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散らばる糸を拾い上げて

 気付いたのは、食堂で。

 視界の隅で揺れたものに視線を向けたからだった。


 季節はそう。木枯らしが吹く頃のこと。


 あら? とリシュは首を傾げた。

「どうしたの?」

 隣に居るヒキホシが、箸を止めたリシュに気付いて声を掛ける。

「いえ……なんでも」

 ありません、と答えたけれども。

 リシュの視界では糸が一本、揺れていた。


 ああ、何かの弾みで糸が切れてしまったのでしょう。

 でも、また出会ってしばらくすれば自然と繋がるはず。

 リシュはそう思い直して、端を進める。


 たまにそう言う糸がある。

 すり切れたり、風化したり、何かの弾みで切れてしまったり。

 そういうのは時間の経過で糸自体が消えてしまうから、もう少し様子を見れば分かるだろう。

 ただ、裏側で見かけるのはとても珍しくて。

 それがなんだか、リシュの心に小さく引っかかった。



 □ ■ □


 年が明けて。

 その糸は、人が多く集まる所に行く度に目にすることが増えた。

 視界の隅で風に乗って揺れる糸の端。

 誰かの指先で力なく垂れ下がっているもの。

 数はまだ少ないけれど、少しずつ少しずつ。その数は増えているように見えた。


 時々、気付いた糸を結び直してみたりもしたけれど。

 しばらく断つとまたふわふわと糸の端が空中を漂っていたりもした。

 長いものは、廊下を引きずられるように落ちている。

 それが、気になって仕方ない。


 どうして糸が切れているのか、という疑問もある。

 ある程度なら自然に回復する糸も、こうふわふわしていたら気になってしまう。


 そして同時に、皆の間にすれ違いが起き始めた。

 よく一緒に居るところを見かけていた人達がばらばらだったり。

 会話がなんだかぎこちなかったり。

 最初は偶然だと思っていたけれど。もしかしたら、切れている糸のせいかもしれないと気付いたのは、暦の季節が変わる頃。


 糸が見えるもう一人の人物、ライネにこのことを相談しようと思ったけれど、彼女の言葉は「さあ。知らないわ」と、素っ気いものだった。

「悪いけど、私、忙しいから」

 彼女は言うが早いかそのまま「じゃあね」と立ち去ってしまい、リシュはそれ以上聞くことができなくて。

 そして、それ以来。

 彼女の姿をなかなか見つけられないまま、時間だけが過ぎていった。


「ねえリシュ」

「はい」

 ふとかけられた声に、リシュは顔を上げた。

 隣に座っていた、深草色の髪に紺色の目をした少年がなにか言いたげにこちらを見ている。

 春の混ざった日差しが、彼の髪を明るく透かす。

「ヒキホシ様。どうかなさいましたか?」

 問いかけると、彼は少しだけ言い淀んだものの、小さく頷いて口を開いた。

「リシュさ。その、最近なにか悩んでない?」

「……え」

「ずっと何かを気にしてる気がするんだ」

「そう、ですか?」

「うん」

 ヒキホシは少しだけ間を置いて、真っ直ぐにリシュの目を見てきた。 

「もしかしてだけど。気のせいならそれで良いんだけど。……君の見える糸について、何かあったりするのかい?」

 控え目に問われたのは、ここ数ヶ月リシュが心の隅にずっと引っ掛けたままのものだった。

 

 一瞬、どう答えようか迷った。

 自分にしか見えない糸。きっと自分しか気付いていない変化。

 確証も何もないのに。ただ、気になっているだけなのに。そんな些細な引っかかりを話していいものか。と、少しだけ考えて、彼を見上げた。

 深い紺色の目は、本当に自分を心配してくれているらしく、真っ直ぐにこっちを見ていた。

「リシュ」

「……はい」

「僕には、話せない?」

 少しだけヒキホシの目が細くなる。眉が下がって、もの悲しげになる。

「……いえ。話せることでは、あるのです」

 答えると、彼の目がふと柔らかくなった。

「そう。僕が聞けることなら、話してみない? 少しは楽になるかもしれないよ」

 もちろん無理にとは言わないけどさ。と彼は小さく付け足す。

 リシュは少しだけ考える。


 ヒキホシは見聞きした人の願いを増幅して、それを実現させる力に変えることができる。

 もし、自分が今憂いていることを話して。

 それをどうにかしたいと願っていることを彼が知ったら。確かに解決には向かうだろう。

 でも。そういうことに彼を利用していいのだろうか。


 ヒキホシをちらりと見上げる。

 彼は黙ってこちらを見ている。

 きっと彼は、許してくれるのだろう。

 少しなら。きっかけを作るだけなら。

 頼っても、いいだろうか。


「あの。ですね」

「うん」

 リシュは気にかけていることをぽつりぽつりと話して聞かせた。


 切れている糸のこと。結んでみたりもしたこと。

 それでも、数が減らないどころか、増えてきている気がすること。

 比例するように、皆がすれ違いを起こしているように見えること。


 ヒキホシは黙って話を聞いて、話し終わったリシュの頭にぽふんと手を乗せた。

「年度末だから色々忙しいのかなって思ってたけど……そう言われると確かに。わかる」

 それで、とヒキホシの言葉が続く。

「リシュ。君はそれをどうにかしたいって思ってるんだね」

「そう、なのですが……」

「なら、僕は力になるよ」

「でも――」

「僕の力を自分の悩み事に使いたくない、でしょ」

「う」

 そうです、と頷くと彼は小さく笑ったようだった。

「君は前からそうだ。僕が持ってる力を自分の悩みのために使おうとしない」

 僕は君の役に立てるなら嬉しいのに、と言いながら彼の手は優しく髪を梳く。

「そこが君の良い所でもあるんだけどさ。たまにはいいんだよ」

「それなら、ひとつだけ……よろしいでしょうか」

「うん?」

 なあに、と彼の首が軽く傾く。深草色の髪が軽く揺れる。

「私、これが気のせいでないことを祈っているのですが……もし、この事を他に気付いている方が居るのならば、お会いしたいです」

「それはライネちゃん、ってこと?」

 リシュは少し考えて「いいえ」と首を横に振った。

「もしかしたらそれはライネ様かもしれません。けれども、他の方でも結構です。どなたか。このことに気付いて、私と同じように気にかけてる方が居るのなら。その方とお話がしたい、と思っておりますの」

 ヒキホシはなるほど、と頷いた。

 それから彼はリシュの手を取り、前に掲げてにこりと笑った。

「分かった。君の願い、叶えよう」

 


 □ ■ □



 早朝の調理室で、サクラと出会えたのは数日後だった。

 珍しく人気のないその部屋に、彼が眠そうな顔でやってきた。


 ちらりとヒキホシの方を見る。

 彼もリシュに視線を向けて、小さく頷いた。

 きっと、彼が「この一件に気付いている、話が出来る人」だ。


「あれ。ヒキホシくん、リシュちゃん」

「ああ、おはよう」

「あら、サクラ様。お早いんですね」

「そうだね。最近目が覚めるの早くて……」

 そんなやり取りの合間に、眼鏡の隙間から目を擦った指にある糸も、端がゆらゆらと揺れていた。

 数本あるそんな糸の中、とある一本がリシュの目を引いた。


 赤い糸。

 それはとても大事な糸だ。ほとんどの人の指にある、運命の糸と呼ばれるそれ。

 この学校には、変わった色や性質の糸を持つ人が多い。

 けれども。

 この「学校の裏側」という空間に限って言えば、その糸を持つ人は、実はとても少ない。

 ただでさえ少ないこの糸が。切れることがあるなんて。


 それは。

 彼にとって大切な縁がなくなってしまうと言うこと。

 その先にいる誰かか、この糸の持ち主か。

 どちらかが消えてしまう可能性が生まれてしまったと言うこと。

 

 嫌な予感がして、サクラの手を見せてもらった。

 糸の端は簡単にたぐり寄せることが出来た。

 確かに糸は切れている。

 切れていた。


 いや。

 切られて、いた。


「あら……」

 動揺を隠そうとした声は、喉で小さく詰まった。

 それをなんとか飲み込んで、見えてるものを口にする。

「この糸、切れてますわ」

 リシュの声に、男子二人は軽く首を傾げる。

 

 斜めに入った鋭利な切り口。

 それは、自然に切れたものとは考えられなかった。

 これまで結んだ糸は、先がほつれているものが多かったが、これはまだ切れたばかりらしい。

 もしかしたら、今まで結んだ中にもあったのかもしれない。なんて考えがよぎる。

 

 その糸の端をサクラにも見せながら、リシュは考えたくなかった答えを見つけた気がした。


 鋭利な切り口の糸。それはきっと、刃物によるもの。

 糸を刃物で切ることができる。

 これはきっと、彼女の。ライネの仕業だ。

 あの時「知らないわ」と静かな口調で言い切った彼女は、知っていたのだ。

 ああ、考えたくもないけれど。

「縁……鋏……といえば」

 考えている言葉が、零れるように出てきた。

 話をするべき時だと思ったから。

 これが、彼のくれたチャンスなのだと思ったから。

 言葉は止めなかった。

「そのような話を持つ方が、いらっしゃいまますわね」

「ああ……うん」

 サクラが頷いた。

 ああ、さすが噂話に詳しい彼。やっぱり気付いたらしい。

 いや、彼でなくても。

 縁の糸が刃物で切られている、なんて言ったらお誰だって辿り着く答えだった。


 そしてリシュの中にはもうひとつ、気になっていることがあった。

 ライネの話。「縁鋏」に追加された「縁切り鋏」のこと。

 実際、何度か考えた。でも、その度になんとか否定してきた。

 だって彼女は、縁を大切にしていたはずだ。それなのに、勝手に切るなんて。理由が分からない。

 そのことを聞きたくてライネを探したこともあったけど、会うことは出来なかった。

 

「彼女が、この原因だって言うの?」

 二人の間で結論は出ている。

 けれども、リシュは小さく首を横に振った。

「私の他にこのように糸を見ることができるのは、ライネ様のみ。そのような認識の元に立つ推論です」

 なんとなく認めたくなくて、

「もし他に鋭利な刃物で縁の糸を切ることができる方がいらっしゃるというのなら――」

 できるだけ、否定したくて。

「私には、見当もつきませんわ」

 できるだけ、そうでありませんようにという願いを込めて目を伏せたけれど。

 辿り着いてしまった答えは、そう簡単に剥がれてくれなかった。



 □ ■ □



 部屋に戻ってきたリシュは、椅子に腰掛けて深い溜息をついた。

 思い出すのは、調理室でのやりとりだ。


「君が、結んであげることはできないの?」

 サクラはふと、そんな疑問を口にした。


 リシュは縁を結ぶ力を持っている。

 だから、修復も可能なのではないか? という簡単な話だ。


 もちろん可能だ。実際何度かやってきた。

 けれども、リシュは首を横に振った。


「数が多すぎますし、どれがどの糸と繋がっているのかというは二人揃って初めて分かるもの。自然に繋がったと思ってもまた切れている糸もございましたし。切れて随分経ってしまってる物もございますから……」


 その言葉は真実だ。

 切れている糸だから、といって無闇に結んでは本来の縁と異なるものを繋げてしまうかもしれない。

 自然に切れて、新しい縁を作っている途中なのかもしれない。

 時間が経ちすぎたのか、引きずられすぎたのか、糸の先がほつれて「何故切れたのか」が分からないものもある。

 そもそも、リシュが毎年結ぶのは「願いで強く引き合う糸」だと決めている。

 だから、無闇に結びすぎてはいけない。


「それに……」

 結べる数にも限度というものがある。と言う言葉は、なんとか押し留めた。

 不思議そうな顔をするサクラに、それ以上は言えないと首を横に振る。

 言えなかった。


 結べるものなら、切れてる糸を全部辿って、相手を見つけて結んでしまいたい。

 けれどもリシュは、年に一度、数組の糸を結ぶだけの些細な話だ。

 皆の縁が切れてしまったら。

 それを結び直すと言う事になったなら。

 きっと力を使い果たしてしまう。

 

 力を使いすぎた噂話は、一体どうなってしまうのか分からない。

 そのまま力を失って消えてしまうのかもしれないし、その力になるものを欲しいままに求めてしまうのかもしれない。

 もしそれで、誰かに危害を与えてしまったら。

 それは、この学校の約束を破ることになる。


「……ああでも」


 もし、ライネがこの一件に関わっているのならば。

 噂話の変化が、この事態を引き起こしているのならば、どうにかしなければならない。

 ライネがどうして縁を切っているのかは分からないけど。

 けれども、それがもし、本意ではなかったら。


 膝の上に揃えた自分の指をそっと見下ろす。

 指に結ばれた糸は、ドアの向こうへと続いている。

 片方の手で、そっと糸を掬い上げてみた。

 さらさらとしたした糸は、指の上を涼しげな感触で滑っていく。


 どの糸がライネと繋がっているのかは分からない。繋がっているのかも分からない。

 彼女と会えない事を考えると、切れてしまっているのだろう。という気もするけれど。それでも、彼女はリシュにとって大切な仲間であり、友人だ。



 だから。もし。

 彼女が望むなら。

 まだ「縁を大事にしたい」と思っているのなら。


「結べる限り結んでしまっても……いいのかもしれませんわね」

 そんな声は、糸をすり抜けて落ちていった。

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