繋いで切って、平行線 後編
ライネを目の前にしたシャロンはただ、聞きたいだけだった。
縁を切るなんて。人間関係をめちゃくちゃにするなんて。
この楽しい学校生活を台無しにするなんて、許されることじゃないから。
どうしてそういうことをするまでに至ってしまったのか。
マイクの存在も忘れて、ライネの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「……」
ライネはぐっと言葉を飲み込み、シャロンに視線を向ける。
その目が何を語るのか。思ってるのか。少しでも知りたくてじっと見つめ返すと、ライネは視線をそらしてぽつりと呟いた。
「私、縁なんていらないの。見たくもない」
「なんで……?」
「さっきから、なんでばっかりね」
「だって、私にはわからないもの。縁なんて見えないし、どうやってできるのかも知らない。けど、大事な物だって言うのはわかる。ライネだって、そうでしょう?」
「……」
「ライネがそんなに辛そうにしてるなら、どうしてそんなに嫌なのか知りたい」
「……」
ライネは答えあぐねているようだった。
口を開いて、閉じて。小さな声を口の中で転がして。
それから少しして。
「意味が、分からないの」
ぽつりとそう答えた。
「意味が?」
肩を押さえた手の力が、僅かに緩む。
「――私は、縁を切ってばかりで。意味が、わからなくなっちゃったの」
「……」
「見えないシャロンは楽よね」
ふ、と。彼女は自嘲気味に笑う。
「せっかく結んでも、願われたら切る。そうでなくても切れてしまう。千切れて、途切れて、なくなってしまう。そもそもみんなには見えないんでしょ? ずっと切ってたら、分かんなくなっちゃった。私は何を切ってるの? いらないし、見えない。それなら最初からない方がずうっと楽よ。いらないものよ」
「いらないものなんかじゃない……」
「それならなんで切るの?」
「結んでほしいっていう人だっているでしょ?」
「私は知らない。切ってほしいって声しか聞こえない」
「でも! そのせいで最近みんなの関係をメチャクチャにしていいの?」
「そうね。でも。それがなんなの?」
それはとても冷たい声だった。
何か言おうと口を開いたけど。言葉は出てこない。
それより先に「でも」とライネの言葉が重なる。
「シャロンだって私のこと忘れてたでしょ? 興味がないから、縁がないから。記憶から薄れてたでしょ?」
「ちがう……」
シャロンはふるりと首を横に振る。
記憶が一部無いのは事実だ。でも、興味がないなんて、そんな事ない。
確かに、最近皆の様子がおかしいことには気付いていなかった。言われて初めて気がついた。ただ、ライネが縁を切って回ってるなんて、思いもしなかっただけだ。シャロンは叫ぶように言う。
「それは、縁が切れてたからじゃなくて! ライネがそんな事する訳――」
「ああ。もういい。うるさいわ。「あなた」」
「――っ!」
今度こそ、喉で言葉が凍り付いた。
ライネがシャロンをひたりと見据える。
その視線は、シャロンにちっとも興味がない、冷め切ったものだった。
「この縁も、もういらない……」
ライネの手に、いつの間にか小さなハサミがあった。ソーイングセットに入っているようなサイズのそれが、虚空で動き。
ぱちん。
と、音を立てた。
同時に、ぱしん! と乾いた音が響く。 手の平が熱い。
ああ、ライネの頬を叩いた音だ。とすぐに気付いた。
彼女の髪が揺れ、頬が赤く染まる。続けてかちゃん、とハサミが地面を跳ねる音がした。
「ライネ! 私は……わたし、は! あなたとの縁を切りたいなんて、頼んでない!」
言葉に詰まりながら、シャロンは声を上げる。
「でも私はいらないわ」
シャロンの声が熱を持つのと正反対に。ライネの声は冷え切っていた。
「なんで!」
「ひとりで居たいの」
「でも……!」
「ほら」
ライネはシャロンに向けて手をかざす。
指の隙間から、ライネの目がにこりと細められたのが見えた。
シャロンの顔が、引きつる。
シャロンには何も見えない。ただ、細い指が広げられているだけだ。
けれども、彼女には見えているのだろう。
糸がすっかり減ってしまった――いや、もしかしたら一本もない。シャロンと同じ状態の指が見えているのかもしれない。
「ふふ。こんなにすっきりした指を見るの久しぶりだわ」
それはとても、清々しい笑顔だった。
「――っ」
「私、とても気分がいいわ。今ならみーんな切ってしまえそう」
すっとライネの手が下ろされると。
しゃきん。と涼しげな音がした。
「ライネ、どういうつもりなの……?」
「どういう? こういうつもり」
その手には、刀のような長さのハサミがあった。
「さ、まずはあなたに繋がってる縁からかしら」
全部切って上げるわ。と、彼女は器用にハサミを回して、両手に片刃ずつ構える。
「待って、ライネ――」
「――シャロン」
それまでだ。と、静かでどこか幼い声がシャロンの声に重なった。
ヤミの声だ。
さっき理科室でしていた話には加わって居なかったけど、きっとウツロが呼んだんだ、というのはなんとなく分かった。
彼が一体いつから居て、どこから話を聞いていたのか分からないけれど。今引くわけには行かなかった。
まだ、何も話してない。私、何もライネに伝えてないんだから。
「ヤミは邪魔しないで。私の話はまだ――」
「邪魔したくはないんだけどさ。それ以上は平行線だろうから」
多分無駄だ。と、ヤミは言った。
シャロンの声が詰まる。
「でも……!」
「でもじゃない。諦めないことは大事だけど、引き時を見極めるのはもっと大事なことだ」
すい、と静かに。シャロンの目の前に鎌の刃が差し込まれる。
「待って! ヤミ! なんで鎌なんて……! 武器なんて。まだ――」
「いいや。要るんだよ」
シャロンの声は、静かなヤミの声で途切れた。
「お前は出来る限りの事をした」
黒い鎌は、優しくシャロンをライネから引き離す。
「できれば俺だってこういうことはしたくないよ。でも。もうダメだ。縁を切るだけじゃなくて、こいつは武器を持ちだした。こいつは越えちゃいけない一線を越えた。だから、ここからは――俺たちが。相手をする番なんだ」
喉を詰まらせたシャロンの制服に、鎌の刃が僅かに触れる。
それなら私も、と言いたかったけど。言うより先に「お前、戦うの得意じゃないだろ」と言われた。
その言葉に、シャロンは首を横に振ろうとした。
けれども、できなかった。
ちょっとした戦闘なら、手段はある。けれども武器を持たないシャロンは、防御一方になる。それはわかっていた。
縁を切った。もう何も要らないという。そんな、失うものがなくなった彼女に勝てる気は、しなかった。
分析を得意とするシャロンだが、そんなの考えなくても分かることで。
そんな自分が今、唯一で切ることは。
「……わかった」
小さく頷いて、数歩後ろに下がることだった。
振り返るとそこにはヤミが居た。後ろにはハナブサとウツロも立っている。
気が向かない足をなんとか動かして、後ろへ下がる。
ヤミを通り過ぎて、ハナブサが立つところまで戻ってくると、なんだか鼻がツンとした。
膝の力が抜ける。
へたりと床に座り込むと、肩にそっと小さな手が添えられた。
「ハナブサごめん……私、何も、できない……」
胸がひどく苦しかった。
視界が途端に滲んで、喉に何かが詰まっている。
でも、泣くわけには行かない。袖でぐっと目を拭うと、濡れた目元がひやりとした。
ハナブサは背中を優しく撫でてくれる。
「いいや、シャロンは頑張ったよ」
あとは彼らに任せよう、と言う彼の言葉はその手と同じくらい優しくて。
なんだか暖かかった。
□ ■ □
「さて」
鎌を下ろしてヤミは呟く。
「ここからは俺が相手をするよ」
「――そう。あなたも邪魔をするのね」
ライネが鋏を静かに構える。
「お前が縁を切るのを止める、って言う意味なら。うん。そうだな」
ヤミは溜息をつくように鎌を持ち直す。
「――そうだな」
ヤミの言葉に続いたのは、壮年の男性――ウツロの声。
「とりあえず、やりたいならまずは俺達から、ってこったな」
隣に並んだウツロは視線を一瞬だけヤミに落として、すぐにライネへと戻しながら鞘に手をかける。
「ヤミ。躊躇うのは分かるが、気を抜くな。武器を先に抜いたのはあっちが先だ。こっちが手加減する理由はないさ」
「うん。そうだね」
そういう訳だから。と、金の瞳が暗い紫の瞳を射貫く。
ライネはその影を一瞥して、「ふうん。そう」と一言呟いた。
「もう。みんな、邪魔ね。……ああ、ここにいる人みんな動かなくなったら、糸、全部切ってしまおう……」
その言葉が、合図だった。