噂を真に受けないで
「また、この処理かよ……」
テーヌの神殿の計画が終わり、運営を任せた直後、鉄道省に戻ったテルの元に事故報告書がもたらされた。
「被害はそんなでも無いんだろう」
報告書を読んでいたオスカーが言う。
「むしろ、根性ある奴じゃないか」
驚きの声を出しながら読んだのはある土砂崩れ事故で起きた出来事だ。
事故は雨の降りしきる中で起きた。
長時間の雨により線路脇の崖が崩れて線路にまで達した。
そこへ、運転中の列車が走り込んできた。
急停車は間に合わず、そのまま土砂崩れに突っ込んでしまった。
此処までは致し方なかった。
問題はこの後だった。
衝突した衝撃で、運転士は頭部を運転台に強打。
血を流し朦朧とした意識の中、思った。
(ダイヤを乱してはならない)
大雨により、減速運転が行われダイヤは乱れがちであった。
運転士は
そのまま電車を走らせ、次の駅に到着し停止位置へピタリと停車させた。
血まみれのまま運転室から降りて、交代の運転士が驚く中、引き継ぎを行いそのまま倒れた。
「こんなに根性のある奴は珍しい」
「馬鹿げたことだよ」
「そうなのか?」
「今回は良かったけど、もし脱線していたらこの程度では済まなかったぞ」
脱線転覆すれば、周囲を巻き込んで被害を出してしまう。
土砂崩れに突っ込んだら車輪が外れて脱線していることを考えなければならない。
「土砂崩れに乗り込んだ場合、やらなければならないのは即時停車だ。脱線してそのまま走らせたら暴走だ」
「いや、脱線していなかったから大丈夫なんだろう」
「結果論だ。まあ、脱線したか、していないか、なんて電車の振動で分かるけどさ」
脱線した列車は、枕木の上やバラストの上を進むためレールとは全く違う振動になる。
自動車のベテランドライバーが、車の振動で路面の状態が分かるのと同じだ。
頭を強打して、なお電車の状況を把握して脱線していないと判断できたのは、確かに賞賛にあたいする。
しかし先頭車両が脱線しなかったのは奇跡でしか無い。
乗り上げなかったのは土砂が少なかったからだし、信号が通じるよう先頭車を電動車にして重くしていたからだ。
結果的に土砂を押し切れたが、そのような目的で重くしたのではない。
「非常に危険な行為だ。一両目はともかく二両目が脱線していないと何故言える」
土砂崩れが重なり後ろの車両を押して脱線させてしまうかもしれない。
そのまま知らず知らずに後ろの車両が脱線して横にずれたまま走行して、トンネルなどの周辺施設に衝突して大事故に繋がった可能性がある。
「そもそもダイヤが乱れていたのは、大雨による減速を指示していたからだ。土砂崩れによって線路が埋まる事も想定の内であり、すぐに停車できるように減速を指示していたんだ。ダイヤが乱れることは初めから承知の上で行っていた。なのに、この運転士は回復運転しようと走らせ続けた」
頭を強打して意識が朦朧としていたこともあるだろうが、兎に角走らせようとしてしまった。
「これが一番の問題だよ。何かあったらすぐ停止。列車の安全を確保するという大前提が守られていない」
「それが重要なのか」
「そのために火災事故を徹底的に追求したんだろうが」
沿線火災で運転停止するべきところが、私鉄と警察消防の連絡体制の不備で出来ず、あろうことか火災現場の目の前で列車が停止して三両の車両が延焼してしまう大惨事が起きている。
「同じような事が起きているんだ。なんとしてでも防がないと」
「しかし、血まみれになっても次の駅まで進んだ、その根性は凄いな」
「その根性が最大の問題だよ。何故、そんな事になったと思う?」
「知らんが」
「鉄道好きや一部で話されている伝説だよ……国鉄の運転に掛ける意気込みは凄い、車や土砂崩れに激突しても防護した後、待避駅まで運転し交代した直後倒れた銃床の運転士がいる、って話だ」
「本当なのか?」
「いないよ! 伝説だよ! 都市伝説! 根も葉もない噂だ!」
テルは大声で叫んで否定した。
「そんなことがあったら、記録に残るよ。重大な服務規程違反で懲罰の対象だよ。土砂崩れで列車が壊れているかもしれないのに、運転するな! 現状で待機だよ。あるいは次の駅までお客様を移動させるか、救援列車が来るまで待機だよ! 列車が壊れているのに動かして二次災害が起きたらどうするんだよ」
「お、おお……」
あまりのテルの剣幕にオスカーは圧倒された。
「このような噂が未だに流れていることはゆゆしきことだ。根絶しなければ」
「いや、伝説なんだろう? フィクションなんだろう」
「だとしても真実か嘘か判断できない奴がいたんだ。で、事故を起こし懲罰対象になる行動を起こしてしまったんだ。早急に対処しないと」
「やたらと力説するな。何がお前をそこまでさせるんだ」
「……」
オスカーに聞かれてテルは固まった。
沈黙し冷や汗が全身を流れて気まずい雰囲気になる。
「テルも鉄道学園に入学するまで、その伝説を信じていたんですよね」
あっさりレイがばらした。
半泣きの目でテルは礼を睨み付けるが、レイは笑いながらオスカーに言う。
「機関車の運転実習で、間違って土砂崩れの転覆事故再現中の実験線へ通されて土砂に突っ込んで大けがしたんですけど、事故後も運転台にしがみついて待避駅まで運転する、と言っていたんですよね」
「……もういいだろう」
うつむけた顔を真っ赤にしてテルは言う。
心眼の判別が難しい重大前の少年だったし、実家ではしょっちゅう兄弟姉妹が線路脇で土砂崩れを起こし、衝突事故が日常だった。
鉄道学園での事故で初めてタダの噂や酒の席の話であり、噂であり、事故を起こしたのに運転し続けるのは非常識だと知らされ、恥ずかしい思い――鉄道の大功労者の息子なのにそんなことも知らないと思われてしまったことが恥ずかしかった。
「兎に角! こんな事故を起こさないよう教育の徹底を行う。こんな噂の根絶を行わなければ」
「いや、噂話とか笑い話の類いで伝わっているんだろう。そういうのは無くなりにくいだろう」
軍隊時代、兵隊達と一緒にいることを好んだオスカーは、娯楽に飢えた兵士達の気晴らしがその手の笑い話である事を知っている。
たとえ禁止しても密かに語り継がれることも知っていた。
「だが、真に受ける奴とか利用しようとする連中もいる。噂は噂、嘘は嘘、伝説は伝説と認識し、基本をおろそかにするな、その話は基本とズレていないか考える習慣を身につけさせる!」
「そうだな」
自身の恥でもあるため、テルの力説は凄かった。
しかし過剰では無いかとオスカーは思った。
だが、杞憂では無かったことをすぐに最悪の事故で思い知らされる。
続きは
https://kakuyomu.jp/works/16816452220020846894/episodes/16816700427422292172
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