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9月:あっちとこっちの境目で 前編

 秋も深まって、肌寒くなってきた学校からの帰り道。

「あれ?」

 暦は隣で上がった声に足を止めた。

 ぴたりと止まって、数歩置き去りにしてしまった影を振り返る。と、長い髪をリボンでひとつに纏めた女学生――双子の姉のかよが足を止めてどこか遠くを見ていた。

「どうしたの姉さん」

「うん。あそこなんだけど……」

 彼女は本を抱え直しながら小さな林の奥を指差す。

「あんな所に鳥居なんて、あったっけ?」

「鳥居……?」

 隣に並んで目の高さを合わせて、その指の先に視線を送る。

 どれどれ、と目を凝らすまでもなく、林の奥に朱塗りのそれが見えた。

「本当だ。でもあんな所に……」

 鳥居、神社なんてあったっけ。と僕も首を傾げる。


 薄暗くなってきた道、林の奥は更に暗く。参道の先にある灯籠に灯が灯っているのが分かる。

 耳を澄ませば笛や鈴の音も微かに聞こえてきた。


「音がする。何かやってるのかな」

 首を傾げると、姉さんは「そうみたいだね」と穏やかに微笑んだようだった。

「……少しだけ寄っていこうか」

 それはなんとなくの提案だった。

「えっ」

 姉さんの声が驚いたように跳ねる。


 彼女がこんなにも戸惑う理由は知っている。そんな反応が返ってくることだって、知っていた。

 僕は帽子に視線を隠し、今日も駄目かと心の底で溜息をついた。


 姉さんはいつも寄り道をせず家に帰りたがる。

 理由はたったひとつ。いつだって変わらない。

 ――「母さんが心配するから」だ。


 姉さんは家と学校の行き来以外に自由がない。

 それは、母さんが彼女のことを縛っているからだ。

 姉さんはちょっと変わった体質で、それを理由に母さんは姉さんを外に出したがらない。

 彼女を失うのが怖いのか。その体質が怖いのか。はたまた他の理由か――兎も角、母さんは姉さんを外の世界に触れさせようとしなかった。

 それどころか、積極的に隔離しようとした。


 通学だって弟である僕のお送り迎えがないと許可が出なかったのだ。ひとりでの外出など許可されるわけがない。

 姉さんがひとりで出かけようものなら、気を失うかヒステリイを起こすかのどっちかで。

 父さんも姉さんも、勿論僕も。母さんには何も言えなくなっていた。


 じゃあ、それ以外――家の中ではというと。

 姉さんはほとんどの時間を、離れの自室で過ごしている。

 そう言うと聞こえは良いけれど、元々は書庫だった蔵に住まわせている。それを提案したのは母だ。姉さんはそこで、半ば閉じ込められるようにして暮らしている。

 家の中を歩くのまで禁止はされていないけれど、母さんはいい顔をしない。

 だから、姉さんは食事や寝支度といった用事がある時以外、外に出てこない。

 

 そんな訳で。

 僕と姉さんがこうして一緒に居られるのは、学校と家の行き帰りの道だけ、と言っても良いかもしれない。

 それはとても、中途半端な世界。

 外には広い世界があることを知っているのに、見ることができないなんて。僕ならきっと耐えられない。

 だからと言うわけじゃないけれど。僕は姉さんに色んな話をする。姉さんの話も聞くけれど、彼女は専ら僕の話を聞きたがる。

 たまに質問をして姉さんの話を聞こうとするけど、あんまり話そうとはしない。学校に友人はいるみたいだけど、あまり話には出てこない。仲良くしても放課後に遊んだりできないし、あまり話が合わないのだと言う。

「だから、暦の楽しい話を聞きたいの」

 なんて、笑って言うものだから。僕が何か楽しみを分けてあげたくて、色々話して。時には寄り道を誘ってはみるのだけれど。


 いつも姉さんはそれをやんわりと断るのだ。

 少しだけ寂しそうに笑って。「ごめんね」と言うのだ。

 きっと今日も、そうだ。


 僕は、溜息をひとつついて困った顔の姉さんにこう言うんだ。

「姉さんはどうせ「母さんが心配するから」って言うんでしょ」

 僕の声は自分でも分かるくらい拗ねていた。

「そう、そうだよ……母様に心配かけたら、暦も怒られちゃう」

 その声には安堵が混じっている。僕との約束より母さんに怒られない方を選んだんだ、と言うのに少しだけ気分が悪くなる。

「僕は別に怒られたって構やしないよ。だから姉さん」

 そう言うが早いか彼女の手を取る。

「少しだけ。僕が母さんには謝るから」

 でも、と渋る手を軽く引くと、彼女はようやく、ほんの少しだけど笑った。

「……怒られても、知らないよ?」

「たまにはいいでしょ」

「少しだけだよ?」

「勿論」


 そうして僕と姉さんは、林の奥にあった神社へと足を向けた。


 

 □ ■ □


 

 遠目には分からなかったけれど、神社には思った以上に人が居た。

 すれ違う人は皆、お面をしたり布を被ったりして顔が見えないのが不思議に感じるくらいで、あとは普通の神社だった。

 僕と姉さん。ふたりで参道を歩いて賽銭箱の前に立つ。礼をして、柏手を打って、お参りをする。


 お参りを終えて辺りをかるくぶらついていると、姉さんが隣で小さく笑った。

「どうしたの?」

「うん。なんか、楽しくって」

 神社にやってきてお参りをしただけだというのに、姉さんは嬉しそうに笑っていた。

 たったこれだけ。されどこれだけ。

 姉さんにとっては、寄り道と言うだけで十分に楽しいことだったのかもしれない。


 そんな楽しそうな姉さんの顔は、嬉しい物なのに僕の胸をチクリと刺す。

 罪悪感なのだろう。僕だけ自由に歩き回ることができるという。

 でも、それを抱くこともおこがましいような気もする。姉さんに言ったら怒られるに違いない。

 だって姉さんは楽しんでるんだ。それで十分じゃないか。


「暦?」

 声をかけられて我に返った。

「うん。姉さんが楽しいのなら――良かった」

 上手く笑えただろうか。少し心配になったけど、姉さんはにこりと笑ってくれた。

「うん。ありがとうね――あ、あそこで甘酒配ってる。もらってみる?」

「え」

 僕が返事をするよりも早く、姉さんはぱたぱたと大鍋をかき回している巫女が居る軒先へと行ってしまった。

「ちょっと……姉さん!」

 慌てて追いかけると、巫女がふと顔を上げたのが分かった。

 僕達以外の参拝客と同じように、彼女もまた狐の面をつけていた。

 片手には甘酒を注いだ湯呑み、もう片方にはそれを注ぎ終えたばかりの柄杓を掲げ、彼女は「あら」と言った。

「あらあらおやおや。珍しい。君達どこからやってきたんだい?」

 巫女は鍋をかき回していた手を止め、こくりと首を傾げた。

「どこからって、この近所ですよ」

 僕が答えるとその狐面は「ほう」と頷く。

「ほう。ほうほう。なるほどなるほどこの近所――近所、ねえ」


 こんな山の中なのに? と巫女は言った。

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