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9月:あっちとこっちの境目で 後編

「「え」」

 僕と姉さん、二人の声が重なった。

「山の中? 林の中の間違いじゃなくて?」

「私達、学校の帰りにここを見つけて少し立ち寄っただけなの」

「そう。坂道なんてなかったし……」

 二人で口々に自分が覚えている状況を挙げると、巫女は少しだけ黙って「なるほどねえ」と呟いた。

 お面でどんな表情をしているかは分からない。けれど、声だけは何かを面白がっているようだった。

「ふむふむ。君達は迷い込んできたんだね。まったく阿吽のいたずらにも困ったもんだ」

「阿吽の」

「いたずら?」

 僕達の不思議そうな声に、巫女は「そうさ」と頷く。

「入り口に居なかったかい? 阿吽の象。――まあ、居なかったとしても問題はないんだけど。彼らはどうにもいたずらが好きでね。彼岸が近いから道をねじ曲げてしまったのだろう。なあに、心配要らない。私の言うとおりにすればすぐに帰れるよ」

 そうして彼女は甘酒が入っていた湯呑みを下げ、代わりに守り袋をひとつ、袖からするりと取り出した。

「君達にこれをあげる。二人で手を繋いでね、その繋いだ手の中にこれを握り込むんだ」

 そう言いながら僕達の手を取り、繋がせて。守り袋を挟み込む。


 姉さんの指は、僕の指が冷えているのが分かるくらい温かくて。少しだけ指を緩めようとしたけれど、それは巫女に阻止された。

「はい。緩めちゃいけないよ。そうそう、しっかり握ってね。後は真っ直ぐ――家に帰り着くまで手を離さないこと」

 いいね。と巫女は首をこてんと傾げて問う。


 正直、彼女が何を言っているのか分からなかったけれど。

 悪い人じゃなさそうだと言うことだけはなんとなく分かったから。

 僕と姉さん、二人一緒に頷いた。


 彼女は僕達を鳥居の前まで見送ってくれた。

「気をつけて帰るんだよ」

「はい」

「ありがとうございます」

 彼女は満足げに頷いて、僕達の背を押した。


「不思議な神社だったね」

 姉さんがぽつりと呟いた。零れたような声だったけれど、それはいつもよりも弾んでいるように聞こえた。

「そうだね。このお守りとかよく分からないけど……」

「でも、悪い人じゃなさそうだったし、たまにはこうして手を繋いで歩くのも――うん。良いよね」

「うん」


 姉さんの手は気分の高揚をそのまま反映したのか、ぽかぽかと温かい。

 それは、秋風ですっかり冷えていた僕の手とは大違いで。

「姉さん。僕の手、冷たくない?」

 思わず聞いてしまった。


 すると姉さんは何がおかしいのか、くすくすと笑って握る手に力を込めた。

「私の手は熱いから、暦の手はひんやりしてて気持ちいいの」

「……そう」

 姉さんは何が嬉しいのか、腕を軽く振る。手から零れていたお守りの紐が揺れて手の甲をくすぐる。

 そのくすぐったさはなんだか僕の心の中をなぞるようだったから。

 僕はなんとなく、後ろを伺った。


「――え」


 足が思わず止まりかけた。

「どうしたの暦――あれ?」

 姉さんも一緒に振り返って、首を傾げた。

 僕達は鳥居を抜けて参道をずっと真っ直ぐ歩いてきたはずだった。

 なのに。

 僕達の後ろには何もなかった。


 道も。

 鳥居も。

 神社も。

 何も。


 あったのは、何もない、雑木林だけ。


 ――まったく阿吽のいたずらにも困ったもんだ。


 あの巫女の言葉を思い出す。

「――阿吽の、いたずら……」

 僕の言葉に、姉さんもこくりと頷いた。それから「ああ、そっか」と小さく笑った。

「お彼岸も近いから、その準備だったのかもね」

「?」

 僕が首を傾げて姉さんを見る。少しだけ見下ろすその目は、「だって」と穏やかに細められた。

「秋分の日は彼岸と此岸の距離が一番近くなる日だもの。だから、あの神社の神使がいたずらをしたんだわ」

「彼岸が近いから? 神使が……?」

「そう。私達はきっとそのいたずらで生まれた境界線をちょっとだけ越えちゃった――なんてどう?」

「そんな非科学的な」

「あら。私は信じるよ」

「そうなの?」

 姉さんは僕の言葉に「もちろん」と頷いた。

「だって。その方が浪漫があるわ」

「浪漫」

 思わず繰り返す。突飛な言葉に口が軽く曲がった気がした。

 僕のそんな表情には気付かないのか。姉さんは嬉しそうに僕の手を引いて歩き出す。

「そ。浪漫。お狐様も幽霊も魂も、全部本当に存在するの。その方がきっと世の中楽しい」


 ――それに、少しは希望が持てるもの。


 なにか、声が聞こえた気がした。

「姉さん、何か言った?」

「ん? 何が?」

「いや、……なんか、希望が持てる、って」

「希望?」

 姉さんの首が傾く。それからくすりと笑った。

「そうね。希望。勿論、全てを学問にして学ぼうって言うのも良いと思うけど。私はそんな中に少しでも、妖怪とか、幽霊とか――そんな不思議なものの居場所があっても良いと思うの」


 違う? と姉さんは問う。

 僕は答えられなかった。


 黙ってしまった僕に、姉さんはふふっと笑って歩き続ける。

「暦のそういう所、私は好きよ」

「え。……姉さん。そう言うのは」

 軽々しく言うもんじゃないよ、と言おうとしたのに、姉さんは「良いでしょ別に」と口を尖らせた。

「姉弟だもの。それに今は手を繋いで歩くくらい仲良しなんだから――って、あら」

「――あ」


 するりと手がほどけて、言葉が途切れた。



 どこをどう歩いたのか分からないけれど。僕達は家の前に立っていた。

 日はすっかり暮れていて。

 僕達を心配して出てきた母さんに、それはもう泣きながら怒られた。


 今回の代償として門限が厳しくなってしまったから今度こそ寄り道はできなくなってしまったし、姉さんへの風当たりも少し強くなってしまったけれど。

 姉さんは「それでいいのよ」と笑っていた。

「だって、楽しかったもの。ありがとう、暦」

 姉さんがそうやって笑うから、僕は頷くしかできなかった。



 □ ■ □



「そういえば」

 冬も深くなったある日の帰り道。姉さんはぽつりと問いを落とした。

「あのお守り。まだ持ってる?」

「あのお守りって……」

 言われて思い出すのはひとつしかなかった。


 彼岸が近いあの日に迷い込んだ神社でもらったお守りだ。


「え。姉さんが持ってるんじゃなかったの?」

 てっきりそうだと思っていた僕は、思わず問い返す。

 姉さんはううん、と首を横に振った。

「不思議ね。あの日、家に帰り着いた時から見当たらないの」

 だから暦が持ってると思ったのだけれど、と言うその顔は少しだけ寂しそうだった。

 

 ふと、お参りをした後の姉さんの笑顔を思い出した。

 あの時、姉さんはきっと嘘偽りなく楽しかったのだろう。

 確かに怒られたし、その後も辛い目にあっているけれど。

 それを代償にしても良かったと言えるくらい、楽しかったのだろう。


 だから。

「また――また、帰りに見つけたら寄ろうか」

 思わずそんな言葉が出た。

 神社のお参りだけでも、こんなに楽しんでくれたのなら。もう一度でも。いや、何度でも僕は姉さんを引っ張っていきたい。

 そんな風に思ったのに。姉さんったら「それは難しいわ」と笑って首を横に振った。

「だって、母様が心配するもの」

「またそんな事言って……」

「だって、本当の事よ」


 あの夜、泣きながら二人を抱きしめた母さんを思い出す。

 確かに母さんは、僕も姉さんも同じくらい心配したと怒っていた。


 けど。けれどもだ。

 その視線は、姉さんにあまり向けられなかったように感じていた。

 心配はしていたのだろう。でも、やっぱり何かに怯えているような視線にも感じた。

 それは、恐怖。不安。はたまた別の何か……。

 僕には判断付かなかったけれど、あまり良い感情じゃなかったのだけは、なんとなく分かった。


「僕には。そうは見えなかったな……」

 確かに、母さんは姉さんを失うことを恐れているけれど。同時に姉さん自身も恐れているように見えた。

 そんな反応。姉さんも見ていたはずなのに。僕の言葉は聞こえなかったかのように「だから」と笑って言う。

「また、あの神社を見つけたら、お守りもらってきて」

「……うん」

「約束ね」

「――うん」

 あまりに儚い笑顔で言うものだから、僕は頷くしかできなかった。


 けれども。

 それ以来、僕達がその神社を見つけることは、二度とできなかった。

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