フリーゲージトレイン
「これは大臣、このような場所へ」
扉を開けた人の良さそうな明るい中年の男性はは部屋の主であり報告書の作成者ラモン・タルゴだった。
「いいえ、私が知りたいと思いましたので、こうして自らやってきました。それに先輩鉄道員の元へ後輩が伺うのは当然でしょう」
「面白い方ですね」
後輩でも昇進して追い抜けば上司なので立場は逆になるのだが、律儀にやってくるところに制作者であるタルゴは好感を持った。
「まあ、昭弥様もそのような方でしたから、やはり血筋なのですね」
納得と呆れと諦観の入り交じった声をタルゴは呟いた。
だが同時に親戚の子供を迎えるような笑みを浮かべて居間に招いた。
「さて、フリーゲージトレインの事ですが」
アパートのリビングに通されたテルは、タルゴに話しかけて要件を聞き始めた。
「帝国では標準軌が基本となっています。その利点はご存じですね」
「はい、勿論です」
タルゴの言葉にテルは頷いた。
リグニアは標準軌もしくは三メートルゲージで統一されている。
ゲージを統一しておけば車両の相互乗り入れが可能だ。
またゲージが同じだと車両を売却する時、他の鉄道会社に売りやすくなる。
テルの父親昭弥が偏執狂に近いほど鉄道の規格化、標準化を行った理由は鉄道車両の市場を作り出すため、各社の間で必要な車両のやりとりがしやすいようにするためだ。
日本では大手私鉄から地方の中小私鉄へ車両の譲渡売却が行われているがこれはゲージが同じだからだ。
だが海外への輸出が小さい。
政治的に問題があるが、巨大な市場である中国ではなく、インドネシアやミャンマーへの輸出が多いのはゲージが日本と同じ一〇六七ミリの狭軌だからだ。
他にも理由はあるが、ゲージが合う場所でないと輸出は難しい。
ブエノスアイレスへ渡った丸ノ内線は日本の技術援助で完成したので車両の規格が同じだったから、台湾の新幹線は、はじめから規格に参加していたからだ。
日本メーカーが車両を海外に売り出しているが、現地で生産しているのが多く、日本の中古車両が販売できれば、処分費用が少なく済むし、海外も安く車両が手に入るのだが、規格が合わなければ無理だ。
そのような事が無いように昭弥は徹底的に規格化標準化した。
「ですが、標準軌をよしとしない主流から離れようとする反骨精神のある人間は何処にでもいるもので」
だが、世の中全て上手くいくわけではない。
凡人ながら卓越した鉄道への知識と情熱により、時に神に等しい扱いを生前から受けていた昭弥でも例外ではない。
へそ曲がりな事業者はいるもので、標準軌ではなく、広軌で建設してしまった連中がいるのだ。
勿論、乗り入れが不便で利用者から苦情が来て標準軌へ変換しようとした。
だが、補助金を使っても足りないくらい鉄道収入が少なく、線路が長い、しかし苦情が来るくらいには需要がある、という厄介な路線で困り果てていた。
「貨物はコンテナ化して積み替えれば良いので、積み替えの手間さえ目をつぶれば簡単でした。しかし、乗客は乗り換える必要があり、乗り換えが苦痛です。それに乗り換えの時の誘導などに駅員を取られるのもよろしくない。そこで、考え出された提案の一つがゲージを自由に切り替えることの出来るフリーゲージトレインでした」
列車に乗ったまま、変換用の線路に入りゲージを変える事が出来れば、大幅な時間短縮となり乗り換えの手間も省ける。
「最初は客車で行いました。無動力のため簡単に変換することが出来ました。しかし、それでは高速化、新幹線への乗り入れは不可能でした」
新幹線は電車方式のため、無動力の客車で入ることは出来ない。
高速用の電気機関車を使えば良いのかもしれないが、集中動力の機関車は分散動力型の電車に比べ加減速が劣る。
加減速性能が異なる編成が同じ路線を使うのはダイヤ編成に問題が生じるため、乗り入れは出来ない。
「そこで、新幹線型のフリーゲージトレインの開発を進めました」
「出来たんですか?」
「ええ、苦労しましたが、なんとか試作は出来ました。ですが、問題が発生しまして」
「変換部分の強度ですか? モーターの組み込みですか?」
「それは大丈夫でした。広軌から標準軌への変換だったので、標準軌のものが利用出来たことが大きいですし、構造体は広軌のものが使えたので頑丈でした。狭軌から標準軌へ変換するタイプは残念ながらご指摘通り、小さい狭軌用の機材を使うため性能も強度も低く試作で中断されました」
スペインの高速鉄道がフリーゲージトレインの開発に成功したのはスペインが広軌を採用していたため車体が広軌サイズで大きかったためだ。
リグニアも車体と台車が大きく機器を取り付ける空間が広いためゲージに合わせて車輪の間隔を調整する機構を取り付ける事が出来た。
モーターの取り付け――車輪の間に取り付けるため標準軌用のモーターが使えたのも大きい。
だが、狭軌から標準軌は困難だ。
標準軌に合わせて台車を作るので変換機構を組み込むのが難しい。強度的にも疑問がある。
なにより組み込むモーターが狭軌用になってしまう。延長軸を使えば良いが台車のサイズが大きくなる。
日本のフリーゲージトレインが失敗した理由の一つだ。
他にも台車の振動や揺れが酷かった。
制震装置を組み込もうにも、台車が小さいので機器の小型化が困難だ。
そしてスペインのタルゴの場合は一輪独立タイプのためそもそも台車を使っていない。車軸に合わせてスライドさせる必要が無く、車輪を支えるアームを左右に動かすだけで済んでいた。
同じように独立タイプを試そうとしたが、台車方式とは車体構造も走行特性も変わってしまうため採用されなかった。
「あと全体として共通していたのは信号装置との不適応ですね。列車の位置が正しく表示されない事が多かったのです」
列車の現在位置を知るための装置としてレールとレールにそれぞれ電極を取り付けてスイッチを繋ぎ、列車が通過するとき車輪と車軸を通じて電気が流れスイッチを作動させる方式が主流だ。
簡単な構造で確実だったが、フリーゲージトレインの場合は車輪が車軸上で動くためか、通電しにくく、スイッチが作動しないことが多々あった。
一輪独立タイプだと左右の車輪が独立しているため通電は更に困難で信号に全く反応しない事が予想される。日本で一輪独立タイプが採用されなかった理由はそこではないか、と昭弥は考えていた。
「結局のところ、フリーゲージトレインは信号装置との兼ね合いもあり、中止となりました」
「なるほど」
安全最優先の新幹線では使えない。
走行中の新幹線が保安装置の上で行方不明になるなど悪夢だ。
消えた瞬間、異常として全線に緊急停車が命じられダイヤは大きく乱れる。
在来線でも同じ事が起きるだろうから、不採用にされたのは当然だろう。
「他に方法はなかったのですか」
「台車交換方式を使っていましたが、台車の交換に九〇分もかかりましたから徐々に廃れましたね
。フリーゲージトレインなら変換用の区間を通過する僅か五分ほどで終了ですから……っ」
雄弁に語っていた制作者は悲鳴を上げかけた。
テルが大きく目を見開いて見つめ、前のめりになっていたからだ。
「台車交換方式について説明してください」




