テルの運転
「降り出してきやがったな」
駅を出発して暫くすると空から雨が降り始めてきた。
雨粒は小粒だが冷たく、寒い。
冷気も一緒に降り注いでいるようで冷える。
だが、蒸気機関車のボイラー前は熱い。
何しろボイラーの中は一一〇〇度。
罐から放出される放射熱だけで熱い。
ボイラー側は汗が出る程熱く、外側は氷のように冷たい温度差にオスカーは絶えず身体の向きを変える。
「下り五パーミル、減速」
だがテルは運転席から微動だにせず運転を続ける。
雨で視界が悪くなる中、線路脇の標識を目をこらして見つけようとしている。
勾配やカーブの曲率に合わせて加減速を行う為だ。
患者さん達が待っているのだから、なるべく急いで、だが事故を起こさないよう制御してる。
その操作は滑らかであり、オスカーもレイも不安は無かった。
「くっ」
だが、列車が進むごとにテルの表情は険しさを増す。
「どうしました?」
テルの苦悶に気が付いたレイが尋ねる。
「運転が難しいのですか?」
「蒸気の圧が下がっている」
「整備が行き届いていないのですか」
「いや、気温が低くて蒸気が冷えて圧が下がっている」
蒸気機関車はシリンダーに蒸気を入れてピストンを動かし動輪を回す。
シリンダーに送り込む蒸気の温度が高い程、蒸気圧が高くなり動輪を回す力も強くなる。
だが気温が低いと炭水車の水もボイラーの温度が下がる。
一番致命的なのがボイラーからシリンダーに送られる途中の配管だ。
細いパイプなので冷やされやすい。
運転前からパイプは熱々に熱せられているが、熱が逃げていくのを完全に防ぐことは出来ない。
外気が低いと余計に冷えてしまう。
「給炭装置を作動させます」
「いや、これ以上は無意味だ」
既に給炭装置で送り込めるだけの石炭は入れている。
「もう無理ですか?」
「いや、給炭をしてくれると嬉しいな。装置が送り込めない部分に石炭を入れてくれると、装置では最適に出来ない石炭の形を整えてくれると嬉しい」
「分かりました。やりますよオスカー」
「しゃあねえな」
どうせこんなことになると思っていたオスカーは、ぼやきつつ片手持ちのシャベルを手にする。
そしてオスカーは石炭を火室に入れ始めた。
「奥じゃない!」
運転中のテルが叫んだ。
「左手前の上の方へ投げつけろ!」
「お、おう」
戸惑いながらもオスカーは言われた方向へ投げていく。
「もっと手前! 火室の手前端、もっと上の方に入れるんだ」
「わかったよ」
テルに言われたとおりにオスカーは入れる。
「もうちょい上」
「あいよっ!」
「そのまま二、三回入れて! おし、完了。次は逆側」
「ひいっ」
言われたとおりに入れる。
「右は減りが激しいようだな。下の方から入れていってくれ。両手持ちのシャベルの方がいい」
「分かったよ」
オスカーは両手持ちにシャベルに持ち替えて大量の石炭をくべていく。
両手持ちの方が大量に石炭をくべるのに使える。
片手持ちがあるのは細かい操作、狙ったところに石炭を投入することが出来るので状況に応じて使い分ける。
大量投炭が必要なのでオスカーは両手持ちだ。
言われたように右側へ、高く入れた。
「やり過ぎだ! レンガアーチにまで石炭が入った! 火管が詰まる! もっと低くて良い」
「分かったよ!」
必死にオスカーは石炭を入れていく。
「レイ、オスカーが疲れてきたみたいだ。交代してやってくれ」
「あ、ああ」
レイはオスカーとバトンタッチする。
オスカーは汗をだらだらと滝のように流し、肌を赤くして後ろにさがった。
時間を確認すると、僅か十五分ほどだ。
たった十五分投炭しただけで、あれほど消耗するのは、驚きだったがすぐに仕方ないと認めた。
投炭口に立つと、目の前から放たれる熱気に肌を焼かれる。
すぐさま汗が滝のように流れ出すが、肌がまだ焦がされているような気分だ。
そして、言われたように奥へ石炭を入れていく。
「! 掴まれ!」
突然テルが叫んだ。
慌てて手近な手すりにレイは掴まり、衝撃に備える。
テルが急減速した直後、機関車が右に大きく曲がる。
「済まん、標識を見落とした。急なカーブがあった」
カーブに気がつくのが遅くなり急減速をしたが間に合わず、横からの衝撃を受けてしまった。
「火室の左前方の石炭が崩れた。左の奥へ石炭を入れてくれ。低く投げろ、高くやるとアーチに入って火管が塞がる」
「ああっ」
レイは言われたとおり石炭を入れていく。
「もっと奥だ! 低く、強く、奥へ投げるんだ!」
「ああ」
テルは細かく指示する。
「よし、そろそろ良いぞ。全体的に減っているからストーカーで補充してくれ」
「うん」
給炭装置を作動させ、石炭を入れていく。
「ありがとう、大分蒸気圧が良くなった」
圧力計を見ると確かに二気圧ほど下がっていた気圧が標準圧力の一四気圧に上がっていた。
テルが適切に指示していた証拠だった。
「しばらくは大丈夫だ。少し休んでいてくれ」
「ああ、ありがとう」
さすがのレイも、テルの言葉に甘えて休む。
「というか、どうしてテルは運転席から離れていないのに火室の状態が分かるんだ」
休んで落ち着きを取り戻したレイは、疑問をテルにぶつける。
「石炭が落ちる時の音の位置と響きで、石炭がどれくらい積まれているか分かるよ。石炭が落ちてぶつかった場所が、石炭の壁が出来ている位置。石炭同士のぶつかる音なら、石炭の壁。金属と当たる音は火室の壁に当たっているから石炭が少ない証拠」
「超能力かい」
「会得できる人は少ないけど、慣れれば出来るよ」
「出来る人は少ないと思うよ。テルみたいな人は少ない」
「僕はまだまだだよ。落ちる音を聞き分けて石炭層の厚みを言い当てる人もいるんだ。
「鉄道員は化け物か」
改めて鉄道員というのは化け物だとレイは認識した。
「ところで、土砂崩れの現場は?」
「もうそろそろだが」
少し雨脚が弱まり視界が開けてくる。
「見えた」
作業員が旗を振って指示をしていた。
進行せよ。
テルは念のため減速しながら進む。そして現場が見えた。
左に崖の迫る右カーブの周りに土が散乱している。
そこで崩れていたのだろう。
土の圧力でレールが弱っていないかテルは心配だったが、保線員を信じて進むしかない。
そして、テルは驚異の光景を目にする。
保線員達が弱まっているだろう左側のレールを、右カーブのため機関車の遠心力で力の掛かる左側のレールをバールで保持している光景を見た。




