東方機動戦 前編
「何、上陸に成功しただと」
バビロンへの再渡河作戦準備中の征西将軍毛は、届いた報告に驚いた。南の征南将軍鄧の軍勢が渡河に成功したというのだ。
「海から迂回できたからだ。儂だって出来る」
だが、渡河に成功したのは鄧のみ。このままでは功を鄧に取られる。
しかも下手をすれば後方にいる鎮西将軍蒋の軍勢が進出し、渡河されてしまう。いや、下手をすれば、作戦失敗の廉で処刑の可能性も有る。
北にいる征北将軍彭の軍勢も失敗しているが、渡河を行い成功させる可能性もある。
となれば自分に出世の道は無い。
「明日上陸作戦を決行する」
決定を聞いた部下は驚いた。
「お待ち下さい。まだ川船の用意が出来ておりません。強行するなら三日後、鎮西将軍の軍勢の川船も使い実行するべきでしょう」
「バカを言うな。借りれば儂が無能であると言うようなものであろう。我が軍勢のみで成功させるのだ」
「しかし、用意している川船は一万の軍勢を運べる数のみです。前回は敵に増援が現れたため、失敗しました。三万の軍勢で失敗した前回より少ない数で成功するとは思えません」
「簡単な事よ。筏を作って川船に曳かせれば良い。丸太を繋ぐだけで完成するから簡単に用意できるだろう」
将軍の話を聞いた部下は蒼白となった。
「足が遅すぎます。渡河に時間がかかりその間に、迎撃されます」
「夜の内に上陸すれば問題無い。直ぐに始めろ! 真夜中に出て、夜明けまでに上陸せよ。前方の敵は少ない。簡単に上陸できる」
命令は直ちに実行され、多数の筏が用意され五万の軍勢が渡河できる体制が整った。
そして命令通り真夜中に漕ぎ出した。
「急げ」
毛は、部下を急かすが、予想通り筏を曳いているため足は遅かった。
部下達は力の限り川の中間に来た時、川上から何かがやってきた。
「川船か」
形から判断したが、何かを載せて周囲にまき散らしている。やがてその匂いに気が付いた。
「油か!」
気が付いた瞬間、川船の一隻が爆発した。
導火線を使った時限装置が作動し、川船を積み荷である油の樽ごと吹き飛ばした。
周囲に油が飛び散り、空中で引火したため火の玉となって降り注いだ。
更に、火の着いた川船の残骸も流れてきて、毛の船団に突入した。
「引き返せ!」
だが、筏を曳いているため速度は遅く、次々と火の着いた川船や火の玉にやられて炎上。川の上は火炎地獄となった。
そしてスコット中将は、このような状況を、好機を見逃さなかった。
「撃て!」
川岸に並べておいた大砲、数十門が火を噴き、砲弾を雨あられと降り注ぐ。
夜明け頃には、王国軍も川船を出して残敵掃討戦に入り、徹底的に掃討。
勢いに乗って、対岸に逆上陸を行い、周軍を蹴散らし陣地を放火。毛率いる征南軍二〇万に壊滅的な打撃を与え、崩壊させた。
毛は最初の戦闘で戦死し、部隊を纏める人間も居らず、軍勢はちりぢりとなった。
「これで、敵はしばらくの間は行動不能じゃな」
「ええ、後方の予備軍が進出してくるまでの時間稼ぎにはなります」
戦果を確認してスコット中将とトラクス少将は満足した。
昨日のうちに軍団主力三万をウルクに集結させ、迎撃準備を整えていた。
僅か一日で五〇〇リーグを移動できなければ到底不可能だっただろう。
「さて、ソロソロアッシュールに向かわなければ、上陸作戦が行われているだろう」
スコット中将とトラクス少将は、ここで作戦を切り上げ次の戦地に向かわせるべく、軍団に号令をかけた。
「何、毛が上陸に失敗しただと」
毛が上陸に失敗した夕方、アッシュール攻略中の征北将軍彭の下にその報告がもたらされた。
「筏で上陸しようとしたときに敵に攻撃されたか、愚か者め」
と言っているが、実際には同じ命令を明日の朝、下そうとしていた彭だった。
「正面の敵の数は?」
「偵察の報告だと、一〇〇〇程だとの事です」
「先の戦では、二万はいたが」
「岸の奥に隠れているのかもしれません。あるいは、毛将軍の軍勢を撃破するために南下したのかもしれません」
「ふむ、あり得るな」
バビロンからの報告では、毛の軍勢を襲撃した敵部隊に、正面にいた第九師団も参加していたと言う。
「敵は少数だろう。翌朝、渡河を行い橋頭堡を確保する。さあ準備せよ」
「将軍様、川船は一万人分しか有りませんが」
「十分だ。正面の敵は一〇〇〇程度。蹴散らせる」
アッシュールに残った砦に配置された独立守備隊を率いていたのは王国軍でも有名なオリバー・ミード中佐だった。
何故、有名かというとスコット中将と同年齢の士官だからだ。
スコット中将と違い、男爵位を持つ貴族だったが、軍人が天職であり、前線任務を好んだため、昇進に必要な中央での勤務を拒み続けてきたため、中佐のままだった。
また、若い頃一度反乱軍に加わり、捕らえられて牢獄に入れられ降格、降爵処分を受け、出世コースから外れたという理由もあった。
彼が牢から出ることが出来たのは、外国からの侵略があったため指揮官が必要だったからである。
領地を持っていたが、軍人が性に合っているため、早々に長男に譲り、自分は望んだ軍人ライフを過ごしている。
ただ周囲は、特に彼より階級の高い指揮官は迷惑だと思っていた。
自分の父親と同年齢の戦歴豊富な部下というのは、命令しづらい。
そのため、同年齢のスコット中将の元に押しつけられるように配属された。
そのミード中佐は攻撃が始まる前、砦の自室にて椅子に座って
「……ぐーっ」
寝ていた。
居眠りではない。熟睡である。
その証拠に自ら毛布にくるまり、椅子に座っていた。書類整理の途中で寝たのではない。
だが、夜明け近くになって目を見開き呟いた。
「戦だ」
毛布をはね除けると、立ち上がって副官を呼んで指示した。
「非常呼集! 総員戦闘態勢。ただし頭を出すな。砲撃を喰らうぞ」
砦内の部隊が次々と配置に付く。開戦時の攻撃で主な施設は破壊されていたが、鉄道建設員の協力もあり迅速な応急修理を行い最低限戦う準備は整えていた。
「敵接近」
「まだじゃ。敵が浜に着いたとき大砲を撃つんじゃ」
焦る部下をミード中佐は抑えて、時機を待つ。
やがて周の軍勢が川船を浜に着けた。
「撃て!」
ミードの命令と共に浜に着いて船が止まったところに砲撃を浴びせた。
集まっていた周軍にとってはたまったものではない。
「敵の砦に向かって突撃せよ」
だが、周軍の数は多く、生き残った者は多かった。
「砦に向かって突撃しろ」
後続を援護するためにも、上陸した部隊は砦を排除しようと突撃した。
幸いにも銃撃は少なく砦に接近できたが
「な、なんだこれは」
二〇メルほど前で鉄条網によって足止めされた。
そして二〇メルは、マスケット銃の有効射程だった。
「撃てッ」
一斉射撃を浴びた周軍は次々と倒れて行く。前進しようにも鉄条網が邪魔。後退しようにも味方が多くて下がれない。
集まったところに、大隊砲も射撃に加わり散弾の雨が降り注ぐ。
「敵を撃退しました」
「よし、敵はまだまだいる。負傷者を収容。弾薬を補充しろ。直ぐに敵は来るぞ」
「はい」
部下が気のない返事で答えたのを聞いたミードは言った。
「心配するな味方は直ぐに来てくれる。それにこの砦は簡単には落ちん」
「は、はい」
「南側が手薄ですが」
「構わん。中央と北側に集めろ」
その後数回に及ぶ突撃を行っても砦は落ちなかった。
「あんな小さな砦に何を手間取っている!」
「鉄の茨が邪魔して突撃できません」
「迂回しろ」
いくら大河とは言え上陸できる地点は限られている。更に川船が足りないため、効率よく兵を運ぶために、移動距離を短くしようと集結地から離れないように設定するしかなかった。そのため砦の正面に突撃することになってしまった。
だが、被害が大きいと迂回せざるを得なかった。
昼過ぎには、迂回部隊を編成し、手薄な南側、川下に上陸し進軍を開始した。だが、そこに鉄道輸送で急行してきた第九師団の突撃を受ける。
「突撃!」
横腹を見せていたこともあり、周軍は大損害を受けて撃退された。
「どういう事だ! 偵察では敵は一〇〇〇程度ではなかったのか!」
迂回部隊が壊滅した報告を聞いた彭は、部下を問い詰めた。
「はい、昨日の偵察では確認できませんでした」
「では何故これほど多くいるのだ!」
「敵は後方に隠れていたのかも知れません。兵は平坦な場所なら、一刻の間に六里(周の単位で六キロ)を歩めます。早馬による報告を受けて、早足で駆けつけて来たに違いありません」
偵察では川の周辺を捜索するのが限界だ。最長三〇里(三〇キロ)彼方の敵を見つける事は出来まい。
「仕方ない。他の部隊の渡河を急がせろ」
こうなれば敵の増援以上の兵力を投入して
しかし、王国軍は更に増強を進め最終的には三個師団三万人に増強され、橋頭堡を攻撃。確保出来る見込みが無いため彭は撤退を決断し夕方までに、撤退した。
「どういう事だ! 敵は二万程度では無かったのか。三万はいたぞ!」
「はい、敵の増援があったようです」
「信じられん」
ユーフラテス川はルビコン川から離れている。増援は最短でも一月はかかると計算していた。
「まだ増援があるかもしれん。暫く様子を見る」
川船の数が足りないので上陸を見合わせたのは、当然だった。
「彭が失敗しただと」
鎮西将軍蒋がアッシュール再上陸作戦失敗の報を翌日聞いたのは、バビロンの前で壊滅した毛の軍を吸収し再編成している途上だった。
「大軍を筏で上陸しようとして失敗したそうです」
「愚かな」
だが、自分も上陸できずにいる。敵の数も一〇〇〇と聞くが奥地にいる可能性も捨てきれない。
「南の鄧の軍勢に川上に来るよう要請しよう」
「征南将軍の軍にですか」
「側面から支援して貰う。鄧の軍勢がバビロンを川下から攻撃し、その隙に我らの軍勢が渡河する」
「来てくれるのでしょうか」
「奴も側面攻撃を受けたくないだろう。正面の敵を撃破して安全を確保してやろう」
しかし、周軍は互いに独立した軍勢のため連携行動が採れなかった。
鄧の軍は蒋の指揮下に無く、素直に軍勢を向けることも無かった。
そのため、蒋は首都と連絡を取り、鄧の軍勢を川上に押し上げて攻撃させるよう要請した。
これは鄧への要請と同時に首都へ早馬を出しており、時間短縮になったが、鄧が素直に動かないと予測できるからこそ打たなければならない策だった。
鄧はオスティア攻略を早急に進めたかったが、川上からの側面攻撃の可能性も有り容易に軍勢を送ることは出来なかったが、北上すれば格上である鎮西将軍の指揮下に入らなければならないので行く気にはなれなかった。
毛の場合は同格のライバルを手助けすることをよしとしなかっただろう。
そのため、首都からの命令を聞いてようやく軍勢を動かした。
だが、その行動は消極的で早急にオスティア攻略をしたいため、二〇万の軍勢の内六万を別働隊として北上させ、残りはオスティアに向かって進撃させた。
報告では三万の軍勢がいるためその対応に出した。二倍の兵力が相手なら、よほどの事が無い限り負けることは無いと判断してのことだ。
だが、偵察の報告では敵の兵力は皆無との報告だった。
「直ぐにかたづけるぞ」
別働隊の指揮官は迅速に移動しようと速度を上げた。だが、上げすぎて速度の異なる部隊が出来て、隊列が長くなってしまう。
バビロンまで半分程度まで進んだ時、突如前方から奇襲を受けた。
「突撃!」
スコット中将が直接指揮する一個師団の攻撃だった。
北上中の別働隊の前に大規模な操車場のある場所を見つけ出し、軍団主力を集結させ迎撃に当たらせた。
別働隊も反撃するが、縦に伸びた隊列の先端を攻撃されたため、先頭ほど兵力が少なく次々と打ち破られた。
別働隊は態勢を立て直そうとしたが、王国軍の増援が次々と送り込まれ、反撃も出来ず潰走した。
「壊滅だと」
オスティアへの進撃途上で報告を聞いた鄧は、驚きの声を上げた。
「敵の兵力は」
「情報が錯綜しており正確な数は分かりませんが、数万と言われています」
実際に攻撃したのは最終的に三万のみだったが、混乱により数が多く報告されていた。
「敵の反撃が心配だな」
別働隊が壊滅しては、連絡線の確保が難しい。海からの補給はあるが、他の軍勢と連絡が取れなくなるのは難しい。
「ウルクへ撤退する」
後方から攻撃される事を警戒してのことだ。直ちに反転を始めたが、その夜突然北側から攻撃を受けた。
「敵襲!」
不気味な笛の音と、獣の荒々しいと息のような音が部隊に響き渡り、周の軍勢は恐慌状態に陥った。そこへ、王国軍の歩兵部隊が突撃してきた。
「馬鹿などこから来たんだ!」
鄧が驚いたのは無理も無かった。先ほどまで偵察では近隣に部隊はいなかった。
「全隊突撃せよ」
襲いかかって来たのは、ミード中佐率いる三個大隊だった。元からいた部隊に二個大隊の応援を乗せて機動襲撃するようにとスコット中将に命令され、実行したのだ。
「汽車というのは結構役に立つな」
列車から降りたミード中佐は素直に褒めた。
列車の内、六編成を沿岸部へ走る支線に乗せて急進撃させ、敵が集結する町に深夜、強行突撃させた。
突然、闇夜の中から現れた機関車に周兵は驚き、抵抗せずに逃走した。そこへミード中佐を先頭に突撃する。
突然の夜襲と言うこともあり、周軍は混乱し反撃どころでは無かった。
「引け!」
一時間ばかりの攻撃の後、ミード中佐は予定通り撤退を命令、機関車を後進させ戦場を離脱した。
「損害は?」
「は、ごく少数です。負傷と行方不明を含めて五〇もいないでしょう」
三個大隊三千名ほど連れてきたが、それでこの損害は少ない。やはり奇襲効果が大きかったようだ。
「よし、あとは任せる」
そう言うとミード中佐は毛布にくるまり、椅子に座って眠りについた。
「寝ている間も移動できるのもよいな」
一方の周軍は突然の襲撃に驚き混乱。鎮めるのに時間がかかり、オスティア襲撃を諦めウルクへ撤退した。
再び鄧は再び進撃しようと考えていたが、進撃停止命令が下った。