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池の底で澱むように 後編

「……いつまで、って言われてもな」

 サクラは困ったように自分の纏う服を見る。

「いつもこれだし……ここではこの格好が楽なんだよ」

「へえ?」

 それなら、と獏は身体を起こしてサクラに向き合う。

 あぐらをかいて肘をつき。頬杖をつきながらニヤリと笑う。

「おまえ、今と同じ格好できるのか?」

「……さあ」

 どうだろ。と彼は特に気にした様子もなく答えた。

「服だけでもやってみろよ」

「……ええ」

 嫌だよ。とサクラは難しい顔をした。

「もしかしなくても、できねえんじゃねえか?」

 その言葉に、サクラはむっとした表情で獏を見返してきた。

「そう言うオマエはどうなのさ」

「あ?」

 何がだ、と問い返すように声をあげると、サクラは獏をじっと見つめて「だから」と繰り返した。

「俺のことばかり言うけど、オマエはどうなの、って」

「俺は見ての通り、”今”の姿だが?」

 そうじゃなくて。とサクラは言った。

「それは”今の俺”の姿だろ。オマエ本来の姿はどうした、って聞いてるの」

「ほう?」

 おもしろい事を言われた。と獏の眉が跳ねた。


 確かに今の自分は、サクラの姿を模している。

 それは、己の姿を持たないから。というのが普通の解釈だろう。

 なのに、サクラは「別の姿があるのではないか」と言ってきた。


 こいつは、何かに気付いているのかもしれない。


「見たことあるだろう?」

 初めて出会った日のことを指先を揺らして示す。

「俺は黒くて輪郭も定かじゃない影だった。それは確かに、おまえも見たはずだ」

「そうだけど……」

 サクラは口ごもって視線を落とす。逸らした視線で何かを考えたらしく、彼は小さく溜息をついた。

「オマエはそう言う奴だよね」

 これ以上外見について言うつもりはないらしい。よく聞く台詞でその話を打ち切った。


「――ねえ。もしかして、だけどさ」

「あ?」

 サクラの声に、火鉢の炭を眺めていた獏が視線を上げる。

「オマエの持ってる縁も、俺のモノだったりするの?」

「……?」

 頬杖を付いていた首が思わず傾く。

 それから少し考えて、ふ、と笑いを零した。

「そんな訳ねえだろ。おまえはおまえ、俺は俺だ。服装や外見なら兎も角、そんなところまで模倣できる訳あるか」

「まあ、そうだよね……」


 自分はサクラの中に在る。

 そんな自分が、外部との関係など築けるわけがないし、築くつもりもない。

 そんなもの、たとえ自分の指にあったとしてもとうの昔に――。

「――」

 そこまで考えて、思い出したくない影が見えた気がした。

 目を閉じて見えかけたものを追い払う。これ以上考えるのは、やめた。


「そもそも、俺の話し相手はおまえ位しか居ねえだろ。それで十分じゃねえか。俺にはもう必要ないものだしな」

「必要ない、ねえ」

 サクラの目が、何か言いたげに獏を見る。

「ああ、俺には必要ない。だが、おまえはそうじゃないだろう?」

 今度はサクラの首が傾いた。

 どうしてそう思うのか、と濃い桜色の目が問いかける。

「おまえは、普通の生活というのを望んでいる。ならば、人と関係を築くのもその一環じゃねえのか?」

 違うか? と笑いながら問うと。

 何か言いたいけれども言えない。ただ不機嫌そうな視線が返ってきた。

「それともあれだ」

「……」

「おまえはただの黒い人形だった頃に戻りたいか? 熱に浮かされ、夢に溺れ、まともに眠りに落ちることも叶わなかった頃に」

 ああ、眠るの下手なのは今でもそうだったな。と笑ってやると、うるさい、と小さな声が返ってきた。

 だが、獏は言葉を止めない。

「嫌なはずだよな。無意識とはいえ、誰かに手を伸ばそうとして――」

「黙れよ」

 サクラの声が低く響いた。

 言われた通りに口を閉じて、視線だけを向ける。

 当時を思い出したのだろう。顔色が良くない。苦いモノを食べたかのように眉を寄せている。呼吸を忘れかけていたのか溜息か。はあ、っと大きく息をついた。

「オマエは何を言いたいの?」

 サクラの視線が真っ直ぐに刺さる。

 痛くはない。ただ、それを肩をすくめて笑い飛ばす。

「今の生活が気に入ってるなら、そう言うものも大切にしろ、ってことだ」

「……」

「少なくとも、おまえは人に対して優先順位ってもんがねえんだよ」

「そんなの、必要あるの?」

「そう言うところが無頓着だって言うんだ」

「俺の勝手じゃないか。おまえにだってないくせに」


 なるほど。彼の言うことも一理ある。

 このままでは平行線だ。

 別に困るわけではないが、そろそろこいつの停滞はどうにかした方がいいのではないかと思っていたところだ。


「――そこまで言うなら」

「ん?」

 サクラの不機嫌な視線に、挑戦的な目を返す。

「優先順位をつけてやろう」

「は?」

 何を言われたのかわからないで瞬きをするサクラをよそに、獏は立ち上がる。

「縁なんてもの、必要ねえと言ったが。気が変わった」

「……?」

「おまえがそこまで言うのなら。俺も縁とやらのひとつふたつ増やしてやっても構わねえ、っつったんだよ」

 そうすればおまえは何も言えなくなるだろう。と笑ってやると、サクラはなんとも言えない表情をした。


 彼の表情は無視して、天井を軽く見上げて誰にするかを見繕う。

 僅かでも面識があるハナブサやウツロにするか。

 いや、できればサクラを介しても美味い夢を提供する奴がいい。

 それなら候補が数名居る。

 得も言われぬ後悔を抱き続けているヤミとか。

 定まらない己を持ち続けているサカキとか。

 ああ、今ならば失意の底に居るであろうシャロンでもいいだろう。


 その中で誰が一番良いか、と考えたとき。

 真っ先に浮かんだのはサカキだった。

 サクラの一番近くに居て、深い悩みを抱え続けている。最適だ。

 よし、そうしよう。とすぐに決めた。


 彼女の夢もまた、獏にとっては美味しいものだ。

 サクラを通して手に入る味だけでも十分なのだが、間接的に得ていたそれを直接頂ける機会ができるのなら、願ってもない事だ。


 そこまで決めたところでサクラに視線を戻すと、彼は不機嫌そうに目を逸らしていた。

「嫌だってんなら、今のうちだぜ?」

「――そこは、俺が決める事じゃないでしょ」

 関係ない、勝手にしろ。とサクラは言い切った。 

「そうか。――それじゃあ」

 おまえはずっとそこで澱んでろ。と言い残して。

 獏はサクラの前からゆらりと姿を消した。


 後に残されたサクラは、何も言わず。

 ただその座敷に。目が覚めるまで座り続けていた。



 □ ■ □ 


 

 獏はふわりと床に降り立った。

 目の前には、布団で眠るサクラの姿がある。

「あいつは本当――自分の変化というものを無視する」

 そんなに変わることが怖いか、と、文句を吐いてやる。吐息のようで形をなさなかった声は、眠っている彼に届かない。


 思えば、サクラは出会った頃からそうだった。

 物事を後ろ向きに捉えがちで。自分に価値はないと思っている。

 いわゆる厭世家、と言うモノだったのかもしれない。

 それはきっと、彼の過去に根付いたものなのだろう。どうしようもなく、染みついたものなのだろう。


「は。知ったことか」

 笑い飛ばしてやる。

 助けてと伸ばした手を。それで手に入れた今の環境を。穏やかに過ごせている毎日を。

 受け止めながらも変わらずにいようだなんて。

 捨てたのなら何も言わないが、あいつは捨てようとしなかったのだから。

 そんな資格など、ない。


「……」

 ふと、自分の手を見てみる。

 輪郭が定まらない。黒い霞がそれっぽい形をしているだけだった。動かしてみる。思い通りに動きはするが、感覚は鈍い。

「……鈍ってんな」

 随分と久しぶりの「外出」だから、こんなもんだろう。と息をつく。

 多少の移動なら問題ない。手から視線を外して、サカキの部屋の位置を思い出す。

 サクラの部屋と同じ棟、同じ階。大丈夫、大した距離じゃない。

 枕元から離れて、ドアへと移動する。足音はしない。足を動かしているつもりだが、足元は闇と同化してよく見えない。もしかしたら存在していないのかもしれない。

 滑るようにしてドアの前へたどり着く。


 ドアノブに触れると、がちゃり、と鍵の詰まっている音がした。

「ああ、そうだったな」

 思い出してくつくつと笑う。

 サクラは毎晩この部屋に施錠をする。

 他の部屋も施錠するやつは多いけれど、こいつの場合は理由が違う。

 それを思い出し、ひとしきり笑って。

 そのままドアをすりぬけて廊下に出た。


 春先の廊下はまだヒヤリとしている。

 身体は不安定なのに、張り詰めた冷気が感覚として伝わってくる。

 視界もあまり良くない。ざらざらとして薄暗い。

 窓の向こうを見てみる。星はよく見えないが、雲が静かに流れる夜空がある。

 隣の棟はほとんど電気が消えている。カーテンの隙間から明かりが漏れている部屋はひとつふたつあるが、人が動いている気配はしない。

 

 窓の外から視線を外して、移動する。

 音を立てることもなく。誰かに気づかれることもなく。目的の部屋へと辿り着く。

 ドアの前に少しだけ佇み、そのままするりとドアをすり抜ける。


 物の少ない部屋だった。

 小さなテーブル。壁には制服とマフラー。奥にある机の隣には本棚。教科書は詰まっているが、それ以外の本や物は棚一段に収まっていた。

 そんな部屋の奥。ベッドの上で丸くなって眠る影があった。

 その枕元に立って、見下ろす。

 この部屋の主は、夜闇に紛れた侵入者に気付かず静かな寝息を立てている。

「――」

 獏はそっと手を伸ばす。

 黒い、輪郭の曖昧な影がサカキの髪に触れる。

 さらりと髪が動いたものの、起きる気配がない。


 サクラ以外の夢を覗くなんていつぶりだろう。

 そんなことをなんとなく思って。


 獏は眠るサカキの枕元で闇に溶けた。

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