恋の話に花が咲く 後編
「と、私の話はこれくらいでしょうか。あとはご存知の通りですし」
「まあ、いつも仲良しだもんなあ」
ハナが二人の姿を思い出しているのだろう。クッキーに手を伸ばしてふふっ、と小さく笑う。
「見ていると、その幸せそうなのを分けてもらえそうな気がしますよね」
「まあ。サカキ様。ありがとうございます。いつか、サカキ様のそんなお姿も見てみたいですわ。――と。私の話を長引かせてもいけませんし、ルイ様、お願いしますわね」
「うーん。ウチかあ」
サラシナは腕を組んで考え込むようにしてどう話したものか、と口を開く。
「とはいっても、ウチは最初っからレイシーと一緒におったけん。いつ気付いたとかは分からんとよねえ」
だから最初に出会った時の話をするね、とサラシナはレイシーを抱き直して話を始めた。
□ ■ □
図書室で目を覚ました時。既に人形はそこに居た。
まぶたは開くけど、まだ意識は重か。そんな事を思っていると、カウンターにちょこんと座った人形が目に入った。
黒い髪。紫の瞳。ベージュのドレス。白い肌。口だけは不機嫌そうに曲がっていたけれど。
綺麗かお人形さんね。
そう、思った。
その人形はカウンターから彼女を見下ろすように視線を降ろし。
「貴様に名をやる」
低く重い声でそう告げた。
「……人形が喋った」
ぽつりと零れた感想は、そのお人形さんにとっては不愉快なものだったらしい。ふん、と鼻を鳴らして視線だけでウチば見下ろす。
最初の印象があっさりと砕かれる。けれど、このお人形さんにとってはきっとそれこそが当たり前。当然の仕草なのだというのがよく分かるほど馴染んでいた。
「人ならざる者が、人にでもなったつもりか。人を象った者が意志を持つなど一笑に付すと?」
「そぎゃんこと思っとらんよ」
ウチが人間じゃないというのは、ぼんやりとだけど分かっとる。
きっとこのお人形さんもそうなんだ。
どっちも「人間」ではかだもん。おかしかなんて、言う訳ない。
ふるふると首を横に振ると、お人形さんは暫く黙った後「ルイ」と言った。
「るい?」
何の言葉だろうと聞き返す。
貴様の名だ、とその人形は言った。
ウチの名前、と繰り返した。
「全く、何故我がこのようなことをしなければならぬ……名を与えろだと? 全く巫山戯たことを……」
何かお人形さんはぶつぶつと文句を言っとる。その言葉を聞くに、ウチに名前をつけるよう頼まれたのだろう。そしてそれが、気に入らんとだろう。
でも。
文句を言いつつも、ちゃんと自分の名前を考えてくれていたのがなんだか不思議で、おかしくて。
「――ふふっ」
くすりと笑ったら睨まれた。
慌てて表情をしまい込んでみたとだけれど、お人形さんはそれも不満だったらしい。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
難しか人だけど。嫌じゃなかった。
だって、突然生まれたウチにきちんと名前をくれるような人なんだもん。
「ルイ、っていうのがウチの名前なんだね」
「好まぬと言うなら我は知らぬ。名を虚無に堕として消えるがいい」
「ううん。ウチ、その名前で十分――突然もらったからびっくりしたとよ」
お人形さんからの答えは無かった。
ただ、紫色の瞳が、ちらりとウチを見下ろした。
「ねえ……。っと」
聞きたかことはたくさんある。それを並べようとして、ウチはひとつ気が付いた。
お人形さんは何も言わないけれど、聞いてくれる気はあるらしい。続きを待つような視線がウチに向く。
「最初はこの質問からね。お人形さん。あなたの名前はなんていうと?」
「――」
□ ■ □
「最初は教えてくれんかったとよねえ」
レイシーったら意地っ張りだけん。と人形の頬を人差し指でつつきながらサラシナは笑った。
頬をむにむにとつつかれているレイシーはというと、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「貴様の名前に合わせてつけた物などそう易々と認めてたまるか」
「元の名前ってなんなんだい?」
「名?」
はっ、とレイシーはハナの疑問を笑い飛ばした。
「我は我。闇の中に浮かんでは消える意識に斯様な物不要であった」
「……つまりはなかった。と。そういことかい?」
レイシーは答えなかった。
それでハナが気を悪くしたような様子はなく、「そうなのか」とだけ頷いていた。
「でも今はすっかりレイシーさんで定着していますよね」
「うん。すっかりね」
サカキの言葉にレイシーではなくサラシナが頷く。
でも、とサラシナはくすくすと笑ってレイシーを抱え直す。
「ルイとレイシーって、切っても切れん名前だけん。きっとすっごく考えたと思うとよね。でも、話はこれだけかなあ。ウチらは両想いじゃなかし」
「そうなんですか?」
サカキが不思議そうにレイシーを覗き込む。
その真直ぐな視線に居心地の悪さを覚えたのか、レイシーが睨みつけるように視線を返すとサカキはびくりと肩を揺らして視線を逸らした。
「――そも、人を模しただけのものに、その感情を解する必要など」
「レイシーってば素直じゃなかけん、すーぐこう言うこと言うとよ」
「でも、少しは仲良くなれているのかい?」
ハナの問いにサラシナは「もちろん」とにっこり笑って答えた。
「それはお前の勝手な」
「そうじゃなかったらこうして一緒に話、してくれんでしょ?」
「……」
「別にね。レイシーが今ウチを好いとらんでも良かとよ。ウチ、レイシーが本当に思ってることしか言わんの知っとるし。少しずつでよかし、ウチはいつまででも待つけんね」
むすっとした顔で視線を逸らすレイシーと、それを抱えてニコニコとしているサラシナ。
少しの沈黙の後、根負けしたのはレイシーだった。
「…………馬鹿が」
そう言って溜息をつく。
「うん」
サラシナはそんな言葉にも嬉しそうに笑って頷いた。
「いやはや実に幸せそうな話でなにより――」
と、言葉にそっと割り込むように、ドアが開く音がした。
ハナの言葉が途切れ、全員の視線がそちらを向く。
ドアの隙間から覗いていたのは桜色の髪。
「あ。話の邪魔、しちゃったかな」
「サクラさん」
声に反応して、誰よりも先に席を立ったのはサカキだった。
そのままぱたぱたと駆け寄りドアを開ける。彼の手にあったものに視線を向けて「どうしたんですか?」と問いかける。
「うん、ハナブサさんのお菓子ができたから持ってきたんだけどね――」
三人は言葉を交わすサカキとサクラをじっと見て、それからそっと視線を交わした。
「やはりサカキ様はサクラ様と一緒にいらっしゃる時の方が」
「うん、生き生きてるというか。嬉しそうに見えるのだが」
「だよねえ。けど、サカキくんはサクラくんのこと目標としか見とらんとよね……」
「うむ。さっきの話では」
「そう仰ってましたわね」
サラシナの声に二人は頷く。
「サクラ君はどうなんだろう?」
ハナがちらりとドアの方を伺いながら首を傾げる。
「ウチ、サクラくんもサカキくんと一緒のこと考えとると思うとよ……」
「それってつまり」
「きっとその想像通り。サクラくん、サカキくんの身体のことで責任感じとるしねえ」
ああ、と二人が頷く。
サカキが校内で命を落とした時。それを助けたのがサクラだった。
人間として終わった命を拾って、こちら側の存在としての手引きをした。
ただしそれは、全てサクラの独断で行われたことだったのをサラシナは知っていた。
いつも落ち着いたサクラなのに、あの時だけは珍しく取り乱し、泣きそうな顔で彼女を見守っていた。
サラシナはあの事故の前から二人を近くで見ていたから、サクラの感情には何となく気付いていた。
けれども。
今、それは「責任」という言葉で塗り潰されている。
サラシナにはそんな風に見えていた。
「サクラくんとサカキくんは、現状では先輩と後輩止まり。道のりは遠かよ。きっと」
「…………」
三人が小さく溜息をついた所で、サカキがトレイに乗った美味しそうなパウンドケーキを持って戻ってきた。
「ハナブサさんのお菓子ができたそうで、頂いてきました――って、あれ、皆さんどうしたんですか?」
不思議そうに首を傾げるサカキに、三人は声を揃えてこう言った。
「ううん。何も」