切って結んで、その先に 2
ハナブサが話をはじめてすぐ、ヤミは背中に気配を感じた。
「――」
「しっ、静かにして。前に集中して」
振り向こうとしたのを制した小さな声は、シャロンのものだった。
ヤミは黙って頷く。後ろに意識を向けると、彼女が何か呟いているのが聞こえる。
一体何をするつもりなのだろう? そんな疑問はすぐに解決した。
「――OK. Call ……Install_Rish-Mode」
そんな言葉がふわりと届いた瞬間。ヤミの視界が一変した。
視界を埋め尽くすほどの糸がそこにあった。
自分の。ウツロの。ハナブサの。それぞれの指に絡みつき、伸びる糸。
一部は足元に散らばり、一部はどこかへと繋がっている。
そして。色鮮やかなその糸は、ヤミとウツロをがんじがらめにして、ライネの左手に握り込まれていた。
通りで動けない訳だ。と、ヤミは舌打ちをしそうになる。
「二人とも。視界、変わった?」
シャロンの小さな声がする。
「――ああ」
ウツロが小さな声で頷くと、「OK」という言葉と共に背中にそっと指の触れる感触がした。
「それ、リシュの能力を少しだけど再現した物。そんなに長くは保たないから、できるだけ早めにね。あと――糸も、触れられるはず」
「ありがとう」
「どーも」
二人の礼に小さく頷く。
「だから絶対――ライネを止めてね」
「ああ」
「できるだけやってやる」
二人が頷くと、彼女は「それじゃ、よろしく」と言い残して離れたようだった。
シャロンはそっと後ろに下がり、制服に忍ばせていたマイクにむけて呟く。
「ハナブサ。ありがとう。もう大丈夫」
それだけ言って、ハナブサの方を見る。
ハサミに囲まれているハナブサだけれど。大丈夫、声は届いているはずだ。
「さて」
糸が絡まったままウツロが息をつく。
「うん」
同じ状態でヤミが頷く。
目の前ではハナブサがライネと話をしている。
彼女は気付いていない。
ハサミの先は。意識は。全てハナブサに注がれている。
ヤミは静かに柄を握りしめ。
ウツロはハナブサに視線をそそぐ。
ハナブサに向けられてたハサミが一斉に動いた。
「――!」
弾こうとするも、その数を捌ききれる訳がない。
シャツが裂かれ、腕が抉られる。腹部に刺さり、リボンを散らして。ハサミはかしゃかしゃと床に跳ね落ちる。
――と。
ハナブサの視線がちらりとウツロの方を向いた。
何かを確認するようなそれに瞬きを返すと、彼は少しだけ笑って鞘を手放した。
ハサミに弾かれたように見えたそれは、くるくると床を滑ってウツロの足元へ転がってくる。
ハナブサはこんな時でも笑みを崩さない。背中を全て預けるように、ハサミから転がり落ち、腕を押さえて蹲った。
ウツロの奥歯がぎり。と小さく音を立てる。
胸いっぱい煙草の煙を吸い込みたい衝動に駆られる。
ライネが何か言っている。
ヤミに視線で合図をすると、彼も小さく頷いた。
「――ごめんねライネ」
ハナブサのこの言葉が合図だった。
ヤミが鎌をくるりと回して、彼女が握り込んでいる糸を全て断ち切った。
身体に絡まっていた糸が緩んで、自由を取り戻す。
ウツロは剣を持つ感触を確認し。
ヤミは鎌の柄を握り直して身構える。
「さあ、二人とも。あとはよろしく」
「ああ」
「うん」
□ ■ □
糸が見えるようになった二人にとって、彼女の動きは脅威でもなんでもなくなった。
ハサミが飛んでくればそれを避けて刃を向ける。
糸を掴まれたらそれを切り落として、身体の自由を取り戻す。
呼吸を合わせたヤミとウツロの攻撃は、彼女を防戦へと追い込んでいく。
ウツロの刃は。
ヤミの鎌は。
彼女の刃を止め、跳ね返し、牽制する。
空気を切る音と、剣戟の音が屋上に響く。
その音は、今の季節の風よりもずっとずっと冷たい。
シャロンはただ、その成り行きを見守るしかなかった。
糸が見えるようになった二人は上手く戦えているらしい。呼吸のあった攻撃は、あっという間にライネを追い詰める。
もちろんライネも負けてはいない。けれども、ただでさえ戦闘に慣れた二人を相手にしているのだ。勝てる訳がなかった。
でも。
「二人は……まだまだやれる……」
元よりライネが戦闘には向いていないのを、シャロンが一番よく知っている。
ヤミとウツロ。二人が戦う姿を見たのは手合わせしていた時位だが、その程度の情報でも分かるくらい、差は歴然だった。
数分もしないうちに彼女が羽織っていたパーカーはあちこちが破れ、ハサミも片刃が折れ飛んだ。
傷は少ないけど、肩で息をし、足は震えている。
時間が経てば経つほど、彼女の傷は増えていく。
決して深くはないけれど、浅すぎもしない。体力と気力を奪うような傷だ。
傷を負い、武器が欠けても動き続ける彼女の姿はとても痛々しい。
何がそんなに彼女を動かしているのか、分からないけれど。
シャロンには彼女が自分の持っているもの全てを使っているように見えた。
それが続けば、彼女が力尽きてしまうのが見ているだけで分かる。
「ライネ……もう……もう無理だよ……やめよう……?」
できればこれ以上、無理をしないで欲しい。怪我を増やさないで欲しい。戦わないで欲しい。
そんな、シャロンの小さな声は届かない。
そして終わりは、突然訪れた。
「これで――終わりだ」
背後に回ったウツロが、静かな声と共に膝を後ろから軽く蹴る。と、彼女はあっさりと膝をついた。
それでも起き上がろうとする背中を膝で押さえられ、首元に剣が差し込まれる。
切っ先が地面に当たって、きんっ、と澄んだ音を立てた。
ライネの負けだ。これ以上動けない。
それは、端から見ているシャロンでも分かるくらい、絶対的な負けだった。
「ったく……手間取らせてくれたな」
大きく肩で息をしたウツロが、彼女を膝で押さえたまま言う。
「これ以上何かしようってんなら――ヤミがすぐに動くからな」
ウツロのそんな言葉に返ってきたのは、小さな笑い声だった。
「ふふ……そう。そうね。私の負け。認めるわ」
これ以上戦う気はない。とライネはくすくすと笑いながら言った。
項垂れた彼女の表情は見えない。けれども、戦意はないというその言葉に、少しだけほっとした空気が流れる。
それで終わりかと思ったが、ライネの言葉はまだ続いた。
「でも。ひとつだけお願いがあるの――いいかしら」
ウツロは僅かに眉をひそめてヤミに視線を向ける。
ヤミはライネの顔を一瞥して、小さく頷く。
「聞くだけ聞こう」
ウツロの短い答えに、ライネは小さく息を吸った。
「ねえ。そこのあなた」
名前を使わずに呼ばれたそれが自分の事だと、シャロンはすぐに分かった。
どうしても名前を呼んでくれないのが少しだけ悲しかったけれど。ヤミの横を通り抜け、ライネの前に膝をつく。
「おい、シャロン……」
ヤミが静止しようとしたに、ライネが「もう何もしないわ」と返しながら息をついた。
「それに、私がこれ以上敵意を見せたら。ウツロさんが動くでしょ。――それでね」
「うん……なに?」
何か、伝えたいことがあるのか。彼女の顔に耳を寄せる。ライネの言葉を。じっと待つ。
「私、このまま消えるわ。でも。――あなたの中に、記録として残してくれない?」
その声はとても小さくて、掠れていたけれど。
シャロンが言葉を失うには十分な内容だった。