車両避難
リグニア国有鉄道の特徴として、河川に近い場所に鉄道関連施設が多い。
これは川の近くだと広大な平地が確保しやすいこともあるが、創設初期に建設費抑制のために河川の堤防を線路の土台代わりに使ったために自然と川の近くに施設を作ることになったからだ。
暫くして鉄道収入が良くなったのと路線網の充実により内陸部へ車両基地が建設されたため河川沿岸に作られる事はなくなった。
しかし、古い基地を中心に川に近い基地が多い。
移転費用がないのと、移転するにもこれまで整備された大量の設備の移動が困難だからだ。
テルの研修先となった車両基地も老舗と呼べる位に古い、創設初期に作られた長い歴史を持つ基地であるため、川に近い場所にある。
そのため洪水被害が平時より予想されていた。
放送が流れたときにも雨はみるみるうちに強まり、雨量が激しくなっていく。
「これぐらいの雨で済めば良いんだが」
グレッグは空を見た後、山の方を見た。
普段なら見える山の輪郭が雨で見えないし雲で覆われている。
「洪水は避けられそうにないな」
基地周辺の雨量はともかく、川の上流域で雨が激しいと一気に川へ水が集まり、下流に流れ込んで増水し、堤を越えて浸水する。
川の上流である山が雨で見えないのは良くない兆候だ。
「グレッグ! 予報だとこの後も洪水警戒雨量が続く! 区長は緊急作業を決断した! 始めるぞ!」
「おう!」
予測し覚悟を決めていたグレッグは大声で同僚に答えると、視線を固定したままテルに言った。
「よし! 声が掛かったぞ! 行くぞ!」
「ええ、行きましょう」
「お、おう」
先ほどまでサインをする事を躊躇していた少年とは思えないほど冷静な声で、むしろグレッグが動揺した。
(非常事態に生き生きするタイプか)
長年検修区で仕事をしているグレッグは似たようなタイプ、検修区が修羅場な時ほど生き生きする人間を何人か観てきた。
平時においては無能か、平均以下だが危機に強タイプだ。
マニュアルや規則に従って動くのが苦手で不器用な奴。
だが災害などの非常事態で平時のマニュアルが守れない危険なとき、マニュアルを破り最短で事態を解決することに全力を尽くせる人間。
平時で無能なのは最短を進みたいがマニュアルや規則に阻まれて動きづらい全力を出せないからだ。
マニュアルや規則が悪いわけではない。安全の為にいくつもの確認事項があり、守ることによって安全を確保している。
しかし、その確認作業さえ行う余裕を災害は奪う。確認していては車両や乗客、自らの身を守れない事がある。
その時規則やマニュアルを破ってでも、安全を、必要な目的を達成するため行動する人間がいる。
間違いなくそいつは英雄だろう。
ただ、マニュアルや規則を破っているため、それに伴う損害が出る。規則を守って手遅れになって、あとで出てくる損害に比べれば許容範囲におさまる被害だ。聡明さも併せ持っていればその程度の計算もする。
ただ、逸脱した行為は周囲の反感を買う。
テルの能力を買っているグレッグだけに、テルががそのような事態にならないか心配だった。
洪水警報が流れた直後から、車両基地では怒濤の勢いで作業が始まった。
最悪二メートルの浸水予想が想定されているこの車両基地では日頃から幹部は浸水対策を行うと共に万が一に備えての緊急避難計画を策定していた。
安全――少なくとも車両基地に置いているより被害の少ない場所への車両と機材を運んでいくのだ。
「テル、お前動力車の運転資格持っていたな」
「はい、営業用の資格はまだですが」
研修用および構内移動や回送の運転のための限定資格が国鉄内では作られており、緊急時を除き、乗客を乗せない営業用編成を運転しないことを条件に運転が認められていた。
「なら車両を本線へ退避させろ。近くの駅まで運転するんだ」
「他に人はいないんですか」
「車輪の切削機材の取り外しがあるからな。機材を取り外して資材車に乗せる作業にベテラン勢を使う。車両を動かせる奴は車両を動かすのが優先だ」
そう言って、工場の一角、線路の下に設置された機材、車輪切削機をグレッグは親指で指さす。
高速走行すると車輪は削られるが、均等に削られていくわけではないので歪む。
そのゆがみで震動が起きたり最悪の場合、脱線の可能性がある。
だから車輪の切削は重要な作業なのだが、一昔前は車輪を車両から外して削るというすごくめんどくさい作業だった。
しかし切削機が出来てからは車輪を車両に付けたまま削ることが可能になり作業量が大幅に削減された。
もしこの機械が無ければ作業効率は大幅に落ちる。なんとしてでも守り抜きたい機材だった。
だが機能上、線路の下に据え付けられている機材を外して資材車両に乗せるのは大変だ。
「大仕事ですね」
「だが、外さないと浸水した後、復旧に時間がかかるし、切削作業の効率が落ちる。他にも外さなきゃならない奴や配電盤の予備部品を退避させる。済まんが車両を運んでくれ」
「分かりました」
「そこの十六両編成を担当しろ。先発に続いて待避駅の一番線へ入れて停車。電源を切ったら指示に従って帰りの列車に乗って帰ってこい」
「は、はい」
テルが指定された待避駅は、基地に近いターミナル駅だった。
本線から分岐した後、島型ホームを挟み込むような形の典型的な駅で、待ちの中心部に近い分、基地より高台で安全とされていた。
テルは制御キーを渡されると言われたとおり新幹線に乗り込みキーを差し込んで列車の電源を入れた。




