南方戦線
「急いで撤退して。遅れたら見捨てますよ」
切羽詰まった声でユーエル大佐は叫んだ。
彼女は西方軍団が奇襲攻撃を受けて後退したとき、沿岸部方面に逃れる事が出来た師団所属の連隊の一つ歩兵第二四連隊の連隊長だ。
だが、現在は西方軍団の最先任士官、つまり司令官をしている。
アクスム軍の奇襲攻撃で、師団司令部が壊滅。
他の連隊も壊滅して、後方待機の予備連隊だった彼女の連隊だけが無事だったため、師団の残余を集めてチェニスから後退した。
後退途中に他の師団と合流し、オスティアに向かって撤退を行ったがアクスム軍は、度々上陸作戦を敢行し側面攻撃を敢行。
その度に軍団は損害を受けて、軍団司令部が壊滅したり、上官である将官全員がが戦死したり逃亡したり、行方不明になっていなくなり、気が付いてみれば最先任士官として軍団残余、いや残りかすを指揮して撤退している。
王国にも海軍はあるのだが、大陸国である王国は海軍が弱く、アクスム軍とその協力者であるマラーターの海軍に押されており、オスティア周辺を沿岸砲台と共に護るので精一杯。上陸されないよう敵を抑え込むなど不可能だ。
列車を徴発するなどして、逃げようと思うのだが、沿岸の住民を避難させるため後衛戦闘を行わざるを得なかった。
残った貨車に詰め込んで運んでいるが、本数も時間も足りないため、遅々として進まない。
予備役を見つけては自警団や義勇軍を入れているが、補充したらすぐに敵の上陸作戦で減っていくので、兵力の総数が変わらない。
「まったく、なんて戦いよ」
ユーエルは罵声を上げた。
戦闘国家である王国では女性にも軍隊は門戸を開いている。王国建国初期、人口が少なく女性も戦わなくてはならなかったからだ。
看護や調理などの後方支援だったが、男手が足りず、やがて弾丸の製造、装填などの戦闘支援にもかり出され、やがて自ら銃を持って戦う戦闘員としても活躍することになった。
元々帝国でも女性に門戸が解放されていたが、拡大安定化するにしたがって、男女別の仕事が出来た。だが、王国では人口不足から先祖返りしてしまったのだ。
そのため、未だに女性が軍隊に入れる。
ユーエルが軍隊の門をくぐったのも、大きめの商家の令嬢だったが、どこかの商家の妻になるより自立した方が、マシだと考えたからだ。
訓練は厳しかったし、実戦は辛かったが、理想の指揮官に恵まれたり、上官の引きもあって短期間の内に昇進を果たし、大佐となって王都の連隊の一つを任された。
先の紛争でアクスムと戦うため移動し、警戒任務に当たっていたが、この様。
「軍団長代理! 敵が後方に上陸しました!」
また上陸作戦か。部下の報告にユーエルの気分は暗くなる。
敵は一体何隻の船を持っているのだ。
「ただちに後退! 全員を立たせて後方へ!」
「住民の避難は?」
「勿論やりなさい! ただし、現金と証券、最低限の物以外は捨てさせなさい! 身軽にならないと逃げ遅れるわ。それでも持って行くようなら、銃殺しなさい!」
残酷だが、逃げ遅れればアクスムの獣人に何をされるか分からない。命だけでも助けなくては。
「兵士にも身軽になるように言いなさい。ただし銃を放棄した兵士はその場で銃殺」
兵士も移動の為に、身軽にさせているが銃だけは持たせる。銃が無ければ戦えない。放棄させたら、お荷物になるだけ。だから銃を持たせる。
「大砲とかはどうしますか?」
「運べない重量物は放棄して。大砲の火門に釘を打つのを忘れないで。食料も燃やしておいて」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。後方から物資は来ている。次の町に向かえば、食料にありつける」
現地の町で徴発を行っていた。どうせ放棄する町だから、食料を残していても連中に使われるだけだ。
だから徹底的に物資を集めて燃やしている。
「さあ、逃げるわよ」
ユーエルとしては、直ぐにオスティアまで逃れたいが、途中の町や村から住人を逃す為に時間稼ぎが必要だった。
オスティアまでの村や町に退避命令を出しているが、移動に何日かかることか。
「敵の位置は?」
移動しつつ、報告を聞いた。
「敵はこの先の浜に上陸しています」
「多分物資の補給のためね」
敵は三〇万近い兵力で攻めている。彼らを食べさせるための食料を運んできているに違いない。
現地調達も可能だが、三〇万もの人数だと小さな村や町では足りない。彼らが飢えないように船団で運んでいるに違いない。
「大砲があれば殲滅できるんだけど」
獣人は身体能力に優れるため普通の人間では相手に出来ない。だから銃や大砲で撃つ必要があるのだが、大砲は撤退戦の最中に放棄している。銃はあるが、射程が短く接近されたら混戦となりこちらが不利になる。
「撤退行動を優先。交戦は避けて」
敵が交戦する意志がないのなら戦う必要はない。
ユーエルは迅速に撤退することを選んだ、だが。
「敵が分遣隊を出しました。線路の方に向かっています」
「!」
最悪の事態だ。
このまま線路に出たら避難民と鉢合わせする。
「戦闘用意! 迅速に移動し避難民と分遣隊の間に割って入る!」
迅速に決断した。避難民を逃がすにはそれしか無い。
「総員駆け足! 続け!」
何もかも捨てて戦闘予定地点に向かった。
幸い開けた場所であり、樹上から奇襲を受ける心配は無い。獣人の中には、木の上を移動するタイプもいるから広い平原が戦闘に良い。
「中隊毎に方陣展開!」
直ぐに四個小隊二〇〇名からなる中隊方陣を組ませる。一辺を一個小隊が形成し、正方形を形作る。
欠員がいて大きさがバラバラだが、無いよりマシだ。
アクスム軍は、精々二〇〇〇名ほど。
こちらも二〇〇〇名。本当ならもっといるが、撤退中のため手元で掌握しているのは彼らだけだ。
向こうもこちらに気が付いて突撃してくる
「撃てっ」
射程内に入ったのを確認して銃撃。まともに正面に銃撃を受けて敵は怯んでいる。
「銃撃を継続して」
更に打ち続け牽制するが、敵も迅速に動いて横や後ろに回り込もうとしている。
だが、こちらが編成したのは方陣。四方を防御するのに便利な形だ。
回り込んでもどこかの隊が銃撃を行えるように待機している。
「各個に撃て」
回り込もうと急ぐあまり、人数が疎らになっている。それを一人一人銃撃して数を減らして行く。
やがて敵は損耗が激しくなり攻撃をやめ射程外で待機していた。
「敵は攻撃をやめましたね。ええ、こちらを攻撃しても意味が無いことを理解したようね」
上陸地点の確保と物資の揚陸が任務なのだから、こちらへ攻撃して損害を増やしたくないはず。分遣隊を出したのは周辺偵察と小規模な戦力がいた場合の排除だろう。
「交戦の意志はないはず。陣形を維持したまま東へ退却しなさい」
ユーエルが命令すると十個の方陣は、ゆっくりと形を維持したまま撤退を始めた。
だが、敵もこちらを脅威と見たのかジリジリと速度を合わせて付いてくる。
「しつこいわね。何をしたいの」
苛立たしげに呟くと西の地平線から答えが来た。
「アクスム軍本隊」
様々な旗指物を掲げたアクスム軍。その先遣隊なのだろうが、それでもユーエル達には絶望的な数だ。
「総員! 陣形を維持! 戦闘用意!」
ここで退却しても後ろから攻撃されて殺される。
ならば陣形を維持したまま戦った方が生き残れる可能性は高い。
その場に足を止めて敵を迎え撃つ。
アクスム軍が突撃を開始した。雲霞のごとき大軍が一丸となってこちらに向かってくる。
「撃て!」
十分引きつけておいて一斉射撃。方陣の頂点同士を接触させ一直線に並べているため。
正面からでは無く、左右から銃弾が降り注ぎ撃ち倒して行くクロスファイアがアクスム軍に降り注ぐ。
「よし、十分よ」
回り込もうとしても互いの方陣が援護し合う配置のため、崩せずにいた。
だが、方陣にも弱点はある。
方陣の角が比較的弱い。方陣同士をくっつけ合ったり、銃の射程内に収めることで防ぐことが出来るが、端の方陣は援護がない。
そのため、角に攻め込みやすく崩しやすい。
アクスム軍もそれを分かっており、弱点に向かって突進した。
左右両端の方陣にほぼ同時に突入、角が崩され次々と敵兵が侵入する。方陣内部で白兵戦が繰り広げられるが、多勢に無勢でありあっという間に崩される。
他の方陣から救援に出かけようとしても、自分たちの方陣を崩す訳にはいかない。
「全隊! 方陣を崩さないで」
ユーエルは命令した。同時に崩れた方陣を見捨てると言うことである。敵の攻撃は続いており危険だ。無理して崩して救出に向かっても数の差と、身体能力の違いで無意味だ。
ユーエルの命令は妥当だったが、現状を打破することは出来ない。数に差がありすぎるためいずれは全ての方陣が崩されるだろう。
だが、突然アクスム軍からドラが響き渡ると攻撃を一斉に中止して引き上げ始めた。
「どうしたというの」
優勢だったアクスム軍が一方的に戦闘をやめて、距離を取り退却して行く。
「兎に角チャンスよ。警戒しつつ負傷者を各方陣に収容。陣形を保ったまま東へ後退。隙を見て一挙に離脱します」
ユーエルの命令は遅滞なく実行され、距離を取った王国軍は一挙に退却した。
やがて駅に到着して全軍を休ませることが出来た。同時にアクスム軍退却の理由が分かった。
「マナッサスで戦闘が行われアクスム軍が壊滅した」
その話を聞いてユーエルは驚いた。別働隊五万と比較的少数だが、簡単に撃退できるような相手ではない。
「鉄道で主力を輸送し撃破したようです」
「じゃあ、主力はそのままチェニスに向かうの?」
「いいえ、北方の貴族連合が進撃中なのでそちらを先に撃破するそうです。我々は最後になります」
「そう……」
王国軍本隊が北に向かうことになればアクスムの本隊が撤退することはない。
自分たちの暫く退却行が続くことにユーエルは落胆した。
「ああ、列車の本数が増えました。あと、住民の避難はまもなく終わるそうです。そうすれば私たちも撤退できますよ」
「それは良い知らせね」
ユーエルは最小限の見張を残して部下を休ませた。
「お姉様……」
口に出したところでユーエルは彼女がいない事に気が付いた。
「はあ、夕食の後、かわいがって欲しいのに」
士官学校を卒業して配属されて最初の部隊にいた上官で、ユーエルをかわいがってくれた女性士官。士官のあり方について教え、戦闘についても懇切丁寧に教えてくれた。指揮のやり方もその上官の影響が大きい。初陣で怯えたユーエルを優しく慰めてくれたので、ずっと慕っている。訳あって予備役編入され自分も続こうと思ったが、彼女に止められ軍務を続けてきた。
「お姉様……お会いしたい」




