チェニス会戦
「捕捉されたか」
何とかチェニスまで撤退することが出来たが、王都方面からやってきた王国軍の進撃が早く、二日の差で町を占領されてしまった。
強行軍で疲れていると思ったが、町の入り口のあちらこちらにバリケードを作り、一歩も入れない構えを見せている。
敵は町に二〇万、後方に三〇万。
本国からの増援も無い。
マラーターの支援もここ暫く来ていない。移動が早すぎて船の手配が付かないと言っているが、半分本当で半分は負けが確定している我々にこれ以上の支援をしたくないのだろう。
「さて、どうしたものか」
戦えば確実に敗北する。恐らく皆殺しだろう。
だが降伏すれば我々は奴隷になるしかない。
「誇りは大事だが、それは持つ者が生きていてこそだ」
ウルフは、降伏することを決断した。
「だが、ただでは降伏しない」
ウルフは彼我の状況を纏めさせた。
王国は圧倒的だが周に対して主力を使いたい。だが自分たちが居るから動けないし、戦力をいたずらに失いたくないはず。
また、周へ軍勢を向かわせたいのでここでの戦いを迅速に収めたい。
「一番良いのは本国に逃げ帰る事なんだが」
密林が多い本国に逃げ込み、ゲリラ戦を行い長期戦に持ち込むか、王国軍を撤退させる事が出来るのが良い。
しかし、敵はチェニスを占領し退路を塞いでいる。
平野のここでは長い時間戦う事は出来ないが、陣を敷いて長時間耐えることが出来る。
「陣地の増強と物資の節約を頼む。方針としては時間を稼ぎつつ有利な条件で降伏する」
「中々やりますね」
ラザフォード伯爵は、アクスム軍が陣地を築いて立てこもる様を見て言った。
「我々の苦手なことをしてくれます」
敵がこちらの状況を知り弱点を突いてきている。
「取れる手段は取らせて貰いましょう」
ラザフォードはユーエル中将を呼び出し命令を下すと共に、アクスム軍と交渉を行えるよう指示を出した。
二日後、ラザフォードは両軍の中間でアクスム軍のウルフ将軍と会談を持った。
「休戦したい。条件としては武装したまま本国へ帰投。平和条約が締結されるまでの戦闘停止。軍需物資及び陣地の引き渡し。本国への送還手段の提供、以上だ」
できる限り承諾しやすい条件を述べた。送還手段の提供は、交渉材料で場合によってhあ引っ込めても良い。
「拒絶されるなら三〇万の将兵は徹底抗戦する所存である。我々は半年にわたって交戦できる」
実際は二〇万に二ヶ月分の数を少し水増しして、はったりをかました。
敵も分かっているだろうが、実際の期間を考えさせてその間に周がどれだけ侵攻するか恐怖を与える事によって少しでも有利な条件で休戦しようと考えた。
「分かりましたでは、こちらの条件を言いましょう」
ラザフォードは静かに伝えた。
「無条件降伏」
その一言が、ウルフたちを沈黙させた。
「そんな事が飲めるか!」
全てを相手にゆだねる無条件降伏。奴隷どころか殺されても文句を言えない過酷な要求だ。小部隊や部族に対して行われたことはあるが、これだけ巨大な部隊に対して要求された事例は無い。
「ならば徹底抗戦だ」
「では、アクスム本国は落ちますな」
「……なんだと」
「現在、我が軍の内二〇万ほどが、本国に向けて進撃を開始しました」
「なっ」
「進撃は順調でアクスム首都ソファラに向けて順調に移動しているそうです」
「嘘でももう少しマシな物を言ったらどうだ」
「では進撃途中で捕らえた捕虜をお引き渡しいたします。どうぞ」
陣地に引き返す前に受け取った五〇〇人にも及ぶ捕虜に本陣で尋ねると王国軍が話した事は事実だった。
「彼らは沿岸を通って首都に向かっています」
「大軍で各地を襲撃しながら向かっています」
「数日前に捕まりましたが、このまま進撃されると数日で首都に到着するのでは」
不利な証言が次々と出てくる。
偽証も疑ったが、これだけ大勢いるにもかかわらず筋の通った情報を出してくるからには事実と見るべきか。
「閣下、直ぐに本国に帰投しましょう」
「包囲を突破して本国の救援を」
部方に言われてウルフは揺れた。
包囲網を突破出来る可能性は少ない。出来たとしても本国を救えるか分からない。
だが、ここに籠もっていても本国は降伏するか、自分たちが全滅するかだ。
しかし、降伏すれば捕虜、あるいは奴隷にされるだろう。
「強行突破する」
ただ殺されるのではない、無為無策に過ごすより、打って出ることを選んだ。
翌日から一点に部隊を集中させて攻勢を開始した。
だが、塹壕を掘り防御を固めた王国軍を突破することは出来ず、死体の山を築くだけだった。
その翌日も繰り返し攻撃を繰り返すが結果は昨日と同じだった。
包囲され弾薬も食料も心細くなった頃、白旗を持った龍人が降りてきた。
「ドラコ」
アクスム首都ソファラにいる留守将軍の一人でウルフの同僚だ。
「どうしてここにいるんだ」
「国からの特使だ」
息を切らせながら、ドラコは伝えた。
「先日、首都が陥落した。政府は無条件降伏を受諾し全ての戦闘を停止することを命令した」
「馬鹿な!」
ウルフは驚きの後、怒りを持って叫んだ。
「信じられん」
「事実だ」
「や、やっと着いた」
三日三晩歩き続けてようやくチェニスに到着したガブリエルはその場に倒れ込んだ。
途中は小休止と食事のための大休止のみで寝ずに移動した。食事も調理の時間の間、足を止めただけで移動しながら食べた。それもペミカンと干し肉で作ったシチューにビスケットのみ。それで到着できたのだからすごい。
アデーレが訓練した甲斐があった。
歩くと言うと誰にでも出来ると思いやすいが、長時間速く歩くというのは簡単ではない。歩兵は夜明け前から歩き始め、夕暮れまで歩き続ける。下手をしたら夜間も歩く。下手に力を入れず楽な歩き方をたたき込んだ成果だ。
「戦闘が無くて良かった」
先発の部隊が残敵を掃討して入場していた。ガブリエルたちは後から入って来ただけ。
「死人が出なくて良かった」
過酷な移動で疲れた。歩きで死人が出てもおかしく無い。
「いつまで倒れているんだ。ガブリエル」
そこにアデーレがやって来た。
「休んでいたんです」
「今すぐ切り上げて出撃だ。目標はアクスムの首都ソファラだ」
「あの蛮地にですか!」
「そうだ。敵の主力が出ている今がチャンスだ。簡単に攻め滅ぼすことが出来る」
「補給はどうするんですか」
強行軍を行う為に、重装備や物資を置いてきている。携行食糧さえ制限して身軽になって進撃したのだ。これ以上の進撃は部隊が維持できない可能性がある。
「港に敵の補給船が停泊していた。そこから奪って食料を補充。後は同じく強行軍だ。弾薬は今有る分で十分だ」
「けど、道は無いんですよね」
「既に一部の工兵隊が橋と道を作っている。出来ている所まで進んで以降は自力で切り開く。進軍速度は遅れるが三日で到達するぞ」
「そんな。一〇〇リーグを三日って」
「兎に角進むよ。首都に一番乗りすれば報償は思いのままだぞ」
「本当ですか」
なら真っ先に睡眠を貰うとしよう、ガブリエルは固く誓った。
「しかし、ここまでできるなんて」
普通なら王都からの移動だけで疲れる。途中から徒歩行軍に変わったが、ここで無茶が出来るのは、鉄道移動による疲労軽減が効果を上げている。もし王都からだったら、時間もかかるし疲労で動けない状態なっていた。
「無理の先が更に向こうに行ったか」
時代は変わったとアデーレは思った。
「さあ進むよ。敵首都を制圧すれば勝利だ!」
その後、彼女たちの第二八歩兵旅団は迅速に移動。アデーレ自身が先頭に立って猛進し落伍者を無視する行軍で移動する。
「樹上に注意! 連中は上から攻撃してくるぞ。必要に応じて銃弾を撃ち込んでおけ!」
他の部隊を引き離す勢いで進軍し首都ソファラに到達。手元にあった先遣大隊のみで首都に突入し政庁舎を制圧して首脳部を拘束してしまった。
その後は後続部隊と援軍により完全占領に成功。無条件降伏を引き出せた。
「首都が落ちた」
事実と知らされて、ウルフは唖然とした。
「そんな屈辱的な事を何故受け入れるんだ。我らの国を滅ぼすのか!」
「政府でも繰り返し議論した。だが、このままでは確実に我々は滅ぼされてしまう。ならば僅かな可能性であっても生き残れる道を選ぼう」
「隷属にどんな未来があるというのだ」
「ならばこのまま殺されることを選ぶのか」
「ぐっ」
ウルフはしばらくの間逡巡してから、答えた。
「受け入れよう」
「降伏しましたか」
報告を受け取ったラザフォードは一言感想を漏らした。
「アクスムへの侵攻軍はもう戦えないと言っていますよ」
第十四師団を含む部隊がソファラを陥落させたのは一昨日の事だ。
国境から一〇〇リーグだけ離れているとはいえ、未開のジャングルを強行軍で移動したのは驚嘆に値する。
その前に二千リーグ以上の距離にもかかわらず、これだけ迅速に動けたのは鉄道の功績が大きい。
第十四師団に配属された第二八歩兵旅団の旅団長が南方遠征に参加した経験があり、道を熟知していたのも大きい。
この部隊は、主力軍に編入して活躍して貰う事にしようと考え、チェニスに引き返すように命じた。
代わりの駐留部隊も送り込んでおくのも忘れてはいない。
「これで後顧の憂いは無くなりました」
反乱貴族、アクスム、周。
王国を狙う勢力の内、二つを潰すことが出来た。
「残るは周のみです。強大な兵力を持っており、一筋縄ではいきませんが、決して負けることは無いでしょう」
ラザフォードの自信に満ちた声が響き幕僚達は気を引き締め、持ち場に戻った。
「しかし、無条件降伏ですか」
アクスムを無条件降伏させたことは、ラザフォード自身驚いた。
アクスムは王国とは長年敵対してきており、幾度も戦火を交えた。
しかし、補給路が十分に確保出来ないため、何ヶ月かけても遠征軍は不十分な物資で進むしか無く、準備不十分で撤退することがばかりで、チェニスを保持するだけで精一杯だった。
だが、今回は違う。
僅か数日で二〇万にも及ぶ軍勢が集結し、それを支える物資が備蓄され進撃した。
未開のジャングルだったが、道を作りながら進んで行き、首都を占領するまでに至った。
さすがに軍の進撃に鉄道の延伸は間に合わなかったが、鉄道で送り込まれた物資を馬車が次々と運んでいった。
「国家が無条件降伏するなど希有です」
これまでは国家を降伏させることはよほどの力の差が無ければ不可能だ。
国境に首都が近かったとは言え、簡単に落とせたのは驚きだ。精々、首都への進撃で揺さぶりをかけるつもりだったのだが、首都を落として無条件降伏させるとは。
入ったのは第十七師団で僅か一個大隊の先遣隊が入り込み、政庁を占拠して降伏させたそうだが、素晴らしい功績だ。
「それが出来たと言うことは、王国がそれだけ国力を増したという事ですか」
ラザフォードはその事実に対して静かに考えを巡らせた。




