恋の話に花が咲く 前編
ある日。ハナがぽつりとつぶやいた。
「ヤミちゃんは恋をしたことがあるかい?」
「はあ?」
隣に居たヤミが怪訝な顔をして問い返す。
「いや、ふと思っただけなんだけどね。こう……」
と、彼女の視線の先には、糸を編んでいるリシュと、その隣でお茶を飲んでいるヒキホシがいた。
「リシュちゃんを見てたら、なんだかこう……気になってなあ」
「へえ」
「あ、興味なさそうな返事だな」
「……実際ないし」
ヤミの言葉がお気に召さなかったのだろう。ハナはむう、と唇を尖らせる。
「ヤミちゃんは昔からそうだったな。全くお堅い」
「いや、そういう話題で俺を話し相手にしようってのが間違ってるんだ」
ヤミはめんどくさそうに言い放って湯のみに口を付けた。
「もしかしたらヤミちゃんのちょっと甘酸っぱい恋バナとか聞けるかもしれないという淡い期待が」
「あるのか?」
「申し訳ないがちっとも」
「申し訳なさがちっとも見えない……そう言うのは女子でやれ女子で」
ヤミの言葉には「もうこれ以上取り合わないからな」という言葉が込められていた。
ハナも「まあ、それはごもっともな意見だ」と頷いて――先程視線を送っていた二人に声をかけた。
「じゃあちょっと……ヒキホシ君」
「なんだい?」
ヒキホシと呼ばれた少年がのんびりと返事をする。
「ちょっとリシュちゃんを借りてってもいいかい?」
「私ですか?」
リシュが紐を編む手を止めて首を傾げる。
「うむ。君が良ければ、だけれど。女子だけで集まって恋の話でも聞かせてもらいたいと思って」
「恋、ですか……」
「ダメかい?」
首を傾げたハナの言葉に、彼女はふるりと首を横に振ってにこりと笑った。
「私の話でよろしければ」
□ ■ □
「と、いうわけで!」
いつも集まる理科室ではなくてひとつ上の階にある物理室に集まったのは。
ハナ、リシュ、サカキ、サラシナ。
「おい。何故我もここにいるのだ」
それからレイシー。
「だってウチ。レイシー置いてどこか行くなんて考えられんから。つい」
それとも理科室に置いてきた方が良かった? と問うサラシナに、レイシーは溜め息をつきつつ首を横に振った。
「お前が離れて我が闇に堕ちし可能性を考慮すると……最善か。勝手に語らっておくが良い」
レイシーは頭痛を堪えるように頭を押さえ、溜息をついた。
「あはは、レイシーも話してくれて構わないんだが」
「話すことなど無い」
素っ気ないレイシーの言葉に、ハナはからからと笑いながら頷く。
「残念ながらボクも話のネタがないのだけれどな!」
「あら。ハナ様はヤミ様といつも一緒にいらっしゃるじゃないですか」
それなのにお話しすることはないんですの? とリシュが穏やかに問うと、ハナは困ったように笑って頬を掻いた。
「あー……あはは、それはアレだ。ご期待に添えなくて申し訳ないが、ボクとヤミちゃんは恋仲にはなれないんだ」
「そうなの?」
首を傾げるサラシナに、ハナは頷く。
「うむ。隠しておくことでもないからいいか。ヤミちゃんはボクの弟さ」
その言葉に全員がぱちりと瞬きをした。
「ははあ……二人とも一緒に来たけん、何かしら関係があるとは思っとったけど」
「ヤミ様は弟君だったのですね。それは……」
「ヤミくん。苦労しとるねえ」
サラシナの言葉にハナは「どういう事だい」と頬を軽く膨らませるが、すぐにそれを笑みに変えた。
「ま、そういう訳でボクとヤミちゃんの話は残念ながら恋バナにはなり得なくてなあ」
申し訳ないね、と肩をすくめる。
「でもほら。そう言う話、たまには聞いてみたかったりするじゃないか。恋の有無は別に問わないがすぐ集められた人、という訳でこのメンバーだ」
「なるほどなるほど」
頷いたのはサラシナだった。隣に座るリシュに、楽しみだと言わんばかりの笑顔を向ける。
「恋バナって面白そうだけん、ウチも一度やってみたかったとよ」
「恋、というものは心が躍りますものね」
「うん。小説でもマンガでも、もちろん体験談でも――いつだって楽しいものだけんねえ」
リシュとサラシナがきゃっきゃと盛り上がるのを聞きながら、ハナはサカキに視線を向けた。
サカキは二人が眩しいのだろうか。視線を向けつつも、なんだか小さくなってそわそわとしているように見えた。
「サカキくんはどうなんだい?」
「えっ。僕、ですか……?」
ええと、とサカキの視線が天井を向き。すぐに机の上のクッキーへと落ちてきた。
「僕も、お話しすることがないので、聞くばかりになってしまうかと……」
なので、ここに居てもいいのでしょうか、と問うサカキに。
「あら」
「おや」
「まあ」
三人が同時に声を上げた。
「サカキ様、恋をしてらっしゃらないのです?」
不思議そうにリシュが問う。
「そういうのを、読んだりするのは好きなのですけど……」
「いつもサクラ君と一緒におるとに?」
首を傾げてサラシナが問う。
「え、ええと。サクラさん、ですか?」
逆にサカキは不思議そうな顔をして。すぐに顔を赤くしてぱたぱたと両手を振った。
「あのっ。サクラさんとはそんな……! 確かによく一緒に居てくれますが。その……僕の憧れ、えっと、目標の先輩でっ!」
「ああ。それで」
「あー、なるほど……?」
リシュとサラシナが何か心得たように頷いた。
「てっきり二人は……と、思っていたのだが」
頷きながらハナはクッキーに手を伸ばす。
「サカキくんはサクラくんと一緒に居てドキドキすることはなかと?」
「どきどき……?」
不思議そうな顔をして、サカキはふるふると首を横に振る。
「会えない時間は何をしてらっしゃるのか気になることは?」
「そう言うときは、サクラさん忙しいのだと思ってます」
リシュの質問にも澱みのない返事だったが。
「なるほど。彼女ができたら、って考えてもやっとしたりとかしないのかい?」
「えっ。そうしたら……って、僕の話じゃつまらなくないですか?」
あっという間にサカキが音を上げた。
「いや、これはこれで面白い話になりそうだが……まあ、こう言うのは」
「私達が口出ししてどうにかなる物ではありませんわね」
皆が頷くのを見て、サカキは少しだけほっとしたような表情でカップに口をつけた。
「皆さんの質問の方がドキドキします……。と、いうわけでですね。その、僕は恋というのを本でしか知らないのですが。お二人はご存知なのですよね」
教えてもらえますか。とサカキは照れたように笑って二人に聞き返した。
「私の場合は初めてお会いした時の印象、でしょうか」
所謂一目惚れ、というものでございますね。とリシュは静かに笑った。
「私、売店ホールで紐を編んでおりましたの。そうしたら丁度ヒキホシ様が通りかかられて――」
あら。と、私声をかけましたの。とリシュは静かに話し始めた。
□ ■ □
それはきれいな夕暮れの日だった。
夜とも呼べる時間になってもまだ明るい売店ホールに居たリシュは、ふらりとした足取りでやってきた少年に声をかけた。
「あら。貴方様、初めましてね」
お名前は、とリシュは穏やかに尋ねた。
「ああ……初めまして。僕、……えっと」
頭を掻きながら、己の名前に戸惑うその姿。
逆光で表情はよく見えなかったけれども、リシュはそこに困ったような照れたような。そんな表情を見た。
そしてそれが、なぜだか胸に。すとん。と落ちてきた。
安堵と不安が混ざったような、感じたことの無い胸の感覚に戸惑いが走る。
「ごめん、名前はよく分からなくて……君は?」
「ああ、失礼致しました。私、リシュと申します」
「リシュさん」
名前を呼ぶその声も、耳にとても心地いい。くすぐったくて、それでいて胸の奥をざわざわと波立たせる。
「リシュ、で結構ですわ」
その声は震えていなかっただろうか。
その心配はいらなかったらしい。彼は穏やかに微笑んでその名を呼んだ。
「それじゃあ、リシュ。その。君は何をしていたんだい?」
「私は……そうですわね」
膝に降ろした手をそっと胸元まで持ち上げて、手にしていた道具を示した。
「紐を、編んでおりました」
□ ■ □
「そうしてハナブサ様にヒキホシ様を会わせるお約束をして、一緒に話をするようになりましたの」
「ほうほうなるほど。そうして仲良くなっていった、という訳だね?」
はい。とリシュは頷く。
「ねえねえ。リシュちゃんは縁結びの噂話とよね。自分で縁を結んだりはせんかったと?」
ぽつりと問うたサラシナの言葉に、リシュは「そのようなこと」と首を横に振った。
「本来縁は自然と繋がれるもの。約束や会話を重ねることで強くなるのです。私ができるのは一時的に結びつけることだけ。それが永続的なものとなるかは両者の行動にかかってますから。そこに私は手出しできません」
ですので、とリシュは言う。
「言葉を交わした時点で細くも縁はできた。後は私がどう頑張るか、ですわね。ヒキホシ様の隣に相応しく在れるよう、私なりの努力は致しましたわ」
とはいえ、とリシュは小さく溜息をつく。
「ヒキホシ様は人様の願いを叶える噂話。私が強く願えば願うほど、ヒキホシ様はその願いを叶えてしまうでしょう。ですので、できるだけ想いを秘めて。でも隣に在れたらと願って……ああ、あの頃は毎日苦しかったけれども幸せでしたわね」
思い出したのか、リシュは僅かに睫毛を伏せた。淡い色の瞳に影が落ちる。
その頬は淡く染まっていて、可憐な花のような笑顔だ。
「私とヒキホシ様の共通点というのは七夕話だけでしたけれども……共に天の川を眺めて星の話をする。それだけでも星空がとてもきれいに見えました」
そして想いに応えてくださった時は、これ以上無い幸せでしたわね、とリシュは穏やかに微笑んだ。