縁鋏と縁切り鋏
ライネ ティーデイ。
それが彼女の名前だった。
彼女の噂話は「縁鋏」といった。
相手を想いながら選んだ紐やリボンを、一ヶ月間身につける。
それを鋏で切ってみる。
一度で切れたら、切れやすい縁。
三度で駄目なら、切れにくい縁。
そんな、縁の強さを占う。それだけの鋏だった。
□ ■ □
それは、ある冬の日のことだった。
シャロンとライネは売店で何をする訳でもなく向かい合っていた。
自販機で飲み物を買っての雑談。良くあることだ。
今日もそんな他愛もない日常光景の一コマ。
シャロンはまだ生まれて間もない噂話で。
ライネはそんな彼女と一緒に居ることが多かった。
シャロンには今、気になっていることがある。
ライネの口数が、以前に比べて減ったような気がしていた。
顔色もあまり良くない。俯き気味で、目の下にうっすらクマが見える。
「……ライネ、ここ最近具合悪そうだよね」
どうしたの? と聞いてみると、ライネは少しの間を置いて「そう?」と目を細めた。
「この季節だから、じゃないかな」
「この季節?」
シャロンはううん、と考えて、取り出したスマホでカレンダーを眺める。
2月の最終週。カレンダーの上ではそろそろ春だけど、まだまだ寒い。そんな季節。
「冬だから?」
「まあ、大体そんな感じ」
「……むう」
でも、なんだかその答えに納得がいかなくて、じっとりとライネを見る。
彼女はその視線から僅かに身体を引いて、「何」と聞き返した。
「ライネ。もうちょっとはっきり言って」
「はっきりもなにも。この季節だから、よ」
「違うー。もっと具体的にー」
「具体、的に……」
少しだけ考えて。視線を落として。ライネはシャロンが持っている携帯を人差し指で引き寄せた。
画面に映っているカレンダーをつい、と動かして。「ここ」と指で指し示す。
「2月、14日?」
「そう。……あと」
軽くスクロールをして、もうひとつの日付を爪でこつんと小さく叩いた。
「3月14日」
「大体その一ヶ月。そんな季節なのよ」
ライネの言葉をシャロンは考えるが、特に思い浮かばなかった。
「バレンタインからホワイトデー……、だよね。なにかあるの?」
「あるの」
彼女は溜息と一緒に頷いた。
「シャロンは、私が何の話かは知ってるよね」
「うん。縁鋏」
スマホを仕舞いながら答えると、彼女は「そう」と頷いた。
「縁が切れるかどうかを占うのが本来の話。でも、ここ何年かね。縁を切ってって声が聞こえるの。最近とか特に」
「え。この期間に?」
「この時期だから、じゃない?」
ライネは溜息と共に答えた。
バレンタインやホワイトデーは縁を結べる数少ない日だ。
七夕と同じくらい、いや、それ以上に縁を結びたい生徒達が頑張る一ヶ月。
チョコレートで縁を渡し。マシュマロやクッキーで結び返す。
同時にもうひとつ、話があるのだとライネは言う。
この期間、縁鋏は姿を変える。
縁を切ることができるのではと。誰かの縁を奪い取れるのでは、と。
そう言う生徒が居るのだという。
鋏とは、切るものだ。
縁の強さを占うのではなく、切れるかどうかを試すもの。
本来の用途として、使われ始めているのかもしれない。
「縁鋏は、「期間限定で縁を切るもの」と認識されつつあるみたい」
変化を終えるのも時間の問題かな。と、ライネは軽く目を伏せてそう言った。
「ライネは、縁を切るの……嫌なの?」
その言葉に、彼女がぱちりと瞬きをし。
それからくすりと笑って、「さあ」と言った。
「私は縁の強さを見る者だけど、使う道具は鋏だから。できないわけじゃない。だからそれも。縁を切るのも、私の役目。……そういうことなんでしょう」
ライネの言葉に、シャロンは心配そうに眉を顰めた。
「ええー……そうなのかなあ」
「きっと、そうよ」
ライネはそう言うけれど。
シャロンはなんだか納得がいかなくて「むう」と唸った。
だって、その笑顔は受け入れている顔じゃなくて。
諦めているようにも見えたから。
きっと具合が悪そうに見えているのは気のせいじゃないんだ。
変化が辛いのかもしれない。
「ねえ、ライネ」
「なに?」
「話の変化ってさ。いいことなの?」
「どういうこと?」
ライネの首が軽く傾く。
シャロンは「だってさ」と少し困ったような顔でライネの目を見る。
明るいグリーンの視線が、首を傾げた彼女を映す。
「だってライネ、体調悪そうだもん。変化って、結構負担なんじゃないかなあ……って」
「そこは、人それぞれよ。きっと」
「そうなのかなあー」
よく分からない、という思考が表情に出たらしい。
ライネはそっと目を伏せた。
「噂が語られたり、広がるのはいいことよ。力も存在も安定する。変化があれば、それに伴う力だって付くかもしれない。できる事が増えたりする可能性だってある」
「ふむん……?」
「シャロンだってそうでしょ?」
ライネの言葉に少しだけ考える。
シャロンは“学校の裏サイト管理人”として生まれた存在だ。
存在を誇示するために、サイトの管理をして。その副産物として得た情報を掲示板に書き込んだりして、生徒との交流を続けている。
その結果。
いつの間にか新しい噂が増えていた。
曰く。
学校の裏サイト管理人は、学校の事ならなんでも知っている。
メールやチャットの情報も、きっと見られているに違いない。
それは確かに、話の変化だと言えた。
「あー。そういわれると、確かに……」
「でしょ?」
だから、話の変化を否定する訳にはいかない、とライネは言う。
シャロンはジュースのパックを両手で握って、むぅ、と小さく唸った。
「そういうのも考えておかないといけないのかあー」
「話の変化について?」
「そう」
頷いて天井を仰ぐと、癖のない金髪がさらりと揺れた。
「私は情報を集めるっていうのが役割だから……きっと、そう言う小さな情報の変化も逃しちゃいけないんだと思うの」
「“学校の情報ならなんでも知ってる”、だものね」
ライネの言葉にシャロンは「そう」と頷く。
「でも、今はまだ、“学校の裏サイト管理人”の方がまだ強いんだよね。そっちはまだ最近だから……」
「その変化は、シャロンにとって辛い?」
どうなんだろう。と考える。
やることは増えそうだけど、それだけだ。
そのためにできる事を増やそうとか、どうしたらいいかなとか、考えはするけれど。
それが体調に影響するかと言われると、今の所そんな事はない。
「私は……どうやったらいいかな、って楽しみなところが大きいかも」
「やっぱり、人それぞれなのよ」
「そっかあー……。噂話はサクラの管轄だし。もうちょっと情報収集方法強化したいなあ-」
「そうね」
がんばって、とライネは小さく笑って飲み物を口にした。
□ ■ □
その後も二人で話をする機会はあったが、話の変化についてライネが何か言うことはなかった。
その間にも、 「縁鋏」は「縁切り鋏」と呼ばれるようになり。シャロンの情報網にも引っかかってくるようになった。
学校の掲示板で。
メールで。
チャットで。
2月から3月の間に語られる「縁切り鋏」は、女子の間でひっそりと流行り、広がっていった。
そして、その時期になるとライネは憂鬱そうな顔をして、あまり外に出てこなくなった。
やっぱりあの話は、ライネにとって辛いんだ。
気付いたシャロンは何とか声をかけようとしたけれど。
その都度彼女に逃げられて、時にははぐらかされて。
結局何も言えなかった。