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蛙石の蛙

 昼過ぎ。シグレは雨が降る空を見ていた。

 何をする訳でもない。雨が降っている。だからカーテンを開けて空を見ていた。


 シグレは雨を降らせる蛇だ。

 雨の気配が濃い日は、起きてしばらくすると空が曇り雨が降り出す。時には起きる前から無意識に雨を降らせていることもある。

降らせるのも止ませるのも気分ひとつなのだが、この時期――梅雨時の寝起きは秋雨の頃に並んで雨が多い。

 曇天は湿気を存分に帯びているから雨も降らせやすい。

 その雨がどんな降り方をするかで、自分の能力の調子を知る。


 今日の雨はさらさらと降っていた。傘をさしても音がしない。けれども耳を澄ませば確かに降っている。

 中庭の紫陽花の色が一際映える、落ち着いた雨だった。


 こういう日は、静かに過ごしたいと思っているのだが。

 こん、こん、こん。

 そうはさせてくれないのがここの住人だ。  

 そらきた、とシグレは小さく息をつく。

「シグレさん、起きてますか?」

 しかも無下に断るのが忍びないサカキの声だ。

「ああ、居るよ」

 声だけ返すと、ドアの開く音はなく。

「よければ、お茶をのみませんか?」

 なんて控えめな誘いが返ってくる。

 雨はさらさらと降っている。きっと気分は穏やかなのだろう。サカキの声に心の波風も立たぬ。茶を飲むくらいなら、目覚ましにもなろう。

「ああ、支度をしたら行こう」

「はいっ、では理科室でお待ちしてますね……!」

 跳ねるような声と足音を残して、サカキは去っていった。

「もうしばし眺めるかと思ったが……まあ」

 茶を飲みながら眺める雨も、きっと悪くないだろう。

 シグレは身支度を調え、部屋を後にした。


 理科室に向かう途中。

「ん……?」

 普段なら存在しないようなものが窓枠に居るのが目に入った。

 窓にぺたりと手をつけて、雨が降る外を恋しそうに眺めるそれは。

 手のひらにすっぽり収まる緑。

 雨がよく似合う生き物。

 

 蛙。


「ほう?」

 わずかに首が傾く。

 蛙がどうしてこんなところにいるのかはわからぬ。こんなところに迷い込むだけの何かがあったのだろうか?

 噂話、とやらに何かあったのか。

 その辺にとんと疎い自分には理由を察することすらできぬ。

 できることといえば声をかけることくらいか、と近寄る。

「のう。そこのカワズよ」

「!」

 近寄って声をかけると、蛙の背がぴゃっと跳ねた。

 そろそろと振り返り、視線が合い。

 蛙は石のように動きを止めた。

「……」

「……」

 お互い言葉なく見つめ合っていると、その体が小さく震えているのがわかった。

 嗚呼。どうやらワシが何者なのかを察したらしい。

「あ、あの……あの……」

 小さく高い声も震えている。

「――確かにワシは蛇じゃが」

「ひゃっ」

 ぴょこ、とその蛙は跳ね上がった。一言発するごとに蛙は今にも跳ね逃げていきそうだ。

 だが、後ろには窓ガラス。目の前には蛇。逃げ場なぞ無いとすぐに悟ったらしく蛙は身を縮こまらせる。

「安心せい。ワシはお主を食べる気などない」

「ほ、ほんとですか……?」

「……どうしてもと言うなら考えるが?」

「! い、いえ……それは、……」

 蛙はおどおどと窓ガラスに背を寄せて震える。

 なるほど蛇に睨まれた蛙というのはこういうことなのだろう。

「まあいい。お主はこんなところで何をしておる? 一匹か?」

「あの……ええと……あ、あの……」

 蛙はぽろぽろと言葉をこぼすものの、その内容はどうにも要領を得ない。

 蛙にとって蛇とは斯様に恐ろしい存在なのか。その程度は分からぬが、ワシを相手にしていてはどうにも良くない、ということだけはわかった。

 理科室に連れて行こう。さすれば誰かが話を聞いてくれるじゃろう。

 そう判断して、蛙の前に指を差し出す。

「ひゃ」

「掴まれ。お主の話を聞いてくれそうなやつのところへ連れて行ってやる」

「ほ、本当、ですか?」

「不要と言うなら別に構わんが」

「い、いえ……その。それでは……」

 蛙はそっと指に手を乗せる。ひやりと冷たく、吸い付くような感覚がした。

「蛇の手のひらの上では居心地は良くないじゃろうが……まあ、しばしの辛抱だ」

 我慢せいと言い聞かせると、蛙は小さく「はい」と頷いた。



 □ ■ □



「のう、誰かこやつの話を聞いてやってくれ」

 理科室の戸を開けてそう言うと、真っ先にジャノメが駆け寄ってきた。

「シグレさん、何を連れてきたの?」

「蛙だ。廊下の窓で途方に暮れていたので拾ってきた」

「蛙……?」

 首をかしげるジャノメにその蛙を差し出す。

 ジャノメはその指先に捕まっている蛙をじっと見て「わ、小さい」と声をあげた。

「それで、この蛙さんはどうやって”こっち側”に来たの?」

「え、あの。その……」

 答えを待つ間にジャノメは指をそっと差し出し、ワシの指に触れるかどうかの位置まで近付ける。

 こっちにおいで、と軽く揺らして移動を促すと、蛙はそっと脚を伸ばして指から指へと移動していく。

 蛙はジャノメの手に渡ってもなお小さく震えていた。

「はは、怖がらなくていいよ。ここは誰も君をいじめたりしないから」

「は、はい……」

 蛙はこくりと頷いて、ジャノメに連れられていく。

 と、彼は途中でくるりと振り返り、空いた手でちょいちょいとワシを呼ぶ。

「シグレさんもこっちこっち。お茶入ってるよ」

「……わかった」

 全くジャノメは、その辺に隙がない。

 すでに湯気の立つ湯呑みが置いてある席へと、足を向けた。


「――へえ。蛙石」

 サカキの隣に腰掛けるとすでに話をある程度聞き出したらしいジャノメの声がした。

 蛙は机の上にちょこんと座り、ジャノメと言葉を交わしている。

「はい。私はその片割れでして、ササセといいます」

「蛙石……そのようなものがあるのか」

「はい、ありますね」

 ワシのつぶやきを拾ったサカキが隣で頷く。

「シグレさんは聞いたことない?」

 向かいでジャノメが首を傾げる。

「ないな。噂話はとんと聞かぬ」

 答えるとジャノメは「そっか」と頷いて話をしてくれた。

「最近聞くようになった話なんだけど――」 


 蛙石とは、まるで蛙が座っているかのように見える石なのだという。

 どこにあるのかはわからない。学校内のどこかにあるその石を二つ見つけて並べておくと縁結びになるだとか、留学や旅行先から無事に帰るとか、遠征やテストの答案に至るまでいい結果が返ってくるだとか。そんな話らしい。


「なるほど、カエルという言葉が転じたもの、と。そう言う訳か」

「そうそう。揃えて置いてても何かが「かえって」きたらまた消えちゃうんだって」

「ほう」

「それで。話に出てくるのはいつも二つ一組なんだけど……もうひとつは?」

 学校のどこか? と問うジャノメの声に蛙――ササセは「それが」と頭をしょんぼりと下げた。

「私の対になる石……ナナデは先日の風で転がって行ってしまい……」

 池に落ちてしまったのです。という声はめそめそと悲しげに聞こえた。

「まだ今回の願いも返ってきておりません、このままではナナデは動けず沈んだまま」

「そっかあ。それじゃあ拾いに行かないとね。んー。池。池っていうと……首洗いのかなあ?」

 こんなかんじの、と見た目を説明するジャノメの言葉に、ササセは「はい」と頷く。

「うわあ。あれは落ちたら……わかりにくいねえ」


 学校内には首洗いとか太刀洗いと呼ばれる、1畳半ほどの広さを持つ石造りの遺構がある。

 井戸とか池とか名前は定まらないが、水を貯めて何かを洗ったであろうということだけはわかる。

 かつてはそこで血の付いた何かを洗っただのなんだのと言われている。

 真偽は――まあ、今は良いだろう。


 そのほとりに二つ、並べて置いてあった石が自分達なのだとササセは言った。

 先日風の強い日に片方が転がり落ち、それきり行方知れずになり。

 ササセは探すために自らも飛び込んだが――。

「濁った水を進むうち、気付けば見知らぬ場所にいて。外へ出ようとしたのですが透明な壁に阻まれて雨を見上げるばかり……」

「ふんふんなるほど、そこをシグレさんが見つけたんだね。それじゃあ雨が上がったら見に行ってみようか」

 連れて行くよ、とジャノメが言う。

 いいのですか、とササセの声が上がる。

「うん。石も探せたらいいんだけど」

 あそこだと見つけにくいだろうなあ、とジャノメが困ったように声を落とした。

 雨が降れば水がたまり、晴れが続けばある程度の水は引くものの、水は濁っている。目をこらしてその底にようやく小石の転がる底が見える。そんな池だ。

 探すとなれば、その濁った水の中から石をひとつずつ拾い上げるようなもの。

 ならば。

「ワシが探そう」

「!?」

 ササセがぴょこりと跳ねるようにこちらを見た。

「なんじゃ。蛇が蛙の手伝いをするのは意外か」

「いえ……その」

 その様な訳では、と。跳ね上がった視線がそろそろと落ちていく。

「ジャノメやサカキは人間じゃからの。濁った水から石ひとつ探し出すのは難儀なこと。雨や水に濡らして風邪を引かせるわけにはいかぬ。その点」

 蛇ならば、人間以上に水中でも自在に動くことができるのではないか。

「ワシならどうにかなるかもしれぬ」



 □ ■ □



 雨が上がって。

 三人と一匹は件の池へとやってきた。

 ササセはジャノメの肩にちょこんと乗っかり、シグレの隣にはサカキの姿がある。

 そうしてやってきた池は、連日降っていた雨である程度水が溜まっていた。

 元々落ち葉などが積もっている場所だ。溜まった雨水はいつも通り濁っていた。

「これじゃあ底が見えないね」

「ですね……」

 ジャノメとサカキが池を覗き込んで肩を落とす。

 ササセも一緒に覗き込むが、やはり水の中はよく見えないようだった。

 覗き込みすぎて肩から落ちそうになったところを、ジャノメがそっと受け止めて地面へ下ろす。

「ふむ。やはりワシが潜るのが一番のようじゃな」

「シグレさん、いける?」

「なんとかなるじゃろ。――サカキよ」

「は、はいっ」

 シグレは羽織っていた上着を一枚脱ぎ、差し出す。

「これを預かっておくれ」

「はい」

 気をつけてくださいね、と言いながらサカキの両手が伸ばされる。

 上着が渡るが早いかシグレは蛇の姿に戻る。変化した視界を確かめるように辺りを数秒眺め、そのまま滑るように水の中へと潜っていく。


 水深はそう深くない。白い蛇は身体を小石に滑らせながら目的の石を探す。

 苔の付いたもの。枯葉が張り付いたもの、泥に汚れたもの。様々な石がある。

 転がっているものの中から比較的新しそうな石を探しては、水面近くへと持ち上げる。

 ジャノメがササセに確認しては、違う、これも違う、と横に積んでいく。

 いくつかの石を運び、日が傾き始めた頃。

「ん?」

 シグレの視界にひとつの石が飛び込んできた。

 逆さまになってはいるし、泥もわずかに積もっている。が、これまでとは明らかに形が異なる石だった。

「もしやこやつか」

 シグレは尻尾で器用に石を包み、首をもたげて水面に顔を出す。

「ジャノメ」

「うん」

 ジャノメは慣れた手つきで水に手を突っ込み、シグレの尻尾から石を受け取る。

「これは?」

「これは……」

 ササセの言葉が途切れた。

「はい。はい……確かに、確かにこれはナナデの石」

 ジャノメの肩から腕へと飛び移り、ササセはうんうんと頷きながら石に寄り添う。

「でも、ササセさんみたいに動かないんだね」

「はい。それは私の方が長くここに在ったので」

 けれども大事な対になる者なのです、とササセは嬉しそうに石を抱いた。



 □ ■ □



 ある日の夕方。

 シグレは雨降り始めた空を見ていた。

 理科室は賑やかで、雑談や笑い声、お茶の匂いが満ちている。

 何を思う訳でもない。ただぽつぽつと降っていく雨を、シグレは眺めている。

「シグレさん」

 そんな彼女に声がかかった。

 誰かは分かっている。声だけで分かるから、振り返ることはせずに答える。

「どうしたジャノメ。バス停には行かぬのか」

「今日はちょっと降り始めが遅かったから」

 また今度にしたんだ、とジャノメはシグレの横で窓に寄りかかる。 

「そういえばこの間ね、ササセさんに会ってきたよ」

「ほう。また転がされてはおらぬようだな」

「うん。転がっても大丈夫な場所に置いたからね。二人とも仲良く並んでた……っと、そうだ。シグレさんにね。お礼だってもらってきたものがあったんだ」

「?」

 シグレの首が傾き、隣の影に視線を向ける。

 ジャノメは制服の内ポケットをごそごそと漁り、小さな紙片を差し出した。

「これ」

「……?」

 それは和紙だった。紙にしてはいくらか厚く、固い。短冊のようなそれには、紫が鮮やかな紫陽花が一輪、漉き込まれていた。

「栞だよ」

「ふむ……。で、これが礼だと?」

 紙片――栞に視線を落としていると、ジャノメは嬉しそうに頷いた。

「この間探してくれたお礼だって。紫陽花の花をひとつ、持ってきてくれたんだ」

 でも、とジャノメはシグレのの手を取り、栞を置く。

「それじゃあすぐに萎れちゃうから栞にしようって話しをしてて、ようやくできたから。これ、シグレさんに」

 ジャノメはいつもと同じような笑顔で栞をシグレの手に握らせる。

「……そうか。それはありがたくもらっておかなくてはな」

 小さく笑って、栞を窓にかざす。

 曇った空に降り始めた雨。窓ガラスに阻まれて降り込んではこない。


 でも。

 和紙の中で静かに咲く紫陽花は、窓を濡らす雨によく似合っている。

 そんな風に思えた。

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