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あなたを食べて、いいですか?

 次の日から、リシュは縁を結び直し始めた。

 同じ色の糸が揃っていれば本人がいなくても繋げるけれど、二人揃っていた方が切れている糸を結び直しやすい。

 だから、見つけたら呼び止めたり、通りすがりに結び直させてもらったりした。

 一番やりやすいのは食事時。

 たくさんの人が集うその席にいち早くやってきては、最後まで残って訪れる人達の縁を結び直す。

 

 それは途方もない作業。

 自分にできるのはこれくらいしかなかったし。

 皆のことは大切に思っていたから、苦ではなかった。


 けれども。


 それは彼女の力を消費する。

 毎日毎日、十数本の縁を結び直すのは、大変な事だった。



 □ ■ □



「ねえ、リシュ?」

「――はい、なんでしょうヒキホシ様」

 かけられた声に、いつも通りに返事をしたつもりだったリシュは、その表情を見て首を傾げた。

 その目はいつも通り穏やかなものだったけど、そこにある感情は穏やかそうには見えなかった。

「リシュ、疲れてるんじゃないかい?」

「――そう、ですか?」

 首を傾げる。

 ヒキホシは「そう見えるんだけど」と眉を下げる。

「それはきっと、季節の変わり目だからですわ」


 そう答えたけれど、彼女は内心ひやりとしていた。

 最近、力がどうにも上手く扱えない。

 糸を結ぶ手が、時折狂う。不要な結び目を作ってしまい、解くことに時間を要したりもする。

 息抜きにやっているリリアンも、同様だ。たまに編み棒を違う糸に引っ掛けてしまう。何度もやってきて慣れきった作業のはずなのに、間違える頻度が僅かだけれども上がっている。

 身体が上手く動かせていない。その兆候が末端に現れている。

 そんな気がしていた矢先にこの問いだ。

 

 彼に隠し事はしたくないけれど、心配はかけたくない。

 だから、笑って誤魔化した。

 ヒキホシはそれ以上追求はせず「無理はしないようにするんだよ」と髪をさらりと撫でてくれた。



 □ ■ □



 それからも、リシュは糸を結び続けた。

 結ぶ数は随分と減ったけれど、まだぽつぽつと見つかる。

 その度に結んで、息をつく。


 ああ、そろそろやめないと。

 分かっている。分かっているんだ。

 リリヤンの失敗率が上がってきた。

 箸を扱うにも、注意を払うようになってきた。

 でも、漂っている糸の端を見つけたら、つい手を伸ばしてしまう。結んでしまう。

 結び直した縁が解けないか心配で。

 切れてる縁がないか気がかりで。

 皆の関係が元通りになってきているかを気にかけて。


 リシュは。

 糸を、繋ぎ続ける。



 □ ■ □



「リシュ」

 そろそろ3月も終わろうというある日の放課後。

 いつもより強い口調でヒキホシはリシュを呼び止めた。

「はい、なんでしょうか」

 いつも通り返事をした。つもりだった。

 それなのに、彼はひどく悲しそうな顔をしているのが分かった。

「あの、ヒキホシ様……?」

 首を傾げるリシュに、ヒキホシは黙って手を取り、歩き出す。

「あ、あの……」

「うん、ちょっと。話をさせて」

 それはいつもより強い口調だったから、リシュは思わず黙って彼についていく。


 ヒキホシが足を止めたのは、リシュの部屋の前だった。

 薄暗い廊下には誰もいない。二人きりだ。

「あの」

「リシュ。正直に答えて欲しい」

 そっと見上げたその目は、普段の穏やかさが見えないくらい真直ぐで、強い色をしていた。

「……はい」

「君。無理してるでしょ」

「それは……」

「この間も聞いたけど、今度は正直に答えて」

「私、嘘など……」

「分かった、言い方を変えよう。誤魔化さないで」

「……」

「辛いなら、辛いって言って。僕、言ったことあるよね。僕は君の力になるって。役に立てるなら嬉しい、って」

 ヒキホシの紺色の瞳が、リシュの瞳を真直ぐに見つめる。

 その視線は。声は。何も言えなくなる位真摯だ。

 リシュはきゅっと口を結んで――小さく息をついた。

「ヒキホシ様に、隠し事はできませんわね」

 続きは部屋で話しましょう、と。リシュは自分の部屋へヒキホシを招いた。

 

 そうしてリシュは話をする。

 ライネがいなくなった次の日から、縁の糸を結び続けていること。

 ほとんどは結んでしまったと思うけれど、まだ結び残しが時折あること。

 毎年結ぶ量の数倍以上を結んでいるので、力が足りなくなってきていること。

 それが、指先などに影響が出始めていること。


 隣で見ていたヒキホシは、全て気付いていたらしい。

 驚いた様子はなく。ただ、悲しそうな目をしてリシュの話に頷いていた。


「――きっと、新学期の頃には落ち着くと思うのですが」

 私の身体はしばらく動かなくなるかもしれません。と話をそっと締めくくると、ヒキホシはとても難しい顔をしていた。

「ヒキホシ様。そのような顔、しないでくださいまし」

 リシュは肩を落として黙っていたことを謝罪する。けれどもヒキホシは何かを考え込んでいるようだった。

「私は、大丈夫――」

「リシュ」

 リシュの声が詰まった。

 何を言われるのだろう、と視線で伺うリシュの手をそっと握る。

「もっと早く、きちんと聞けばよかった。ごめんね」

 ずっと隣に居たのに、と言う彼の声は弱い。後悔に満ちた色をしている。

「いえ、私が黙っていたのですから。心配をかけたくなかったからで――」

「うん、そうだね。君らしいよ」

 彼は静かな声で頷く。

 それから、少しだけ間を置いて「ねえ」と言葉を繋いだ。

「――君に、僕の力を渡すことは、できるかな?」

「え」

 リシュの言葉が止まった。


「僕の力は、誰かの願いを増幅して、叶えることだ」

「はい……」

「君は、力が足りない。けれども、皆の縁を見守り続けたい」

「ええ」

「僕は、君の力になりたい」

 答えられないリシュに、ヒキホシの言葉が続く。

「僕の願いと、君の願い。どちらも実現できると思うんだ」

「でも、それは……」


 危険なことだ。


 自分の力を人に渡すことは、一定の条件が揃えば可能だ。

 でも、今のリシュがそれをやってしまうと、相手の力を受け取りすぎるかもしれない。

 そうしたらどうなるか。

 今度は、ヒキホシの存在が危なくなる。


「力を頂きすぎて、ヒキホシ様を危ない目に合わせたくはありません……」

「うん。ハナブサさんに相談したときも同じことを言われた。できないことではないけれど、力を渡しすぎるのは危険だって」

 でもね、とヒキホシの言葉は続く。

「僕は、君の為ならそれでもいいかなと思ってる」

「いいえ。いいえ……私、どれだけの力が残っているか、足りないのかももう分からないのです」

 今月一杯は保つだろう、とは思っているけれど、それが本当にそうかと言われると自信はない。

 何もせずにいるのなら、力も少しずつ回復する。けれども、このまま見つけた糸を結び続けるなら、もっと早く自分の限界が訪れるかもしれない。


 だから、彼に頼ることはできないと、首を横に振る。

 けれども、彼は引き下がらなかった。

 何か考えている様子でしばらく黙った後、彼女の手を少しだけ強く握った。


「ねえ、リシュ」

「……はい」

「君は、僕のこと好きでいてくれる?」

「……?」

 その問いの意味が分からなくて、首を傾げる。

「どうかな?」

「ええ。それはもちろん……」


 質問に戸惑いはしたけれど、答えに偽りはなかった。

 ヒキホシはよかった、と呟いてふわりと微笑む。


「これまでも、これからも。ずっと一緒に居たいって、想ってくれるかな」

「ええ」

 問いの真意が掴めないまま、彼女は頷く。

「もちろんですわ」

「よかった」

 ヒキホシはさっきまでの強い視線を和らげて、笑った。

「じゃあ、リシュ。僕の願いを、叶えてもらえるかな」

「? ヒキホシ様。それは――」

 どういうことですか、という言葉は続かなかった。

 彼の目が、真直ぐにリシュを見ていた。

 それはいつもの優しい目でも、さっきみたいな強い目でもなく。


 誰かの願いを叶えようとする、不思議な色が混じった目。


「ヒキホシ様――」

 その目を見た瞬間、リシュは頭がくらりとしたような気がした。

 ヒキホシの力が自分に影響を及ぼしたのだ、と気付くのは早かった。

 彼の願いに応えたい。そんな気持ちが沸き上がる。

 けれども、それが溢れて行き着く所までいってしまったらどうなるか。想像に難くない。

「ダメです。私も……私も一緒に居たいというのは、一緒です」

 けれども、とリシュはヒキホシの手からそっと自分の手を引き抜こうとしたが、それは強い力で遮られた。

「私、貴方様にそのようなことをさせてまで、自分を保ちたくは……」

 首を横に振ると、長い髪が大きく揺れる。

 ヒキホシの願いを叶えたいという気持ちと。自分の力が足りない故に求める気持ちと。それをさせてはいけないという気持ちがぐちゃぐちゃになってよく分からなくなってくる。

「リシュ」

「――」

「僕は。君をひとりになんてしないよ」

「いいえ、いいえ……それはなりません」

「どうしても?」

「どうしても、です」

「でも、このままだと君が消えてしまう。僕はそれに耐えられない」

「ならば、私も同じであると、どうして思わないのですか……っ」


 思わず顔を上げて、彼の目を真直ぐに見た。

 見てしまった。

 真直ぐな目が、リシュの視界を眩ませる。

 彼の願いが真剣な物だと言うのは分かる。

 けれども。

 でも。

 ――。

 思考が、ぐらりと根元から揺らぐ。


「一緒なもんか。僕は、たとえここで力尽きたとしても、君の力として生き続けられる」

 だからさ。とヒキホシは言う。

 リシュは、小さく首を横に振る。

「僕の力を、君にあげる。君と一緒に居るよ。忘れなんてしない。だって君と一緒に在るんだから」

「……いや、だめ。だめ、です」

 手が震える。

 目を合わせていられない。逸らせない。

 彼は本気なんだと嫌でも分かる。

 それを否定すればする程、願いの難易度は上がる。彼の願いを叶えようとする力が強まることも分かる。

 けれども。

「これが、僕に今できることなんだ。僕の。一番の願いなんだよ」

「――嫌」

「叶えさせて。君の、力になりたいんだ」

「――」

 ヒキホシの手が、ふと暖かくなった気がした。

 リシュの手が握られ、そっと持ち上げられる。


 視界に入った彼の指先は、何かキラキラしたものを固めたように見えた

 それは砂糖菓子のようで、動いたら今にも崩れてしまいそうで。

 そのまま彼ごと、消えてしまいそうだった。


「ヒキホシ、様……」

「ああ、君の力はこんなにも弱ってたんだ」

 振り解くこともできないその指先を温めるように、ヒキホシの手が包み込む。

「うん。頑張ったね、リシュ」

 指の隙間から、さらり、と何かが滑り落ちた感触がした。

「いいえ、ダメです。これ以上は……手を。手を、離してくださいませ……!」

 彼の力が指先に染み込むのを感じる。

 それを拒否する力は、リシュにはない。

 むしろ、足りない物を補おうとする力の方が強くて、彼の手を振り切ることができない。


 頭では分かってるのに。

 身体が言うことを利かない。

 零れそうな力を余さず拾い集めようとするのを、止められない。


「うん、僕は、これでいい」

 皆に怒られてしまうかもしれないけど、とヒキホシは少しだけ笑った。

 そうして指先でリシュの頬をなぞる。

 その指先は、さらりとしていて、触れたかどうか分からないうちに崩れていく。

「あ――」

 リシュの目からこぼれる涙を拭うこともできない手で、頬を、髪を、撫でる。

「泣かないで。笑って。忘れないで。僕は君と一緒に居るよ。これからずっと。だから――」

 彼がどんどん粉になって崩れていく。

 リシュの意識が、眩む。

 

 もう、止めることもできなくて。

 ただ、彼の力を受け止める。

「ヒキホシ、様。私、――」

 リシュの口から溢れた言葉は、自分の願いとはひどくかけ離れていたけれど。

 彼は、嬉しそうに笑って頷いた。

「ああ、もちろん」

 そんな。彼女にようやく届く程の小さな言葉と共に軽く触れた唇は。

 とても甘い、気がした。


 後に残されたのは、部屋にひとり座り込む少女と。

 さらさらとした砂のような何かの山。


 部屋はもう真っ暗で。

 ただ冷たい空気と彼女の呼吸だけがある。


「……」

 呆然としたまま、彼女は指先で唇に触れる。

「甘い……」

 ぽつりと彼女は呟いた。

 指先は思い通りに動く。あんなに動かしにくかったのが嘘のようだ。

 視線を巡らせる。

 誰も居ない。

 スカートにも、砂のような物が残っている。

 それを掬い上げる。

 口に。運ぶ。

「――っ」

 その甘さに、ほろり、と涙がこぼれた。

 スカートに落ちた雫が、彼だった物を溶かして染みる。


 彼は、自分の力全てを彼女に託して消えた。

 彼女は、それをまだ受け止めきれていない。


 スカートに残ったものを指で掬う。

「泣かないで……笑って……」

 彼の言葉を繰り返して、指を口に運ぶ。

 涙をこらえて。時折拭って。

 少しずつ、少しずつ。染み込むような甘さを口へと運ぶ。


 そうして彼女は、一晩かけて。

 「彼」を食べ続けた。



 □ ■ □


 

 次の日の朝。

 リシュが食堂に現れたのは随分と遅い時間だった。

 彼女はひとり。

 泣きはらした目で、ふらりと食堂へやってきた。


「あれ。リシュひとり?」

 目、赤いけど大丈夫? と、食堂に残っていた誰かが、何気なく尋ねた。

「ええ――そう、ですわね」

 彼女はにこりと笑って答えた。

「ヒキホシ君は?」

 その問いに彼女は少しだけ黙り込んだけれども。

 

 どこか定まらない視線のまま、嬉しそうに笑ってこう答えた。

「――いただきました」

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