10月:嘘とお菓子といたずら猫 後編
まるで過ごしやすいクッションか何かのように、蛍光灯に寄りかかってくつろいでいる。
完全に重力に逆らっているが、そんなこと気にしていないようだった。
丈の長いパーカー。猫のような耳を象るフードから零れる、緑がかった水色の髪。
瞳は光の加減で紫にも緑にも見える。長い二本の尻尾だけが重力に従うようにだらりと垂れ下がり、揺れている。
その姿は、さながら猫のようだった。
「チシャにもお菓子くださいな。さもないと、君の上に着地しちゃうかもですよう?」
「いや。普通に降りてこいよ」
「紅茶飴は、ありますかなあ?」
「あるから」
そうですか、と言って少年は身を起こし。
そのまま重力に身を任せて降ってきた。
「!?」
咄嗟に飛び退くと、直前まで居たその場所に彼がきれいに着地する。
「おー。お見事だねチシャ君」
「ふふー。チシャは身軽さが取り柄ですからなあ」
褒めるワタヌキに、フードの少年――チシャは胸を張る。
「お前……一体いつから居た?」
「え、ずっと居たよ? ねえ、ナオ君」
確認するかのようなワタヌキの声に、ナオタケは「うん」とうなづく。
「気付かなかった……」
「それは気付かないやみ君自身の責任でありまして。と、いうわけで。チシャはイタズラなんてしませんから、素直に飴を要求するのですよう」
「はいはい」
ポケットの中からいくつか掴んで取り出した飴の中から、リクエストの物を投げ渡す。チシャはそれを嬉しそうに両手で受け取り、頬張る。
ポケットに両手を突っ込んで、飴をころころと転がすその顔は、至極幸せそうだ。
チシャ。彼はその名前からイメージされる通り、猫だ。
神出鬼没。
自由気侭。
重力無視。
実に猫。
元は生徒がこっそり飼い始め、卒業と同時に捨てられた猫だった。
長く生きた猫は、力を持ち、二本足で歩き、人語を解すという。チシャもそんな経緯を経てここに居る。
時々「猫はやみ君と被る」と文句じみたことを言われるが、そう言われても正直困るし、知ったことではない。そもそも猫と狐の何が被るというのか。「狐も分類上猫だしな!」とハナは言うが。それなら狐は犬の仲間だし、犬も分類上は猫だ。そんな大きな括りで語られても困る。
「ところで――チシャ」
「はいはい?」
「お前、身軽さが取り柄なのは結構だけど、天井は掃除がなかなかできないんだから……ほら、埃ついてる。リラに怒られるぞ」
「おお。ありがとうございます」
パーカーの裾についていた汚れをぱたぱたと落としてやる。どうしてこうも、俺よりでかいのにこんなに世話を焼くことが多いのかと、時々疑問に思う事がある。在席年数、というくくり考えると確かに古参だけど。それと精神年齢は決してイコールではないはずだ。ないはずだよな?
埃を叩き落としながらそんなことを考える。
「チシャはちゃんとクリーニングを頼んでますから。安心でありますよう」
「いや。それ、汚していい理由にはならねえから」
どやあ、とチシャは得意げな顔だが、そこは胸を張る所じゃない。
「代わりがある、というのは。良いことです。そうでしょう?」
「そうかもしれないけどさ」
溜息交じりに頷いていると、背後でワタヌキとナオタケが飴を口の中で転がしながら話す声がする。
「でも、僕らはあんまり替えが利かないよね」
「だねえ。祝日とか記念日って以外と強い」
微妙にくぐもってるし、歯に飴が当たるような音もする。
なんて気楽な発言。とは言わないし思わない。
彼らは彼らなりに束縛されている。自分が最も力を発揮するべき日に、やるべきことやできることをやる。流行り、廃れ、移ろいゆく噂話とはまた違う行動制限。
それは。
4月1日のワタヌキだったり。
5月5日のナオタケだったり。
どこかの日付に関わる話を持つ誰かだったりする。
日付に関わる存在は細々と、けれども確実に語り継がれ、固定される。それは、ある意味では窮屈なのだろう。
だから。その日は全力で。
だから。彼らは厄介だ。
なにせその日は自由だ。やりたい放題だ。
彼らは全力で己の存在を誇示し、力を振るい、楽しむ。生徒達に迷惑はかからないように行動しているが、自分がその対象から外れたいか、と問えば彼らは口を揃えて「否」と言うだろう。勘弁して欲しい。
だから彼らは……、彼らは?
ふと、疑問が浮かんだ。
どうしてそう思ったのか、分からない。
何となく?
違和感を感じた?
どれも根拠としては弱すぎるし、唐突すぎた。指に刺さっているのに見えない棘のような。ちくりとした何か。見えないのに、気付いたらどうしようもなく気になった。
チシャは。何故ここに居る?
当たり前に存在を受け入れてたけど。
一体、「いつ」から居た?
「……?」
「どうしたのです、やみ君?」
「いや……」
チシャをじっと見上げる。吸い込まれそうなアレキサンドライトの瞳が笑う。
チシャは猫だ。月の満ち欠けに存在感や凶暴性が比例するのが難点だが、いつも……いつも? 前に会ったのはいつだった? いや、ずっと居た? 昨日の夕飯……午後だったか。そう。サカキがカップケーキを焼いていて。サクラが一緒にプリンを作っていて。そこで一緒に? ハナにプリンを食べられて。試作だと言うクッキーを食べて。屋上で月を眺めて。そう、そこで鈴の音……猫の鳴き声を聞いた気が、して? そこには俺ひとりで?
……。
「……なあ。ワタヌキ」
「うん?」
「お前、嘘吐いたな?」
「嘘? そうだねえ。それが僕だから。あ、普段は嘘は言わないよ?」
「そうだけど。あと、ナオタケ」
「うん?」
「お前も共犯か」
「共犯だなんて、人聞き悪いな」
しかし、ワタヌキもナオタケも否定はしない。
「そしてチシャ」
「んー?」
「お前、いつから“ここにいる”?」
「――ふ。ふふ」
チシャの口が、にやりと吊り上がった。
「やみ君は面白いこと言いますなあ。チシャは“ずっとここに居ました”よ? さっき、わたぬき君も言いましたねえ?」
「お前……一体いつから居た?」
「え、ずっと居たよ? ねえ、ナオ君」
「……そこからか」
「ふふっ。やみ君とこの姿は初めましてでしたなあ。でも、学校には居ました。ずぅーっと居たんですよう?」
パーカーのポケットに両手を突っ込み、彼は機嫌良さげにくるくると回ってみせた。ぴたりと止まると、二本の尻尾が揺れる。
ああ。その尻尾なら見覚えがある。
時折ハナやサカキが餌を与えてかわいがっていた猫だ。彼女達の膝の上で昼寝をし、餌をもらってにゃあにゃあ鳴いていた猫。
そう、猫だった。
「チシャは、大丈夫ですよ」
「……」
「心配なんていりません。恨み辛み妬み嫉み、チシャにはなぁーんもありません。望みはひとつ、みんなと一緒に遊びたい」
それだけですよう? と笑うその目は。
小説にでてくる猫のように、掴めない色をしていた。
「しかし、これではやみ君が困るだけのようなので、チシャについてのお話はしましょうかねえ」
□ ■ □
生徒が捨てられていた子猫を見つけた。
どこで生まれたのかも分からない。
人気のない校舎の裏でみゃあみゃあ鳴いていた。
生徒は気まぐれに餌を与え、ひっそりと校内で飼い始める。
猫が死んだのか。生徒が居なくなったのか。
どちらが先かは分からないが。
生徒はいつしか来なくなり。猫は生徒を待ち続けた。
校内を彷徨き。誰にともなく鳴き。
数えきれないほど月を見上げて。
尻尾が増えたことにも、校内の闇に溶け込んでしまったことにも気付かず。
月の満ち欠けに左右されて、鳴き続けた。
ある日、誰かがそれを見つけた。
ある春の夜、待ち続ける寂しさを月に向けて訴える影に、ワタヌキがこう言った。
「君は、もうこの学校に居場所はないよ。捨てられたんだ。拾う人も居ない。ひとりぼっちだよ」
そして、初夏にナオタケが斬った。
待てど暮らせど帰ってこない主への恨みを。寂しさを。
学校の中に燻る邪気。そこから引き出される負の感情を。
そうして彼は、居場所と姿を得るに至った。
□ ■ □
「と、言う訳で。チシャはこうして学校の猫となったのですなあ」
「……そう言うことか」
話を一通り聞いて、頭を抱えそうになった。いや、悪いことは何もない。
ただ、ちっとも気付かなかったことが、なんとなくショックだった。
「ヤミ君責任感強くて真面目だからね。でも、気に病んじゃダメだよ。表に話はあったけど騒ぎにはなってなかったしさ」
「うん。オレらが知ったのもたまたまだし」
「この姿を得たのもついさっきですからなあ」
「……うん。まあ、いいか。いい、のか?」
「良いんだよ。ちゃんとハナブサさん達には話してあるし。と、いうわけで次行こうかー」
「は?」
突然の行動宣言。ヤミがその主語を見つけるより先に、三人が動いた。
「だって、チシャのこと知ってる人まだ少ないですし?」
チシャが手を取る。
「一緒にお菓子ももらっちゃおう」
ワタヌキが背中を押す。
「ヤミも共犯だ共犯、ってかたまにはイタズラしかける方に回れよー」
ナオタケがぐっと肩を寄せてくる。
「え、なん……?」
三人が何を言ってるか、頭が追いつかない。
「よーし、次の標的はサクラかな!」
「え。ちょっ……待て、俺何も考えてな……」
「だーいじょうぶ、僕がついてるよ。今日のヤミ君は、イタズラがしたくて仕方ないんだって聞いたから」
「誰にだよ!」
「ハナちゃん」
「嘘か本当か判別つかないこと言うんじゃねえよ!?」
「あははは、どっちでも一緒ってことだ」
そうして廊下を四人の足音が騒がしく駆けて行く。
ハロウィンはまだまだ、始まったばかり。
今日はいつもより、たくさんのお菓子を手に入れられる気がした。