非常手段
「なんだこれは」
救援列車として用意された作業車で在来線を使って移動したが、隣の車両基地は酷い有様になっていた。
浸水が発生し、車両はすでに台車が水をかぶっている。
一部の車両は車体まで浸かっている。
検査棟も水に浸かっており、床下の機材や設備は確実に浸水している。
「何で避難させていないんだ」
基地全体が浸水しているにもかかわらず、ほぼ全ての線路に車両が置かれていた。
大雨のため計画運休し、基地に集まっていたこともあるが、避難させていない。
「今から避難なんて無理だ」
すでに本線へのポイントは水に浸かっており、動かすことは不可能だ。
やれることなんて何一つ無い。
「機材の引き上げとかは終わっていますか?」
「何のだよ」
「いや、車輪切削機とか運び出さないと」
「床に固定された、あんな重いもの、どうやって運び出すんだよ」
普通に重すぎるし外すことなんて出来ないだろう、とでも言いたそうに基地の人間は話す。
グレッグ達が日頃から最悪の想定をして対応策を計画して準備し、浸水を予測すると迅速に動き出し、被害を最小限に防いでいる。
最上級の対応を見たばかりのテルには、この基地の対応が無責任に見えた。
「それにそれは俺の仕事じゃ無い。浸水が迫っているのに避難させない方がおかしい」
確かにこの検修員の言うとおりだが、事前に事態を想定して手順を準備しておくべきでは無いのか。自分の所属に対する義務では無いのか、とテルは思い、拳を握りしめた。
だが、拳を放つことは無かった。視界の中で、新幹線が動き出していた。
「誰か動かそうとしているんですか」
「まさか、浸水しているんだぞ。誰も近づくものか」
だが僅かだが確実に新幹線は前に動いていた。
近くにある電柱の位置と比べて見ても動いている。
そして低速にしてはあり得ない緩やかな上下動が車体に加わっていた。
その動きを見てテルは気が付いて驚愕した。
「……浮いているんだ」
新幹線車両は高速化するために軽量化されている。
そのため車両が軽くなっている。
しかも車内の環境を良くするため新幹線車両は気密構造を採用していて水が入りにくい。
完全に水を防ぐことは出来ないが、この構造のため多少は浸水を遅らせる事が出来るし、車内に水が満たされるまで時間を稼げる。
その間、車両は船のように浮き上がることは理論上可能だ。
現実に浮いているところをテルの前で見せつけていた。
「どうにかしないと」
「浮き上がって前に進んでいるだけだろう。平気だろう」
「今は前に進んでいるだけです。しかし、このまま浸水が深くなり浮き続けたら、いずれレールを外れて他に行ってしまいます」
「だがしょうが無いだろう。脱線してもレールの上に戻せるだろう」
「その前に他の設備に激突します。例えば隣の電柱にぶつかって折れたりしたら復旧にどれくらいかかるか」
架線は垂れ下がり防止のため一トンほどの力で引っ張られている。その張力を維持するために電柱は頑丈に作られているし、維持するために常に力がかかっている。
下手に電柱に力が加わったら、浮いているとはいえ十六両編成で七〇〇トン以上ある車両が激突したら、下手をすれば折れてしまう。
一本だけに激突しても張力が掛かっているため、他の電柱にも余計な力が掛かり、連鎖的に破損を引き起こすかもしれない。
そうなれば車両基地の早期復旧は絶望的だ。
「だが、どうするんだよ。そもそも、そんなの俺たちの仕事じゃ無いだろう」
その言葉にテルは切れた。
「……」
「な、なんだよ」
怒鳴り散らすことはなかった。ただ、黙って睨み付けた。
その圧の強さに年上にもかかわらず検修員はたじろいだ。
その様子を見たテルは、見下し、役立たずと判断して新幹線車両に目を戻し、善後策を考えた。
そして駆け出した。
「おいっ! 勝手なことするな!」
止める間もなくテルは浮いた新幹線車両に駆け寄る。
浮いているためいつバランスを崩して自分の方へ横転してくるか分からない。だが、時間が経てば経つほどその危険は大きくなる。
テルは素早く駆け寄ると非常コックを開いてドアを開けた。
開け放たれたドアからは泥水が客室へ勢いよく流れ込んでいく。
「な、何をやっているんだ!」
テルの行動に基地の検修員は驚いた。
「内部に浸水させているんです。いずれ内部は浸水します。なら、今のうちに浸水させて浮くのを止める重りにすれば流れて電柱を倒したり、建物に突っ込むことはありません」
今は無事な客室でもいずれ浸水して座席は水に浸かる。そうなれば泥水がしみこんで全部交換になる。
車両も電装系は全滅となりせいぜい台車の車軸と枠を洗い、ギアボックスを清掃して再利用出来る程度で結局廃車だ。
ならば他に被害を出さないように魔の内に沈めてしまえば良い。
「そんなこと、俺たちの仕事じゃ」
テルの行動を見た応援の検修員達は一斉に駆け出し、車両に取り付くと非常コックを開いてドアを開け放ち、浸水させる。
十数分後全ての車両のドアが開き、新幹線は沈んだ。
だが、流されて電柱などへ激突する二次被害は避けられた。




