表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/171

あなたはだあれ? 前編

 あなたを変えるおまじないをしよう。


 鏡の四隅に紫色の絵の具を付ける。

 鏡に向かって「あなたは誰?」と尋ねる。

 名前を答える。

 質問が終わったら、絵の具を白いハンカチで拭き取る。

 それを一日二回。一週間繰り返す。


 気をつけるのは四つだけ。


・誰にも知られちゃいけない。

・鏡は毎日変えなきゃいけない。

・ハンカチは同じ物を使い続ける。

・自分の名前を忘れちゃいけない。


 そうしないと。


 □ ■ □

 

 きこきこきこきこ。

 自転車のペダルを回すと、油の切れかけた音がする。


 私はこの音が嫌いだ。

 耳障りで、壊れそうで、回してないと止まってしまいそうで。

 ううん、そもそも自転車が嫌いなのかもしれない。

 それをこうして漕いでる私自身も。


 友達は居ない。両親は海外赴任。

 家に帰ったらひとりで食事。宿題と予習をして。時間があったら読書して。布団で朝が来るのを待つ。

 それを繰り返し。繰り返し。繰り返して、繰り返す。

 単調で代わり映えがない。

 まるで、自転車通学の風景のような毎日だ。


 ああ。私ってば何をしてるんだろう。

 どこに向かっているんだろう。

 そんなことを思っても、小さい頃からずっとこうだった。

 

 周りの大人に「いい子だね」なんて言われて。

 いい子っていうのが何かも分からず、怒られないなら今のままで良いんだって思って。褒められるのが嬉しくて。

 ただただ、その「いい子」という自転車のペダルを漕ぎ続けている。

 きこきこきこきこ。漕ぎ続けている。

「昔は……これも楽しかったと思うんだけど」


 いつしか、この回転を止める方法が分からなくなっていた。

 このままどこに行くのか、止まってしまったらどうなるのか。分からなくて、怖い。

 だからまっすぐ進み続ける。

 道から外れるのは怖いから、寄り道はしない。

 髪も染めないし、スカート丈も短くできない。

 自分ができる範囲で進路を決めて。自分ができる仕事について。

 ――きっと未来もそんな感じで続くんだって気がする。

 正直つまらないなと思う。

 この自転車を止める勇気なんてないけど、止めて欲しくなる時がある。

 天変地異とか。交通事故とか。そんな、思いもしない状況とかタイミングで。突然に。

 身勝手だけど、回り始めたものはそういう事がないと止まらない。

 そう思ってた。


 ある日。クラスの女子が話をしているのを聞いた。


「あなたを変えるおまじない、って知ってる?」

「あ、しってるー。でもあれヤバイんじゃないの?」

「精神崩壊するって言うじゃない」

「それは都市伝説の方だよー。こっちはおまじないだから大丈夫だって」

 イメージ変わって彼氏できた子とか居るらしいよ。まじで。なんて。私には縁もゆかりもなさそうな話。

 噂話が浮いては消える、ちょっと変わった学校の中に転がってる噂話のひとつ。

 興味が無い、そんな素振りで通り過ぎたけど。

 あまりにお手軽なおまじないだと、彼女達が話すから。

 それで何が変わるのか分からないけど。

 一週間だけなら。自転車を漕ぎながらだってできる気がした。


 □ ■ □


 水曜日の朝。いつも通り学校へ行く。まだ人は少ない。

 教室へ行く前にトイレに立ち寄った。

 手を洗って、小さな巾着袋から絵の具を取り出す。

 そして、四隅に絵の具を乗せて向かい合う。

 薄暗いトイレの鏡に映る私は、本当に冴えない顔をしていた。

 伸ばしただけの黒い髪。普通に着てるだけの制服。化粧っ気なんてひとつもない顔。

 トイレで鏡を見る事なんてなかったから、学校で自分と向かい合うのは珍しく思えた。

「あなたは、誰?」

 私の声で、鏡の中の私が問う。

「私は――吹月(ふづき)市子(いちこ)

 鏡の中の冴えない顔が答える。

 少し不思議な感じがした。

 きゅ、っとハンカチで絵の具を拭い取る。汚れないように畳んで、袋にしまう。


 二回目は、部活動の声が遠くに聞こえる放課後。

 教室を最後に出た私はトイレに寄って。質問をして、答える。

 こうして一日目は、何事もなく終わった。


 二日目に変化はなく。

 三日目も特に何も起きなかった。

 四日目の土曜日は、お風呂場と洗面所で。

 信じてるわけじゃなかったけど、変化がないことにがっかりした自分が居た。

 頭がすこしぼおっとする。

 五日目。部屋にあった小さな鏡で。ちらついたように見えたけど、きっと光のせいだ。

 六日目の朝。少しだけ鏡がくすんで見えた。ハンカチは随分と汚れてしまった。


 六日目の夕方。

「あれ?」

 鏡の中の顔が、なんだか違うように感じた。

 私、こんな顔だったっけ? でも、髪型とか目とか制服とか名札とか。パーツを見れば確かに私だし、鏡だから違うものが映るなんてこと、あるはずない。

 そう言い聞かせて、名札を確かめて。問いかける。

「あなたは、誰?」

「わたし、は……」

 少しだけ詰まったけど、大丈夫。答えられた。


 七日目の朝。鏡がとても薄暗かった。

 逆光とか、影が映ったような。輪郭がぼやっとしていて、よく見えない。

「電気は……ついてる」

 首を傾げて目を凝らすと、なんとか自分の口元が見えた。

 質問を繰り返す。大丈夫。まだ答えられた。

 何かが変わったような感じは、特にありませんでした。

 

 そして夕方。最後の一回。人気のない洗面所。

 鏡の四隅に紫色の絵の具を付けて、向かい合った鏡の中に居たのは――ただの影だった。

 朝の比じゃない。髪型も、顔色も、服装も分からない。

 紫色でぺたぺたぺたぺたと塗り潰されたような。誰ですか? 黒鉛筆でがさがさと雑に塗ったような。輪郭も、色も、形も分からない、かろうじて人の形をしている何か。

 喉に言葉が詰まる。気味が悪い。このまま逃げたくなる。

 でも、足は動かなくて。口が勝手に動いた。

「あなたは、だれ?」

「――」

 答えられなかった。言葉が、名前が。出てこない。

 喉でつっかえたように。ハッカのキャンディに溶かされたように。

 冷たい息しかできなくて。

 首筋に、嫌な汗が流れた。


 気をつけるのは四つだけ。その注意を思い出しなさい。

 そうしないと。

 そうしないと。

 そうしないと――。

 

「「紫鏡が食べちゃうよ?」」

 隣の鏡に、そっくりの顔をした男女の生徒が現れた。

「!?」

 思わず両隣を確かめる。誰も居ない。なのに、鏡には確かに二人が映っている。

「だ、だれ……?」

「それはこっちの質問」

「あなたが答える質問」

「さあ。あなたはだーれ?」

「ねえ。おなまえなーに?」

 二人は口々に問いかける。

 

 わた、し。は……あれ。私? 僕? ……出てこない。

 でも、答えないと。なにか、こたえないと。

 思い出せるものを慌てて探す。

 何か。なにか。ねえ、なにか……!

 制服にぱたぱたと触れると、爪がこつんと小さな音を立てた。

 名札だ。直感でそう思った。

 そうだ。そうに違いない。それなら名前が。名前という物が、書いてあったはずだ。

 信じて胸元に視線を落とす。

 そこにあったもじは。


 $(%エR&'


 読めなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ