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7月:七夕の枷

 七夕になると、売店ホールには笹の葉が飾られる。

 横には短冊とマジックペンが置いてあり、生徒が短冊に願い事を書いて下げていく。

 カラフルに飾られていく笹には、短冊に混じっていくつかの輪もつるされる。

 五色の糸で編んだミサンガのようなもので、最初からあったかのように、いつの間にか短冊に混じっている。

 それは、女子だけに伝わるおまじない。


 七夕飾りに五色の糸を下げましょう。

 その糸に想う人が触れたなら。

 腕へするりと落ちていって。

 たちまち恋に落ちるでしょう。


 だから、毎年何人かの女子はその笹の葉に短冊をつるすように。

 そっと、編んだ輪を引っ掛けていく。


 □ ■ □


 梅雨から夏にかけての、少し蒸した空気がまだ残る夜。

 渡り廊下に黒い青年が立っていた。

 すらっとした体躯。手足は長く背が高い。校内はもちろん、街中を歩いていたとしても頭ひとつ以上飛び抜けている。

 癖のない黒髪。校内では珍しい黒の長袖シャツ。顔の上半分は黒い狐面で覆われていて。覗く瞳もまた、夜のように黒い。

 彼は中庭から見える星空を少しだけ眺め、足を進める。

 売店ホールにさしかかったところで。

「――あら」

 鈴のような声がして、足を止めた。

 ホールの電気は消えている。自販機の光だけが、薄ぼんやりとホールを照らしている。

 売店の隣には竹……ではない、もっと細く、さらさらとした音を立てる葉が茂っていて。暗くてもなんとなく色が分かる位。鮮やかな色紙がつり下げてあった。


 タナバタという風習が近いのだと誰かが言っていた。

 ならばこれはササというものデショウカ、と彼は考える。


 しかし、声の主は笹ではない。

 その真下。笹に寄り添うように椅子を寄せて、少女が座っていた。

 白い長袖は夏の制服。長い髪の両端を三つ編みにして、後ろでひとつにまとめてある。ミサギとは違った、たゆたう水ではなくて流れる川のような。涼やかな印象の少女だった。

「貴方様、初めましてね」

 お名前は? と少女が穏やかに尋ねる。

「Oh、はじめましてlady。ワタシ、Edy=Sleynと申しマス」

 エディは恭しく頭を下げ、自己紹介をする。

 彼女は「エディ様」と繰り返し、視線をゆるゆると上げる。

「貴方様は、背がお高いのね」

「ええ。ワタシはそういう、噂話から生まれマシタ」

 彼女はそうなのですね、と頷く。

「By the……ところで、この暗い中で何をしていたのデスカ?」

「私? ……私は、そうですわね」

 膝に下ろした手をそっと胸元に持ち上げて、手にしていた道具を示す。

「紐を、編んでおりました」

「ヒモ……?」

 エディが首を傾げて近付くと、彼女はその道具をよく見えるように掲げてくれた。

 筒に数本の鉤爪。そこに五色に染められた糸が張り巡らされている。

「コレで、ヒモができるのデスカ?」

「ええ。こうして――」

 彼女は筒を握り直し、糸を人差し指に引っ掛ける。もう片方の手にあった針金のような棒で糸を掬い上げ、くぐらせ、筒を少し回す。

 それを慣れた手つきで数度繰り返し、「こうすると」と、筒の下に伸びる紐を見せる。

「こういう風に、紐ができあがりますの」

「Oh、すごいデス」

 率直な褒め言葉に、彼女は「ありがとう」と小さく笑う。

「この紐、もうすぐできあがりますから――差し上げましょうか」

「いいのデスカ?」

「ええ」

 私には使い道がありませんもの、と言う彼女の声は少しだけ寂しそうだった。

「仕上げてしまいますから。もう少しだけお待ちいただけるかしら」

「OK、待ちマス」

 エディは自販機で適当な飲み物を二つ選び、ひとつを彼女の前に置く。

「あら、そんな。悪いです」

「いえ、そのキレイなヒモをいただけるのです。これくらいしかワタシ、返せません」

「そう……お優しいのね」

 その言葉になんと返せばいいのか分からなくて、曖昧に笑う。近くの椅子に腰掛けて、彼女が紐を編む指先を眺める。

 

 彼女の細く白い指は、慣れた様子で糸を繰り、編んでいく。

 言葉は交わさず、ただ静かな時間が過ぎていく。

 途中、エディはふと気付いた。

「Lady、その手首のヒモは?」

 彼女の袖口。ボタンで留めた隙間から、足元へと紐が流れていた。それもまた彼女が編んだのだろうか。綺麗だが、長すぎる。そんな気がした。

「ああ、これは――気にしないでくださいまし」

 それ以上、彼女は何も言わなかった。静かに紐を編み続ける。

 だからエディも黙ってその作業を眺め続ける。


 彼女の言うとおり、紐はすぐにできあがった。

 両端を結んで、彼女は腕輪のようになったそれをエディへと差し出す。

「これで如何かしら」

「Beautifulデス!」

 思わず声を上げるほど、それはそれは綺麗な紐だった。

 薄暗くても、闇に慣れた目には分かる。五色の糸はそれぞれの色を主張せずに調和し、美しい色合いを作り出している。ただ編むだけではできない、そんな色をしていた。

「それじゃあ、手を出してくださる?」

 彼女がにこりと笑い、エディも言われるままに腕を差し出し――。

「――動くな」

 後ろから、鋭い声がした。

 その瞬間、エディは彼女の穏やかな表情が艶やかなものへと崩れていくのを見た。

 その目の色に、寒気を覚えた。

「あら。あらあら。貴方様はまた私の邪魔をなさるのね」

 その瞳に映るのは、黒い狐のような少年。ヤミだ。

「当たり前だ。リシュ。お前、何しようとしている」

「何って、この殿方に紐を差し上げようかと」

 彼女――リシュはくすくすと笑う。


 エディはその表情から目が離せなかった。

 流れる水のようだった彼女の空気が、行き場を失って濁った水溜まりのように思えて。

 その変化に、頭が付いていけなかった。


「エディ」

 そんなエディの視線に気付いたのか、ヤミの声が短く掛けられる。

「……は、ハイ」

「それ、受け取るなよ。受け取ったら最後――戻れなくなるかもしれないからな」

「戻れない……トハ?」

 その言葉にようやく首が動いた。紐に視線を落とす。

 綺麗で、流れるようで、悪いものなんて何も感じない。

 けれども、ヤミの声はその疑問を挟む余地すら与えない程に硬かった。

「そのままの意味だ」 

「あら。酷い言い様ですこと」

「酷いもんか。無害だったら繋がれてないし、自由に出歩くことができるはずだ。それができないだけの理由があること、忘れたか」

「忘れる? ――ふ、ふふ」

 リシュはくすくすと笑う。


 くすくすと。

 くすくすと。

 その目の色を微塵も変えることなく。

 彼女は笑う。


「私があの方を忘れるなんて、できませんわ」

 笑いながら、彼女は自分の腹部をそっと押さえる。

 ほろり、と何かが頬を転がり落ちる。

「だってあの方は、約束をしてくれましたもの。あの方は。あの方は、一緒にいてくれると。私と共に在ってくれると。ひとつになってくださると。一緒に居たいと。一緒に居てくださると、忘れなどしないと約束してくれましたもの言ってくれましたもの」

 だから。忘れるなんてことありませんわ。と、彼女は言った。

 だから。とヤミは繰り返して、笹の下に立つ。

「お前は――ヒキホシを、食ったんだ」

 そう言ってヤミは笹にかかっていた紐を外す。その端を持ったまま、彼女の袖を引く。

「帰れ。お前はもう、ここに居るべきじゃない」

「あら。もうそんな時間ですの? そのような。ああもう真っ暗――って、強く引っ張らないでいただけます? 手首に跡が付いてしまいます。そうしたらあの方が悲しみます。悲しみますわ。私、そのような――ああ、泣かないでくださいませ。そのような顔見たくありません。私は、笑っていなければ」

「知るか。大体その真綿のような紐で手首に跡が付くとか、童話じゃあるまいし」

「ふふ……ヤミ様もロマンチストですわね。あの方とは似ていませんわ。あの方と――ふ、ふふ。うふふ……」

 彼女はヤミが引く袖に従い、大人しく付いていく。手を繋ぐような距離感で、それでも決して触れることなく。塗れた頬で、穏やかに。くすくすと笑いながら、彼女はヤミについて行く。

「――ヤミ」 

 エディは思わず、声を掛けた。

 足を止め、振り向いたヤミの目が廊下で鋭く光る。

「あの、彼女……どうするの、デスカ?」

 何が起きているのか分からない。困惑した声のエディに、ヤミはただ一言。

「あとで、説明してやる」

 それだけ言い残して立ち去っていった。


 □ ■ □


「あいつ……リシュはな。縁結びの噂話から生まれたんだ」

 電気を点けて明るく照らされた売店ホールで、ヤミとエディは紙パックのジュースを並べて向かい合っていた。

「誰が言い出したかは知らないけどさ。七夕になると、女子は縁結びの紐を短冊代わりにする。――ほら、あれ」

 と、ヤミが指差す先には、刺繍糸か何かで編まれた輪がぶら下がっていた。

「その糸を縁として繋ぐのが、彼女の役割で。彼女にしかできないことだった」

 でも、とヤミは目を閉じ、溜息をつきながらストローに口をつける。

「今の彼女は幽閉対象なんだ。腕に繋がれてる紐の長さ以上の距離を出歩けないようになってる。それだけの制限を受けているのに、お前に手を出そうとした」

「あのヒモ、デスカ」

「そう。本当はそんなつもりなかったとしてもだ。今のリシュには、人との縁を繋ぐこと、それに繋がる行為を基本的に許されていない」

 きっと、これ以上許されることもないんだ。と、ヤミは小さく付け加えた。

「……ヤミ」

「ん?」

「彼女のはなし……もう少し、聞かせてもらっても、いいデスカ?」

「なんで?」

 ヤミは不思議そうに首を傾げた。

「彼女の作ったものがキレイだったカラ、は理由になりマスか?」

 

 エディは彼女がどんな人だったのかを知らない。

 ただ、織り上げてくれた紐はきれいだと思った。そんなものを作れる彼女が、どうしてあんな目をしたのか。幽閉なんて扱いになっているのか。少しでも知っておきたかった。

 ヤミは言葉を濁すようにためらった後、「少しだけなら」と、話してくれた。

「俺も、全部は知らないから聞いただけの話もあるけど――」

 

 噂話として生まれた彼女は、恋に落ちたのだという。

 相手は自分達と同じ存在。名はヒキホシといった。

 その縁を結んだのか、自然と結ばれたのかは分からないが、二人は相思相愛となった。

 いつでも一緒に居て、仲睦まじくて。

 誰もが「仲が良いね」と笑って見守るような二人だった。

 それが。

「ヒキホシが居なくなったんだ」

「いなくなった……?」

 繰り返すエディの言葉にヤミは頷く。

「食事の時間は人それぞれだけど、二人とは朝食でよく顔を合わせてた。いつも一緒で、仲良さそうにしてた」

 けど、とヤミの言葉が続く。

「ある日突然、リシュだけが食事にやってきた日があった」


 ヒキホシはどうした? と問いかけた誰かの声に。

 いただきました。と彼女は嬉しそうに答えた。


「どういうことだと問い詰めたら、言葉通りだって言うんだ。嬉しそうに、泣きながら……お腹を押さえてさ。これでずっと一緒だって」

 この一件でリシュはあっという間に押さえ付けられ、今に至るのだという。

「リシュはさ。ヒキホシの事しか見てなかった。多分、今もそうなんだ。けど、仲間を消してしまった。本当は即処分に値するんだけど、事情もあって」

「事情、トハ?」

 その問いに、ヤミは小さく首を横に振った。そこは答えられないということだろう。

 エディもそれ以上は聞かないことにした。

「リシュがどうやってヒキホシを消したのかは分からないけど。他の人に手を出す様子もなかったし。ヒキホシが居ればそれでいいとしか言わなかった。さっき見た通り、混乱は強いけど、力は使える。だから、いくつかの制限をして猶予を与えてたんだ」

「制限……」


 その制限とは。

 外に出るのは売店に七夕の笹が出ている間のみ。

 他の人には手を出さない。

 笹に掛けられた縁結びにしか能力を使わない。


 噂話として生まれたものなら。いや、そうでなくても分かる。

 自分の行動が制限されると言うことは、話に即した行動がとれなくなると言うことは。

 存在が消えることに繋がりかねない。

 エディは仮面の下で眉を寄せた。

「彼女は……どうなってしまうのデスカ?」

 ヤミはちらりと視線を上げ。「そこは俺が決めることじゃない」と溜息をついた。

「リシュが紡ぐ糸は縁を結ぶ。確かにきれいだよ。けど、それに触れたら、何が起きるか分からない。何も起きないかもしれないし、ヒキホシみたいになってしまうかもしれない」

 ヤミはそこまで言って、エディの顔色をうかがうように視線を上げる。

「エディ。お前がそんな顔する必要はないよ」

「ハイ……」

「これが、この学校で暮らすなら必要なことなんだから」


 □ ■ □


 七夕になると、売店ホールには笹の葉が飾られる。

 横には短冊とマジックペンが置いてあり、生徒が短冊に願い事を書いて下げていく。

 てカラフルに飾られていく笹には、短冊に混じっていくつかの輪もつるされる。

 五色の糸で編んだミサンガのような物が多い中、ひとつだけ変わった編み方の紐がある。まるでそういう飾りが最初からあったかのように、それはいつの間にかつるされている。

 それは、彼女のおまじない。


 七夕飾りに五色の糸を下げましょう。

 もしその糸に想う人が触れたなら。

 腕へするりと落ちていって。

 たちまち恋に落ちるでしょう。


 彼女は笹に繋がれて。

 焦がれた彼を瞼の裏に映しながら。

 慣れた手つきで、紐を編む。

 願いが叶う日なんて決して来ないと知りながら。

 解放の日を待っている。

 

 その日がくるのは、もう少し先のこと。

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