命令不服従
「別働隊が壊滅しただと」
アクスム軍本隊の大将ラッセル・ウルフが驚愕の表情でたずねた。
「数が少ないとは言え精鋭を集めたのだ。簡単に壊滅するか」
「敵は八万以上いました。それが戦闘時には一〇万以上になり最終的には十数万に増えたとのことです」
「一〇万……」
その報告にアクスム軍首脳は驚いた。軍勢が数日で倍に増えるのはこれまでの軍事常識に反する。
「見間違いではないのか」
「いえ、軍の大半が包囲され、一部がようやく突破して退却に成功しました」
「テイラーは」
「敗残兵を率いてチェニスに向かって撤退中です」
首脳の間に沈黙が走った。
「引き返しますか」
「ここまで来てか」
「本国を失う訳にはいきません」
喧々諤々の議論が行われた後決まった。
「本国には、チェニスより迎撃部隊を出して貰おう。補給のことを考えて出撃しなかった部隊がいる。十数万の軍隊が相手でもチェニス周辺の兵は一〇万近くいるから迎撃することが出来るはず。我々は、作戦が承認され次第、オスティアに向けて進軍を再開する」
「進撃を継続しては」
「進撃が早すぎて疲れが出ている。一旦大休止しなければ今後に差し障りがある」
いくら肉体的に優れる獣人でも休み無く動くのは難しい。
「いつでも進撃再開できるように準備だけは整えておけ」
「はい」
一方退却したユーエルはモンローの町まで撤退した。
ここはオスティアに一番近い大きめの操車場のある町で、海産物や塩を運び出すために設備が整っていた。
「ここで防衛せよですって」
敵の停止により退却できたユーエルは命令を聞いて憤った。
「そんなこと出来る訳ないでしょう」
これまで散々敵の後方上陸作戦によりメチャクチャにされてきたのだ。
もしオスティアとモンローの間に上陸されてたら簡単に分断されてしまう。
「オスティアの守備が重要なのです」
防衛部隊の司令官をしているバーンサイド少将が意見した。
モンローに派遣された歩兵師団の師団長だ。
「出来ません。我々は退却します」
「ダメです。大本営はここの守備を命じています」
「後方に上陸されたら全滅よ。鉄道を分断することは簡単なのよ。孤立して捕虜になるのがオチだわ。ってどうして敬語なのですか?」
「先ほど命令がありました。ユーエル大佐を中将に昇進させ南方軍団軍団長に任命するとのことです」
「……特進の前渡しという訳?」
「いえ、軍団の残存を指揮できているのは、これまで指揮を取られていたユーエル閣下のみなので適任との事です」
「死に損ないにまだ働けというの」
暫く考えてからユーエルは答えた。
「よし、なら私はここでの最上級指揮官ね」
「はい」
「なら命令します。現時点をもってモンローを放棄。オスティアに退却しそこに防衛線を構築します」
「ダメです。大本営からここからの退却を禁止されています」
「そして命令を守って包囲されて戦死するのが良いの?」
「命令は絶対です」
バーンサイドは軍人的生真面目さで答えた。
「あなた実戦は初めて?」
「いいえ、西方や北方で経験があります」
「ふーん」
西方と北方は主に人間相手の小競り合いが多い。戦闘に違いないが、孤立しやすい南方での戦い方を知らないようだ。
包囲されたり孤立しやすい南方では、小部隊の指揮官といえど、独立して指揮できなければならない。
報告して新たな命令が届く前に状況が変わって不利になることが、多々あるからだ。
命令されなくても状況を見て行動するのが鉄則。例え受けた命令に反してもだ。
生真面目に命令をこなしても大丈夫な西方や北方とは違う。
まあ、南方に明るい部隊や兵員を増援としてあらかた送り込んでしまい、中央に南方の経験のある士官や兵士が少ないという理由もあるだろうが。
「その命令は無視して構わない。直ちに撤退する」
「ダメです」
すぐさまバーンサイドは腰の拳銃を取り出してユーエルに向けた。
「それは?」
「抗命罪の疑いであなたを拘束します。直ちに大本営の命令に従って下さい。でなければあなたを拘束し、指揮権を剥奪します」
「出来るの?」
「なにを……」
その時、バーンサイド少将は気が付いた。
周りにいる兵員が自分に銃を向けていることを。
「何だ。貴様らは」
「上官に銃を向けている反逆容疑の士官に銃を向けてるんです」
代表して、ユーエルの連隊副官であるアルミン・ブラウナー中尉が答えた。
「指揮官の命令を聞けないようなら拘束します」
「我々の師団が許すと思うか」
と言ったところでバーンサイド少将は気が付いた。
自分の師団の将兵が助けようとはせず、こちらを見てオロオロしているだけのことに。 ほんの数日前編成されたばかりで、自分に従って良いのか理解出来ない将兵と、本の数日前に成り行きで上官になったとは言え、生死を共にして自分たちを帰還させた将兵。
その差がここに現れた。
更にバーンサイド少将は一個師団一万名ほどしかいないが、ユーエルは寄せ集めでも臨時徴収の兵隊を併せると三万近い兵員を持っている。
数では敵うはずが無い。
「どちらの命令に従う? 私、それとも大本営」
「……あなたの命令に従います」
バーンサイド少将は、自らの負けを認めた。
「ですが、大本営に報告させて貰います」
「構わないわ。でも、私の命令には従って貰うわ」
ユーエルはそれでもバーンサイドを信用せず、彼の司令部に子飼いの部下を送って監視させ、怪しい動きが無いか監視させた。
更に、部隊の移動もバーンサイドの部隊のみバラバラに動かして反乱できないようにした。
「大変ですね」
副官のブラウナー中尉が声を掛けた。
「ええ、でもやらなくちゃねブラウナー閣下」
「え? 閣下?」
「そう、今から閣下。准将に昇進して参謀長よ」
「待って下さい。私は一介の中尉ですよ」
「一兵卒からのたたき上げで司令部での勤務経験もあるでしょう。それに南方での掃討戦にも小隊長として戦っているんだから、十分よ」
「しかし、大軍の経験がありません」
「あら、二〇〇〇名規模の部隊を指揮して無事撤退させたじゃない」
「あれは臨時編成だったからです」
通常なら連隊規模で大佐の階級を持つ軍人が指揮をする規模だ。だが主だった士官が全滅してしまい、彼が指揮をする以外方法はなかった。
「寄せ集めを撤退させただけで十分な指揮能力よ。安心して、周りの部隊の状況を把握して私の命令を伝えれば良いだけだから。決断は私がする」
「うへえ、厳しい司令官だ」
「他の無能な士官に代わって貰う?」
「嫌です」
「じゃあ大変だけど、頑張りなさい」
「へーい」
気怠そうにブラウナー准将は、司令部開設に向かった。
早速部隊の状況を確認して、撤退する部隊の順番決めをしているところはさすがだった。
「これで部隊は大丈夫ね。それにしてもどうして大本営はここを防衛しろと」
オスティアを無傷にしたくて前方陣地を作るように言ったのだろうか。出来るだけ遠くに戦場を設定すればオスティアは安全になる。
「他に何か決め手が?」
有るとすれば鉄道だが、大きな操車場が必要なのだろうか。
「そんなに操車場が必要なの?」