情報屋の憂鬱 後編
□ ■ □
朝。
シャロンはライネの部屋の前でじっと待っていた。
夜明けより前からスタンバイしてるから、絶対彼女は部屋の中に居る。
冷える指先と戦いながら待つ事数時間。
部屋のドアが静かに開いた。
人影が姿を現す。
セーラーの上に羽織った丈の長いパーカー。
輪郭をなぞるように伸びた前髪。
まだ少し眠そうな目。ふう、と吐かれた白い息。
ライネだ。
久しぶりに見る彼女は、少し痩せたようにも見えたけど。
思ったよりも元気そうで、なんだか嬉しくなった。
「ライネ!」
声を掛けて駆け寄ると、ライネはふと顔を上げ――部屋の中に急いで戻ろうとした。
「そうは、いかないんだからー!」
シャロンは滑り込むようにして、つま先をドアの隙間に挟み込み、ドアをがっちりと掴む。
ドアの隙間から睨み付けるような視線を感じるけど、お構いなしでドアをこじ開けた。
「……なんの、用かな」
ライネの声は小さかったけど、拒否が存分に含まれていることは伝わってきた。
「話を、したくて」
「私は、する事なんてないわ」
「私が、あるの」
「……」
ライネはふと視線を落とした。
それから何かを諦めたように小さく息をついて、ドアを閉めようとした力を緩めてくれた。
「……少しだけなら」
「うん。ありがとう!」
話をしてくれるんだ。
それが嬉しくて、ドアから手を離す。
ドアが開かれて、ライネが立っていて。
左手が「どうぞ」という風にすい、っと空気を掬い上げる。
「あのね、ライネ」
「ねえ。シャロン」
言葉が重なる。
「あ。なに? 先に言って」
ライネに話を譲ると、彼女は掬い上げた手をそっと下ろしながらまぶたを僅かに伏せた。
「そうね。シャロンは、どうして私を追いかけるの?」
「? それは、友達だから。ライネは、私を一番に見つけてくれたし、色んな事を教えてくれた。一番の友達だって思ってるから」
「私の相談にも、乗ろうと思ってる?」
「そう。やっぱりライネは、話の変化が辛いんじゃないかと思って――」
シャロンの言葉は、見上げるように上がったライネの視線で途切れた。
とても、冷たい視線だった。
でもそれは、ふ、と和らいだと同時に軽く伏せられ。
口元がにこりと、微笑んだ。
「その言葉、ずっと覚えてられるといいわね」
「え。それ、どういう――」
視界の隅で、何かが光を弾いた。
そっちに視線を動かして。
「な」
声を上げるより先に。
しゃきん。
小さな鋏の音が、響いた。
□ ■ □
夜。
ぼーっとした頭のまま、シャロンは夕食を食べていた。
今日はなんだか疲れがとれない。
ぐっすり寝た気がするのにな。と、首を傾げながら冷たいお茶を飲んでいると。
「こんばんわ。シャロン様」
「ん。おはよー。リシュ」
食事のトレイを持って、リシュが立っていた。
「昨夜の会話は、何かお役に立てましたか?」
お味噌汁のお椀から口を離して、リシュがそっと聞いてきた。
昨夜の。と、思い出す。
思い出して、箸が止まった。
リシュとヒキホシの会話を見て。
そうだ、ライネに会わないとと思って。
部屋まで行って。
閉ざされたドアの前に立っていた。
「……シャロン様?」
「会えなかった」
なんでだろう、と零れた声は、小さかった。
「私、ライネと会おうとしたの」
「ええ」
「今日こそは絶対会ってやる、って待ち伏せみたいにして。夜明け前からスタンバって……」
「それは……寒かったのでは」
「うん。すごく寒かった。指先とか冷えるかと思った」
でも。と言葉を続ける。
「何でか、ライネには会えなかった」
「会えなかった、ですか」
「うん。確かにずーっと待ってた。みんな寝てる時間だったから、絶対部屋の中に居るはずだと思って。でも、ドアはずっと閉まってて、ノックをしても出てこなかった」
リシュが不思議そうに首を傾げかけて――ぴたり、と動きを止めた。
「シャロン様は、そんな朝早くからいらっしゃったのに、ライネ様は部屋にいらっしゃらなかったのですか?」
「うん。だって出てこなかったし……部屋の中に誰か居るような気配も、なかったし」
「でも、夜明け前からいらっしゃったのですよね?」
「そう。ドアの前に立った時も、部屋の中には……って、あれ?」
何かが、引っかかった。
私は、いつドアの前に立った?
待ち伏せをして。どのタイミングで、ライネの部屋をノックした?
「どうなさいました?」
リシュの声に、「分かんない」と小さく零れた。
「私、気付いたらドアの前に立ってた気がする。私、いつ、ライネの部屋の前に行ったんだろう」
「それは……」
リシュは軽く首を傾げ――そっと箸を置いた。
「リシュ?」
「シャロン様。ちょっとお手を」
「?」
言われるままに手を差し出すと、リシュはそっとその手に触れ、視線だけで何かを追って、目を伏せた。
「何か分かるの? ライネと会えなかった理由とか?」
いいえ、とリシュは首を横に振り、ありがとうございます、と手を離した。
「私は……実際に何が行われたか、を知ることはできません」
ですが。と小さく言葉が続いた。
「何が起きたか、予想をつけることは、できます」
「え。分かるの? 私。何があったの?」
自分の身に起きていることが訳分からなくて、矢継ぎ早に問いかけると、リシュはそっと人差し指を口の前に立てた。
「あ……うん」
慌てて声のボリュームを下げる。
「それで、予想って?」
「それは……後ほど、お話ししますわ」
そこからしばらく、無言で二人とも食事を口に運ぶ。
さっき差し出した手が、なんだか気になる。
リシュはそこに何を見たのだろう。
いや、何を見たのかはなんとなく分かる。だって、彼女が見えるものと言ったら「縁の糸」なのだから。
それを見て、きっと何かを察したのだろう。
何かは分からない。
リシュの方をちらりと見る。
彼女は何かを考えているのか、少し難しそうな顔で付け合わせの野菜を口に運んでいた。
「ねえ、リシュ」
ボリュームを落として声をかけると、ご飯が入っている口の代わりに視線が「なんでしょう」と答えてくれた。
「私さ、もう一回ライネに会いに行ってみようと思うんだけど」
「――いえ、それはおやめになった方がよろしいかと」
リシュの答えは静かだったけど、きっぱりとしたものだった。
「どうして? 昨日は本当に居なかったのかもしれない。私が眠気で色々忘れてるのかもよ?」
けれどもリシュは、首を縦に振らなかった。
「やってみても構わないとは思うのですが……きっと、訪れたとそしても、同じ結末が待っているだけかと思います」
「同じ、結末……?」
繰り返すと、リシュは「ええ」と頷いた。
「あくまで私の予想なので、断定はできないのですが」
断定はできない、とリシュは言うけれど。その言葉には何か確信があるように聞こえた。
「それよりも、すべき事がひとつ」
「?」
なんだろう、と首を傾げるとリシュはいつもより強い視線でこちらを見てきた。
そんな目のリシュは珍しくて、思わず瞬きをしてその視線を見つめ返す。
「ハナブサ様か、サクラ様にご相談することをお勧めします」
「ハナブサかサクラに?」
どうしてその二人の名前が出てくるのだろう?
相談と言ったって、何を話せば良いのだろう。
ライネの話が変化したことについて?
昨夜の出来事について?
「リシュ……私、話が見えないんだけど」
「ええ。きっとそうでしょうから、私も同行いたしますわ」
そうすればきっと色々とお話しすることができます。
リシュはそう言って、どこか悲しそうに微笑んだ。