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2月:猫の日の猫、尻尾を探す

「やみ君やみ君」

「……ん?」

 足を止めて振り返ったヤミは、はて、と首を傾げた。

 今確かに呼び止められたはずなのに、そこには誰も居なかった。


 のんびりとした、というか多少とろみのあるような声はチシャのものだと思ったのだが、その姿はない。

 天井か? と見上げてみる。居ない。


「……?」

 気のせいか、と前を向き一歩踏み出したところで。

「ぶ」

 何かにぶつかった。

 ついでにぎゅっ、っと抱きしめられた。視界になんとか見えるのは薄い灰色。そしてもふもふと暖かい。

「ふっふっふ。やみ君はお手軽ですねえ」

「ちょっ、チシャ……な」

 なにするんだよ、という言葉はもぐもぐとチシャのパーカーに吸い込まれていって形を為さなかった。

 力尽くで腕から抜け出したヤミは、ようやくチシャと距離を取って声をあげる。

「チシャ! お前何するんだよ」

「いやあ、やみ君の背後がちょっと隙だらけに見えたので。つい、というやつでありますなあ」

「いや。ついじゃねえし。ってか、そんな平時まで張り詰めてる訳じゃないぞ」

 くすくすとと笑うチシャに、ヤミは深いため息をついて視線をあげる。

「で。何か用?」

「おや。やみ君はチシャがやみ君に何か用事があったから背後を取ったのだとお思いで?」

「意味もなくやるのか」

「ええ、まあ。やりたくなったらやりますなあ」

「……」

 思わず言葉を失ってしまったヤミに、チシャはやっぱり笑いながら言う。

「まあ、チシャは気まぐれであります故、そういうこともあったりなかったりでありまして。今日はダイジでオオゴトなので呼び止めた次第」

「大事で大ごと」

 繰り返したヤミに、チシャは「はいな」と頷く。

「やっぱり何かあったんじゃねえか」

「まだ何もないとは言ってませんでしたからなあ!」

「……」

 じっと睨むとチシャは「まあまあ」と笑った。

「今日のチシャは機嫌がいいのです。やみ君には今日という日に何が起きたのかを話すとしましょう」

「いや、呼び止めたんならさっさと話せよ!?」

「それもそうですなあ――時にやみ君」

 ぴ、っとチシャの人差し指がヤミの前に立てられる。

「今日は、何日でしょうか」

「へ? 2月の……22日」

 そう、とチシャは嬉しそうに両の手で2本ずつ指を立てて揺らす。

「2月の22日。では、なんの日だと思います?」

 考える。

 思い出せない。

「誰かの誕生日、とかじゃないよな」

「違いますなあ」

 だよな。と頷く。

 そもそもここで誰かの誕生日を祝うということは少ない。それは誕生日が定かじゃない人が多い故の文化だ。

 では、そうでないとなると? 何かの記念日だろうか。ポケットから携帯を取り出して、とりあえず日付を調べてみる。と、いくつかの記念日名が並んでいた。

「……忍者の日」

 適当にひとつ選んで答える。

「そう言うのはえでぃ君に言ってあげてくださいな。きっと喜びますよう」

 喜ぶかなあ、とヤミがつぶやく。

 そうですなあ。とチシャが答える。

「あいつ存在自体が忍者みたいだし」

 頭からつま先まで真っ黒。顔の大半もお面で覆っているエディは、色だけ見ると隠密に大変向いている。色だけは。身体のサイズが大きいので、身を潜めたりするには向いていない。だから上手く隠れることができずに写真やムービーに写り込んでしまいやすいのだ。

「素早さとか跳躍力を噂話にプラスしてあげたら、きっと忍者になれますなあ」

 喜ぶかもしれませんよ。とチシャは言う。

 喜ぶわけないと思う。とヤミは言う。

「エディはあんまり目立ちたくないっぽいから……まあ、隠れる手段としてはアリかもしれないけどさ」

「そうですなあ。えでぃ君もなかなか難しい……っと、話がずれました。2月22日ですよ。忍者じゃないのです」

 チシャがにんまりと笑って、ピースの形になった両手をぐっとヤミに向ける。

「正解は猫の日ですよ! すなわち、この学校の猫である所のチシャの日でありますなあ!」

「……おー……?」

 ヤミはどう反応したらいいのか少しだけ困って、そう言うに留めた。

 そうか。猫の日だったな、と目の前で嬉しそうにしているチシャを見て思う。

 耳……はフードに隠れていて見えないが、尻尾が1本、機嫌よさげにぴんと立っている。


 ……。

 ……ん?


「あれ? チシャお前」

「はい?」

「尻尾、どうした……?」


 チシャは。化け猫、猫又。つまり――尻尾は、1本じゃないはずだ。

 そう。彼の尻尾は。ヤミの記憶では2本あったはずなのに。


 何故か今は、1本しかなかった。


「それがですなあ。チシャも先程気付きまして」

 とほほ、とどこかオーバーに肩を落としてチシャは嘆く。

 彼が言うには、昨夜は確かに2本あったのに、今日気が付いたら1本になっていたのだという。

「まさか猫の日にチシャの象徴である尻尾が1本なくなるとは……」

 アイデンティティというものが揺らぎます、と腑に落ちないと言わんばかりの顔で溜息をついた。

「つまり。これがオオゴトでありますなあ」

「なるほど?」

「やみ君。返事が適当ですよう」

「そう言われても……別に良いんじゃないか? チシャはチシャだし。噂が変わったとかならちょっと詳しく聞きたいけど」

 何が大ごとなのかよく分からなかった。

 チシャが化け猫な事には変わりないのだから、……いや、尻尾が1本だと本当に化け猫として認識されるのか?

 そんな疑問がよぎった。

 今はこうして人の形をしているチシャだが、猫の姿になって尻尾が1本になってしまうと……。

「あー……なるほど? 尻尾が1本だと化け猫じゃなくてただの猫になってしまうってことか」

「ええ」

「でも姿が人だから十分化け猫だぞ。アイデンティティ云々言うならいっそ普通の猫になればいいのに」

「いやあ、この姿は気に入ってるので極力これでありたいのです……が……」

 ふと。何かに気付いたように。チシャはヤミをじっと見る。

 ヤミは何を見られているのかと、視線で問い返す。

「いや、ちょっと思いついたことがありまして」


 にやぁ、と笑ったチシャの表情に、ヤミは何も察せなかった。

 嫌な予感がする、という予感の察知すら、遅かった。



 □ ■ □



「……チシャ。どういうことだ」

 ヤミは学ランの上に長い灰色のパーカーを羽織って、いや、羽織らされていた。裾が長いそれは、小柄なヤミが着ると足元を引きずりそうにも見える。袖も随分と余っている。全体的にぶかぶかだ。そしてそんなパーカーのフード部分には、小さな猫が1匹入っていた。

 にゃあにゃあと機嫌良さげなその猫は、ヤミの肩に前足を乗せ。水色にも赤紫にも見えるアレキサンドライトのような瞳を、楽しそうに細めた。

「これなら、チシャも一緒に尻尾を探せると思いまして」

「いや、手分けして探すとかないのか」

「そんなに急ぐものではありませんし。たまにはこう言う交流もアリではないですか?」

「お前さっきまで尻尾がなくなったってへこんでなかったっけ」

「そうでしたっけ?」

「…………いや、うん。いいや、探そう」

 そうしてヤミは身体に合わないパーカーを引きずるようにして、猫と共に校内を歩き回る。


 あちこち聞いて回ってみたが、目撃者などやっぱり居るはずもなく、尻尾が見つかる気配はなかった。

「うーん。これで心当たりは回ってしまったんだよな」

「そうですねえ」

 チシャが頷く。

「思いつく所、昨日から今日にかけて歩いた場所はぜえんぶ回ってしまいましたなあ」

「お前ホントあちこち行くな……屋根裏とかどうやったら服汚さずに移動できるんだ」

 そう言うヤミが着ているパーカーは埃や土で黒く汚れていた。屋根裏、裏庭、人がなかなか通らない階段に校庭へと抜ける裏道等々、本当に学校中のあちこちを歩き回った。それは汚れない方が不思議というものだった。

 何度も「お前本当にここ通ったのかよ」と問いかけたくなったし、実際二、三度問いかけた。が、チシャは飄々と「通りましたよう」というばかりだった。

すっかり汚れてしまったパーカーをつまんで、ヤミはため息をつく。

「洗濯で落ちる気がしない……リラに怒られないといいけど。まあ、これは俺が頼みに行くか」

「ふっふっふ。やみ君はそう言う所が真面目ですなあ」

「それは他の奴らに比べたらそう見えるだけだよ。俺、別に真面目であろうとか思ってないし」

「そうなのですか?」

 チシャは意外そうな声を上げた。

「むしろ、どうしたらそう見えるんだよ」

「いやあ、はなさんなどの相手をしているときなど、真面目に返事をしたり声を上げたりしているので」

「それはアイツが悪い」

 きっぱり言うとチシャは「そういうものですか」と頷く。

「つまり、チシャもあのような振る舞いをすればやみ君が面倒を」

「見ねえよ? そういうのハナだけで十分だから」

「――ほう?」

「!?」

 突然湧いた声に、ヤミは一歩飛び退きながら振り返る。

 そこにはカーディガンの袖をぴこぴこと振って立っている少女、ハナが居た。

 さっきの話題は聞こえていただろうに、彼女はそれよりも気になったであろう事――ヤミの羽織っているパーカーに視線を留めた。

「なんだいヤミちゃん面白そうな格好をして――っと、その猫はもしや」

「はあい。チシャですよう」

 ぴこ、と手を上げて挨拶をしたらしい。肩でチシャの前足が動く気配がする。

「おお。チシャ君か。猫の姿はまた可愛らしいなあ」

「ええ。猫ですからあ」

 話が逸れたか、とヤミが少しだけほっとする。

 が、そこを逃がしてくれるハナではなかった。すぐにその矛先は戻ってきた。

「で、ヤミちゃんはどうしてそんな面白い格好なんだい? それ、チシャ君のだろう?」

 と、ハナはそのパーカーを指差して首を傾げる。

「それは――」


 かくかくしかじか。と。

 事情をハナに説明すると、彼女は「ほうほうなるほどそれはそれは」と面白そうに頷いた。

「つまり、チシャ君は今普通の猫」

「いや、普通の猫が喋ってたまるか。外側だけだ外側だけ」

 ハナの言葉にヤミが反論するも、二人はそれを無視して話を続ける。

「そうかあ。で、尻尾をどこに落としてしまったか……だな」

「そうなのですなあ。アレがないとチシャはチシャらしく在れません」

「いや、十分らしいから心配するな」

 ヤミが溜息交じりに呟くと、チシャが身を乗り出してきた。チシャのもふもふとした毛が頬をくすぐる。

「でも、尻尾が足りないというのは落ち着かないのですよう。もし落ちそうになった時バランスがうまく取れませんしなあ。今だってほら。ご覧の通り」

「ああもう、そう言うんなら危ないことするなよ」

 身を乗り出しすぎたチシャをぐっとフードの中に押し戻してやる。チシャは機嫌よさげにフードの中に収まった。

「ったく。一日くらい落ち着いて過ごせよ……」

「あっはっは。ヤミちゃん。そう言うのは、できる人とできない人が居るんだぞ?」

「お前はできるはずなのになんでやらないんだろうな」

「やる気がないからな」

「……」

 ヤミは「そう」と溜息をついた。そして脱線した話を戻す。

「で、尻尾の在処か……」

「ん? それは別に探す必要なないのではないかい?」

 ハナはさも当たり前のようにそう言った。

「なんで」

「だってチシャ君は猫の日だから普通の猫になったのだろう?」

「あー……。多分……?」

 普通の猫になった、とチシャは言う。が、本当にそうなのだろうか。という疑問が頭から離れない。

 ハナはそんなヤミに人差し指を振ってにこりと笑った。

「猫の日なら猫らしく。それが猫の日なのだろう。化け猫もまた然りさ。ならば、それが終われば尻尾も元に戻るのでは? 焦るのは明日。もし戻ってこなかったときのために取っておくべきだと思うな」

 ハナの理屈はよく分からない。

 とりあえず、今日はどんな化け猫も姿形だけは普通の猫、と言うことなのだろうか。

「いや……そんな謎の理屈でいいのか」

「はっはっは。そんなに褒めなくいいさ。もっと褒めても構わないよ!」

 ハナは立てた人差し指以外の指を全部広げ、ぱたぱたと振る。

「はいはい」

 これ以上言っても無駄だと悟ったヤミはただ頷くに留めておくことにした。


 かくして。

 尻尾探しは明日以降、と言うことになり。

 ヤミはと言うと、残りは「面白いから」という理由でそのままパーカーを着せられ、フードに猫を入れたまま過ごすことになった。


 日付が変わって次の日。

 チシャの尻尾が何事もないかのように戻ってきたのは、言うまでもない。

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