糸が見える話
「ねえ。ライネ。リシュ」
いつの話だったか。
金髪を冬のセーラー服にさらりと流して、シャロンはぽつりと問いかけたことがあった。
冬に入ったばかりの教室は、少々肌寒い。理科室ならなおさらだ。
暖房を入れるには少しばかり早く、かと言っていつも通りの服だとなんだか指先が冷える。
そんな教室で、シャロンはマグカップで指先を温めながら、目の前の二人に視線を送った。
「うん?」
「はい」
答えを返したのは二人の少女。
小豆茶色をした、腰まである髪の両側を三つ編みにして、背中で一つにまとめた少女。リシュ。
灰色がかった梅色を肩で揃えた少女。ライネ。
二人はそれぞれシャロンに視線を向けて、言葉の続きを待っていた。
「二人ともさ。縁って言うのが見えるんだよね」
「見えるね」
「はい」
二人とも頷く。
正直、実際聞くまでもない質問だ。どれくらいかって言うと「二人とも寝る前に歯を磨く?」くらいの。
だって二人は縁に関係のある噂話なんだから。
リシュは七夕の縁結び。
七夕になると飾られる笹飾りに作った輪を飾ると、縁を結んでくれると言う話。
ライネは縁鋏。
一度で切れたら切れやすく。三度で駄目なら切れにくい。縁の強さを占う、糸と鋏を使ったおまじない。
つまり。二人にはその「縁」が何かしらの形で見えているのでは? なんて。ちょっとした思いつきからの問いだった。
まあ、当然ながら答えは「Yes」だった。
だよね。と頷きながら次の質問を投げかける。
「それってさー。どんな風に見えるの?」
「うーん。どんな風に、って言われても」
糸かな。とライネは言った。
糸ですわね。とリシュも言う。
「糸かあ。……いや、糸って言ったって色々あるじゃない?」
糸と一言に言っても幅広い。
ケーブルだって色々あるんだ。糸にはあんまり詳しくないけど、布だって多種多様だ。それを作る糸にだって、当然種類はあるに違いない。
「そうですわね……私の場合は」
リシュは自分が持っていたリリアンの糸を一本するりとポケットから取り出して差し出した。
「この糸が一番近いでしょうか。こう、細い糸が絡まって強くなったもの。しなやかに伸びて、柔らかい。そのような物ですわね」
「ほうほう。なるほどねえ」
リシュが差し出した糸をまじまじと見つめ、指に絡めたりしてみる。
つるりとしたそれは少しだけ冷たくて、柔らかい。
「それが縁の数だけ指に結ばれている、と思っていただけると分かりやすいでしょうか」
「……縁の数だけ」
「ええ」
「なんかすごい数になってそう。っていうか絡まりそう」
糸が絡まった指を想像して、なんだか難しい顔になったのが自分でもわかった。
ぐちゃっとしたものはあんまり好きじゃない。なんであれ、綺麗に並んで、整頓されていて。誰にでも見やすいものがいい。
それがしっかり表情に出ていたのだろう。リシュがこっちを見てくすくすと笑った。
「実際は綺麗なものですわ。指輪を重ねたように並んでいますし、糸が絡まるようなこともございませんの」
「へえ……」
しばらく眺めたあと、外した視線でもうひとつの回答を催促する。
「ライネは? やっぱりおんなじものが見えてるの?」
「うーん。私はちょっと違うかな」
私の場合は、とライネは少し考えて「刺繍糸」とぽつりと答えた。
「うん。それが近いかな。刺繍糸。多分、仕組みはリシュと一緒。約束とか、偶然とか。そんな細くて頼りないものをたくさん束ねてできるひとつの糸。そんな感じ」
でも見え方は大体一緒かな。と付け足した。
「へえ……見えてるのは糸なのに種類は違うんだね……」
自分の指を広げて彼女たちに示してみる。
自分の視線には、ただの手。糸なんて見えないけど、彼女たちにはその手に何かが見えているのだろう。指から少しだけ視線を移動させて。二人は頷いた。
「多分」
「そうですわね」
「不思議だねえ」
「まあ、本質は同じものなんだよ」
答えたのはライネだった。
「というと?」
「多分。私もリシュも、同じものが見えている。「人と人を繋ぐ」「細いものをたくさん束ねた」もの。あと、多分だけど「その人の関係性が持つ色や状態」も。そんなものが、単純に「糸」という形で見えている」
「ふうん、なるほどなー……」
こくこくと頷いてみて、はた、と気付いた。
頷いていた首を、そのまま傾ける。
「その人の関係性が持つ色や状態、ってどういうこと?」
「そうですわね。その人の持つ縁の種類、とでも申しましょうか」
今度は私が、とリシュがにこりと笑って質問を受け止めた。
「縁、と一言に言ってもいろんなものがございます。血縁、鎖縁、他生の縁、合縁奇縁……様々な言葉に表されますように、その関係性や特性も様々ですの」
「ほうほう」
「色や強度もそこに起因するものが多くございます。どの方がどのような縁をお持ちかは、プライバシーというものありますから、詳らかにすることはできませんが……わかりやすいもの、といえば赤い糸が代表的でしょうか」
「あ、それはわかる」
ぽん、と手を叩く。
その話はどこかで読んだことがあった。運命の赤い糸、と言うやつだ。
話によってその糸が繋がっている場所は異なるらしいが、日本だと……。
「小指にあるやつだっけ?」
「はい。その話が有名ですわね。縁の中でもいつか結ばれる、という未来に繋がる糸は赤く見えたりしますの」
「へえー……」
赤い糸かあ、とその色を思い浮かべる。
誰かの指に繋がっている、真っ赤な糸。例えばリシュとヒキホシのような――。
と考えたところでふと思った。
「え。もしかしてこの学校に居るの?」
「さあ、それは」
「どうだろ」
二人は間髪入れずに首をかしげる。
それは予想外の答えすぎて、思わず声を上げた。
「えっ、二人にもわからないの?」
「いや?」
「分かりますけれど……」
秘密。と二人は声を揃えて言った。
「ええー」
ここでまさかの秘密とは気になる。
頬がぷくりと膨らむ。手のひらでぱたぱたと机を叩いて、自分が発した質問の答えを求める。
「居るか居ないかだけでも教えてよー。大事な情報だよ気になるー」
が、リシュはニコニコと笑ったまま。ライネは興味なさげに視線をそらして。
「そこは居ても居なくても」
「答えられない質問、というものですわね」
なんて言った。
「なんでさケチー」
「シャロン、よく言ってるじゃない。プライバシーは大事、情報は大事な時にとっておくもの。って」
「言うけどー……」
「そう言うこと。この情報を持ってる、得ることができる、って言うのも私たちの強みなんだから」
そうそう渡せるもんじゃないんだよ、とライネは口の端を少しだけ釣り上げて笑った。
□ ■ □
しばらくぶつぶつと言っていたシャロンは、それをぴたりと止めて顔を上げた。
「ねえ。その縁ってさ。私も見ることできるのかな?」
「「え?」」
二人の声が重なった。
「いや、そう言うのができたら楽しいんだけどなあ、って思って」
そうしたら、縁を見ることができる。それもまた、情報収集の一環として使えるのではないか。
なんて思ったんだけど。
「まあ、楽しいかもしれないけど。ダメだよ。シャロン」
あっさり釘を刺された。
「だめかー」
うん、とライネは頷きながらカップに口をつけた。
「ただでさえシャロンは解析とかに長けてるんだから、それをシャロンにやっちゃったら絶対コピーとか簡易モードとか作る」
「バレてる! ……いや、やったことないからできるかどうか分かんないけど」
「でも、やってみようとするでしょ?」
「うん」
「だからダメ」
「ええー、チャレンジ権もナシかあー。でもまあ、そうだよねー」
そこは仕方ない、とあっさり身を引く。
他の人が簡単にできるようになってしまったら、それはその人の特性ではなくなってしまう。
それは、私の情報収集だし、彼女たちの縁に関する力だし。他の人にもそれぞれの領分という鋳物があるのだ。
よほどの例外がない限り、許されることじゃないのはわかってる。
だから、仕方ないね、とため息をつく。
「ああでも、いつかみんなの能力データベースとか作ってみたいなー」
「噂話一覧とかにしとけば?」
「いや、それはもうある」
「あるんだ……」
呆れたライネの声が聞こえた気がしたけど、それは聞かなかったことにした。