 快諾すると彼女はほっとしたように笑った。


 □ ■ □


 売店で買い物を済ませると、お礼にと飲み物が差し出された。

「温かい物が良いかと思ったのですが」

「ううん。これがいいんだ。ありがとう」

 差し出されたのは、私が好きなリンゴのゼリー飲料。彼女はこういう所が律儀で頑なだ。ありがたく受け取って席に着く。

 期末テストや冬休みが近いこと、朝夕寒くなってきて起きるのが辛い、なんて。他愛ない話を並べていく。会話の合間に毛先を見る。マフラーに引っかかることなく、ぱらぱらと揺れる。うん。丁度良さそうだ。

 今日はもうやることないし、夕飯にもまだ時間はある。サカキも同様らしく、しばらくここでのんびりしていこうか、なんて話していると。


「ーーさっちゃんってさ」

 そんな単語が耳に入った。


 言葉を切ってサカキを見る。彼女にも聞こえたらしく、緊張した面持ちで小さく頷いた。きゅっと結ばれだ口がマフラーに隠れる。

 周囲に人は居ない。ならばこれは表の声で間違いない。誰かが売店で自分達と同じように雑談に興じているのだろう。

 表の会話はこっち側にも流れてくることが多い。大体は適度なざわめきでしかないけど、場所によっては会話の内容がよく聞こえる。それこそ今のように、単語からハッキリと。

 近くの席で交わされる話が聞こえるようなものだから、大体は聞き流す。

 だけど、その中でも逃しちゃいけない話題がある。


 すなわち、私達に深い関わりのある話題。学校の怪談」や「都市伝説」に関する話。


 彼らの話が自分達の糧になり、能力の方向性を決定づける。時には新しい誰かがやってくるきっかけにもなる。私達の命綱といっても過言じゃない話題。

 だから、2人で黙って耳を済ます。

 話してるのは数名の女子のようだった。


「なんで身体を探してるの?」

「事故でなくなったからって聞いたよ」

「手足が上手く動かないから、代わりにマフラーを操って縛り上げてくるんだっけ?」


「マフラーを操って……」

 なんとなくサカキを見る。

 彼女はぱちりと瞬きをして、ふるふると首を横に振った。

 できないらしい。ちょっと残念。


「事故? 通り魔でバラバラにされたんじゃなかった?」

「それは裏サイトの管理者じゃない? 私は旧校舎の事故って聞いた」

「へえ。旧校舎っていえばさ。茶道室あるでしょ。あそこで用務員さんに見つかったら、引きずり込まれるって」

「なんで茶道室?」

「昔、用務員室だったって。旧校舎だし」

「そうなんだ? 旧校舎と言えばさ――」


 話はキーワードを足がかりにぽんぽんと飛び回る。

 彼女達にとって真義なんてどうでもいいらしい。明らかに間違った情報も放置されたまま、ぽつぽつと噂話を灯していく。


 旧校舎の部室には、幽霊部員がいる。

 バス停に立つずぶ濡れの幽霊は、誰かの温もりを奪いたい。

 髪切りさんは、髪と一緒に首も切る。

 こっくりさんには、血のついた紙を用意すると精度が上がる……。


 聞こえてくる話に、サカキが少し俯いた。

「噂、なんかちょっと違いますね」

「そうだね」

 その声は慎重だ。頷く自分の声にも警戒心が混ざっているのが分かる。

 警戒するのも無理はない。

 どの話も知っている誰かで。どの話も少し知らない形になっている。

 それは、これまでの話を微妙に無視した改変。しかも、無害では終わらない、生徒に何かしらの影響を与えかねない方向への変化だ。

 その話に釣られたわけじゃないけど、紙パックをなぞる指先の感覚が鈍くなった気がする。

 サカキも所在無げにマフラーを直している。

「なんだろうな……このさ」

「はい」

 曖昧な言葉に、サカキも頷く。なんとも言いようのない居心地の悪さ。

 それをうまく形にできないのがもどかしい。


 話の変化はよくあることだ。長い時間をかけて変わるものもあれば、短期間で広まってしまうものもある。一過性だったり、それがしれっと根付いたりもする。複数の話が一気に塗り変わっていくような、大規模な変化をしたことだってある。

 噂話もある意味では生き物のようなもの。ちょっとしたことで形は変わるし、それが好む形になるとは限らない。それに耐えられないと、周りに悪影響や被害が出る。それが生徒にまで及んでしまったら――それこそどうしようもない。私達の敵。抹消されるべき存在となる。

 だからこそ、自分達は存在を誇示する。あるべき姿を見せることで、適度な恐怖感と方向性を調整する。

 なのにこれは。


「なんか、ぐちゃぐちゃよね」

「そうですね。いつもよりも、少し怖いですし」

 そう呟いて、ハッと何かに気付いたように首を振った。

「いえ、僕達は怪談話だから怖くてもいいんですけど。そうじゃなくて」

「はは、分かる分かる。なんか嫌な方向に向かってる感じがするっていうかね」

 こくりと頷くサカキに、手のひらをかざして見せる。

「さっきの通り魔に殺されたっていうのは私の話が混ざってるし、私自身の話も昔修正したのに戻りかけてるっぽいし」

 指の先に意識を向けると、爪に金属めいた光沢が生まれる。うん、まだ制御はできる。大丈夫。シルバーのマニキュアのような爪をきゅっと握りしめた。

「まだ中途半端だけど、主流になる前になんとかしなきゃなやつかもしれんわね」

「ハナブサさんとかに相談ですか?」

「うん。まあ、ここで聞こえるってことは、他の人も気付いてるとは思うけど……私から一度話しとく」

 はい、とサカキは頷いた。この状況に不安を感じているのだろうか、少し暗い顔で紙パックを見つめている。

「サカキ、怖い?」

「え。あ……そう、ですね」

 こくりと頷いて、少し考えて。「あの」と控えめに言葉を繋いだ。 

「サキさんは。話が変わるのって、嫌ですか?」

「ん?」

「その、僕にはまだその感覚は分からないのですが。話が変わって、自分が変わってしまうというのは、どうなんだろう。と」

 サカキは不安げながらも真っ直ぐな目で答えを待っている。


 私は、話の変化をどう思ったか。

 あの時、戻りつつあった歌詞に何を思ったか。


「うん、私は嫌」

 深く考えるまでもない。

 サカキはその理由をきっと訊ねない。だから、そのまま言葉を続ける。

「私さ、一度処分されかけたんだ」

 え、という声が吐息のように漏れた。

「もう随分昔の話だよ。気付いたら生徒に危害を与えてて。あの時は髪だけだったけど、それ以上になるのも時間の問題でさ」

 あの頃を思い出す。

 耳を塞いでも消えない、こびりついた声。散らばる髪。歪に伸びた金属質の指先。

「美容師になりたくて身に付けた技術で、気付いたら人を傷つけてる。それがすごく嫌で。怖くて」

 今でもハッキリと思い出せるくらい、悪夢のような日々。夢にだって見たくない。でも、それを乗り越えて今こうしてのんびり話ができるのは。

「でも、ウツロさんに救ってもらったから、今の私がある」

 あの時は嬉しかったな、と呟いた声は、自分でも分かるくらい安堵に満ちていた。

 鋭い目も、かけられた言葉も、固くて温かい手も。今でも覚えてるし、思い出すだけで胸が暖かくなる。

「もし、今より強い力を手に入れて、それを上手く使えたとしても。私はきっと、あの日々を忘れられない。だから、私は今のままで在りたい」

 すっかり元の色に戻った爪で、紙パックのふちをなぞる。

「もし、私があの時に戻ってしまうんなら――今度こそ消してもらうと思う」

「……っ」

「あ」

 サカキの喉が詰まった。表情が辛そうに歪む。ああ、いけない。泣かせてしまう。

「ああほら、もしもよ。もしも。ね! それに、これはあくまで私の話」

 神妙な顔で頷いていたサカキが、ハッとしたように瞬きをした。

「私は嫌だけど、その考えを他の人に強制するつもりはない。変化で得た力を上手く扱えるなら、歓迎すべき事もあるでしょ」

「ああ、そうですね」

 こくりと頷く。とても素直な反応だ。柔らかな真っ直ぐさを感じる。

 だから、彼女の質問を返してみることにした。

「サカキはどう? 自分の噂が変わって、新しい力が手に入ったら」

 そうですね。と彼女は考える。

「さっき聞こえた僕の話だと、マフラーを操れる、とかでしょうか」

「そうだね」

 背中に流れる山吹色のマフラーを目でなぞる。

 テーブルで見えないけど、マフラーの先は膝の上でまとめてあるのだろう。彼女は視線を膝の上に落とし、思案するような間を置いて、顔を上げた。

「僕は、受け入れるかもしれません」

「へえ。どうして?」

「できる事が増えるなら、お役に立てるかもしれないからです」

「そっか。目標があるんだ」

 何気ない一言だったけど、サカキは一瞬きょとんとして、少し恥ずかしそうに頷いた。

「ん、良いことだね。それなら振り回されることも少ないだろうし」

「はい。ああでも、怖すぎないといいのですが……」 

「そうだね。ま、後から変えられないワケじゃないし、方向修正くらいなら介入もできるでしょ」

「そうですね」

「自分の話はちゃんと向き合って、手を打てるなら打っていこう」

「はい」

「あんまり辛かったらサクラくんに相談してもいいと思うし」

 彼は古株だし、噂話を熟知している。きっとそういう時の対応も上手くやってくれるに違いない。

 サカキも彼に信用を置いているし、サクラくんも彼女の助けになってくれると思う。

 大丈夫。私達には、そういうのを頼める相手が居る。たとえそれが最悪の形でもあっても、なんとかできる人が居る。

 だから大丈夫。

「ま。頑張れるだけ頑張ろう。サカキ」

「はい」


 どう在りたいか。どう在れるのか。

 それはきっと、自分次第。時にはどうしようもないこともあるだろうけど。

 できる限りのことはしよう。


 2人で頷いて、雑踏に耳を澄ます。

 あの子達はもう行ってしまったのか、いつも通りの適度なざわめきが残っているだけだった。

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