1月:石灯籠の隣で君を待つ 1
学校の正門をくぐると、すぐ横に大きな石がひとつある。
いつからあるのかはわからない。
生徒の身長より少し大きなその石はごつごつとしていて、どこか不格好で。
それを台座にするように灯籠がひとつ彫られている。
門を通り過ぎると突然現れたように出迎えるその石は、生徒達にとっては当たり前の存在だった。
小石がひとつ、転がっていく。
それは帰っていく生徒達の足元を縫うように弾んで、舗装された正門の前で止まる。
動きを止めた石を追いかけるように、ひとつ、またひとつと石が転がる。
石の上には、ひとつの影。
「うーん……」
闇に浮かぶ青い瞳が転がっていく石をいくつか追いかける。
またひとつ、石が転がり落ちる。
それをぱし、っと片手で受け止めて、手近な草むらへと転がした。
白い溜息が消える。
「……信じるんじゃなかった、かなあ」
その言葉は、薄暗い闇の中にそっと溶けて消えていった。
□ ■ □
「あ。ウツロさん。おはよう」
サクラは前を歩くウツロを見つけて、声をかけた。
彼はすぐに足を止め「ああ、、おはようさん」と振り返る。
朝の授業が始まったばかりの学校は、人の気配はあちこちにあるのにどこか静かだ。
二人で理科室に向かいながら、サクラは本題をウツロへと切り出した。
「ウツロさんさ、最近門の近くに転がってる石、知ってる?」
「ああ……あれか」
俺も聞こうと思ってたところだ、とウツロは頷く。
ここしばらく、校門に小石が落ちている。
毎朝掃除する時には無いのに、夕方になるといくつか転がっているのだと教師がこぼしていた。
教師達は、生徒のいたずらではないかと考えているらしく、それについての注意も各教室でされていた。
気付いたら落ちている、と言うものなので今の所害はない。あったとしてもうっかり蹴ってしまったとか、自転車で踏みかけたとか。そんなのだ。いや、十分危ないとは思うのだけど。それで怪我をしたという話は聞かない。部活動中に気付いた生徒達も自主的に石を路肩に寄せてくれている。
だから今は大ごとにはなってない。
なっていないのだけど。
日に日にその石は大きくなり。数を増やし。目立つようになってきた。
生徒の間では「石がどこからともなく飛んできた」という声も出始めているらしい。
それはいつしか、「話」としていくつかの形を持ち始める。
曰く。
門の横の石灯籠が石を投げている。とか。
石灯籠に小石が詰まってるのを見た。とか。
そこに座ってる影を見た。とか。
あそこには鬼がいるんだ。とか。
「鬼、ってのが気になるんだよな……」
「そうなんだよね」
ウツロの言葉にサクラも頷く。これまで学校に「鬼」と呼ばれる存在が居たことはない。それは、自分達が知る誰かではない可能性が高い。
「まあ、もともとそんな由来の石だから……鬼っていうのも多分そこから出てきたんだと思うけど」
「ほう? そうなのか」
ウツロが興味を動かされたような声を上げた。
「うん。あの石は、昔話に出てくる石だって聞いたことがあるよ」
「昔話か……それは、鬼と関係あるのか?」
「そうだね。あると思う」
サクラはその岩にまつわる話を簡単に伝える。
とある大きな山に住む鬼は、お互いの山に届くよう石を投げ合った。
投げた石全てがお互いの山に届いた訳ではなく、いくつかは途中に落ちて。
そのうちのひとつが、正門横にある石なのだという。
「だからあの石に鬼が、って話になるのか」
なるほどな、と頷きながら理科室の戸を開けると、すでにお茶の用意をしていたハナブサが「おはよう」と声をかけてきた。
「二人一緒にやってくるなんて珍しいね」
「ちょっとそこで会ったからな」
話ついでだ、とウツロが答えるとハナブサは何かを察したらしく「なにかあった?」と心配そうに眉を寄せた。
「なに、大した話じゃないんだが……」
と、ウツロが今話したことをまとめてハナブサに伝えると、彼は「鬼の石かあ」と困った顔をした。
「ん? 英は鬼を知ってるのか」
「む」
お茶の入ったビーカーを置いたハナブサの手がピタリと止まった。ウツロの方を向くその表情は不満げだ。
「ウツロは私がまだ世間知らずだって思ってるでしょ。本だって随分読んだし、鬼が出てくる話くらい知ってるよ」
ぷく、とハナブサの頬がわずかに膨らむ。
そうかそうかすまなかった、とウツロが苦笑いで謝るとハナブサは「もう」とため息をついて話を戻した。
「もし、それが本当に鬼の仕業で。生徒達が怪我でもしたら大変よね」
「そうだな」
「止めることって、できるのかな?」
「できるかどうかはわからんな。まあ、まずはその石の出所を探るところから、だろうが……サクラ」
「うん。俺が生徒に混じって様子を見てくるよ」
サクラが頷くとウツロは「話が早くて助かる」とハナブサに出されたビーカーを手に取った。
「俺もできるだけ様子は見ておくがな。生徒に紛れるならお前さんが適任だろう」
「そうだね」
「私も何かできるといいんだけど……二人とも、お願いするね」
「おう」
「うん。任せて」
□ ■ □
その影との出会いは、割とすぐに訪れた。
冷え冷えとした空気の中過ぎていく1月も終わる頃。
帰路につく生徒達をぼんやりと見送り終えたサクラは、影をひとつ見つけた。
正門横の石灯籠。その上に誰かいる。
薄暗い薄闇の中。その姿は影しか見えない。わかるのは、深くかぶった帽子と長くうねった髪だけだ。
――あれはもしかして。
そう思ったサクラは門へと近付く。
と。
その影がふと顔を上げた、ように見えた。
闇に浮かぶ青い瞳が、サクラの視線と交わった。
「あ」
それはどっちの上げた声だっただろう。
二人ともわずかに動きを止め――動いたのは影の方だった。
音もなく石の上に立つと、ほぼ同時に灯った街灯が、その影の姿をあらわにする。
生徒と変わらないセーラー服。深くかぶった学生帽。そこからこぼれて背中に流れるうねった長い髪が、風になびいている。
わずかに伏せられた青い瞳が、こっちをじっと見ていた。
「あなたは?」
口調は軽い。言葉だけを素直に捉えるなら人懐こそうなのだが、視線にその軽さは一切ない。
むしろ、こちらを見定めようとしている。そんな目だ。
「何、って……。この学校の生徒だけど」
「んー……? それ、嘘ですね?」
嘘は良くないなあ。と、彼女は軽く首を傾げながらもきっぱりと言い切った。
「分かるんだ」
「私、人の気配には敏感で。あなたはこう……“人間”の気配が薄いといいますか」
「そっか。……うん。その通りかも」
サクラは小さく笑った。
自分が人間だった頃の夢はよく見るけど、その実感が日に日に薄れているのは分かっていた。だからその言葉に何か思うこともなく、すんなりと受け入れた。
「俺はサクラ。桜の木の下にある死体の話って知ってるかな?」
それだよ、と簡単に自己紹介をすると、彼女は少しだけ不思議そうな顔をしたが、「そうなんだ」と頷いてくれた。
「でも。そっか。……違ったかあ」
「……何が?」
サクラが首を傾げると同時に、彼女は石の上から飛び降りた。
軽い足音を立てて地面に降り立ち、そのままの足取りでサクラとの距離を詰める。あと一歩と言うところまで近付いて、掬い上げるように見上げる。
瞳の色が鮮やかにサクラを射抜く。
「あなたは、私に何か用があるんですか?」
青い目がすうっと細くなる。綺麗な色をしているけれど、切れ味の悪い刃物のようだ。
それに気圧されつつも、その目を見下ろしてサクラは用件を伝える。
「最近この辺で石を投げてる人を見てないかなと思って。見たことがあるなら教えて欲しいんだけど」
「――どうして?」
「えっと。危ないからやめてもらおうかな、って思ってるんだ」
「危ない、から」
「そう、危ないから」
「あー……」
視線が僅かに逸れた。
これは何か知ってるに違いない。と確信したサクラは言葉を重ねる。
「なんなら君から伝えてもらってもいい。それが難しいなら……って、ちょっと!?」
慌てて言葉を止めた。