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保健室が盛況だという 後編

 目を覚ますと、見知らぬ部屋だった。

 鼻につくツンとした匂いは薬だろうか。部屋は全体的に白っぽく、床も清潔と分かるが、部屋の隅に燻っている僅かな薄暗さがなんとも気味悪い。

 そして私は椅子に座らされ、背もたれにぐるぐると白い布で縛り付けられていた。

「やあ、おはよう。気分はどうだい?」

「!?」

 突然の声に身を引こうとしたが叶わず、椅子ががたりと音を立てた。

 声の主は前にしゃがみ込んでいた。紺の上着に茶色の髪。顔の半分が髪に覆い隠されているが、口元は機嫌よさげに笑っている。

「気分。良い訳なかろうが」

「そうかそうか。それは何よりだよ」

 彼女はからからと笑いながら的外れなことを言う。

「そんな事よりこれを解け。離せ」

 がたがたと椅子を揺らして講義するが、白い布は身体に纏わり付くように伸び縮みするばかり。少女はそれを見ても笑みを崩さない。

「離して欲しいなら、話してもらおうじゃないか」

「何をだ」

「お前の正体は大体分かったから――目的だな」

 振り返ると、背後に黒ずくめの少年が立っていた。帽子から覗くのは、射貫くような金の眼。手には彼の腕ほどの長さを持つ刀がある。

 赤銅の鞘に朱の下緒。彼の物ではない。私の刀だ。

「は。それだけで私の正体を知るなどできる物か」

 ぎり、と奥歯を鳴らして睨み付けると、少年もまた睨み返してきた。

「本当にそうだと思うか?」

 にやり、と口の端を上げて少年は言う。

「まずは噂話」

 少年は刀に視線を落とす。彼の親指が鍔に触れる。

「素早くて姿が捉えられない影。きっと風ってのもサクラの聞き間違いじゃないだろう」

「……」

「次。目撃証言。刀は、これだ」

 少年が手にした刀を掲げる。

「それから小さな狐」

 そう言って、金の視線が何かを確認するように動く。追うと、大きな姿見があった。

 両脇から紫の髪をした少年少女が不思議そうに覗いている。その間に座らされている私の姿は、そこにはっきりと映し出されていた。

 

 鋼色の毛。錆色の瞳。黒と水色を重ねた狩衣。そこから垂れて揺れる尻尾。

 服を着た狐。私の姿に違いない。


「服を着てるのは珍しいが、狐には変わりないよな。普通の狐に比べれば小柄な方か?」

 許容範囲だ、と少年は頷く。

「そして最後」

 少年の視線は私を通り過ぎ、部屋の奥へと投げられる。

「ヤツヅリ。最近の保健室利用状況は?」

 少年の言葉の先を向く。少女を通り越した先には、白く長い上着を着た男が居た。

 ヤツヅリと呼ばれた彼は、橙の眼鏡を上げ、眠たげな目で紙束をめくる。

「今月前半と後半の比較だと――怪我人がおよそ2倍。病人が1.5倍だね。怪我の内訳は、切り傷が最多。原因は不明。打撲や擦り傷もあるけど、何かが飛び出してきて転んだとか、何かにぶつかったとか、具体的な原因がよく分からない。同様に原因不明としよう。病人だけど、風邪でもないのに、急に気分が悪くなったと休んでいく生徒が増加してる」

 こんなところでどうかな、と話を締めたヤツヅリに、少年は「十分」と頷いた。

「これでお前の正体は予想がつく」

 すらりと刀が鞘から抜かれる音がした。振り返るよりも早く、首筋にぴたりと刃が当てられる感触がした。


「構え()()――転じてかまいたち。お前のその姿からすると……飯綱(いづな)(くだ)(ぎつね)

 

 違うか? と少年は問う。

「……その通りだ」

 ここで正体を偽ったところで何ひとつ事態は好転しない。素直に認めると、首元の刀がすいと引かれ、鞘にしまわれる音がした。

「お前達の言う通り、私は管狐。かまいたちでも構わぬ。ここへは、薬の材料を求めて辿り着いた」

「材料。ってことは、オレの畑を荒らしてたのはそう言う訳か」

「畑? あれが畑だと?」

「えっ。なにそれ傷つく」

 ただの庭草と思っていたが、あれは畑であったらしい。

「確かに質は良かったな」

「褒められてるように聞こえないんだけど?」

 不満げな声を無視して話を進める。

「材料を得たので外に出ようとしたのだが、どうにも出られぬ」

「搦め捕られたな」

 黒い少年の声がした。どういう意味だと問おうと視線を向けると。

「なるほどなるほど。それで」

 少女が話を引き戻した。

「君は何故生徒に危害を加えるに至ったんだい?」

 少女が首を傾け、髪が揺れた。瞳が垣間見えそうに思えたが、見えることはなかった。

 少しばかり考える。確証はないが、心当たりはあった。

「かまいたち、という名を知っているなら、怪我の原因は予想がついてるだろう」

 どうだ、とヤツヅリに視線を向ける。彼は少し考え、肩を竦めた。

「オレ、妖怪はそんなに詳しくないんだよね。ヤミくんは?」

 あの黒い少年はヤミというらしい。彼は「俺、一応は狐だし」と頷いた。

「かまいたちは、鋭い刃物で切ったような傷を付ける妖怪。複数で存在して、出血を抑える薬を使うってパターンもある」

 ただ、とヤミの首が僅かに傾いた。

「この地域の妖怪じゃないし、かまいたちは名前の通り、イタチの姿をしてる」

「オレには狐に見えるんだけど」

「そう。だから俺は、管狐じゃないかと予想した」

 どうだ? と視線が向けられる。

「その認識で構わぬ」

 その辺りの話は色々あるが、一旦置いておくことにした。今話すべきはそこじゃない。

「時折、人の子を避けられぬ事もあった。そこで爪を引っ掛けたか、刀をぶつけたか……。怪我はその結果であろう」

 本来なら、と言葉を繋ぐ。

「直後に薬を塗って治すのだが。生憎それを尽かしておる」

「ふんふん。なるほど。だからヤツヅリ君の畑を漁って材料を集めてた。と」

 うむ、と頷く。

「なるほど。じゃあ、体調不良はどうなんだい?」

「それについてはなんとも言えぬ」

 少女の首が傾き、ヤツヅリの眉が寄ったのが見えた。

「管狐とは、悪意の媒介となり得る存在でもある。ここに私の意志は介在せぬ故、説明は難しいのだが……。何かの拍子で悪意に触れ、私を伝っていったのだろう」

 大体は、元の主か明示された相手へと飛ぶが、そこまで説明する必要は無いだろう。

「だが、これらは私の本意ではない。早々にここを出て行くつもりだ。だが――」

「――出られなかった訳だね?」

 少女が私の言葉を継ぐ。理解を示したのか、相槌を打つように数度頷く。

「うんうん。つまりは君も、噂話に搦め捕られてしまったのだな」

「……さっきも聞いたな。搦め捕られる、とは?」

 私の問いに、彼女はよいしょと立ち上がった。

「うむ。ここはね。“噂話が多い学校”なんだ」

 しゃんと背筋を伸ばし、ぱたん、ぱたん、と足音で椅子を囲むようにを歩き出す。

「生徒に噂されたら、ここに定着してしまう。逆もまた然りさ。存在が定着したら、その噂は何かしらの形でこの学校に根付いたと言っても過言ではない」

 小さな椅子を一周するのにそう時間はかからない。彼女はすぐ目の前に戻ってきた。

「ボク達はね――」

 そう言って部屋全体を示すように両腕を広げる。

「噂話の上に成り立つ者。搦まり、捕らわれている存在。ボクだけじゃない。この部屋に居る全員、例外なくそうだ」

 つまり、と彼女は言葉を継ぐ。

「君もまた然りだ。しかもここは生徒が立ち入ることができない校舎――裏側だ。校内を彷徨う内に噂を作り、語られ、出られなくなった挙げ句、こっち側に迷い込んでしまった」

 そういう事ではないかな。と彼女は説明の文句を締めた。

 

「ならば。私はもうここから離れられぬと言うことか?」

 行く当てなど特にないが、突然このような場所で過ごせと言われても、戸惑いしかない。

 少女はそれを読み取ったのだろう。指を振りながら「そんな事ないさ」と言い切った。

「何故だ。私の所業はもう噂と化している。ならば逃れられぬと言ったではないか」

「ああ、言ったね」

 でも、と彼女は楽しげに口を開く。

「君の噂は出来上がったばかりだから、強制力はまだまだ弱いはずさ。このまま身を潜めて静かにしていれば、いつしか噂が無くなり、解放される。なんて可能性は残ってる」

 まあ。と彼女の言葉は続く。余程話好きらしい。次々と言葉が流れてくる。

「しばしの逗留だとでも思いたまえよ。悪さをしないならボク達だって君に危害を与えることはないと約束するよ」

「楽しそうに包帯でぐるぐる巻きにしといて説得力も何もないぞ」

 後ろから少年が指摘する。なるほど、これは彼女が巻いたものらしい。

「保険さ保険。生徒に危害を与えないと約束するなら、こんな物すぐに切ってやるとも」

 それでどうだい、と彼女は問う。

「元より危害を与えるつもりなどなかった。私の刀に誓って、そのような行動も控えよう」

「オレの畑は?」

「私はアレを畑とは認めん」

「あのなあ! あれはカムフラージュのためにああしてるだけであって……!」

「ヤツヅリ。お前の庭についてはどうでもいいから黙ってろ」

 少年の一言で、彼は「うぐ」と言葉を詰まらせた。

「あはははは! 話は決まりだ。ハナブサさんにも話をしに行こう。案内するよ」

「ああ、よろしく頼む」

 うむ、と彼女は追うように頷き。

「では早速、その包帯切ってあげよう。ちょっとヤツヅリ君、ハサミ借りるよ」

 言うが早いか、手近な所にあったハサミを手にした。

 

「……ねえ、ヤミくん。代わりにやったげなよ」

「いや、あのハナに近付いて火傷したくない」

「ヤミくんって時々ハナくんに酷く冷たいよね」

「そんな事はない。単なる自衛だよ自衛」

「そっか? って、ハナくん、ハサミをそんなしゃきしゃき言わせて近寄っちゃダメだと思うよ?」

 狐の前でにこにことハサミを動かすハナに、ヤツヅリは遠くから声をかける。

 椅子に縛られた狐は、まるでこれから改造手術でも受けるかのような、恐怖で青ざめた――動物の顔だから顔色は分からないが。ともかくそんな、目の前の存在に恐怖感を抱いていることは間違いない表情をしていた。

「ちょ……やめ……!」

「ふっふっふ。なあにちょっとその布を切るだけさ。痛くしないから安心したまえよ」

「安心できるか! そんな扱いで服でも切られたら……あーーーーっ!?」

 

 保健室に、悲痛な声が響き渡った。

 □ ■ □


「なるほどね。話は分かった。噂話が収まるまでこの学校に居るといいよ」

 理科室。

 淡い色の髪と布で顔の右半分を隠した少年――ハナブサは、狐を目の前にして頷いた。

「ありがたい」

「その後どうするかも自由に決めていいよ。外から来たなら、また外へ出られる可能性もあるだろうし」

「あの少女……ハナと言ったか。彼女もそう言っていた」

 うん、とハナブサは頷いた。

「外から来た者は、既に確立した存在だからね。校内で生まれた者よりずっと離れやすい。君もきっと出られる日がくるよ」

 ハナブサは湯飲みを両手で包んで、穏やかに笑った。

「それまでは……そうだね。ヤツヅリと一緒に居るといいんじゃないかな。彼は保健室に居るし、薬草にも詳しい。君の欲しい薬も一緒に作ってくれるよ」

「ああ」

 こっくりと頷くと、ハナブサは「そうだ」と湯呑みを置いた。

「最後に、君の名前を教えて欲しい。呼び名の希望があればそれも一緒に」

 他にも何か希望があったら遠慮せず言って、と彼は付け足す。

 そうだな、と狐は少しだけ考えた。

「……タヅナ。だろうか」

「タヅナ」

 ハナブサが繰り返すと、狐――タヅナはうむと頷いた。

「私は見ての通り狐だ。管狐であり、かまいたちであることも事実」

 少しだけタヅナは言葉を咀嚼する。

「私はずっと誰かに使われてきた。そうでない時は風に吹かれて生きてきた。だから――」

 そこから先をタヅナが言う事はなかった。

 ハナブサもそこを深く聞きはしない。穏やかな笑みで、右手を差し出す。

「手袋のままで済まないが――タヅナ。これからよろしく」


 □ ■ □


「で。君はどうしてオレの部屋に居るの?」

 薬草を抱えたヤツヅリは、自室に居た狐に対して心底不思議そうな声を上げた。

「これからここでしばらく世話になる。ハナブサがしばらくお前の所で世話になれと」

「えー……」

「不満げだな」

「そりゃ不満だよ」

「もちろんタダでとは言わぬ。薬草の育成は手伝うし、私が知る薬の知識も共有しよう」

「マジか」

 ヤツヅリの目がぱあっ、と輝いた。

「分かったよ仕方ねえなあ」

「声が不抜けとるぞ」

 指摘すると、彼はむっと口を結んだ。

「……うるさい。明日から君が荒らしてくれた畑の修復が待ってるんだよ。作業しながら話してもらうからな」

「分かった」

「じゃ、今日はもう寝るとして……寝床用意するから少し待ってて。布団とか持ってくる」

「いや、布団はいらぬ」

「?」

 タヅナは古びた薬箱をひとつ手に取り、ぱか、と蓋を開ける。

 空っぽのそれをしばらく覗き込み、頷いた。

「私の住処はこれでいい」

「え」

「忘れたか?」

 そう言いながら箱を手近な棚の上に置く。

「私は管狐だ。これでも十分広いくらいだ――ただ」

「ただ?」

「あの太刀。風切だけはこの箱に持ち込むことはできぬ。そこの隅で良い。置かせてもらえまいか」

 タヅナが視線で指した先には、鞘にしっかりと収まった刀があった。

「ん。それくらいなら」

「感謝する」

 その言葉を背に、ヤツヅリは白衣を椅子の背に掛け、寝る支度を調える。

 全ての用意が整った時、聞き忘れた事を思い出した。

「ところで、君の名前……」


 そこにはもう、誰も居ない。

 ただ、蓋の閉じた薬箱がひとつ静かに置かれていた。

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