4月:ちょっとした夢を見よう
「今日もこの日がやってきたね」
日付が変わる頃。少年はにっこりと笑って枕元に立っていた。
白いピアスが覗く淡い紫の髪は、薄暗い闇に今にも解けてしまいそうで。ラフに着こなした制服の足下はよく見えない。
彼が見下ろすのは、黒髪が耳のように跳ねた少年――ヤミ。すうすうと静かな寝息を立てている。
誰かが枕元にいる事に、ヤミは気付かない。
もちろん少年も、気付かせる気はない。灰色の目が楽しそうに細められる。
「君は今年も僕が真っ正面から嘘をついてくると思ってるだろうから。今年も「真っ正面から仕掛ける」よ」
そうして耳元に口を寄せて、そっと何かをつぶやく。
「それじゃあ、いい夢を。めいいっぱい楽しんでね」
それだけ言って少年はヤミの頬をちょっとだけつついて、にっこりと笑った。
□ ■ □
「――ちゃん。ヤミちゃん」
「……ん?」
目を開けると、柔らかな日差しとそれを遮る影が見えた。
「なんだよハナ……まだ……」
何時なのかと時計を見ようとして、跳ね起きた。
「やっと起きたね。相変わらず朝には弱いんだから」
「え……いや……」
別に朝に弱いなんて事はない。とりあえずヤミは状況を把握しようと視線を巡らす。
教室を壁で隔てた部屋ではない。
板張りの個室。ベッドはひとつ。見た事のない部屋だ。時計はない。ベッドの隣に小さなランプが置いてあり、いつも使っている鎌は刃に布を巻いて立てかけてあった。
なんというか。実にファンタジー。
「なに。これ」
「ははあ、まだ寝ぼけてるね?」
そう言われてヤミは声の主をようやく見上げる。
目を隠す長い栗色の髪を、後ろで一つにまとめた少女。大きなリボンが髪とともに揺れる。セーラー服にカーディガンではなく、袴姿。
その姿は。まるで。
「……ねえ、さん?」
「うん? まだ夢でも見てるのかな? 私は弟なんていないよ?」
ヤミの思考が固まりかける。
今、目の前の人物は何を否定した?
一気に頭が冷えて、目が覚めた。
「ヤミちゃんと私は幼なじみでしょ? 一緒に冒険者になろうって街を出たんじゃないの」
もー、忘れたの? と姉……に良く似た少女はご立腹のようだった。
そう言われたら。そんな気がしてきた。
ああそうだ。そうだった。
取り憑いた死神の呪いを解くため、冒険者になると決めて生まれ育った街を出て行こうとしたら、「心配だから私も一緒に行くよ!」と付いてきた幼なじみ。
でも、鎌を使う自分と、狐を使役する召喚師の二人。
それではどうにも心許ない。この街に来る途中でできた仲間と一緒に、今日から依頼をこなそうと朝からギルドにいくつもりだったんだ。
「うん。悪い。寝ぼけてた……」
布団から出て彼女を追い出し、身支度を整える、黒の詰め襟にマントを羽織り、手袋をして帽子を被る。
そうして宿の一階……酒場兼食堂へ降りて行くとそこには既に仲間が揃っていた。
「お。おはようさん」
桜色の髪に眼鏡。その目はどこか退屈そうで、ちぎったパンをスープに浸して放り込む口には八重歯が覗く。神官のサクラ。
その見た目に信仰心があるのか、と問うたら「当たり前だろ。こう見えて俺、信心深いんだぜ?」とにやりと笑って言われた。とても嘘くさい。
「「おはよう!」」
二人声を揃えてサラダにドレッシングをかけているのは、アカデミーの学生、カガミ。
アカデミーの課題をこなすため付いてきてはモンスターの生態を調査しているのだという。
彼らはちゃんとデータを取っているというが、モンスターと遊んでいる所しか見ないのは気のせいか。
「はい、こちらに朝ご飯、ありますよ」
席に着いたヤミにパンとスープを進めてきたのは、サクラと同じく神官のサカキ。
神殿で育ち、外の世界を知らないまま過ごしていた所をサクラが見つけ、連れ出したのだと言う。
背もヤミほどしかないし見た目も幼いのに、これでも高位らしい。傷の手当はお手の物、場合によっては蘇生も可能らしい。
ゴーレム生成をしたり、ゾンビを扱う姿は本当に高位神官なのか、疑わしい。
「まあまあ、ご飯食べなよ。ほら、冷めちゃうよ」
そうして急かすのは、幼なじみのハナ。
影を媒体にして黒い狐を召還、使役する召喚師。
好奇心旺盛であれやこれやと露天で物を眺めたり、道中でも空がきれいだの風が気持ち良いだの、旅の目的を忘れたかのように謳歌している。
「うん……」
そしてこのメンバーに軽く……いや、かなり振り回されかけているのがヤミ。
家の奥にあった封印を解いてしまって以来、死神が憑依している。
黒く染まった右手を隠すように、魔術の織り込まれた手袋は欠かせない。これをどうにかしたくて冒険者になる決意をした。獲物は鎌。手袋をしていれば小さなナイフなら握れるが、剣や刀のような大きな刃物は共に在る鎌以外握る事すらできない。難儀な身体だ。
相変わらずけったいなパーティだよなあ、とヤミは手袋のまま食事をする。
っていうか、戦力はともかくとして、前衛が少ないのはどういうことだ。と、思わなくもない。
□ ■ □
食事を終えた一行は、とりあえずギルドへと向かった。
「お。来たな」
依頼はそこに張り出してあるから見てけ、とだるそうに対応するのはこの街のギルドマスター。
宿の人の話では、元々腕利きの傭兵だったらしい。
それが、今はほとんどこのギルドで受付係のような事をしているのだという。
「気になった情報あればこっちにもってこい。依頼用の書類渡すから」
「はい」
頷いて掲示板に張り出してある依頼を一通り眺める。
猫探し、情報収集、図書館の蔵書整理、薬草の採取、魔王の討伐、ファッションコーディネートのモデル、隣街への伝書配達、雨が降らない地域の調査……等々、依頼は様々だ。
「ねえ、これとか面白そうじゃない?」
そう言ってハナがはがしたのは「魔王討伐」と書かれた依頼書だった。
「いや、それはさすがにレベル高すぎないか……?」
「そうかな。どう思う?」
ぺらっとその紙をかざしてハナは他のメンバーに意見を乞う。
「なにそれ面白そう!」
「なにそれ楽しそう!」
「へえ。いいんじゃねえの?」
「あの、僕……お役に立てるでしょうか」
「気にすんな。お前は俺がちゃんとサポートしてやる」
「は、はい……っ」
「よし、では決定!」
「え。ちょっ……」
「ギルドマスターこれをお願いしたいよ!」
「話聞けよ!?」
叫ぶヤミの意見は彼女の耳に届くことは無く、ハナはその紙をギルドマスターへと渡す。
「はいはい、魔王討伐ね……えーっとこの魔王、結界術なのか帰ってこない奴が多発してるから気をつけろ」
そう言いながら申し込み用の書類を渡し、記入が終わると承認の判子を押した。
「それじゃ、死なない程度に頑張ってこい」
「うん、行ってくるよ!」
□ ■ □
1時間もしないうちに集まった情報を集めてたどり着いたのは、町外れの小さな屋敷。
魔王の居城と言うより、地方貴族の屋敷のようだ。
「魔王が住む、というには少々小さい気もするけど……」
門を前にしてヤミが首を傾げるが、他のメンバーは特に何も思っていないらしい。
「まあ、入ってみようよ」
首を傾げるヤミに対し、ハナはためらいなく門の隣にあったボタンを押す。
ぴんぽーん。
聞き慣れたような聞き慣れないような音が響き、しばらくするとがちゃ、と小さな音がした。
「どちら様で?」
「魔王を討伐にきました!」
「正直に言い過ぎだろ」
「そう。ようこそ。それじゃあ――どうぞ」
その言葉と共に、門がぎぎぎと音を立てて開く。
「そしてあっさり通るのかよ……」
なんだか頭が痛くなってきたヤミは、意気揚々と入って行く全員に続いて屋敷の敷地へと足を踏み入れた。
「いや、良く来てくれたね」
出迎えてくれたのは少年だった。背は低く見た目は幼いが、物腰や雰囲気からはこれまでの経験や時間を感じ取れる。
淡い色の長い髪。穏やかに細められた目。顔の半分は仮面で覆われていたが、彼は快く皆をもてなしてくれた。
「ハナブサ……さん?」
「うん? ハナブサ?」
出迎えた少年は耳にした名前に首を傾げた。
「残念ながら私はそのように呼ばれる事はないよ」
ところで、と彼はにこりと笑う。
「ひとりで退屈していた所なんだ。魔王について聞きに来たんだろう? まあまずはお茶でもどうかな」
そうしててきぱきとお茶の準備がされ、あっという間に全員の前に湯気と香り立つ紅茶とお茶菓子が並ぶ。
「「おいしそう!」」
声を上げる学生二人。
何も言わないけれど、目を輝かせる神官。
それを一瞥して頬杖をつく神官。
いただきます、と早速手を伸ばす召喚師。
ヤミはどうした物か分からなかった。なんだか居心地の悪い物を感じる。
「ところで」
「うん?」
「さっき、魔王の情報を教えると言ったけど……」
「うん。そうだね」
「ここは魔王の居城じゃ、ないという事?」
彼は小さく首を横に振った。そしてにこりと穏やかに笑う。
ぞくり、と。背中に悪寒が走った。
「――私が、魔王だよ」
その言葉とカップの割れる音。どちらが早かっただろう。
ヤミにはその判別が付かなかった。
「ふふ。手を付けなかったのが居たのはちょっと想定外だったけど……いずれは君たちも私のコレクションにしてあげよう」
ただし、と魔王は言う。
「私だってそこまで非道ではないよ」
「魔王なのにか」
「魔王って言うのは単純に魔力を司る権限を持つだけだからね。私自身が悪か、といわれると……まあ、そういうところは、あるけど」
「あるのかよ」
「まあまあ、その勘の良さっていうのかな。それに免じて君達にチャンスをあげようと思う」
「チャンス?」
サクラが不機嫌そうに問う。
「そう。それを達成したら、私が持つ権限の半分をあげるよ。それから、彼らも元に戻す事も考えよう」
サクラとヤミは一瞬だけ視線を交わし。
「わかった」
「で、条件ってなんだよ」
二人声を揃えて応えた。
魔王はその答えに満足そうに頷き――。
目が覚めた。
「……………………」
見慣れた天井。見慣れた部屋。
ヤミは夢と現実の区別がつかない状態で、しばらく寝転がったままぼんやりとしていた。
そして、ひとつの可能性に思い当たる。
「……もしかして」
そして今のは夢だと自覚した瞬間、時計をひったくるようにして日付を確認する。
時計の済に小さく刻まれた日付は「4月1日」
「今年もかよ……」
ヤミはがっくりと布団に突っ伏してしばらく凹んだ後、起き上がって手早く着替える。
頭の中は文句でいっぱいだ。
毎年毎年毎年毎年、飽きずに懲りずに手を替え品を替え仕掛けてくる奴が居る。
例年は適当な嘘に巻き込まれていたけれど、今年は特に変わり種を用意してきやがった。
あいつに、文句を言わねばならない。
手早く着替え、帽子を深く被り、ドアを開けると――目的の人物は目の前に居た。
「あ。起きたね」
おはようー。とにこやかに手を振る、薄紫の髪の少年。
あまりにあっさりと見つかりすぎて、ヤミの思考が留まった。
「…………え、は」
「うん?」
「ワタヌキ、お前な!」
「あははははは! その様子だと「夢も見ずにぐっすり眠れた」みたいだね! どんな夢だったの? 楽しかった?」
ぐっすり、とヤミは一言呟いて「そういうことか……」と更に小さな声で呟いた。
「楽しい訳あるかなんだよあの魔王。あんな戦力不足のパーティで勝てる訳ねえし。そもそも戦うとかそれ以前の問題だったよ問題だらけじゃねえか」
「あ。ファンタジーだったんだ。いやいや僕は配役には何も手を付けてないし。何、配役知ってる人だったの?」
「ああもう! お前! もっとおとなしくしてろよ。ってかなんで標的俺ばっかなんだよ」
うん? と彼の灰色の瞳が面白そうに細められる。
「他の人も対象にはしてるんだよ。一応。――そりゃあ。君が一番面白い反応してくれるからやりがいって意味では君が一番力を入れてるけど」
「だからって毎年毎年……対策もできやしない」
「対策されないよう僕も毎年頑張ってるんだよ。それに毎年同じだと面白くないじゃん?」
至極真面目な顔でワタヌキは言った。ヤミはその言葉にぐっと言葉を詰まらせる。
こいつはホント、何を言っても聞きはしない。
特に今日。4月1日に限っては。
彼にとっては唯一遊べる日なのだろうが。遊ばれる方はたまったもんじゃない。
「ま、なんかいい夢見れたようで何よりだよ」
ワタヌキはぽんぽんとヤミの頭を撫でる。
「どこがだよ! お前俺で遊ぶのも大概にしろよ!?」
「はっはっは! 僕は君のその反応が毎年楽しみでね! これだからやめられない」
「やめろって言ってんだよ!」
叫びつつもヤミは何となく察していた。
こいつはきっと、来年も何か仕掛けてくるに違いない。
四月一日だけ万能で、この日だけどんな嘘でも真実に変えられる。
それがこいつ、ワタヌキという奴だからだ。
■ □ ■
次回予告。
魔王の罠によって昏睡状態に陥ったヤミ率いるパーティ一行。
無事なのはヤミとサクラの二人だけ。
魔王を倒し、彼らを取り戻すため、二人はダンジョンへと潜って行く。
追いかけてくるウサギ、スパムしか出さない店。
そして出会った水に住む少女の罠。
力を奪われ、引き換えに与えられた難題。
迷宮の奥にある斧を手に入れ、金と銀の斧を持ち帰ってこい。
そもそも非力な二人なのに、穏やかな神官と化してしまったサクラと、鎌を失ったヤミ。
そんな二人に果たしてそれが持ち運べるのか!
そして、宿の女将さんの正体と、この世界に隠された真実が明らかに!
この世界は紛い物!? 目覚めた真実の世界でカードを集めてレッツデュエル!
次回「金の斧と銀の斧、どっちも片手で持てるってすごいよね」
続きはあるかもしれないし、ないかもしれない。