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壊れた時計と足りないお菓子 2

 彼女に手を引かれて鏡の中へ踏み込むと、視界が回るように眩んだ。

「――っ」

 平衡感覚を失いかけて、思わず膝をつく。

「あ。……だ、だいじょうぶ? です、か?」

 彼女のおろおろとした声が聞こえる。少し遠い。もうちょっと待って、と手で答え、初めての感覚に戸惑いながら立ち上がる。

 少しだけ気分が悪い。

 けれども。

「――静か、だ」

 くらくらと揺れる中でも分かるくらい、この世界は静かだった。


 目の前にあるのは階段。

 それはさっきと一緒。見える景色も変わらない。

 なのに。空気が違うように感じた。


 外はあんなにも月が明るいのに、木々のざわめきはするのに。鳥の鳴き声は聞こえない、人の残り香のような気配を感じない。

 静かで、深くて、昏い空気。

 まるでずっと夜のような。何かの底のような。そんな場所に思えた。


「ここが……あっち側?」

「そう、です」

 彼女はこくりと頷いた。

「ここが、学校を写してひっくり返した裏っ側。わたしのお庭なのです」

「へえ……」

「でもですね」

 彼女の声がぽつりと落ちた。

「ここはすこし、寂しいのですよ」

「寂しい……?」

「ずうっとこうなのです。まず時間が壊れてるのです。壊して、しまったのです。だから、動いたり、動かなかったり……針は気まぐれで。それから、静かで、誰も居なくて、でも広くって。わたしは壊れちゃってるから、これ以上どうすることもできないのです。変化がない」

「でも、君は私をここに連れてきてくれたよ。それは立派な変化じゃないの?」

「それは。大鏡が言ったのです」

「大鏡が」

 あの鏡は喋ることができるらしい。私に声は聞こえなかったけれど、彼女はそうだと言う。

「あはたと会ったことを話したら、羨ましいと。こっちに連れてきてはどうだと。そう言って、ました」

「そうなんだ。私に声は聞こえなかったな……さっきも話してたの?」

 私の質問に彼女は「はい」と頷いた。

「あなたもいつか、声が聞こえると思うのですよ。鏡は、外が好きなのに動けないで。その時は……外の話、してあげてください」

「そうだね。声が聞こえるようになったら、話をしたいな」

「はい。それから。もうひとつ」

「うん?」

 彼女はそっと私の手を取り、何かを包み込むようにぎゅっと握った。

「この庭、あなたにあげても良いのですよ」


 それは突然の話だった。


「えっ…………どう、して?」

 何を言われたかよく分からない。その意図を問い返すと、彼女はそれが当たり前のような顔をしていた。

「ここをもっと、賑やかにしてくれるのではないかと。それを、見てみたいと私の針が指したからです」

「針が……」

 でも、わたしは連れてこれないですから。と、彼女は私の目を見て言う。

「でも、私をここに連れてきたのは君だよ?」

「私は大鏡に言われてこの場所を教えただけです。道を開いて案内した。それだけです。それは、わたしの意志じゃないのです」

 彼女は淡々と言葉を続ける。

「わたしは壊れてしまっているから。意志がないのです。静かだということにも気付かなかったですし、誰かが針を動かさないと、わたしは動く気がしないのです」

「でも……!」

「でも」

 二人の声が重なった。私は思わず口を噤んで、彼女の言葉を待った。

「ここをわたしと大鏡の秘密の庭ではなく、あなたに渡してみたくなった。あなたが、どんな庭を造るのか、知りたくなった。そんな風にあなたは私の針を、動かした。だからです」

「でも。急にそんな……」

 急にそんな事を言われても、正直困る、というのが私の言葉だった。


 昼間も自由に動ける場所がある。それはとても喜ばしいことだ。

 私もミキヒコも、好きに動くことができる。理科室の木枠の中や桜の木の下でうつらうつらと夜を待って過ごすこともない。もし、この先私達のような存在が増えた時も、きっとこの場所は役に立つだろう。

 けれども。それを。そんな場所をはいと渡されて素直に受け取って良い物か。

 だって、鏡が作ってこの少女が時間を壊したというのなら、それは彼女達の物であって私の物になるいわれはないはずだ。


「いいのです。わたしも大鏡も、ここに固執する物はないのです。それなら必要な人に渡した方がいいんじゃないかって、大鏡に話したのです」

 彼女は私の心配を見通したかのようにそう言って、ひとりでうんうんと頷いていた。

「だから、あなたにここを受け継いでほしいのです」

「……でも」

 その場ですぐに答えを出せるほど、私に抱えられる物じゃなかった。


 その日は、しばらく考えさせて欲しいと言って彼女と別れた。



□ ■ □



「へ。昼間も自由に動ける場所?」

「うん。ミキヒコはそう言う場所があったら、どう思う?」

 お茶を飲みながら、ミキヒコはうーん、と暫く考える素振りを見せて。

「まあ、あったら……便利だよね」

予想通りの答えを返してくれた。

「やっぱり、そう思うよね」

 頷きながら緑茶をすする。今日は少し温度が高かったかもしれない。それからお茶っ葉につけすぎた。明日はもう少し早めに火からはずして、淹れたらもう少し短い時間で出してしまおう。

「でも、突然どうしてそんな事を?」

「実は、そう言う話を持ちかけられてね」

 と、時計の隣に居る少女のことをかいつまんで話す。

 壊れた時計と、大鏡。二つの存在が作り出したもうひとつの学校――それを、私に譲り渡したいのだということも。

「なるほど。それは確かに突然言われたら困っちゃうよね」

 ミキヒコは少しだけ困ったように笑った。

「そうなんだ。だから、少し考えさせてもらってるんだけど……ミキヒコはどう思う?」

「どう。というと?」

「私は、それを任されるに値するのか、その場合、きちんと全うできるのか……とか。なんか、色々」


 正直不安だったのかもしれない。


 私はただの人体模型だ。人の姿を模した何かで、それ以上でもそれ以下でもない。

 ならば人間だったミキヒコの方がそういうものに向いていたりしないだろうか。

 ああ、こういう時に英が居たら何と言ってくれるだろうか。

 色々考えすぎて、分からなくなってしまったのだ。

 私はなんでもできるような気がしたり、それを改めて考えて何もできないんだと思い直したり。

 私にできるのは人間のまねごとだけなんだと、その都度思い知る。

 人のように動いて、話して。

 英がどうしてたか、なんて彼の姿をずっとなぞって。お茶だってまだまともに作れなくて。

「私は……いったい、どうすればいいのかな」

 ぽつりと零れたのは、不安がいっぱいに詰まった言葉だった。

「私は。英のあとを追いかけてばかりで、一体何ができるのだろう」

「んー……そうだな。模型さんは、今日のお茶、どう思った?」

「え?」

 ぱっと顔を上げると、ミキヒコはニコニコしながら「どう思った?」と問いかける。

「……ちょっと、熱かった」

「そう。それから?」

「少し、苦い」

「そっか。それは、模型さん自身の判断だよね」

「英が出してくれたお茶に近付けたいんだ」

「うん。俺は模型さんがそれだけの判断ができるのなら、良いんじゃないかなって思うよ」

「……え」

 どうして、と問うと「なんとなくかな」と曖昧な返事が返ってきた。

「模型さんは、どんな人になりたいんだっけ」

「……ミキヒコ、さっきからよく分からない質問ばっかりだ」

「まあまあ。もうちょっとだけだから」

「私は、英みたいになりたいよ」

「うん」

「こうして理科室でお茶を出して、喋るのを眺めて。そうしてにこにこ笑って」

「うん。それがきっと、俺達には必要なことだと思うんだ」

「……?」

 どういうこと、と問いかけると「そうだな」とミキヒコはお茶の入ったビーカーに口をつけて答えた。

「俺達は色んな物を抱えてると思う。模型さんの目指す物とか、俺が眠ってる間に見る夢とか、骨格標本のこととか。そういうのは誰かがどうにかしようとして、なんとかなる物じゃないよね。暖かい場所を用意して、少しずつ馴染ませていくことが必要なんじゃないかって思うんだ」

「うん」

 それは、ミキヒコの言うとおりだ。

 私には理科室が。ミキヒコには桜の木が。骨格標本には――今は、図書室の人形が。必要な居場所だ。

「そういう場所が必要だと思う。英さんはそう言う空気を作るのがとても上手だったから、俺たちはこうしていられる。それを目指す模型さんは、きっと上手くやってくれるんじゃないかな、と俺は思ってるよ」

 それにさ、と。ミキヒコは少しだけ重そうに言葉を続けた。

「そう言う場所がなくて一番困るのは、何か事件が起きた時だよ」

「事件が?」

「そう。あんまり考えたくない可能性だけどね。何か起きた時。これまでは夜だったから俺達は問題なく動けたけど、これがもし昼間だったらどうする?」

「……すごく、困る」

「でしょう? 俺は昼間でも生徒達に見つからないで動けるようになってきたし、きっと模型さんもできるんじゃないかと思う。だったら、昼間もできるだけ動ける体制を作れるのは、とても嬉しいこと」

「うん」

「勿論。助けが必要なら俺はいつだって助けるし、必要な立ち位置があるならそうであるよう頑張る」

 あとはそうだな、とミキヒコは自分が持っていたビーカーをチラリと眺めて苦笑いをした。

「理科室の先生に、毎日ビーカーの位置が変わってるって怖がられるのは困るでしょ?」

「う。それは……困る」



 □ ■ □



 夜。

「――決まったのですか?」

「うん。決めたよ」

 彼女はいつものように時計の横に座っていた。

「君の願い、私は聞くことにしたよ――ただ、ひとつだけお願いがあるんだ」

「おねがい、なのですか?」

 オウム返しに問いかける彼女に「そう」と頷くと、後ろに立っていたミキヒコがその内容を告げてくれた。

「初めまして。俺の話は模型さんから聞いてると思う。あのね、君達も、俺達と一緒に過ごさないかな。理由は色々あるんだけど……ひとりで過ごすより誰かと一緒に居る方が、楽しいんじゃないかなと思って」

「――?」

 彼女の首がこてんと傾いた。背中で軽く纏めた髪がさらりと垂れ下がる。そしてしばらくそのまま固まった後、ふるふると首を横に振った。

「その言葉に、針が動かないです」

「そっか」

 ミキヒコはその答えを素直に受け止めて頷いた。

「――でも」

「?」

「考えておきます。また私の針が動いたら。迎えに来てください。私の針を動かすようなもの、用意しておいてくれたら。いつかは」

 分かった、任せて。と私は頷く。

「でも、針を動かすようなものって……なんだろう」

 ミキヒコがうーんと首を傾けて考え始める。

 彼女はそれをじっと見ている。

「人が増えるとか、賑やかになるとか……?」

「それは、ただ見てるだけでも良いと思うのです」

「そっか。じゃあ、俺とか模型さんが何かできるようになる、とか?」

「……私、お茶入れるくらいしかできないなあ」

「俺も」

 二人で眉を寄せると、少女はじっとこちらを見たままぽつりと呟いた。

「――キャラメル」

「?」

「そう言うものがあると、生徒が話しているのを聞きました。なんでも甘いのだといいます」

「甘い……お菓子とか、好きなの?」

「?」

 彼女はミキヒコの質問に首を傾げた。

「甘い、とはなんですか? 女子が好むのだと聞きました。わたしは、女子ではないかと思うので」

「「あ」」

 私とミキヒコは同時に声をあげた。

 ああそうか。彼女は私と同じ備品だから。きっと味とか色んな物が分からないんだ。

 色んな物を教えないといけなくて。その為に、私達は頑張らないといけない。

「分かった。じゃあ、おいしい物用意しとこう――頑張ろう、ミキヒコ」

「うん。そうだね」

「期待しています」

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