葵と山吹 後編
「マフラー?」
家庭科室を訪れたサカキの要望を聞いたリラは、その内容を不思議そうに繰り返した。
「はい。この首、包帯で留めることにしたんですけど、そうするとこれまでのような服は苦しいかな、と」
「あー。あー……なるほど。それでマフラーね。うんうん、洒落てていいかも」
それじゃあ、とリラはメジャーをするりと手に滑らせた。
「まずは長さだね。ちょっとじっとしてて」
サカキの首にメジャーをゆるく巻き、実際にどう巻くかを考えながら長さを測る。
「うん。長さはこのくらいかな。君、小さいから大げさなくらいの長さで良いね。素材はその季節に合わせたものをいくつか用意してみよう。あとは……色かなー」
「色ですか」
サカキが繰り返すと、リラはうん、と頷いて色見本になる布の束を机の上に並べた。
「君は何色が好き?」
「好きな……色……ですか」
尋ねられたサカキは、ひどく困った顔をした。
色を見て。いくつか手に取ろうと指を伸ばしては引っ込め。難しい顔をしたり、考え込んだりして。
時間にしては2,3分にも満たない短い時間だったけれど、サカキは深いため息をついて首を横に振った。
「ごめんなさい……僕、わからない、です……」
「わからない?」
リラが問い返すと、サカキは申し訳なさそうに俯いた。
「その。何が好き、とか考えたことがなくて。どの色を手に取っても、何か違うような気がして」
「……」
リラは少々難しい顔をしてサカキをじっと見つめる。サカキは色見本を前に途方に暮れていた。
「そっか。それじゃあ、好きな色じゃなくていい。どの色を君は身に付けたい?」
「身に付けたい、色ですか」
「そう。君の中で自分にふさわしい色って何色だろう? 好きな色じゃなくてもいい。自分はこうありたい、みたいな色ってある?」
「こうありたい……」
「自分はこんな色だと思う、とかでもいいよ」
「自分の、色……」
サカキは少し考えるように色見本を見下ろし。
「これ、ですかね」
と一つの色を手にした。
それは灰色がかった紫。――通称、葵色。
リラはその色を手にしたサカキの目を見て、わずかに眉をひそめた。
紫が悪いわけではない。
緊張することが多いように見える彼なら、それをほぐす色は身近にあってもいいと、リラは思う。
彼の印象から受け取る色とは違うけれど、彼らしい色だ。似合う色だ。とも思う。
思うのだが。
その色を手にしたサカキは、紫の持つイメージの中でも「二面性」や「不安定」の方が強く映るように見えた。
ただでさえ普段から不安げでおどおどしている彼なのに。
葵色のマフラーをしているサカキは、今にも消えてしまいそうで。存在の根元から揺らいでしまいそうで。
正直、想像するだけでこっちが不安になる姿だった。
難しい顔をしていたのがわかったのだろう。サカキはその色に視線を落とした。
「あの。リラさん。この色、似合わない……ですか?」
「あ。いや。似合うよ。似合うんだけど。どうしてその色を選んだの?」
表情を笑顔にすり替えて、リラは問う。
サカキはええと、と少しだけ考えて。
「僕が、忘れられない……。色。なんです」
弱々しく笑いながら、小さな声で答えてくれた。
「忘れられない色、か」
なるほどね。とリラは頷いて、それ以上聞くのはやめた。
似合わない訳じゃないし、彼らしい色なんだから。それで良いじゃないか。そう割り切る事にして、色見本を仕舞おうと手を伸ばす。
彼の持つ二面性も、不安定さも、複雑さも。彼が強く持つ色なのだから。
「それじゃあ、その色で作ろう。何日かかかると思うから――」
「……――あの」
「ん?」
リラは片付ける手を止める。サカキは手にした色見本をそっと元の場所に戻した。
「他の色にしても、いいですか?」
ぴたり。とリラの手が止まる。
「どうして? 大事な色なんだろう?」
サカキは「はい」と頷く。
「忘れられないもの、ですけど。こう言うのはあんまり引きずってはいけないものかもしれません」
さっきの弱々しい笑顔とは打って変わって。穏やかな笑顔でそう言った。
「僕、好きな色は分からないですし、あまり過去も引きずりたくないです。だからリラさん。教えてください」
「教える?」
何をだろう、と首を傾げると、サカキは色見本に――リラの手に視線を落とし。楽しそうに口元を緩めて、視線を上げた。
「リラさんは、僕にはどう言う色が必要だと思いますか?」
「え」
サカキは答えを待つようにこちらを見ている。
「……さっきのはさっきので、良い色だったけど。でも、そうだな。君には、元気を貰えるような色が必要なんじゃないかと思う」
色見本の中からいくつかの色を探し出して並べて。
彼の顔色と見比べてひとつの色を選んでみる。
「これなんてどうだろう」
「これは、山吹色、ですか?」
「そう。君は色に詳しいなあ。山吹は落ち着いていて穏やかな色。そこは君によく似合うと思う。紫と同じように安心感も与えてくれるし。君は小柄だから、もう少し元気に見える色を身につけるのもいいかな。って」
彼は僕が手にした色を受け取って、じっと眺める。
「なんだか、秋の色ですね」
「そうだね」
その言葉が嬉しかったのだろうか。目を細めて、色見本をぐっと僕の方へと差し出してきた。
「ではリラさん。僕、この色が良いです。この色のマフラーを、お願いします」
□ ■ □
放課後。
理科室に行こうと思っていた俺は、先を歩く背中を見つけた。
小さな背中。ぱらっとした黒く短い髪が揺れる頭。俺を先輩と慕ってくれる、その後輩は。
山吹色のマフラーを揺らして歩いていた。
「サカキくん」
「あ。サクラさん」
「マフラー、出来上がったんだ」
新品のそれを話題に乗せると、サカキくんは「はい」と嬉しそうな顔でマフラーに口元を埋めた。
「この色、リラさんに選んでもらったんです。どうですか」
「うん。良い色だね。似合ってる」
素直に褒めると、サカキくんはマフラーに埋まってても分かる位に笑って「ありがとうございます」と目を細める。
けど。
細められた目が開いた時、そこにあった色はなんだか沈んでいた。
どこか遠くを見るような目をして、サカキくんはぽつりと言った。
「――本当は、紫色にするつもりだったんです」
「紫?」
サカキくんははい、と頷いて「もっと言うと」と言葉を付け足した。
「葵色にしようとしたんです」
「……葵色」
その色の名前に。言葉に。喉がぐっと詰まったような感じがした。
思わず足が止まる。
サカキくんはそんな大ごとじゃないように言ったけれど。その声に潜んでいる感情は、指先を冷たい水に浸したようだった。
その色は。葵色は。灰色がかった紫の、落ち着いた雰囲気を持つきれいな色だ。サカキくんにはよく似合うだろう。
けれど。その名前は。
サカキくんの底に沈んだままの。死んでしまった「彼女」の名前で――。
「でも」
サカキくんの声で我に返る。
彼女は数歩先で、にっこりと笑いながらこっちを振り返って立っていた。
「あんまり引きずっちゃダメだな、って思ったんです」
「……」
思わず黙ってしまった俺の視線に、サカキくんは新しいマフラーを整えながら言う。
「僕には目標がありますから」
「目標」
繰り返すと、「はい」と力強い頷きが返ってきた。
それは、時々言っている「憧れの人」の事だろう。
「まだまだ遠いですけど。僕、その日までこの色で頑張るんです」
「そっか。俺もできる限りだけど応援するよ」
「はいっ」
サカキくんはぐっと小さく手を握りしめて気合いを入れるように頷いている。
いつものサカキくんだ。さっきのどこか虚ろな視線なんて、無かったかのようだった。
その姿に少しだけほっとする。うん。サカキくんは、そうやって笑ってる方が良い。
少しだけ歩幅を大きくして数歩で隣に追いつくと、サカキくんは俺を見上げて「よろしくお願いします」と小さく付け足した。
「うん。こちらこそよろしく。それじゃあ、行こうか」
「はい」
そうして理科室に。皆の所に向かいながら歩き出す。
歩きながら、そっとサカキくんを見下ろしてみる。
揺れる山吹色のマフラーは、前を向いて歩こうとしている彼女にとてもよく似合っていた。