ハナコさんを呼ぶのなら
ハナコさんを呼ぶのなら。
靴の色には気をつけて。
赤は好きな色だから。他の子には渡さない。
青は嫌いな色だから。見るのも嫌で仕方ない。
白はいらない色だから。いらないものはいらないの。
だから。
赤い靴なら血まみれに。
青い靴なら水攻めに。
白い靴なら縛り首。
最近そんな話があるらしい。
「死んじゃうっていうのは言い過ぎだと思うけど、ちょっと怖いよね」
「っていってもねえ……」
お昼。
お弁当のお供にと話をしたら、友人はくだらないとため息交じりに笑った。
「そもそもトイレに靴で入ったりしないじゃん?」
「まあ、うん」
そう言われればそうだ。学校内を靴で動き回る事なんてないし、そもそもトイレではスリッパに履き替える。
靴で入る事なんて、あるはずがなかった。
「しかもそれ、最近でてきたばっかの話でしょ?」
軽いカールのかかった髪を束ね直しながら、彼女は笑う。
「だったらきっと誰かが面白がって広めてるだけだよ。新しい噂ってそんなんじゃない?」
「そうかも……」
「メグは怖い話とか真に受けやすいんだから。気にしちゃだめだよ」
「うん」
それもそうだな、と自分に言い聞かせて、その話はおしまいになった。
□ ■ □
「むう。靴……なあ」
理科室の日だまりで、ハナは小さくうなっていた。
通りかかったヤミがそれに気付いて、目の前に腰掛けながら問いかける。
「どうした?」
「ああ、ヤミちゃん」
聞いておくれよ。と、ハナは持ってきた皿からサブレを一枚取り上げてため息をついた。
「まず食べていいかどうか位聞け」
「おっと。それもそうだな。食べてもいいかい?」
「遅えよ」
いいけどさ、と皿をテーブルに置くと、ハナはその皿に視線を向けてため息をついた。
「どうも最近新しい噂話が出てきたらしくってさ」
「へえ。いつものことだな」
「まあ、いつものことなんだが。それがちょっと危なっかしくてなあ」
ふうん? と一緒に持ってきた湯飲みに口をつける。緑茶の湯気が香りをまとって視界が少しだけ霞む。
「トイレにハナコさんが出るというんだ」
「うん。……うん? それ、お前だよな?」
「まあ、ボクなんだが」
「それで?」
そういう前置きをするということは続きがあるんだろ、とその先を促す。
ハナもそれが当たり前のように話を続ける。
「なんでもそのハナコさんは靴の色に合わせて殺すんだと」
物騒だろう? という声がサブレの割れる音に重なる。
物騒だな、とヤミは頷く。
「でも、死んだ人なんて出てないじゃないか」
「まあね。けが人もまだ出てないはずだ」
「それなのに噂は広まってる……?」
「そうなんだ」
それがよくわからない。とハナはため息をつく。
「まあ、ハナコさんの変化はこれまでにもあったといえばあったことだが……これがもし定着してしまったらどうしたものかな、と思ってなあ」
人を傷つけるのは本意ではないよ。という言葉をヤミはそうだな、と肯定する。
「しかもだよ」
彼女の話はそこで終わらなかった。
「うん?」
「この話さ。どこかで聞いたことないかい?」
「ハナコさんを?」
「いいや、色を分けて死んでしまうという話さ」
「ああ」
言われてみればそんな話を読んだことがあった。
赤とか青とか、どちらが欲しいかと聞かれて、答えを間違えると命を奪われるという。
この学校にはなかった話だが、有名なものだ。
「複数の話が混ざるのも別に珍しくないだろ?」
「そうだな。よくある話だ」
だがさ、とハナの言葉は続く。
「これまで聞いたことなかった話が突然混ざる、というのは初めてではないかい?」
「……そう言われれば?」
そうかもしれない。
有名な話ではある。けれども、この学校で語られたことはなかった。
かつてあった話が時間を重ねて混ざり合うのではなく、本来なら別の話として存在するものが、唐突に「ハナコさん」と混ざった状態で語られ始めた。
言われてみれば不思議な話だ。
「まあ、誰かが興味本位で作ったものだろうとは思うがね」
なんとかなるさ、と彼女はスマホに視線を向け、さくさくと画面で指を滑らせ始める。
「しかし赤マント……赤い紙、白い紙……ほうほう。なかなかバリエーションは多いな……」
面白そうに呟きながら情報を読み込んでいる。
画面を滑る親指から視線を外して、ヤミはサブレを一口かじる。さく、と軽い音がして口の中が甘くなる。
それをお茶で飲み込みんでいると、ハナは「ヤミちゃんヤミちゃん」と、楽しそうな顔で画面をこちらに向けてきた。
「鎌を使うという話もあるらしいぞ」
「へえ?」
「つまりヤミちゃんもハナコさんに」
「ならねえよ?」
そうか。と頷くハナの髪がさらりと音を立てた。
自分がハナコだったら、という可能性を僅かでも考えてしまったヤミは、苦い表情を隠すようにサブレを口にした。
「しかしあれだな」
「うん?」
視線を上げると、ハナは画面に視線を落としたまま考え込むように口元に手を当てる。
「もしかしたら、ボクではない別のハナコが現れる可能性もあるのだな」
「ああ」
そうかもしれないな、と頷く。
名前が重なるとどうなるのか分からないが、そもそもハナコは元からあった名前を付けたものだ。
これまで出会ったことはないから可能性は限りなく低いとは思うが、もしかしたら。
そんな万が一を否定できないのがこの学校だ。
噂として定着すれば、何かしらの形になる。
それは、これまであったものが変化するのかもしれないし、新たに生まれるのかもしれない。
「お前じゃないハナコか……」
「現れたらどうするかね。ボクはもうこの名前で馴染んでしまっているのだが」
「そりゃ俺もだけど……そうだな。その時になったら考えるさ」
「そうだな。元祖とか本家とか付けて呼び分けるのもアリかもな!」
「……アリ、か?」
思わず首を傾げたが、彼女は満足そうに「アリだろうとも」と笑って頷いた。
□ ■ □
放課後。
「あー……やっちゃった」
遠くに飛んで行ってしまったボールを見て、私はしまったなと口を曲げた。
拾いに行かなきゃ、と草を踏み分けて探す。
「あれ、落ちてないな……こっちだと思ったんだけど」
見渡してみてもそれっぽいものは見つからない。早く戻らないと部員たちにも心配される。
どこ行ったかなあ、と少し途方に暮れかけたところで、校舎の窓がいくつか開いていることに気付いた。
「ええ……まさか校舎の中?」
この開いてる窓のどこかに飛び込んだ可能性が出てきた。だとすればなかなかのコントロール。ストラックアウト全制覇も狙えるかもしれな……いや、どう見てもまぐれだし、校舎内だと決まった訳でもない。
でも、とりあえず覗いておこう。
幸いにも開いてる窓は数カ所。割れてる感じもないし、覗いてみて無かったらきっと壁に跳ね返ってその辺に落ちてるのだろう。そう思いながら覗いていく。
校内に居ると分からないけど、外の明るさと対照的に中の廊下は薄暗く見える。なんだか新鮮な光景だ。
窓の外から内側を覗くことって意外とやったことがないなと思いながら次へ。
誰もいない教室。
比較的明るい、声と足音がどこからか届く廊下。
薄暗いトイレ。
「あ。あった」
でも、それは窓から少し遠い床に転がっていた。
放課後のトイレ。タイルの壁は古いしひんやりしていて薄暗い。そんな床に静かに転がっているボール。なんかこう、ちょっとした非日常感というか不気味な感じがする。誰か居そうで誰も居ないのが余計にそんな気にさせる。居るなら幽霊だろうか。いや。どっちかっていうとハナコさんかなあ。場所も場所だし。
いや、問題はそこじゃない。あのボールだ。
拾いに行かなきゃいけないんだけど、ここは校舎の裏側。靴箱を経由して拾いに行くには少し遠い。
周囲を見渡す。誰もいない。
誰か居てくれたら拾ってくださいってお願いするのに、見事に誰も居ない。声だけがどこからともなく聞こえるばかりだ。
「誰か居ないかなあ。……居ないか」
トイレはシンとしている。このまま窓枠を乗り越えて入ってしまおうか。
土足になるけど仕方ない。ごめんなさい、と心の中で誰にともなく謝りながら窓枠に手をかける。
「はあ、ハナコさんとかでもいいんだけどなあ……この際」
「ほう?」
「うわああぁ!?」
突然窓の下からひょこっと顔が出てきて思わず手を離した。
「ああ、すまない。驚かせてしまったね」
ちょうど窓の下に居たんだ、と茶色の髪を揺らして笑うその子は、悪びれた様子もなく笑い、奥に転がっていたボールを拾ってこっちに戻ってきた。
「これだろう?」
「あ、うん。ありがとう……」
「いやいや礼には及ばないよ」
彼女はぱたぱたと手を振って笑う。
「部活かい?」
窓枠に肘をついて問う彼女にそうだよ、と頷く。
「それじゃあ戻らないとだ。みんな待ってるだろう」
「そうだね。ボールありがとう」
「あはは、それはさっきも聞いたよ。それじゃ、がんばって」
うん、と返事をして窓枠に背を向ける。
遠くから「ボールあったー?」と言う声が聞こえてきた。
「うん、あったあったー」
声を返しながらグラウンドに戻る。
戻りながら、あの子は誰なんだろう、とふと思った。
突然現れてびっくりしたことに気を取られてしまったけど、改めて考えると知らない子だった。またどこかで会えるだろうか、なんて思ったけど、会えそうな情報が残っていないことに気がついた。
カーディガンを着ていたから名札も学年章も見えなかったし。顔……は、なぜかぼやけていて思い出せない。
それがなんだか不思議で一度振り返ってみた。
トイレの窓は、いつのまにか閉じていた。
□ ■ □
「ふう、間一髪、とでも言うべきなのかな?」
窓を閉めて、ハナは壁に背を預けながら一息ついた。
「まさか窓が開いているとは。掃除当番の誰かさんには気をつけてもらわないと」
なんとなく様子を見にきたのは運が良かった。
もし、今囁かれている怪談話が実在してしまうなら。
彼女があのまま窓を乗り越えて入ってきてしまったら。
「ボクは、どうしていただろうな……」
さっきの生徒が窓から離れた時に見えた白い運動靴を思い出す。
「白い靴なら縛り首……だっけか」
もしそのまま土足で入られていたら、と考えてみるけど、特になんの感情もなかった。
だからこそ、何が起きるか分からないのが少し怖い。
普段なら別に、誰が何色の靴を履いていようが気にしない。上履きで入る生徒もいるし、土足であってもまあ、ため息くらいはつくかもしれないがそれはそれ。
でも今はちょっと違う。
「ハナコさん」に話が追加され、浸透しつつあるとなっては、どうなるか分からない。
衝動的に動いてしまうのか。別の存在が現れるのか。
「……」
何が起きるかわからないけれど、気をつけておくに越したことはない。
「学校は平和であるべき……か」
口癖のように聞く言葉をつぶやく。
そうだね。そうだとも。
窓の鍵をもう一度だけ確認して、ハナは個室のドアを開く。
「もしもの場合、ということも考えておかねばならないな……」
ないに越したことはないがね、と個室に足を踏み入れる。
足音に重なってわずかに響いた蝶番の音の余韻が残った空間は、今度こそ誰もいなくなった。