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アンティーク・ラジヲはひとりなく 2

「――サクラ。まだ起きてるか?」

 壮年を超えた男性の声。この声の主はひとりしかいない。

 サクラはすぐさまその名前を呼んだ。

「ウツロさん?」

 まだ頭は痛むが、ウツロが訪ねてくるのも珍しい。痛む頭は首を押さえて誤魔化しながら、サクラはドアを開けた。

 廊下の闇に溶けきらず立っていたウツロは、出迎えたサクラの顔を見て眉をひそめた。

「……大丈夫か、顔色悪いぞ」

「ああ。うん。大丈夫。中、入る?」

 扉を開けて中へ招き入れようとしたが、ウツロは「いや、ここでいい」と手で軽く制した。

「話が終わったらすぐ寝る」

「そう。それで」

 どうしたの、と問うと、ウツロは珍しく声を潜めるようにして「実はな」と告げた。


 ラジオを聞いていたら自分の名前が聞こえた、と。

 物理準備室のものではなく、個人の所有物であるそれから、だと。


「え……俺達の?」

「ああ。時々ラジオを聴いてんだが、さっきな。ノイズが多くて聴けたもんじゃなかったが――少なくともここに居る奴の名前が何人か聞き取れた。で、だ。問題はここから先だ」

「う、うん……」

 サクラはこくりと頷いてウツロの言葉を待つ。

「俺の名前、知ってるだろ?」

「ウツロさん?」

「いや、前のだ」

 前の。その言葉にサクラはきょとんとウツロを見上げる。

 ウツロの紫の視線が、サクラの濃い桜色をした目を見下ろしていた。

 その言葉が意味することを、サクラは瞬き一つで察知する。

 それは、彼がここへとやってくる前。つまり死ぬ前の――人間だった頃の名前。

「……鹿島さん」

 ぽつりとその名前を零すと、ウツロは「そう、それだ」と小さく頷いた。

「その名前を呼ばれた瞬間な。色んなものを思い出した。死ぬ間際の走馬燈、っていうと想像しやすいか。一瞬だったが、過去の自分を振り返ってな」

「……それは」

 サクラは思わず言葉を失った。

「まあ、俺の場合は大したことじゃない。生きてた頃の生活とか、死ぬ間際の事とかそんなんだ。だが……」

「うん」

「後悔が、ひどい」

「後悔……」

 思わず繰り返すと、ウツロは首元を押さえてため息をついた。

「過去を思い出させることで、思い出したくもなかったものを見せつけられる。挫折とか、後悔とか。負の感情が強い。それに強くあてられたら、感情のままに動きそうだった。具体的にはラジオを叩き斬るとかな」

「え……それは」

「冗談だ。すぐに電源を切ったからどうと言う事はない。けどまあ、そう言うことだ」

「けどさ……」

 サクラの頭の中にひとつの考えが浮かぶ。

 ウツロも同様のことを考えたのだろう、「そういうことだ」と頷いた。


 それは、危険なことだ。

 表の――学校で過ごす生徒達ならまだいいかもしれない。だが、ここに住む。こっち側の住人が聞いてしまったとしたら。

 どうなるかわからないじゃないか。

 

 例えばヤミ。姉の亡骸を抱えて自害した夜のこと。

 例えばハナブサ。英に置いていかれたと感情を吐露したあの日のこと。

 例えば自分。病床で死の影に怯え、それを夢に見る日々のこと。

 そんなものを思い出したら。感情に引きずられたら。


 しかも全てはサクラが知る範囲での過去。

 それよりも辛い日々が、憎悪が、嫌悪が。そんな負の感情があったなら?

 彼らは耐えられないに違いない。自分だってそうだ。

 感情は時に、人を思いもよらない方向へと動かすのだから。


「だめだ、ね。触れさせちゃ、聞かせちゃ、いけない……」

「だろう。だから早々にどうにかしなくちゃならんと思ってな。悠長なことは言ってられんが、考える時間はあった方がいいだろう」

「うん。ありがとうウツロさん」

「いや、こういうのは多分俺よりお前さんの方が手慣れてそうだからな」

「――そうかもね」

 溢れた笑い声は、なんだか苦い。

「それでこの話、ハナブサさんには?」

「部屋を訪ねてみたがもう寝てるようでな。返事がなかったから明日朝一番に行くつもりだ」

 俺も明日は早く起きなくちゃなんねえなあ、とウツロはぽそりと呟いて、「それじゃ、もう寝る」と話を切り上げた。

 そのまま帰るつもりだったであろうウツロに、サクラは思い切って声をかけてみた。

「ねえ。ウツロさん」

「ん?」

 彼は足を止めて振り返る。その視線には「どうした?」という疑問の色があった。

「ウツロさんは、俺の中にいる……ええと、なんていうのかな、アイツのこと、知ってるよね」

「アイツ……」

 あいつ、と繰り返して「ああ」と何かを思い出したように頷いた。

「お前さんのもう一人の人格だな。知ってるが……名前はないのか?」

「うん。名前は無いって言うんだ。呼ばれてたのはあるらしいんだけど……気は進まないみたいで」

「そりゃ難儀だな。お前さんつけてやったらどうだ?」

「うーん……」

 思わず唸ったサクラに、ウツロは口元だけで笑った。

「まあ、それはお前さん達の問題だとして。それでどうした?」

 ウツロが話を進めたので、「実はさ」とぽつりと話を切り出した。

「アイツがね、さっき言ったんだ」

「ほう?」

「噂で事実が変質してきてる、このままじゃ危ない、って。それで、どうしようって話をしてる時にウツロさんが来たんだけど」

「変質っつーと……」

 ウツロはしばらく考え込む仕草を見せて、眉を寄せた。

「やっぱり噂話と生徒の怪我に因果関係はなかった、ってことか?」

 ウツロは状況を素早く飲み込んでくれた。サクラはこくりとその言葉を肯定する。頷くと、まだ眩む頭につきりと痛みが走った。

「そう。それらの話が繋がって、噂話から真実になってきてるって。あいつはまだ仮定とか、猶予がある話し方してた。でも、もう遅いのかもしれない」

 だって、とサクラの言葉が続く。

「ウツロさん、聞いたんでしょ?」

「ああ、聞いたな」

「それで、どう思った?」

「なんつーか、後悔したな。今も気分は正直悪い。とは言っても、俺が後悔してることなんて少ないもんだ。だが、他の奴……ヤミとかが聞いたら、危ないんじゃねえか?」

「うん。そこは俺も同感。噂話は事実になってきてる、物理準備室のラジオは確実に力をつけていて、このままじゃ被害が出ると思う。まだ感情を引きずるだけかもしれないけど、もし、それが行動に出てしまったら。もしくは、ラジオが行動まで操れるようになったりなんかしたら……」

「……不味いな」

「だよね」

 二人は静かに頷き合う。

 ウツロは小さく溜息をついて、頭をわしわしと掻いた。

「だったら、行動は早いほうがいいな。明日ハナブサにも話してみるが……これは、できる限り早く封印でもした方がいいのかもしれないな」

 そしてウツロはぽん、とサクラの頭に手を乗せた。

「ま、誰が適任とか、実際どうするかってのは明日考えよう」

 そしてくしゃくしゃと頭を撫でられる。

「わっ」

「よし、俺はとりあえず今日は戻るが。お前さんの中にいる奴にも礼を言っといてくれ」

「れ、礼……?」

 なんのだろう、と聞き返そうと見上げると、穏やかに笑うウツロの顔が見えた。

 撫でられたせいか、視線を動かすだけで目の奥から頭にかけてずきりと痛み、思わず目を細めた。

「そうやって情報をくれたことだ。サクラは嫌がってるかもしれんが、まあ、余計なことはしても悪い奴じゃ……ないだろ」

 多分、と言いながら手が離される。

「えっ……うん……」

 サクラがどう答えたらいいか迷っている間に、ウツロは離した手をひらりと振ってそのまま部屋へと戻っていってしまった。



 □ ■ □



 残されたサクラは、撫でられた頭をそっと押さえてみた。

 まだ頭は痛むけれど、それ以上に撫でられた感触の方が今は強く残っていた。


 頭痛以外で頭に触れるなんて。ましてや頭を撫でられるなんて随分と久しぶりのような気がした。

 最後に自分の頭を撫でてくれたのは誰だっただろうか? きっと母なのだろう、とは思うが、もうちっとも思い出せない。

 過去の自分は――幹彦は。いつだって熱と悪夢にうなされていて。与えられる誰かのぬくもりを当たり前の対価として受け取っていたのだから。覚えていたわけがない。

 こんなに嬉しいものだったっけ、と、くすぐったい気持ちで髪の毛に指を通してみる。くしゃりと掴んだ髪の毛は、そのまま指をさらりと通り抜けていった。

「礼、かあ……」

 ウツロに言われたことをぽつりと繰り返してみる。

 言うだけなら意外と簡単だと思う。口にすればいいのだから。

「でも、なんか、うん……言われていうのは違うよねえ」

 だからさ、とサクラはただ呟くように言った。

「ウツロさんがありがとうだってさ。いつかお礼言っときなよ?」

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