壊れた時計と足りないお菓子 3
「――なるほど、そういう子なのか」
「それにしても時間を壊したって……」
話を聞き終えたハナはふむふむと頷き、ヤミはため息のように感想をこぼした。
「うん。そう言ってた。実際どうなのか、って言われると……どうだろう。実感はあんまりないかもね」
「そうだな。ボクは言われるまで意識したこともなかったし。ヤミちゃんはどうだい?」
「気にかけたことはなかったが、心当たりはまあ、ある」
ヤミは歩きながらこくりと頷く。
「俺の身体とか、そうなんじゃないか?」
先導するハナブサが軽く振り返って二人の様子を見てみると、ヤミの一歩後ろを歩くハナは、彼の頭をじっと見下ろしながらうんうんと何か納得したように髪を揺らしていた。
「なるほど。時間が壊れるとは止まるばかりではなく逆行もありうる……そういえばボクのノートも新しくなってたことがあったな。それと同じ原理ってわけかい?」
「予想だけどな」
ヤミの声は少し複雑そうだ。ハナブサは「その影響もないとは言えないね」と答えて先へと進む。
靴箱を通り過ぎ、体育館の鍵を開ける。
「実際のところ、私にはヤミの身体の説明はそれ以外につけられない。他にもそうだな……例えば空間とか感情とか。そういうのにもあるかもしれない。彼女は干渉しないようにするとは言ってたけどね」
実際どうなのかは彼女しか分からないけど、と笑いながら付け足したところで、ハナブサは足を止めた。
「ん? この小部屋にその子がいるのかい……?」
ハナがはて、と首を傾げてドアを見上げている。
「正確にはその奥、かな」
体育館のステージ横にある小さな部屋。その奥にはさらにもう一つの空間へ繋がる小さな階段があった。
ステージの下に位置する空間への入り口。5段ほどの階段の先にあるのは、古びた鉄扉と薄暗い空気。
生徒も好んで近付くことはあまりないその部屋は、いろんなものをしまい込んでいる倉庫だった。
「倉庫……だよな?」
「そう。倉庫だよ。時計はね、表にはもう残っていないんだけど。こっち側は……やっぱりちょっと壊れてたのかもね。まだ残ってたんだ。だからここに――その時計をしまっておいたんだ」
そういてハナブサは普通の部屋に入るのと変わらない様子で鍵を開け、その奥へと足を踏み入れる。
倉庫には色んな物があった。
体育祭や文化祭と言ったイベントにしか使わない物、校内で飾る場所がなくなってしまった物、卒業制作、節目毎に作られている学校の歴史を刻んだ記念品が詰まった本棚。
行き先を塞ぐ大きな道具などを三人で退けながら奥へと進んでいく。
そしてその一番奥。
細身で背の高い振り子時計が、静かに佇んでいた。
「これが、その時計」
ハナブサが隣に立ってそっと触れた。
これまでなんどもそうして来たかのように時計を見上げる。
「――迎えに来たよ」
そう言うと、静かな空間にぱたん。と。小さな音がした。
時計を挟んで反対側。そこに。一人の少女がいつのまにか立っていた。
淡い茶色の髪。耳の垂れたウサギのように軽く跳ねた髪。赤橙の目はまっすぐにハナブサを見ている。
中間服のようなワンピースの裾は、ひらりとも動かない。
「お久しぶりです、模型の人」
「うん。久しぶり。今日は手紙をありがとう。改めて教えて。君の答えは、変わらない?」
ハナブサの穏やかな声に、彼女はこくりと頷いた。
「はい。わたしの針はそちら側を指しました。お伝え行くついでにあったいい匂いのものはいただきました。味は……」
「甘かった?」
「なるほど。あれが、甘い。ですか」
少女はふむと考え込む仕草をする。背中でまとめられた細い髪が揺れる。
その反応にハナとヤミは首をかしげるも、二人の会話に声は挟まない。
「……悪くはありませんでしたが。もっと食べないと判断できません」
「はは……精進するよ」
「はい」
頷いた赤橙の目がハナブサを離れ、一緒についてきた二人の方を向く。なんとも感情の読めない視線にハナはにこりと笑い返して、恭しく頭を下げた。
「ハナブサさんのお菓子はまだまだ種類豊富だからね。これからもっともっとおいしいお菓子に巡り合わせてくれるだろうさ。――っと、初めまして。ボクはハナ。そしてこっちの黒いのがヤミちゃんだ」
ハナの紹介に相槌を打つように、ヤミは帽子の端をつまんで挨拶をする。
「こんにちは。はじめまして。わたしは……これです」
そう言って彼女は、隣に佇む時計にそっと手を触れ、小さく会釈をした。
□ ■ □
場所を理科室に移すと、丁度やってきたサクラが「あ」と声をあげた。
「なんだか。すごく久しぶり、だね」
「はい。お久しぶりなのです。桜の人」
サクラの言葉に彼女はぺこりとお辞儀をする。相変わらずふわふわとした髪がさらりと肩から零れた。
「ハナブサさんが居ないと思ったら……そっか。君を迎えにいってたんだね」
「はい。これからこちらでお世話になることにしたです。模型の人のお菓子もいただきました」
「はは。そっか」
それはよかった。とサクラは笑って――「ああそうだ」と小さく手を叩いた。
「俺達、あの頃から色々変わったんだ。だからその話をしないと」
紹介しないといけない人も居るしね、とサクラは嬉しそうに喋る。
自分とハナブサの名前のこと、あれから増えた人のこと。
増えた人に関しては「ちゃんと学校の中は見てるので知ってるです」と頷いた。
「そっか。それなら話は早いや。でも、あとでちゃんと紹介しようね。……ってことは、結構学校内に居た?」
はい。と彼女はこくりと頷いた。
「時計が時々かちこち言うのです。そうすると、ここに何か起きた証です、から。人が増えたり、誰かの時間が止まったり、戻ったり、するですよ」
「……ほう?」
ハナの視線がちらっとヤミを向いたのが分かったが、サクラはそれを見なかったことにした。ヤミがなんとも言えない顔をしていたのも同じように見なかったことにした。
彼女は何も気付かなかったらしく、「大体の時間は」と話を続ける。
「こっち側に来る時に耐えきれなくて壊れてしまうことが多い、です。あっち側に行った時だけ動いたり、妙な動きするのです」
その言葉にサクラはいくつかの心当たりを思い浮かべる。
幼くなってしまう身体。傷の治りの早さ。時間が止まったかのように空ばかり見上げている少年――。
それらはもしかしなくても、彼女の影響なのかもしれない。
ふむ。と考えている隙に、お茶を持って来たハナが湯呑みを私ながら彼女に声をかけていた。
「その壊れた時間というのは、君にもどうにもならないのかい?」
「どうにもならないのです。能力も壊れてしまっています。どうやったら動くのか。動かせるのか。わたしもわからないのです」
「そっか」
ため息のように彼女は一言で話を切り上げ。ヤミに湯呑みを渡してにやりと口元を釣り上げた。
「残念だったなヤミちゃん」
「何がだようるせえよ」
俺はこれで良いんだ、と溜息交じりの言葉に、サクラは少しだけ不思議に思った。
確かに彼はこっち側に来て体格が幼くなった。最初に見た時はもっと……サクラ程ではなかったが平均的な身長だったはずだ。きっと、この部屋にいる全員がその理由が彼女にあると思っている。そして、それはきっと正しい。
なのに、ヤミは何も言わない。
よくハナから小さいことを指摘されては声を荒げているが、それでいい、と彼は言った。
どういうことなのだろう? とサクラは首を捻るけれど、それで答えが出るわけではない。
まあ、そこはきっと。ヤミにしか分からない何かがあるのだろう。
よし、とサクラは話を元に戻す事にした。
「ねえ。時計さん。ひとつ大事なことを聞きたいんだけど」
「はい」
湯飲みに口をつけようとして湯気に鼻先をくすぐられた彼女は、ひょこりと首をこちらに向けて来た。
「うん。君の名前なんだけど――俺たちは君のこと、なんと呼べばいいかな?」
「え。別にそのようなもの。どうでも、いいです」
□ ■ □
ヤミがハナと二人、廊下を歩いていると呼ぶ声が聞こえた。
「――さん、ヤミさんっ」
ヤミが足を止めて振り返ると、ぱたぱたと走ってやってくるのは薄い茶色の髪をウサギのように跳ねさせた少女――カイトだった。
あの後。
サクラに名前を聞かれた彼女は「どうでもいいです」と一言で切り捨てたけれども、そこはハナが逃さなかった。
あれやこれやと協議を重ねて、カイト、という名前に落ち着いた。
壊れた時計と、ウサギのような髪の毛で「壊兎」なのだそうだ。
最初は物静かで何事にも「針が動かない」の一点張りだった彼女だが。最近とあるやつと出会って一気に何かが変わったようだ。
具体的には、よく騒ぐようになった。いや。普段はいつも通りおとなしいのだけど。そいつが絡むと声をあげて全力で逃げて行く。そう。まさにこんな感じの勢いで。
「良い所に、いてくれました! ヤミさんちょっと、盾になって欲しいのですっ」
「は!?」
言うが早いか彼女は跳ねるようにヤミを一歩通り過ぎ、その場でターン。きゅっ、と上履きのゴムが床を擦る音がした。
ヤミの肩を両手でしっかりと掴んで、くるりと自分が今来た道を振り向かせると、ぴゃっとその背に隠れた。
「おやおや、良い感じの盾になったねえ」
ハナがなんだかとても楽しそうに指先を口に当ててにんまりと笑う。
「いや、盾になったつもりないから……ってか、カイト」
「やです。絶対やです。あの猫苦手なのです止めてください」
お前いい加減に俺を盾にするのやめろとか、あまつさえ盾って言っちゃうとかどうなんだとか、そろそろ諦めろとか、色んな言葉を込めて呼んだその名前の意図をしっかりと汲み取って、カイトはふるふると首を横に振る。
「無理ですむりですあの猫わたしをおもちゃにして楽しんでるのです」
「――おや、しっかりバレてますねえ」
どーもやみ君、という声と同時に、とん、と軽い足音が降ってきてヤミの視界を埋めた。
背の高い影だった。
その影がヤミの眼の前に立つと、胸のあたりにあるフードの紐しか見えなくなる。
丈の長いパーカー。猫のような耳を象るフードから零れるのは、緑がかった水色の髪。瞳は光の加減で紫にも緑にも見える不思議な色をしている。誰かが宝石の名前を挙げていたが覚えていない。
瞳も特徴的だが、なにより目を引くのはパーカーの裾をめくりあげて揺れる長い二本の尻尾。
それはさながら猫のような少年、チシャ。
――いや、実際彼は猫なのだが、それは別の話だ。
そんな彼は、ヤミの肩から覗き込むようにしてカイトの頭をつついている。
カイトはその指からできるだけ距離を取ろうとのけぞる。一緒に学ランを掴んでいるため、ヤミの背中もぐぐぐっと引っ張られている。
「やめてください離れてください無理だっていってんですー! つつくんじゃないですー」
「ふふふ、この反応ですよ。感情込めていやがると余計に相手は調子に乗るといい加減学習しましょうねえ」
「お前らいい加減にしろよ!? カイトは服を引っ張るな! チシャも自覚あるんならやめてやれって!」
ぐっと見上げてなんとか上げたヤミの声に、チシャはいやはやと照れたように笑ってみせる。
「かいとはどうにも追いかけ回して遊びたくなるのですよねえ。やみ君も一緒に遊びたくなりますが、この差は一体何なのでしょうなあ」
「それはあれかい? 好きな子にちょっかいかけたくなる的な?」
ハナがさらっと言った言葉に、カイトがぴたりとその動きを止めた。
顔が見えないヤミにも分かる。彼女は今、非常に困った顔でハナを見ているに違いない。そこで肯定されたらきっと絶望的な顔になるんだ。ところでこのサンドイッチにされてる状況どうにかならないのか。
そんな事を考えていると、チシャは「いやあ、残念ながら」と笑った。
「そんな感情はないのですよねえ。チシャはただ、おもしろいから追いかけているだけでして。言うなれば、目の前を面白い玩具が横切っていったのを追いかけてしまう条件反射と言いますか」
「なんだ、つまらないな」
「ハナ。お前は火種を作りたいのか状況を落ち着かせたいのかはっきりしろ」
学ランを掴んでいる手がぷるぷると震えているのを感じながら、ヤミは溜息をつく。
「――わ」
カイトが小さな声を零した。
「「わ?」」
ハナとヤミが声を揃えて聞き返す。
「わ、わたしだってチシャみたいなのは絶対お断りですーーー! 気が合いますね何よりなのですそれじゃあ!」
言うが早いかヤミを掴んでいた手を離し、突き放す。
「!?」
「わっ……っと」
突き飛ばされたヤミをチシャが軽々と受け止める。ヤミの帽子のつばがチシャの胸に当たって浮き上がる。
慌てて帽子を押さえて振り返ったヤミの視界に残ったのは。
全力で廊下の角を曲がって行くカイトのスカートの裾だった。
それを全員で見送って、足音すら聞こえなくなった頃。
「風のような速度だったな……」
カーディガンに隠れた手を目の上に当てたハナの、感心した声が廊下に響いた。
「それにしても、カイトちゃんはすっかり明るくなったな。いやあ、何より何より――っと。チシャ君、追いかけなくていいのかい?」
そのままの姿勢でくるりとチシャの方へと振り向くと、チシャはチシャでヤミを抱き留めたままくすくすと笑っていた。
「いやあ、チシャはこれ以上深追いしないと決めておりましてなあ。怒るところと嫌われるところの境界を見極めるのが大事、と言うわけでありまして」
「なるほど。しかしここで敢えて追いかけていって優しい声のひとつでもかければワンチャン」
「なんのだよ」
思わず低温で零した声に、ハナはからからと笑う。
「あははは冗談だよ冗談。……そう言うのは置いといても、ボクもそこは見習わなくてはならないな」
「チシャをか?」
「チシャくんをさ」
「……見習ってどうする気だ」
「その口調だと分かってるのだろう? 勿論ヤミちゃん、君とのコミュニケーションに生かすのさ」
「……」
返す言葉もなかった。
できるのは、ただただ、深い溜息をつくだけだった。
「あははは、やみ君も大変ですなあ」
「いや、お前に言われたくない……」