情報屋の憂鬱 前編
シャロンは最近、考えている事がある。
ライネが、姿を見せない。
どれくらい前からか、と言われると……年明けからだから――かれこれ2ヶ月。多分、それくらい。
距離を置かれてるのは気付いていた。だから、「最近見ないな」と思った時は探してみるけれど。
見つからなかったり、確かに目が合ったのに逃げられてしまったり。状況は様々だ。
そして、年明けから本格的にみつからない。
「うーん……」
ライネはそんなに姿をくらませることが上手な人ではなかったはずだ。
運動だってそんなに得意な方ではなかった。いや、私も得意じゃないけど。
なのに、なかなか出会えない。
それがどうにも不思議で、シャロンは考えてはため息をつく。
「なんでかなあ……」
□ ■ □
ご飯時にもライネは現れない。
部屋を訪れてみたけれど、返事はなかった。
「うぅーん……?」
夕飯……シャロンにとっては朝食に当たる席で焼き魚をほぐしながら、シャロンは考える。
どうしてライネは、私を避けているのか。
私が何か踏み込んじゃいけないところに入り込んでしまったのだろうか。
ただの気分、にしては避け方が本気すぎる。
彼女に思うところがあるのだろうか。
胸に手を当ててみても、心当たりがないというのがまた難しい。
何したっけなあ……。
そんなことを考えながら箸を動かしていると。
「シャロン様」
声がした。
「ん?」
顔を上げるとそこに居たのはリシュだった。夕飯のトレイを持って、なんだか困ったように笑っている。
「どうしたの、リシュ」
「その。魚がずいぶんとほぐれてるご様子でしたので」
「あ」
気づいて皿を見ると、焼き魚はずいぶんと身が細かくなっていた。
「あはは……ありがとー」
「いえ。それにしても」
リシュは向かいの席に腰掛けて、両手を合わせる。
「考え事でございますか?」
「んー。ちょっとね……」
細かくなってしまった魚をご飯に乗せながら、シャロンは頷く。
どう話せば良いのか、少しだけ考えて。
その名前をぽつりと出した。
「ライネなんだけど」
「ライネ様、ですか」
リシュの声がわずかに小さくなった。
「そう。最近どうにも避けられてるっぽくってさー」
そうなのですか? とリシュが問う。
そうなんだよ。とシャロンは返す。
「だから私、何かしたかなー、って考えてたところ」
「そうなのですか……」
リシュは少しだけ考えているようだった。箸の動きがなんだかいつもよりゆっくりに見える。
まつげをわずかに伏せて、考え込んでいるというより憂いている、と言ったほうが似合うかもしれない。
丁寧に骨と皮を皿の端に寄せて。付け合わせを口に運んで。
ご飯を一口飲み込んだところで、ふと、その視線が上がった。
「シャロン様は、最近何をしてらっしゃいます?」
「ん?」
んー。とご飯を口に運びながら考える。
最近は部屋で情報収集をして、パソコン室にこもって、部屋で情報整理して。パソコン室で遊んで……。
「いつもとあんまり変わらないかなー。部屋にいることがちょっと多いかも?」
「そうですか」
「それがどうかしたの?」
「いえ、最近皆様活動熱心で良いことだ、と思いまして」
リシュはにこりと笑ってそう言ったが、その表情はなにか違うように見えた。
「……リシュ」
「はい」
「なにか、悩んでる?」
「――」
リシュはその問いに口の端だけで笑い、頷いた。
「それは、私に話せることなのかな」
「……あまりこのような場所で話していいものではありませんわね」
リシュの声は静かで小さかった。
シャロンもつられて声をひそめる。
「それはどういう――」
「ですので」
「?」
「今夜だけでしたら、私とヒキホシ様のメールでも、ご覧になるとよろしいかと」
「え」
思わず箸を止めた。
基本的に学校内で交わされるメールやチャットはログとして残してある。覗けないわけではない。
でも、それには問題がいくつかある。
量が膨大だから追いかけてたらキリがないとか。
個人情報すぎるとか。
そんな理由で、眺めるログは最低限、と決めている。
なのに。
まさか自ら「メールを覗いていい」という人が現れるとは思っても居なかった。
よほどきょとんとした顔だったのだろう。リシュはくすくすと笑いながら視線を皿に移して食事を再開した。
「そのようなお顔、初めて見ましたわ」
「え。いや。だって初めて言われたし」
「ふふ……そうですわね。なかなか仰る方はいらっしゃらないでしょう」
「うん。まあ、基本的に覗かないようにもしてるんだけどね」
「シャロン様はその辺りしっかりしてらっしゃいますから」
「まあ、その辺はね。大事だよ」
ええ、とリシュは頷いて、碗を手に取った。
「私とヒキホシ様の会話は他愛ないものですが、それでよろしければ」
□ ■ □
夜。
シャロンはパソコン室でぼんやりと天井を見上げていた。
緑の瞳には、細かいノイズがちらついている。
ちらついては消えるそれは、空中を飛び交う何かなのだろう。時折シャロンの視線がそれを追うように動く。
「……」
リシュは一体どんな理由であんなことを言ったのだろう。
その答えはきっと、交わされる会話の中にあるに違いない。
シャロンはそっと目を閉じて、小さく息をついた。
部屋に戻ったリシュはスマホを取り出し、メール画面を開いた。
送信履歴の先頭。「ヒキホシ」と表示されたそれをタップし、文字を打ち込む。
「本日はシャロン様とお会いしましたわ」
「そうなんだ」
返事はすぐに返ってきた。
本当なら部屋で直接話してもいいのだけれど、寝る前はメールにする、というのがなんとなく定着していた。
リシュは少しだけ考えて、続きを入力する。
シャロンは椅子の背もたれに背を預け、天井を見上げている。
何かを読むように、視線が動く。
その目に映っているのは、ちらつくノイズだけれど、シャロンにはメールの文面が文字の羅列として映っていた。
「ライネ様のことについて悩んでらした様子で」
「ライネちゃんの……シャロンちゃんは仲良さそうだったもんね」
私の名前だ。
瞬きでその文字列にピンを刺すようにぴたりと押さえる。
視線でフォルダをひとつ作って、その中に放り込む。
「ええ。それなのに、最近避けられているようだと……憂いておいでのようでした」
「ということは、気付いていないんだ」
気付いてない?
首が傾いたのか、髪がさらりと揺れた。
私は一体何に気付いていないのだろう。
「私はまだ、信じていたいのですが……」
「そりゃあ僕もだけど。でも、他に思いつかないんだよね」
「はい……私が知っている方でそのようなことができるのは」
少しだけ入力中らしいノイズが現れて。
躊躇うようにその一言が流れてきた。
「縁を切ることができるのはきっと、ライネ様だけでございます」
シャロンはその一言をじっと見つめていた。
「縁を……切る」
口に出してみる。
リシュの言葉に重ねるようにして、自分の右手をかざす。
自分には、ただの手。糸なんて見えない。
けど、リシュは。ライネは。
見えて、触れて。結んだり、強度を知ったりすることができる。
そして鋏を持つライネなら。
「きっと……切ることも、できる……」
少しだけ考えて「いや」と小さく首を振る。
これだけで決めるのは、きっと早計だ。
もしかしたらリシュにだってできるのかもしれない。
これが実は、ミスリードなのかもしれない。
でも。
そうと言いきれない自分がいる。
指先で空中を叩くと、フォルダのアイコンが現れた。
中から表を呼び出して、その一覧をざざっとスクロールさせる。
そこに載っているのは、この学校で語られたことのある話の一覧だ。
「縁切り鋏……」
縁の強度を計るための話は、いつしか縁を切れる話へと変化していた。
そんな話を、ライネと交わしたことがある。
そんな話が、リスト入りしてしまうほど学校内に定着している。
ライネが言っていた事を思い出す。
「人それぞれなのよ」
シャロンにとって、変化は苦しいものではなかった。
まだまだ変化には対応しきれてないから、対応に頭を抱える日もあるし、試行錯誤の毎日だけど。
別に嫌いじゃないし、できた時の達成感は良い物だ。
でも。
「ライネは……やっぱり辛かったんじゃないかな……」
昔。まだ自分が目覚めてそう経たなかった頃にライネと話した事を思い出した。
「会いに……行こう」
私に何ができるか分からないけど。
話を聞いて、判断をして。
何かできる事があるなら。彼女が助けを求めてくれるなら。
できる限りの事をしたい。