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映写機かたかた

 薄暗いパソコン室に音が響く。

 かたかたかた……という、何かが回るような小さな音。


 シャロンは机で腕を枕にしながら、その映像をグリーンの瞳にただただ映している。


 ホワイトボードに映し出されているのは、学校内の映像だった。

 数秒、数分の映像が次々に切り替わっていく。

 売店ホール。教室。廊下。校庭の隅。場所も場面も季節に状況まで様々。

 だが、その全てにある少女達が必ず映り込んでいた。


 ひとりは、灰色がかった梅色の髪で。セーラー服にロング丈のパーカーを羽織って。

 もうひとりは、小豆茶色をした腰まである長い髪と、穏やかな瞳で。


 笑っていたり、おしゃべりしていたり、少し眠そうだったり。

 そこには、シャロンの記憶にあるライネとリシュが写っていた。


 二人は今、ここには居ない。

 ライネは、シャロンに記録だけを残して消えてしまった。

 リシュは、ヒキホシの力と引き換えに壊れて幽閉対象とされた。


 二人とも、目の前に映し出されている姿では。

 もう、居ない。


 シャロンはただ、ぼんやりと流れる映像を見ている。

 見ている、というのは少し正確ではないかもしれない。

 目の前の映像を、ただ視界に入れて、記憶に留めようとしている。

 そこに理由はない。

 ただ、そうしていないと潰れてしまいそうだったからだ。


 あの時。

 屋上でリシュに「大丈夫」だと言った。

 これ以上止まっていたら、ライネに怒られてしまうと思って、リシュの手を取った。

 あの時もかなり強がっていたんだと思う。

 その後しばらくはなんとなく笑って過ごせていた。ひとりで居ると思い出してしまうから、朝夕は誰かと一緒に居ることが増えたくらいで、大丈夫だと思っていた。

 リシュが糸を結ぶのを見て、学校の中が元通りになっていくと、勝手に思っていた。


 でも、それもそんなに長くは持たなかった。


 ある夜、起きてからリシュの一件を知った。

 それで、なにかがぷつんと切れてしまったような。

 そんな気がして。

 以来、パソコン室にこうして籠もって、かつての二人を。それを見ている自分の記憶を。

 ただずっと、眺めている。


「……こうしてちゃいけないってのは、分かってるんだけど……なあー……」

 薄暗い部屋でぽつりと呟くけれど。

 身体はどうにも動かない。

 ああ、自分もこのままこの薄暗いモノに溶けてしまったらいいのかなあ。

 0と1の電気信号に戻ってしまえば、こんな気持ちとサヨナラできるのかなあ。

 

 なんて考えていると、がらりとドアが開く音がした。


「……?」

 誰だろう、と重い頭を起こして振り返る。

 その姿は逆光でよく見えないけれども、女子生徒だなというのは影の形で分かった。



「やあ、シャロンちゃん」

「……ああ、ハナ」

 ハナはうん、と頷きながらすぐ隣の椅子へ腰掛け、トートからいくつかの包みを取り出して並べ始める。

「?」

 なんだろう、とぼんやりした頭でそれに視線を向けると、ハナは「ご飯だよ」と楽しげに答えた。

「もう何日も食堂に来てないからね。確かにボク達は食事をしなくても良いかもしれないが、身体を持つ以上ご飯というものは大事だよ」

 そうなの? とシャロンが呟くと。

 そうなのさ。とハナは力強く頷いた。

「と、言うわけで。今日はツナとアボカドのサンドイッチだよ」

 さあさあお食べよ、とハナは包みをシャロンへと押し勧める。

 身体を起こし、包みに視線を落として。ようやく自分の空腹具合に気付いた。

 ちらりと時計を確認する。時計の針は1時近くを指している。遮光カーテンから漏れる光は明るい。そういえばさっき見えた廊下も明るかった。

 ああ、昼なんだ。とぼんやり思う。

「昼夜逆転しちゃってるなあ」

 他の人からすると逆転しているのが自分の普通なのに、それが逆転して他の人と生活時間帯が重なっているのがなんとなくおかしい気がした。

「そうだね」

 ハナが隣でくすりと笑う。

 シャロンもなんとなく、つられて口の端が上がった。

「さあさ、できたてを持ってきたんだ。早いうちにお食べよ」

「そうだね」

 そっと包みを手に取る。思ったよりもずっしりとしていた。

 薄暗いから色は良く分からなかったけれど。口に運ぶと、しっとりしたパンの間からわずかな塩気と甘みが口の中に広がった。

「おいし」

 ぽつりと感想をこぼしてもう一口。もう一口、と食べ進めているうちにひとつ目はあっという間になくなった。

 食べ終わると、ハナは残った包みをてきぱきと片付け、席を立つ。

「それじゃあ、また後で夕飯も差し入れにくるよ」

「う、うん……」

 それじゃあね、とハナはそれ以上何も言わずに手を振って部屋を出て行った。



 □ ■ □



 それから、食事時になるとハナが何かしらの包みを持ってパソコン室を訪れるようになった。

 食事中に何を話す訳でもない。早く食堂に来ないかという訳でもない。

 ただ何かを持ってきて、シャロンが食べ終わったら「それじゃあまたね」と片付けて去っていく。

 

「ハナはさ」

「うん?」

 ある日の夜。ぽつりと問いかけてみた。

「どうしてこう、毎日食事を持ってきてくれるの?」

「……どうして、とは?」

 彼女はこてんと首を傾けた。長い前髪がさらりと揺れるが、その目元は伺えない。

「毎食持ってくるの、大変でしょ。それだったら、食堂に行こう、って誘いにくる方が楽だと思うんだけど」

「ふむ。まあ、それもそうだけどね」

 でもさ、とハナは傾いた首を戻して言う。

「落ち込んでいる時にそう言う事言って引っ張りだしたって、あんまり良いことないとボクは思っててね。それなら本人が外に出る気が起きるまで、接触は最低限にしておくべきかなと」

「ふうん……」

 それもそうだ、とシャロンは考える。

 

 突然やってきて引っ張り出されても、楽しくないものは楽しくない。

 気晴らしにはなるかもしれないけれど、どこか沈んだ気持ちのままでは反発してしまうかもしれない。


「ハナは、そう言う気分だったことあるの?」

「いや、ないが」

 きっぱりと否定された。

「ないのによくそう言うの考えられるね」

「まあ、それに近い状態だったことはあるかもしれない、程度だ。ボクとしては引っ張り出しても良いんだがな」

 それだけなら簡単だし、とハナは言う。

「引っ張り出して欲しいというなら、今からでもやってあげるが?」

 どうだい、とハナは問う。

 ここで「うん」と言えば彼女はきっと外に連れ出してくれるだろう。


 でも。

 まだ。

 そんな気分じゃなかった。


「うーん……まだ、いいかな……」

「そうか。まあ、その気になったらいつでも言っておくれ」

「ん。ありがと」

「いやいや、礼には及ばないさ」

 ハナはぱたぱたと手を振って笑った。

 それがあまりにもいつも通りで、ちょっとほっとした。

 目の前でかたかたと映像を流している映写機のことを、少しだけ忘れられる気がした。



「ねえ、ハナ」

 今日の食事を口に運びながら、シャロンはぽつりと呟いた。

「なんだい?」

 彼女は隣で頬杖を突きながらホワイトボードを眺めている。

「二人はさ。どうしてあんなことになっちゃったのかな……」

「うん?」

「ライネもリシュも、辛いのに何も言わないでさ。ライネは居なくなっちゃうし、リシュは……」

 言葉を濁して、二人とも勝手だよ、と言葉を繋ぐと同時に食事の手が止まった。

「まあ、うん。そうだな。二人とも勝手ではあったな」

 でもさ。とハナの手が背中にそっと当てられる。

 ぽんぽん、と軽く叩かれるそれは、なんだか暖かい。

「二人とも君とか大事な誰かに心配かけまいとしたんだろう。そう言うモノほど言いにくいものさ」

「だけど」

「だから、だよ」

 ハナの声は穏やかだ。

「言ったら心配かけてしまう、絶対に止められる。でも、どうしようもないことがある。やらなきゃって思ってることがある。ああ、実に勝手なものさ。他の人からしたら堪ったもんじゃないだろうな」

「……」

「ボクもさ、似たようなことをしたことがあってね」

「……ハナも?」

 なんだか想像がつかなかった。

 疲れたとか嫌だとか、なんでもきっぱりはっきり伝える彼女だ。でも、弱った姿というものは見せたことはないような気がする。

 不思議そうな声と表情は、ハナにとって面白かったのだろうか。彼女はくすくすと笑いながら「ああ、ボクもさ」と笑って答えた。

「その件に関しては、一生許さないとの言葉をもらっているよ」

「それは……相当なことをしたんだね?」

「いやあ、まあ。そうだね」

 あははと彼女は笑う。

「いや、笑い事じゃないんじゃあ……」

「ああ、あの時は実に笑い事じゃなかっただろうな。でもまあ、いいんだ。それをどう受け止めるもボクの自由だ」

 彼女は何てことないように言う。

 

 一体何があったのか、その相手は誰なのか。

 聞きたいことはあるのに、それを躊躇われる程重い話のように思えるのに。

 彼女は今日の晩ご飯の話をするかのような軽さで、それを語る。


「だからさ。結局の所みんな勝手なのさ」

「結論がなんだか雑な気がするんだけど」

「ふふ……シャロンちゃんは真面目さんだな。そんなもんさ。心配するのもされるのも、それを回避しようとするのも。理由は何であれ、結局の所その人にしか分からないのさ」

 だからさ。とハナは人差し指を振る。

「君も勝手で良いと思うよ。ボクは」

「……勝手で」

 繰り返すと、彼女はうむと頷いた。

「勝手に心配して、勝手に怒って、時には勝手に突撃したりしてさ。次はシャロンちゃんの納得がいくまで、後悔しないようにするといい」

「う、うん……でも」

「でも?」

「それで、どうしようもなかったら?」


 そうだ。行動には移していた。

 何度もライネに会いに行って、声をかけようとして。それでもダメだった。

 ダメだった事に、気付く事すらできなかった。

 次もそうなら。どうすれば良いのだろう。


「そうだな。それならなんとかできるチャンスをしっかり掴んで、使えるものは全部使って、全力でやることだな」

 くるりと人差し指が回る。

「もしその結果が最善でなくても、後悔が残るより良いだろう?」

 それよりも、とハナの前髪が揺れる。

 首を傾げて続きを待つと、揺れていた人差し指がシャロンの手元へぴしりと向いた。

「食事の手。止まってるぞ」



 □ ■ □


 

 それ以上何も言わず。ハナは食事を終えたらあっという間に去って行った。

 ひとりになった暗い部屋で、シャロンはホワイトボードに映し出されている映像を眺める。

「勝手で、いい……か」

 映像の中では、二人が売店ホールのテーブルでニコニコとデザートを食べていた。


 三人いつも一緒だった、と言うわけではない。

 ライネはひとりで居る事が多かったし、リシュは大体ヒキホシと二人で行動をしていた。

 シャロンだって、パソコン室に籠もっているかひとりでうろついているかのどっちかだ。

 だから、二人が一緒に居る映像というのは珍しい。

  

 画面に映っているふたりと、この画面のカメラになっている人――自分。三人はれぞれ、好きなデザートやジュースを並べて何かを喋っている。

 画面の外からスプーンが伸びてきて、ライネのデザートを指す。シャロンの手だ。

 この時何をしたんだっけ、と思い出す。

 ああ、確か彼女の食べているゼリーがおいしそうで少し分けてと言ったのだ。

 最初は渋っていたライネだけど、結局は少し分けてくれた。

 そこから三人で交換して食べたんだっけなあ、というところまで思い出した。


 その記憶通りに、ライネは溜息をつきながらゼリーのカップを差し出した。

 にこにこと笑いながら、リシュも何かを言っている。

「――」

「――」

 もう、仕方ないんだから。

 まあまあ、いいじゃないですか。私のもどうぞ。

 そんなやり取りだった気がする。


 他愛もない。普通のやり取りだったけど。

 見ていると、ちょっとだけ売店に行きたくなった。

 外に出たいと思うのは久しぶりかもしれない。

 身体も気分も重いけれど、無理ではない気がする。

 ハナがあまりに軽々と出て行くから、自分も同じように出て行けそうな気がした。


「朝ご飯は……食堂行ってみようかな……」

 売店まで行くのなら、もう少し足を伸ばしたっていいに違いない。

 時計に視線を送る。まだまだ真夜中だ。

 朝食の時間にはまだいくらかあるから、もう少しだけここで映像を眺めることにした。


 新しい状況を知るのが、今はちょっとだけ怖い。

 けれども、知らずにいられないのも自分だな、と思う。


 映写機はかたかたと音を立てている。

 カーテンの外は暗くて静かで。

 ホワイトボードに映っている二人は、シャロンの記憶にあるままだった。

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